その25
4 戦闘
鈴川 平塚駅北西約3キロメートル
酒匂王国連邦海軍 開発隊群 通常動力型試験潜水艦<伊400>
<伊400>は、<そうりゅう>を従えて昼下がりの鈴川を遡上していた。ハラミ・ステーション(鈴川の川べりに設置するヘリコプター給油拠点のコードネーム)までは3キロメートル。ここまでは計画通りの航海だった。だが、それも終わった。
モニターを見つめる機関長・森住中佐の顔は険しかった。
「やっぱりだめか?」森住中佐の肩越しにモニターを見る艦長・沢地大佐が言った。
「温度上昇が止まりません。バッテリー本体の外部点検もしましたし、短絡した箇所やバッテリーと接触した配線がないかも確認しましたが、どれも異常ありません」
「ダイダラの旅客機であったバッテリー発火とは原因が違うのだな。温度が上がる原因は何だ?」沢地大佐は腕を組んだ。
「端子やバッテリー内部の故障なら、一つか、あっても数個のセルがおかしくなるだけです。全部のセルが同時に温度上昇するとなると、原因は電源制御プログラムしかありません」
<伊400>は、潜水艦用リチウム・イオン・バッテリーの試験をするために、それまで搭載していた鉛バッテリーの80%をリチウム・イオン・バッテリーに交換していた。
リチウム・イオン・バッテリー自体は期待どおりの性能を発揮したのだが、バッテリーの換装に合わせて装備した艦制御システムがくせものだった。
このシステムは、<伊400>の操舵、トリム、発電機、艦内環境、そしてリチウム・イオン・バッテリーの制御に必要な電源制御をも行う艦の中枢システムなのだが、その作動は不安定だった。
「なんとか直す方法はないか?」
「艦制御システムを落としてリセットすれば復旧するかもしれませんが、その間、操艦も出来なくなります。そんなことはできませんから、電源制御サブシステムだけをリセットするしかありません。ただ、配線を変えないといけません。それが厄介です。システム詳細設計書をもう一度確認する必要もあります」
「できるか?」
「できます。そうですね、6時間もあれば配線を変えられます。そのあとにリセットしますが、直る保障はありませんよ」
「そんなもん、わかっている。帰りに直すぞ! それまでは、預かり物をハラミ・ステーションに運ぶことが最優先だ。厄介なリチウム・イオンをはずして鉛バッテリーだけを使うぞ」
「了解。すぐに切り替えます。当面は……3時間おきの充電になります」森住中佐は、充電間隔を計算尺で計算した。計算尺が一番早くて正確だ。計算尺は森住中佐の愛用品だった。
「3時間か。そんなもんだな」沢地大佐は、そうつぶやくと副長・桝谷中佐に振り向いた。
「よし、副長! 上流には星川の<カメハメハ>がいるはずだな。<カメハメハ>に我々の前方を偵察させよう。6艦隊司令部に要請しろ。ハラミ・ステーションに行くまでには、最低1回は充電せにゃならん。充電中に敵に遭遇したくないからな。用心に越したことはない」沢地大佐は、そう言うと水中電話をとった。<そうりゅう>にも状況を伝えておかなければならない。
鈴川 伊勢原駅南南東約3.5キロメートル
香貫公国海軍 第1太平洋艦隊 原子力攻撃型潜水艦 <ペトロザヴォーツク>(B-388)
鈴川を遡上してきた<ペトロザヴォーツク>は、R38基地の南東1キロメートルにある中州の南側をゆっくり進んでいた。最初の機雷敷設ポイントは、鈴川の流れが中州によって分断される地点の上流側5メートルの地点。敷設ポイントは目の前だった。
ここで最初の機雷を敷設したら反転して、後は鈴川の流れに乗って下りながら残りの機雷を敷設する。機雷は上流から下流に向かって順に敷設する計画だ。下流から機雷を敷設していくと、自分が敷設した機雷の上を通って相模湾に戻ることになる。それは危険だった。自分が敷設した機雷にやられる恐れがある。もちろん機雷の作動開始時間を<ペトロザヴォーツク>が相模湾に出る予定の時間に設定して敷設するのだが、この設定機能の信頼性は低くあてにならなかった。
「機雷の点検完了! 設定も終わりました」水雷長が、手に付いたグリスを拭き取りながら発令所に入ってきた。
振り向いた艦長・北堀中佐は水雷長の手を見ていった。「その手、どうした?」
「発火機能のシステム診断を通したのですが、3発に不具合があったんで点検口を開けたら3発ともグリスがこれでもかと詰まっていました。手分けしてグリスを取り除いてから基盤を換えたんですが、このザマです」水雷長は、グリスで汚れた手を上げて見せた。
「なんとか間に合ったな。ご苦労」そう言って水雷長をねぎらった北堀中佐は、次に副長・古羽少佐に顔を向けた。「そろそろ最後の確認をしよう。副長、君の苦労が報われるときだ」
古羽少佐はニコリとして頷いた。
鈴川を遡る途上、機雷敷設予定地点に来るたびに速度を落として川の状況を確認してきた。第1太平洋艦隊司令部が新たに指示してきた敷設地点は、海図上では川の中に入っていた。それでも川は生き物である。護岸工事によって川の形は大きく変わらないものの、中洲の形や水草の密集した場所は一回の雨で変わってしまう。このため、機雷の敷設地点を微修正しなければならず、この修正を古羽少佐が一手に引き受けていたのである。
「よし、潜望鏡を上げろ。最後の確認をする」北堀中佐は命じた。
鈴川 伊勢原駅南南東約3.5キロメートル
酒匂王国連邦海軍 開発隊群 通常動力型試験潜水艦<伊400>
「潜望鏡上げ」艦長・沢地大佐は潜望鏡の前に立った。充電の時間だった。
沢地大佐は、潜望鏡で周囲の状況を確認した。<伊400>は、ちょうど中洲の北側を航行中だったため、中洲の反対側も確認しようと潜望鏡を中洲の方向に向けた。だが、密集したアシが邪魔をして何も見えなかった。
「ソナー! 異常ないか?」沢地大佐は潜望鏡から眼を放さずに言った。
「探知目標なし」水測員の報告に沢地大佐は頷いた。中洲の反対側が気になるが、電池の残量は危険なほど減っている。一刻の猶予もない。充電を始めよう。沢地大佐はそう判断した。「よし! シュノーケル上げ! 充電するぞ」
古い配管に無理やり取り付けた試験評価用のシュノーケルが、ガタンと大きな音を立てて上昇した。
「ディーゼル起動!」沢地大佐は命じた。
発電機用ディーゼルエンジンの横で待機していた機関科員はエンジンを起動した。
建造当初から使用されている古いディーゼルエンジンは、咳き込みながら動き出した。
2基のディーゼルエンジンがたてるエンジン音と振動が艦内を駆け巡った。そしてセイルに設けられたエンジンの排気口からは、爆音と黒煙の混じった黒い気泡が勢いよく噴き出した。
シュノーケルから空気を取り入れてディーゼルエンジンを作動させていると、高い波によってシュノーケルからの空気が閉ざされるときがある。そのとき、外気を吸えなくなったディーゼルエンジンは艦内の空気を吸って作動を続ける。このため、シュノーケルからの空気が閉ざされると艦内の気圧は急激に低下する。波が下がると外気の流入が再開し、もとの気圧に戻る。シュノーケル航行中は時としてこれが繰り返される。
<伊400>の乗員にとってはいつものことで慣れているが、ハラミ・ステーションを設営するために派遣された第306設営隊派遣員6名と、ハラミ・ステーションを利用するヘリコプターを支援するために派遣された「瑞鶴」のヘリコプター整備員5名にはきつかった。気圧の変化によって耳が痛くなり、あくびばかりが出た。さらにディーゼル燃料と排気の臭いが彼らを悩ました。
ハラミ・ステーションに着くころには身体がぼろぼろになっちまう。だいじょうぶか? 俺たち。彼らはそう思った。
星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)攻撃型原子力潜水艦<カメハメハ>(SSN-642)
<カメハメハ>は、小田原厚木道路の高架下を抜けて鈴川を下っていた。シールズ隊員を回収するためにR38基地付近の鈴川で待機していた<カメハメハ>は、<伊400>の要請に応じたブルー・ドラゴン司令部の命令によって鈴川を下っていたのである。<伊400>との会合点まで残すところ600メートル。間もなく会合するところだった。
「発令所、ソナー。ニューコンタクト。方位1-1-9。“シエラ1”と呼称する」
ソナー室の報告を受けた艦長・村田中佐は、5秒でソナー室に入ってきた。「何だ」
「内燃機関の連続した排気音を探知しました。とんでもない爆音を響かせています」ソナー室に入ってきた艦長に気付いたソナー員が報告した。
「<伊400>か?」
「たぶんそうだと思います。すみません。排気音が大きすぎて他の音がかき消されています。識別には少し時間をください」
「20分後に<伊400>と会合する予定です。充電のために我々の護衛を要請した状況からすると<伊400>に間違いないでしょう」遅れてソナー室に入ってきた副長・岡田少佐は腕を組んで言った。
「そうだな」村田中佐は同意した。「よし、<伊400>と思われる目標を探知したと報告しておこう。潜望鏡深度につけろ」
「アイ、アイ」といって岡田少佐は発令所に戻っていった。
香貫公国海軍 第1太平洋艦隊 原子力攻撃型潜水艦 <ペトロザヴォーツク>(B-388)
<伊400>と中洲をはさんだ反対側の水面に1本の針が突き出してきた。「ダイダラ」にとっては針にしか見えないが、それは<ペトロザヴォーツク>の潜望鏡だった。
素早く敷設地点の海面を観察した艦長・北堀中佐は「下ろせ」と言って潜望鏡を下ろさせた。潜望鏡から目を離した北堀中佐は、副長・古羽少佐に顔を向けて言った。「まずいな。敷設地点の水面が荒れている。川底に何かあるぞ。敷設地点を5メートルほど川上に変更しよう」
海図を確認した古羽少佐が「了解。問題ありません……」と言って報告を続けようとしたときだった。突然ソナー員の緊迫した声がスピーカーから響いた。
「突発音、発令所、ソナー、突発音、方位0-0-7」
「舵手! 右……」北堀中佐は、すぐさま反応しようとしたが、再びソナー員の報告がスピーカーから流れた。
「突発音ではありません。連続したエンジンの排気音です。水中で排気しています。方位変わらず、正確な距離は分かりませんが10メートル前後です」
「舵手、命令もとえ。掌帆長、潜望鏡上げろ」
「方位0-0-5、目標のほうが、わずかに速い。それにしてもすごい排気音です。」
北堀中佐は「了解」と言って、上がったばかりの潜望鏡をその方向に向けた。その方向に水上を航行する艦船は見当たらない。だが、よく見ると水面から黒い煙が浮き上がり、上空に昇るにつれ薄れていくのが見えた。
バッテリー充電中の潜水艦か。のんびり充電中ということは、こちらに気が付いていない。このままやり過ごそう。今回の任務は機雷の敷設であって敵艦を沈めることではない。
「潜望鏡下げ…… 副長! 水深は?」
「キール下132センチ」
「深度100、出力10%、無音潜航」北堀中佐の命令によって、古羽少佐は操艦命令を発し、機関科員は原子炉の出力を調整し、無音潜航の命令は口伝に艦内に広まった。
「ソナー、発令所、目標の識別はできたか?」
「えらく古い酒匂の発電用ディーゼルエンジンが2基作動しています。スクリューは2基。1940年前後に建造された酒匂の巡洋潜水艦とデータは一致しますが、それ以上のデータはありません」
「ごくろう。よくやった」
「酒匂の、古いポンコツ潜水艦のようですな」ようやく機雷の敷設を開始できる段階になって出鼻をくじかれた副長が不機嫌に言った。
「そう怒るな。このポンコツに発見されなかっただけでも有り難いと思わんとな」
「そうですな。十分に離れてから敷設するしかないですね。それとも攻撃しますか?」
「いや。やり過ごす。“トルベト”(香貫アイスホッケー・リーグで万年最下位に甘んじているアイスホッケー・チーム)相手に勝ったところで誰も褒めてくれん。そうだな掌帆長!」
「“トルベト”と試合するくらいなら、猿回しのホッケー・チームとやった方がましでさぁ」海軍のアイスホッケー・チームでコーチを務める掌帆長・木伏上級曹長が小声で言った。
木伏上級曹長の言葉に、発令所に詰める者はみな声を出さずに笑った。度重なる出港でも<ペトロザヴォーツク>の乗員に不満が少ないのは、この潜水艦の家族的雰囲気と乗員間の団結にあった。
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