その24

鈴川と板戸川の合流点付近 伊勢原駅南約2.5キロメートル

香貫公国軍 R38基地北側の木 星川海軍シールズ ノース・ポスト


R38基地の北側、一度も手入れされたことのない10メートルほどの大きな木、その木の中ほどにある枝がノース・ポストだった。ただ、そこからは基地の内部を全て見渡すことはできない。そこを南側のサウス・ポストがカバーする。こうすればR38基地の廊下を全て監視できる。しかも、島崎大尉が選んだ木の表面は、松のようにひび割れているので隠れるのも容易な木だった。


「ヘリが準備している」木の表面がひび割れた隙間からR38基地を監視していた田巻2等兵曹が、双眼鏡から目を離さずに言った。

田巻2等兵曹がR38基地を監視している間、周囲の警戒を担当していた島崎大尉は、双眼鏡を取ってR38基地を観察した。

R38基地のエプロンでは、数人の兵士がミルMi-8中型輸送ヘリコプター“ヒップ”に群がってMi-8の点検をしているように見える。その横では、大きな背嚢を背負い、細長いコンテナを持った数名の兵士がたたずんでいた。

「ヘリの横にいる背嚢を背負ったやつは何人いる?」島崎大尉も双眼鏡から目を離さずに言った。

「8名」そう答えた田巻2等兵曹は、続けて言った「あいつらが持っているコンテナは、携SAM(携帯式防空ミサイル)だ」

「確かか?」島崎大尉は、双眼鏡から目を離して田巻2等兵曹に向って言った。

「確かだ。市原紛争では、捕獲した香貫の携SAMを撃っていたからな。間違えようがない」

携SAMか。加藤さんにとっては悪い知らせだな。島崎大尉はそう思った。

「オレは二人を起こしてから周囲を見てくる。後は頼んだぞ」島崎大尉は、そう言ってその場を離れた。


島崎大尉が元の場所に戻ると、先ほど起こした江見1等兵曹と重岡2等兵曹は、配置についてR38基地を監視していた。

「さっきの8名を載せて、ヘリが離陸した」島崎大尉に気付いた田巻2等兵曹が報告した。

島崎大尉は、双眼鏡でR38基地を見ると、ちょうどMi-8が建物の出入り口を飛び立って、右に旋回するところだった。

旋回を終えたMi-8は、R38基地の東側にある木にたどり着くと、木の周りを1周して2メートルほどの高さにある枝に着陸した。葉によってMi-8の半分しか見えなかったが、着陸したMi-8から4名の兵士が降りるのだけは確認できた。

「4人しか降りんかったな」スナイパー用のギリースーツ(擬装用迷彩服)に身を包んだ江見1等兵曹が言った。

「確かに4人だけのようだ」島崎大尉がそう答えていると、Mi-8は枝を飛び立ち、今度は、真っすぐ島崎大尉らのいる木に向かってきた。

島崎大尉ら4人のシールズ隊員は、ヘリコプターによる監視に備えて、樹皮の裏側に造っておいた塹壕に隠れた。

江見1等兵曹は塹壕に入ると、あらかじめ屋根にあけておいた小さな穴からファイバースコープを差し込んで外の様子を観察した。Mi-8は、まっすぐこちらに向かってくる。「こっちに来るな! 向こうに行け、ちくしょう!」江見1等兵曹は、そう言ったが、彼が言わなくても、徐々に大きくなるMi-8の回転する羽が風を切る音と、エンジン音によって、近づいてくるのがわかった。

島崎大尉と田巻2等兵曹はMk18Mod1カービンを胸に抱き、重岡2等兵曹はスティンガー携帯SAMを準備した。だが、シールズの隊員は、自分たちのいる枝にMi-8が降りるとは考えていなかった。基地のある建物の2階より低い高度から死角を利用して接近する航空機に対しては、2階より低い枝に監視所を設けるはずだ。自分たちは建物の2階と屋上を監視するため、2階よりも高い位置の枝にいる。同じ木の枝で香貫の兵士と鉢合わせにならない。これは、計画立案時に十分検討したことだった。その証拠に、最初の4人を降ろした木の枝は、2階より低い位置の枝だった。とはいえ、敵と同じ木にいるというのも尻が落ち着かない。

島崎大尉らが耳をそばだてていると、Mi-8がたてる音は木の周りを回るように聞こえた。そして、音の聞こえる方向が変わらなくなり、しばらくすると音が小さくなった。最初の木と同じように、木の周りを1周して着陸したな。シールズの隊員は皆そう思った。

ほどなくしてMi-8がたてる騒音が大きくなり、そして徐々に音が小さくなった。

「ヘリは、基地に向かっている」ファイバースコープをみる江見1等兵曹が言った。

「よし、基地の監視は、田巻とオレ、江見と重岡は枝の根元の監視。いいな! 下に来た同居人は……そうだな、1時間後に様子を見にいこう」

枝に降り立ったばかりの香貫の監視員は、最初に周囲の状況を確認して安全を確保するはずだ。何かないかキョロキョロ確認している最中に、我々が顔を出せばすぐに発見されるだろう。周囲の確認が終わって、監視態勢に入れば彼らの関心は航空機になる。我々が覗き見ても気付かれる確率はぐんと減る。そうなるまでに1時間もあれば十分だろう。

下の同居人は江見1等兵曹に任せて基地の監視に戻ろう。その前に報告だ。島崎大尉は通信機を引き寄せ、キーボードを打って報告を通信機に入力した。慎重に通信コードと優先区分を確認した島崎大尉は、通信機のアンテナを東に向けてディスプレイの表示が変わるのを待った。

通信機のディスプレイに“準備完了”が表示された。島崎大尉は、送信ボタンを押した。通信機は、木の皮の隙間にあるアンテナからデータをバースト送信した。


島崎大尉の通信機が送信した先は、相模川東岸を飛行する通信中継機E-6“マーキュリー”だった。

20メートルにも及ぶ潜水艦通信用アンテナ・ケーブルを胴体後部から曳いたE-6は、円を描いて飛び、長大なケーブルが垂直になるようにしていた。

宇宙空間に衛星を投入する手段のない「スクナビ」世界では、偵察衛星の代わりに偵察機SR-71Aがあるように、通信衛星の代わりにE-6などの通信中継機がある。

E-6は、もともと戦略ミサイル潜水艦と通信をするために開発されたのだが、大きな機体で搭載余裕のあったE-6は、多数の通信機を搭載して、政府機関全ての長距離通信中継を担当する機体となった。このため、E-6は統合軍である戦略軍の指揮下で、海軍第1戦略航空団が運用している。この航空団は、海軍に所属するとはいえ政府機関全ての通信を取り扱うので、様々な政府機関の職員で構成されていた。

島崎大尉の通信を受信したE-6も、機長は空軍少佐、副操縦士はコーストガードの中尉、ミッション・コマンダーが海軍少佐というように、様々な機関の出身者で構成されていた。一見寄せ集めのように見えるが、彼らは行き届いた訓練に裏付けられたプロの集まりだった。島崎大尉が送信したデータは、プロに管理されたミッション・コンピュータが、あて先、通信コードなどを瞬時に判断し自動的に空母<カール・ビンソン>に転送した。


データを受信した<カール・ビンソン>の通信室では、通信特技兵が、あて先と通信コードを確認して当直の通信士官を呼んだ。通常の指揮系統に対する通信であれば通信士官に許可を求める必要はない。だが<瑞鶴>への通信には許可が必要だった。

「ブラボー・デルタ・オスカー(BDO:ブルー・ドラゴン作戦のコード名)か。すぐに<瑞鶴>に送れ」通信士官はそう命じると、CVICに通じる電話の受話器を取り上げた。「ブラボー・デルタ・オスカーからフラッシュ(緊急特別通信)」通信士官はそう報告して受話器を置くと、通信特技兵に向かって言った。「これからは、もっと多くのブラボー・デルタ・オスカーがくるぞ」

<瑞鶴>への送信を終えた通信特技兵が、通信士官を見上げた。「ブルー・ドラゴンの司令部はこの艦に移動してくると聞きましたが、いつですか?」

「正確な時間は知らんが、今日の深夜だと聞いている。何かあるのか?」通信士官が言った。

「いえ、特に。ただ、司令部をこの船にするとはいい考えです。何でもそろっていますから」

「そうだな。この空母なら何でもそろっている」と言って通信士官は笑った。


<瑞鶴>の司令部作戦室で通信計画を練る星川軍のJ-62(西方軍司令部通信幕僚)は、自分が持ち込んだ通信端末のディスプレイに、島崎大尉が送信したデータが表示されたのを確認した。

島崎大尉がデータを送信してから1分後のことだった。



相模川 平塚駅西約1.5キロメートル

星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)原子力航空母艦<カール・ビンソン>(CVN-70)


相模川に架かる東海道線の鉄橋を小田原行きの最終電車が通過していた。

最終電車に乗る「ダイダラ」の乗客はみな疲れ果て、前後不覚に居眠りをする人、駅から家に帰るタクシー待ち行列の競争を考えてソワソワする人、電車内の誰一人として鉄橋の下を流れる相模川に関心を持つ人はいなかった。相模川の黒い水面をよく見ていれば、電車内の明かりが照らす水面を航行する1メートルほどの<カール・ビンソン>が見えたかもしれない。


<カール・ビンソン>の艦内では突然の電車の音に驚く者もいたが、ほとんどの者は気にもしなかった。

電車の音に驚いた一人は、CVIC(空母情報センター)の隣接区画に設置されたブルー・ドラゴン共同司令部で情報資料を整理する酒匂海軍軍令部情報幕僚・北川少尉だった。

「大丈夫ですよ。上を電車が通過しただけです」北川少尉の傍らに座る星川海軍CSG3情報士官・横山少佐は、やさしく言った。

北川少尉は、バツが悪そうに「はあ」と答えた。

「でも、君は若いな」

「はい。18歳です」

「18?」横山少佐の好奇心に火が着いた。

「北川は、今年から飛び級で大学に入学するのと同時に海軍にも入ったIQ240の天才なんですよ」酒匂の先任情報幕僚が北川少尉の代わりに答えた。

驚いた横山少佐は「こりゃ頼もしい。改めてよろしく」と言って右手を差し出した。

北川少尉は「こちらこそよろしくお願い致します」と言って横山少佐の手を握った。「ところで、石川少尉殿と緒方少尉殿にお会いできないでしょうか? わが王子からの言づけを預かってきております」

「石川と緒方ですか。あいつらも確か18歳の高校生だから、今日は学校に行っているんじゃないかな。ちょっと確認しますね」と言って横山少佐は、VF111のレディ・ルームに電話を入れた。

「二人ともレディ・ルームにいます。今呼びますね」

「めっそうもありません。私のほうから出向きます」と言って、北川少尉は酒匂の先任情報幕僚に顔を向けて「よろしいですか?」と問いかけた。

「行って来い」酒匂の先任情報幕僚は頷いた。

「じゃあ、案内するよ。行こう!」横山少佐は立ち上がった。

「そんな。ご足労をおかけするわけにはいきません」

「空母の内部は巨大な迷路だ。迷子になるぜ! それに、いすに座ったままだと運動不足になる。ちょうどいいんですよ」

「そうですか……よろしくお願い致します」と言って北川少尉も立ち上がった。

二人は、横山少佐の先導で同じデッキレベル03にあるVF-111(第111戦闘飛行隊)のレディ・ルームに向かった。


そのデッキレベル03の艦長室では、艦長・大辻大佐が黒い制服に着替えたところだった。あと15分で到着するブルー・ドラゴン酒匂軍指揮官・入江男爵を出迎えるための着替えだった。

どのように入江男爵を迎えるかについては、意見が分かれた。単に軍の高官を出迎えるなら問題なかった。だが、入江男爵は王族の一人であるだけに国の賓客として迎えるべきだとの意見もあり、なかなか結論が出ず議論が続いた。

結局、国防総省の国際儀礼専門官に問い合わせたところ、「酒匂軍が岸本中将を出迎えたレベルで問題ない」との回答を得て決着した。本来であれば国際儀礼に従って王族を迎えるべきなのだが、今回はデリケートな問題が山積した極秘の作戦なので、入江男爵を単に軍の高官として出迎えても国際儀礼には反しない。それに過大な歓迎は、入江男爵も迷惑だろう。なんといっても、公式には今だ敵対関係が解消していない相手だ。そんな相手から過大な歓迎を受けるわけにはいかないと酒匂は考えるだろう。国際儀礼専門官はそう判断した。

妥当な判断なんだろう。大辻艦長は、そう思いながら壁にはめ込まれた姿見で制服に取り付けた徽章や略綬のゆがみを直していると、インターコムが鳴った。「艦長、ブリッジ。儀仗隊の配置完了。10分前です」

「了解」大辻艦長は、そう答えてインターコムの前を離れると、入江男爵を出迎えるためフライト・デッキに向かった。

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