その19

本厚木駅隣

厚木国 ターミナルビル3階駅横地区 中華料理店「青龍閣」


星川西方軍副司令官・岸本中将らが“青龍閣”2階奥にある1室に入ると、長いテーブルの片側に並んで座っていた酒匂の会合参加者が立ち上がった。彼らが待っている間飲んでいたジャスミン茶のよい香りがするその部屋は、ほかの部屋とは完全に隔離されていた。

「この度は、私どもの申し出を受けてくださり感謝いたします。私は、酒匂合同軍副参謀長の入江です」ぎこちない雰囲気の中、初めに口を開いたのは酒匂の交渉責任者である酒匂陸軍中将・入江男爵だった。

入江男爵が話を続けようとした矢先、「お飲み物は何にいたしますか?」といって店員が入ってきた。話の腰を折られた入江男爵は苦笑いをして一同を見回した。その苦笑いにつられて双方の参加者は苦笑いをした。

だが、これでぎこちない雰囲気が晴れた。

参会者の紹介が終わり、まずは一杯目のビールが運ばれて店員が去ると、星川西方軍副司令官・岸本中将が本題をきりだした。「最初に、この会合の目的を確認させていただきたいのですが、よろしいですか?」

「けっこうです」入江男爵の同意を得た岸本中将は話を続けた。「香貫が伊勢原に作った基地を共同して対応すること。共同ができなくとも我々同士が現地で戦うことがないよう何だかの協定を結ぶこと。そのための会合ということでよろしいですか?」

「その通りです。間違いありません。あなたの国と私の国には国交がありませんし、極秘裏に対応する必要があったため、こちらの三宅に命じて加藤中佐に連絡をとらせていただいた次第です」入江男爵は頷いて答えた。

ほっとした表情を浮かべた加藤中佐を横目で見た岸本中将は話を進めた。「今回の事案を共同で当たることに私自身は賛成であります。もちろん上層部も同じ考えです。その前提に立ってお話し合いをしたいのですが、まずは、あなた方はどのような作戦を想定しているのか、その際のあなた方の要求事項を教えていただきたい。そのほうが話は早く進むと思うのですが。どうでしょうか?」

「そうですな。同意します」入江男爵は居住まいを正して言葉を続けた。「私どもとしましては、香貫が伊勢原につくったミサイル基地に部隊を送り込んで、核弾頭を残らず持ち帰る方策を追求すべきと考えております」

考えていることは一緒だな。そう思った岸本中将が言った。「我々もそう考えております。基地のある建物を爆撃して破壊することは簡単ですが、核弾頭も破壊してしまう可能性があります。そうなれば放射能漏れの恐れがあります。放射能漏れがなかったとしても、核弾頭をそのまま放置するわけにはいかないので、瓦礫をかき分けて核弾頭を回収する必要があります。それに「ダイダラ」所有の建物を「スクナビ」が爆撃して破壊すれば「ダイダラ」の注目を浴びてしまい、核兵器の存在を「ダイダラ」に知られてしまいます。それは我が国だけでなく「スクナビ」世界全体にとっても大きな不利益です。ミサイル基地から核兵器の痕跡を一つ残らず消し去らなければなりません。よって我々は、空挺部隊による強襲作戦を計画しているところであります」

「我々も、本来であれば独力で部隊を送り込みます。そのための部隊も保有しています。もちろん「スクナビ」最大の軍事力を持つあなた方も、我が国との共同作戦など必要ないでしょう。ですが、残念なことに我が王国軍は熱海などに対する香貫の浸透対処だけで手一杯の状況にあります。この作戦に充当できる陸上兵力は1個中隊ほどしかありません。だからといってミサイル基地を放置するわけにもいきません。また、あなた方のミサイル基地攻撃を傍観するわけにもいきません。何もできない軍では王国の民に顔向けできないですからな。そういった理由から共通の脅威である香貫のミサイル基地を協力して排除できないか、と考え会合をお願いした次第です」入江男爵は、誠実さと口惜しさが入り混じった口調で言った。

軍人として、これほど悔しいことはないだろう。岸本中将はそう思った。これまで敵だった相手に頭を下げて協力を仰がないと国を守れない状況ほど悔しいものはない。単に誠実な態度だけでは完全に信用できないが、隠し切れない口惜しさを見て取った岸本中将は酒匂の本気を確信した。「男爵、お国の事情はよくわかりました。あなたのお気持ち、察するに余りあります。ぜひ協力して事に当たりましょう。そこで、再度お伺いしたい。あなたがたに要求事項はありますか?」

「共同作戦をお願いしておきながら要求を申し上げるのは心苦しいのですが、2件あります。1件目は、奪った核弾頭のうち1発は我々が王国に持ち帰り、我々の手によって処分させてほしいということです。2件目は、形の上ではあくまでも対等な共同作戦としていただきたいとうことです」

「1件目の核弾頭を持ち帰る事については私の一存では決められません」

「けっこうです。ご検討下さい。核弾頭の解体処分をする際は、お国の専門家に立ち会ってもらっても結構です。ただ、この件は要求というよりも要望に近いものですので、あなた方のご返答内容が共同作戦に影響を与えるものではありません」

「承知いたしました。では、この件は持ち帰りまして改めてご返事申し上げます。あと、2件目についてですが、主権国家同士が現場で共通の敵に共同して対処する。これを対等な共同作戦と言わずに何と言うのですか? 実質的にも名目的にも対等な共同作戦なのではありませんか? 私はそう考えます」

岸本中将の「対等な共同作戦」という言質に、それまで表情の硬かった酒匂の参会者の顔に血の気がよみがえった。酒匂軍の面目が保たれたからである。そして、彼らの対面に座る星川の参会者も一様に安どの表情を浮かべていた。荒本大統領の進める軍縮政策によってズタズタになった星川軍に、香貫だけでなく酒匂も相手にした戦いをする余裕はない。星川の参会者はそのことを身にしみてわかっていた。星川と酒匂の共同作戦は、お互いに利することはあっても損することはなかった。ただ、作戦行動を阻害しかねない要因は排除しておきたい。その要因とは相模川西岸に駐留する酒匂軍だった。

「我が方の要求についてですが」

「どうぞ、おっしゃってください」入江男爵は身構えた。

「今回の作戦で相模川西岸を行動する我が軍の安全を保障していただきたい。もちろん、我々が相模川西岸の酒匂軍を攻撃することはありません。これが我が方の要求事項です」

要求はそれだけか。情報部の見積もりと同じだ。これなら答えを用意している。入江男爵は、そう思った。荒本大統領の軍縮政策は、そうとう星川軍にダメージを与えているようだ。そのおかげで今回はスムーズに交渉できそうだが、星川軍の弱体化は長期的にみると我々にとっても痛手だ。

「共同作戦を持ち出したのは我々です。あなた方の行動に制約を与えるようなことはいたしません。その担保として、平塚に駐屯する対艦ミサイル部隊と防空ミサイル部隊の警戒態勢を解いて、保守要員以外を原隊に戻す予定にしています。もちろん、あなた方の監視員を駐屯地にお迎えすることも可能です」

これなら申し分ない。「承知しました。我々の要求は満足します」そういった岸本中将は、この辺で基本事項の合意を得る時期だと思った。「星川と酒匂が共同して香貫のミサイル基地に部隊を送り込んで核弾頭を回収する。これを阻害する懸案事項はない。という認識でよろしいですか?」

「異議ありません。同じ認識です」入江男爵は立ち上がって右手を差し出した。

入江男爵の正面に座る岸本中将も立ち上がって入江男爵の右手を握った。それと同時に双方の参会者も立ち上がり正面の相手と笑顔で握手を交わした。

加藤中佐と三宅准将も握手しながら何度もうなずき合った。

「ありがとう。加藤」

「菊池さん(WESTPACCOM司令官・菊池中将)を覚えているか?」

「あぁ、覚えている。お前の師匠だろ」

「そうだ。今回の件はあの人のおかげだ。礼を言うなら菊池さんに言ってくれ」

「会える日は来るかな」

「会えるような国の関係にすればいいのさ」

「そうだな。そうしなければならんな」

そういって、二人はまた笑った。


岸本中将は、双方の参会者が握手を終えるのを確認すると「これからは司令部を開設して計画を立てなければなりません。ですが、我々が一緒にいると、どちらの国にいても目立ちすぎます。そこで、当面の合同司令部を葉山山中にある我が軍の基地に開設しようと考えているのですが、ほかにお考えはありますか?」

「その件は我々も検討しました。我が海軍の空母<瑞鶴>はどうですか? 相模湾の真ん中であれば香貫にも気付かれず、保全が保てます。さらに通信設備も整っています。」

「その手がありましたか。加藤中佐、何か問題はあるか?」岸本中将は加藤中佐を見た。

「<カール・ビンソン>を中継点に使えば<瑞鶴>に行くのは容易です。その<カール・ビンソン>は12時間もあれば相模湾の真ん中に進出できます。会合点と会合時間だけ調整すれば問題ありません」

「じゃあ、お邪魔しよう」岸本中将はそう言ってニヤリと笑った。


明日の夕刻<瑞鶴>艦内に暫定合同司令部を設置することで合意した彼らは、細かな調整を終えて、静かに酒を酌み交わした。お互いに話してみると、自分たちと同じようなことで笑ったり悲しんだりする同じ人間だということが分かった。なぜ、もっと早く話し合いの場を作らなかったのだろう。話し合いの大切さを痛感した彼らではあったが、順調に合意に至ったのは、単に両国の利害が一致していたからに過ぎないことも分かっていた。

とはいえ、加藤中佐が望む星川と酒匂の交流の第一歩を踏み出したことだけは確かだった。




鈴川と板戸川の合流点付近 伊勢原駅南約2.5キロメートル

香貫公国軍 R38基地北東30メートル


<カメハメハ>のDDS(ドライ・デッキ・シェルター)から引き出されたゾディアックは、4名のシールズ隊員を乗せて川岸に向かっていた。途中、「スクナビ」にとっては、まるで海に浮かぶ巨大な氷山のように見える菓子パンの空き袋を迂回し、水草を右に左によけながらスピードを落とすことなく川岸を目指した。

遮音材に覆われた船外機の音は聞こえず、ゾディアックの船底が水面にぶつかるときの音しか聞こえない。とはいえ、流れの穏やかな板戸川の水面にできた小さな波紋でも、それを乗り越える際の衝撃は大きく、ドン! バシャ! と、その音は比較的大きかった。

島崎大尉は、ゾディアックのスピードを落として、その音を減らそうかと思ったが、このまま行くことにした。狭い潜水艦から解放された島崎大尉にとって、その音は水上に出た証だったからである。

ゾディアックはスピードを落とすことなく川岸に近づき、そのまま緩やかな土の斜面に乗り上げ、勢いをそのままに5センチメートルほど登って停止した。ゾディアックを降りた4名のシールズ隊員は、ゾディアックを隠しやすい小さな木の下まで素早く引っ張っていった。

隠し場所に着くと、4人はウエットスーツを脱いでマルチカム迷彩の戦闘服に着替え、装備を手早く身に着けた。

身に着けた装備の確認が済むと、重岡2等兵曹と分遣隊唯一のスナイパーである江見1等兵曹は周囲の偵察に向かった。残った島崎大尉と田巻2等兵曹は折り畳みシャベルを取り出して、ゾディアックを隠す穴を掘り始めた。

穴を掘り始めた島崎大尉は、基礎訓練課程で出会った教官の言葉を思い出した。「お前ら海軍だ! シールズだ! などと偉そうなことを言っているようだが、お前らがやっていることは歩兵と同じだ。時代が変わっても歩兵の仕事は穴掘りと行軍と相場は決まっているんだ! わかったら、さっさと穴を掘れ! くそったれども!」まったくあの教官の言うとおりだ。島崎大尉は、そう思いながら穴掘りを続けた。

1時間ほどで満足できる深さの穴が掘れたころ、周囲の偵察に向かった二人が戻ってきた。

「地形は、もらった情報と変わらん。香貫の地上偵察の痕跡もないし、地雷原も見当たらん。のんきなもんだ。あいつら」偵察から戻った重岡2等兵曹はニヤリとして島崎大尉に報告した。

確かにのんきなもんだ。だが、いつ動哨を始めるかわからない。ヘリによる監視があるかもしれない。気を抜かずに行こう。島崎大尉は、そう思ったが口には出さなかった。そんなことは分遣隊の全員が考えていることだった。

ゾディアックを穴に隠した4人は、歩兵のもう一つの仕事、行軍を開始した。「ダイダラ」換算で60キロもの装備を背負った4人の足取りは重かったが、夜が明けるまでに香貫のミサイル基地から発見されやすい駐車場を横切り、その先にある中間地点の木に登っていなければならない。日中は、その木の上で隠れて過ごし、明日の夜、目的の木に登る計画なのである。

4人はポイントマンとなる田巻2等兵曹を先頭に一列縦隊でズシリズシリと歩を進めた。

緑豊かな川辺の地は、「スクナビ」にとって広大なジャングルだった。「ダイダラ」にとって腰の高さほどの雑草でも、「スクナビ」から見ると東京スカイツリー以上の高さになり、その幹は身長の2倍ほどにもなる。雑草の葉は、はるか上空にあるため見上げなければ見ることができない。このような雑草が一面に生えた巨大な空間は、訓練を積んだ者でなければたちまち迷子になってしまう。しかも落ち葉や小さな石を避けながら目的地の方向を維持しなければならない。GPSが迷子になる危険性を減らしたとはいえ、雑草の葉が上空を埋め尽くす場所では衛星電波を受信できないのでGPSが使えない。そんな時、頼れるのはコンパスと地図だ。見知らぬ地をコンパスと地図だけを頼りに目的地に行く。兵士にとってこの訓練は不可欠だった。

島崎大尉は田巻2等兵曹の後ろを歩いていた。田巻2等兵曹の進む方向に間違いはないか確認し、周囲に敵や危険な虫はいないかと警戒しながら歩く島崎大尉にとって、ハイ・レディで構えるMk18Mod1カービン銃や肩に食い込む背嚢の重さを気にする余裕はなかった。ただ、もし気になっていたとしても、島崎大尉にとっては重い荷物を背負って歩くほうが潜水艦に閉じ込められているよりもはるかにましだった。

日付が替わってしばらくした頃、先頭を歩く田巻2等兵曹の足が止まった。いよいよ駐車場に近づいたようだ。島崎大尉は、右手を挙げて後ろに続く江見1等兵曹と重岡2等兵曹に停止を命じた。

4人が一か所に集合したところで、島崎大尉と江見1等兵曹は背嚢をおろし、身軽な装備で香貫のミサイル基地と駐車場の偵察に向かった。アスファルトで舗装された駐車場の端まで到達した二人は、30分ほどミサイル基地を観察したが、何の動きも見られなかった。2階の出入り口に突き出た対空機関砲も止まったままだった。これなら行けそうだ。そう確信した二人は来た時と同じように地面に伏せたまま慎重に元の場所に戻った。

再び4人が揃うと、彼らは装備の点検にかかった。“人”として認識されやすい頭から肩にかけてのラインを裁断した葉で隠し、皮膚が露出した個所をフェイスペイントで覆った彼らは地球外生命体のように不気味だった。

「じゃあ行こうか」島崎大尉の言葉で4人は駐車場に足を踏み入れた。身を隠す場所のないアスファルト上を4人はそろりそろりとゆっくり進んだ。走ると動きが速くなり、それだけ注意をひきやすい。気は逸るが、走るわけにはいかなかった。


香貫軍ミサイル基地2階の出入り口にある対空機関砲陣地では、二人の兵士が監視任務に就いていた。二人ともヘッドギアにNVG(暗視ゴーグル)を装着して暗闇での視界を確保していたが、二人の監視対象は空から攻撃してくる航空機だった。戦車でも来ない限り二人が地上に関心を持つことはなかった。ましてや対空機関砲陣地から見ると島崎大尉らの姿は小さな点にしか見えず、赤外線を偽装するマルチカムの戦闘服はNVGを通しても注意をひくコントラストを映し出さなかった。島崎大尉らを対空機関砲陣地から発見することは実質的に不可能だった。


島崎大尉らが進む駐車場のアスファルトは舗装されてから数十年経ち、古くなったアスファルトはいたるところで亀裂が走っていた。島崎大尉らにとって都合がよいことに、彼らの経路上にも亀裂が走っていたため、亀裂を利用できる場所ではその谷底を進むことによって身を隠せた。

「よいしょ!」重い装備を身に着けて亀裂から這い上がった島崎大尉は思わず心の声を上げた。駐車場を抜けるまであと1メートル。今這い上がった亀裂が最後の亀裂だった。この分なら予定どおり夜明け前に中間地点の木に登れそうだ。島崎大尉はそう思いながら正面の茂みを眺めた。その茂みからはコオロギの鳴き声が聞こえた。

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