その18

柏尾川 大船駅北約1.8キロメートル

星川合衆国陸軍 Fort金井(陸軍金井駐屯地) オフィサーズ・クラブ(将校クラブ)

星川合衆国大船コロニー


加藤中佐と横山少佐は、金井駐屯地内のオフィサーズ・クラブで遅い夕食をとっていた。二人はUSWESTCOM司令部(西方軍司令部)による攻撃計画の骨子作成に参画し、それがやっと終わったのである。

「ここは、さみしいコロニーですね。空き地ばかりですよ。だからこれにも味がついていないんだ」横山少佐はそういって、大量のケチャップをオニオンリングにかけた。

「それはかけすぎだぞ」そういう加藤中佐は、オニオンリングに塩をふりかけながら言った。

「でも、私は不安なんです。酒匂との会合は成功するんでしょうか? 酒匂と一緒に戦うことなんかできるんでしょうか?」ケチャップを置いた横山少佐は真顔で言った。

「ルビコン川を渡っちまったんだ! いまさらあれこれ考えてもしょうがないさ」

「賽は投げられた……ですか。加藤さんは不安にならないんですか?」

「不安がないと言えばうそになる。だからこそ、しっかり前を向いて歩くんだ。希望の光は前を向いて歩く人の前方に光るのさ」

「加藤さんは強いな。私だったら立ち止まって、きょろきょろ希望の光を探しちゃいますよ」

「そういうときもあるさ。人間だからな。そんなときは一休みだ。でも、その後は必ず前を向いて歩き始める。それがいちばん大事なんだ。どの方向でもいい、一歩踏み出すんだ。そしてその方向に向かって歩き続ける。もしかしたら、その方向は間違った方向かもしれない。苦しい方向かもしれない。でも前を向いて歩き続ければ希望の光が見えるはずだ。止まっていては希望の光は見えないからな…… 俺は強いんじゃあない。弱いから立ち止まるのが怖いだけさ」

「酒匂と組むなんて一歩間違えれば神子元島に飛ばされかねなかったのが一転して、今度はPOTUSの許可が下りたから酒匂と組むぞ、なんて、地獄から天国に来たような感じもしますし、自分が国の基本政策に直接かかわるなんて夢にも思っていなかったもんですから、これからどうしていいのかわからなくて…… でも、結局は自分の仕事を今までどおりやればいいんですよね。私も前を向いて歩きます。でも、加藤さんは弱くありませんよ。やっぱり強いんですよ」横山少佐は、そういってオニオンリングの次にだされた肉を頬張った。その顔はいつもの屈託のない顔に戻っていた。

横山少佐の不安を払拭させるために話した内容は、自分自身の不安も払拭するのに役立った。横山少佐の表情が明るくなったのを見た加藤中佐はそう思った。


加藤中佐と横山少佐が遅い夕食をとっているころ、USWESTCOM司令部情報幕僚部の幕僚は、急遽星川首都コロニーから派遣されたDIA(星川国防情報局)の要員とともに厚木国に向かう準備を進めていた。彼らは緊急時の安全場所を確保するほか、会合場所とその周辺に香貫や酒匂の工作員が潜伏していないか、盗聴装置などが設置されていないかなど、酒匂との会合にともなう保安と防諜を任務としていた。彼らは今日中に厚木国に向けて出発する予定だった。香貫軍のミサイル基地に対する戦いは、情報部員によって火蓋が切られようとしていた。




鈴川と板戸川の合流点付近 伊勢原駅南約2.5キロメートル

香貫公国軍 R38基地


灯火管制がひかれて薄暗いR38基地を、二人の高級将校が肩を並べて歩いていた。基地司令官・堀内少将と副司令官・清水大佐である。

「この基地に来て初めてまともな食事がとれました。みんな喜んでいるようです。この基地がこんなに明るい雰囲気になったのは初めてです」清水大佐は整然と並ぶテントからもれてくる笑い声を背に言った。

「清水大佐も一緒に飲んできたらどうですか。あなたにも気分転換は必要ですよ」堀内少将は言った。

「高井大佐の圧力に負けて部下に苦労をかけた私に楽しむ資格はありませんよ」

「真面目な方だ。あなたは」

二人はそのまま歩き続け、廊下北側の出入り口に達した。すると、滑走路脇の対空機関砲陣地で警戒に当たる兵士の一人が敬礼していた。夜目になれた堀内少将はそれを見逃さず答礼すると、その兵士に話しかけた。「ご苦労さん」

「警備中隊の園田軍曹です」清水大佐が紹介した。

「私が昨日着任した堀内だ。園田軍曹、君たちが警戒してくれるおかげで、みんな安心していられる。よろしく頼むぞ。ところで、ここから富士山は見えるか?」

「沼津から見る富士山に比べたら見劣りしますが、よく見えます」思いがけない質問に驚きながらも園田軍曹は答えた。

「園田軍曹は沼津コロニーの出身か?」

「はい。沼津から見る富士山は最高なもんで。こことは比べもんになりません」

「そうか、それでも富士山が見られるなら、晴れた日は寄せてもらうぞ」

「はい」

直立不動で立つ園田軍曹に手を上げて挨拶した堀内少将は、出入り口の中央部に向かった。

堀内少将は、出入り口の中央に立つと腕を組んで暗い外を見渡した。

民家の明かりがポツリポツリと灯り、基地の西側を南北に走る県道を時々自動車が通過する。そのほかは真っ暗で何も見えない。その風景に堀内少将は孤独感を感じたものの、ここには430名の兵士がいることを思い出した。孤独ではない。しかも、彼らは逃げ場所のない孤立した基地を守る運命共同体の同志だった。

そして、その同志の中には園田軍曹のように、この時間も働いている兵士がいる。今日、屋根に上げた対空レーダーの操作員も、いまだにレーダーの調整に追われているだろう。

だが、堀内少将は対空レーダーに大きな期待をしていなかった。星川が攻めてくるとすれば対空レーダーは真っ先に破壊されるだろう。最悪の場合、敵をレーダー探知する前に破壊されるかもしれない。それでも対空レーダーには価値がある。と堀内少将は考えていた。レーダーが攻撃されるということは、その数分後に敵の本隊が攻めてくるということだ。その数分を最大限利用して防御態勢を整える。その数分が戦いの趨勢を決める。時間もないことから、そこに焦点を合わせた準備を優先しよう。堀内少将の作戦イメージは固まりつつあった。あとは、このイメージを作戦命令として仕上げる事務作業が残っている。そろそろ司令部テントに戻って作戦命令書に取り掛かるとしよう。作戦将校・藤井中佐も首を長くして待っているはずだ。

二人の高級将校は、来たときと同じように肩を並べて司令部テントに戻っていった。




本厚木駅隣

厚木国 ターミナルビル3階駅横地区 マンションの一室


「香貫と酒匂が動いている気配はあるか?」マンションの一室に入るなり、その男は言った。

「夕方から“青龍閣”の周辺をうろうろしていたヤツ以外には皆無だ……そいつが誰かも判明した。酒匂空軍の大佐だ。F-15のパイロットだとさ」部屋にいた男がそういってラップトップ・コンピュータを入ってきた男に向けた。

その画面には三宅准将の写真が映っていた。DIAが保有する情報は、三宅准将が昇進する前の古い情報だった。

このマンションの一室は、CIA(星川合衆国中央情報局)が厚木国に保有するセーフハウスの一つで、DIAが今回の会合のために借り受けたものだった。二人の男は、昨日大船コロニーからやってきたDIAの要員だった。

「やっぱりな。隙だらけだったから同業者ではないと思っていたよ」入ってきた男はそういってドサッと椅子に座った。彼らは昨日の夜大船コロニーを出発して以来不眠不休で“青龍閣”周辺の情報収集と監視をしてきたのである。

「そろそろ、会合参加者が来る頃じゃないか」

「そうだな。だが、これだけの人混みだ。事前に発見することは難しいな」

入ってきた男は無言でうなずき同意した。

厚木国は、本厚木駅ターミナルビルの2階から4階までの3フロアが領土の都市国家である。3階と4階の中央部は吹抜けとなっていて、そこに厚木富士と呼ばれる山がそびえている。厚木富士の麓となる2階は一年中夏山。山頂の4階は万年雪の冬山で、年間を通じて多くの観光客や登山者が訪れている。

厚木富士の麓となる2階には人工の海があり、一年中マリンレジャーが楽しめる常夏の楽園。山頂となる4階は万年雪をたたえてスノーレジャーが一年中楽しめる雪の楽園である。

夏と冬の中間となる3階は、巨大テーマパーク、遊園地、サーキット、劇場、そして歓楽街の駅横地区などで構成されている。

厚木国は、国籍、年齢、性別、家族連れや友人同士を問わず楽しめる観光の国で、常に何だかのスポーツ選手権、コンサート、集会が開かれている。これら観光客のほかに駅横地区に向かう会社帰りのサラリーマンでごった返す厚木国の入り口ゲートで、特定の人間の監視をすることなど不可能だった。

もちろん厚木国保安当局の協力があれば可能だろうが、それはできなかった。どの国とも等間隔を保ち、政治的に中立であるからこそ様々な国から観光客がやって来るのである。観光立国である厚木国にとって特定の国のために保安当局が協力するなど出来ない相談だった。

「よし! もうひと働きしてくるか。しかしなぁ、ここは仕事で来る国じゃねえな」入ってきたDIAの男は“青龍閣”の監視に戻るため、そう言って玄関に向かった。




本厚木駅隣

厚木国 ターミナルビル3階駅横地区 中華料理店「青龍閣」


加藤中佐ら星川軍の会合参加者が“青龍閣”に入ると、入り口横の階段脇で三宅准将が待っていた。

「三宅!」、「加藤!」加藤中佐と三宅准将は同時に声をあげた。

「元気そうだな。よかった」加藤中佐が続けた。

「お前も元気そうでなによりだ。今回は恩に着る。さっ! あとは上で話そう。うちの者も揃っている」三宅准将は、そういって2階を見上げた。

「そうだな」加藤中佐は、そういって星川軍の会合参加者で最先任者であり、統合作戦チームの指揮官に任命された岸本中将に頷いた。

岸本中将が星川側の最先任者だと認識した三宅准将は、岸本中将に「ご案内します」といって階段を上がった。星川軍の会合参加者は三宅准将に続いて階段を上がり、2階の奥にある個室に消えた。


入り口付近のカウンターでは、一人の男が紹興酒を飲みながら苦笑いをしていた。先ほどマンションの一室に入ってきたDIAの男である。加藤中佐らの行動を周囲に気づかれないように監視していたのである。あいつらスーツを着て会社帰りのサラリーマンを装っているが、どこから見ても軍人にしか見えねぇ。みんなの歩調まで合っていやがる。この付近に香貫の気配がないからいいものの、それでも少しは気を配ってほしいものだ。目立ちすぎる。やれやれ! DIAの男はそう思った。それでも、陰ながら彼らを守るのがおれの任務だ。そう考えたその男は、紹興酒をチビリチビリやりながら周囲の監視を続けた。

そのDIAの男が店を出入りする客を監視していると、スーツの内ポケットに入れた携帯電話が鳴った。「もしもし、おう……もうちょっとかかるだと! しょうがねぇな。待っているぞ」といって、面倒くさそうに携帯電話をポケットに戻した。

はたから見れば、待ち合わせに遅れた相手からの電話だが、本当の意味は違った。“もうちょっとかかる”は、会合参加者が到着して間もないことを意味し、“待っているぞ”は、このままここで監視を続けることを意味していた。

電話をかけてきた相手は、厚木国3階の一角を占める展望フロアを監視する別のDIA要員だった。

その展望フロアは、「ダイダラ」のまま厚木国に入国できる唯一の場所である。そこからは、強化ガラスを通して厚木国の縮小世界を展望できる。手のひらほどの大きさの旅客機が飛び、指の太さほどの電車が行き交う超精密な「スクナビ」の縮小世界がそこにあった。

「ダイダラ」から見ると、鉄道模型のZゲージよりも小さい電車に、350分の1に縮小された「スクナビ」の人間が実際に乗っているのを見ることができる。その精密感は見るものを引き付けるため、非常に人気のある場所だった。一日中混雑している展望フロアでは、カメラに特殊なレンズを装着して縮小世界を撮影する人も多い。そのようなカメラなら駅横地区を行き交う「スクナビ」人を見ることも可能なことから、カメラを持つ者の中に香貫の工作員がいるかもしれない。このため、展望フロアにもDIA要員が配置されていたのである。

展望フロアで監視に当たるDIA要員の趣味は鉄道模型の収集だった。本当はもっと強化ガラスに近づいて縮小世界を行き交う電車をじっくりと見たい! だが、任務のためそれは出来なかった。

ちょうどその時、酒匂の技術協力によって完成した海老名と厚木を結ぶN700系新幹線が目の前を通過した。新幹線をちらりと見たそのDIA要員も思った。ここは仕事で来る国じゃねえな。




板戸川 鈴川との合流点付近 伊勢原駅南約2.5キロメートル

星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)攻撃型原子力潜水艦<カメハメハ>(SSN-642)


<カメハメハ>は、大きなスクリューをゆっくりと静かに回転させながら板戸川を上流に向けて進んでいた。水深は1メートルほどで、ところどころに川底から草が生えているため、セイルに装備された機雷探知ソナーで前方を確認しながらの潜航だった。

静かな発令所では副長・岡田少佐が海図台から頭を上げて言った。「ランチ・ポイント・ブラボー(島崎大尉ら4名の投入地点)まで30分です。艦長」

「了解!」艦長・村田中佐は岡田少佐にうなずいてから島崎大尉に向かって言った。「次は大将の番だ。やっと狭い艦から出られるな」

島崎大尉は香貫のミサイル基地を監視するためにシールズ分遣隊を4名ずつの2チームに分けた。こうすれば、北と南にある基地の出入り口を木の上から監視できる。南側の監視位置であるサウス・ポストには分遣隊ナンバー2の越智上等兵曹以下4名を、北側のノース・ポストには島崎大尉以下4名が配置につく計画だ。

サウス・ポストは、鈴川のランチ・ポイント・アルファから10メートルほど北にある木の上で、そこまでの進出経路には香貫のミサイル基地から発見される場所はなかった。だが、島崎大尉らが向かうノース・ポストへの進出経路は厳しかった。ランチ・ポイント・ブラボーからは南西方向に30メートルほどの距離があり、途中には香貫のミサイル基地から発見される恐れのある駐車場を4メートルほど横切らなければならない。銃だけを持った身軽な装備であれば素早く横切ることも可能だが、ダイダラ換算で60キロほどの装備を背負っての行動となるとそうはいかない。夜明けまでに木の上に登りきることは不可能だった。このため、夜明け前に木を登りきれる越智上等兵曹らを先に投入して彼らに時間的余裕を与え、次いで島崎大尉らが投入される計画だった。

「ありがとうございます。艦長。では、ひと仕事してきます」すでに装備を身につけた島崎大尉が言った。

板戸川の流速と水温データを見て、投入に問題ないことを確認した村田中佐は、島崎大尉に向かって言った。「2週間後にまた会おう。だが、緊急時に艦が回収ポイントに着くには、連絡を受けてから最大で6時間かかることを忘れるなよ」

「了解しました。では」島崎大尉は村田中佐に敬礼して発令所の後方にあるDDS(ドライ・デッキ・シェルター)に向かった。

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