その14

滑川 鎌倉駅南約700メートル

星川合衆国海軍 NS由比ガ浜(由比ガ浜海軍基地) WESTPACFLT庁舎(西太平洋艦隊司令部庁舎)

星川合衆国鎌倉コロニー


WESTPACFLT庁舎(西太平洋艦隊司令部庁舎)。相模湾を担当する第3艦隊と房総半島から西側の太平洋を担当する第7艦隊を指揮下におく四つ星の海軍大将、菊池西太平洋艦隊司令官の司令部庁舎である。この庁舎はマッチ箱をL字型に並べたような何の特徴もない地上3階、地下5階の建物であった。外見からは西太平洋艦隊の強大な力や威厳など感じられず、庁舎の設計者は指揮通信機能に多くの予算を配分したことは明らかだった。唯一西太平洋艦隊の強大さを示すものは正面玄関に飾られた広大な担当海域を示す地図と多数の指揮下部隊を表した編成表だけである。

「やめてください! 無茶ですよCAG!」加藤中佐から三宅准将との話を聞いた横山少佐は編成表の横で叫んだ。「CAG! いえ、加藤さん! 加藤さんを必要としている人はたくさんいるんです。はっきり言いますが、あなたは上層部にうけがよくありません。こんなことで加藤さんが飛ばされては困るんです」

「ありがとう。だけど、まったく作戦がないわけじゃあないんだ」加藤中佐は立ち止まって横山少佐に話しを続けた。「すまんが、今のことは聞かなかったことにしてくれ。お前まで巻き込みたくないからな」

「そんな訳にはいきません。乗りかかった船です。最後までお供させてもらいます……ですが、なぜ酒匂と組むのですか? それだけは教えてください」

「目的は、あくまでも香貫の核兵器だ。酒匂と戦う理由はないだろ。不必要な戦いはしない。孫子だってそういっているじゃあないか。それにな、お互いに傷つけ合えばお互いに憎み合う。相手が自分たちを憎んでいると分かればさらに憎しみは深くなる。憎しみは怒りに変わって行き着く先は戦争だ。不必要な戦いで新たな憎しみを作る必要はないだろ。」

「憎しみは憎しみを生む……か。そんなこと考えたこともありませんでした。でも、加藤さんらしいや」加藤中佐の心配をよそに横山少佐は屈託がなかった。

「それに、うちの台所事情も苦しいからな」加藤中佐は口をゆがめた。


加藤中佐のいう台所事情とは軍の再編成のことであった。再編成とは聞こえはいいが、本質は「スクナビ」世界の現実を無視した荒本大統領による大規模で急激な軍のリストラであった。削減をまぬがれた残りの兵力で星川合衆国自身とその同盟国をどのようにして守るのか? 荒本大統領就任から、わずか3年で陸軍30%、海軍と空軍が20%もの兵力削減はあまりに急激だった。

兵力の削減は予備兵力の削減から始まったが、それだけでは足りず、東日本大震災の救援活動とその後の復興支援にあたっていた東太平洋軍は司令部だけの存在となった。

星川軍が作戦を実施する場合、その命令は大統領が発令し国防長官を経て統合軍司令官に至る。この統合軍は担当地域ごとに中央軍、西方軍、東方軍、東京駐留星川軍、西太平洋軍と東太平洋軍のほか、機能別の統合軍として特殊作戦軍、戦略軍、輸送軍がある。

それぞれの統合軍司令官は、軍種を越えて配下の陸海空3軍を一元的に指揮する。軍種の縦割りを排除して効率的な作戦を実施するためである。だが、6個ある地域別統合軍はその戦力組成が大きく異なっている。これは、担当地域の地理的特性が違うことと、対処すべき主要な脅威が違うからである。

その主要な脅威とは、中央軍には本土への直接的脅威、東京駐留星川軍には東京北東部を中心に勢力を広げるATO(綾瀬条約機構)軍の脅威、西方軍と西太平洋軍には香貫軍の脅威、東方軍にはテロが絶えない千葉県市原周辺に所在する東東京湾諸国の脅威などである。唯一、現時点で対処すべき脅威が存在しない地域統合軍は東太平洋軍だけだった。

力の均衡によってかろうじて平和が保たれている地域の兵力を削減するわけにはいかない。必然的に兵力の削減対象は東太平洋軍となったが、三陸海岸から九十九里浜に至る地域が安定していたのは、東太平洋軍の存在によるところが大きかった。それにもかかわらず荒本大統領とその取り巻きは、この地域の兵力削減を強行した。彼らには同盟国に対する責任や信頼よりも「どれだけ軍事費が削減できるのか!」ということの方がはるかに重要な政治課題であった。

海軍にとって東太平洋軍の縮小は、東太平洋艦隊の隷下部隊である第5艦隊の消滅を意味していた。原子力空母エンタープライズを旗艦としたCSG(空母打撃群)1個と、強襲揚陸艦ナッソーを旗艦としたESG(遠征打撃軍)1個を主力とした第5艦隊は、今では存在しない。

そして、予備兵力の削減は、現役復帰可能な状態でパイロットの発着艦訓練に専従していた訓練空母ジョン・F・ケネディと2個CVWR(予備空母航空団)の消滅を意味していた。

この結果、空母12隻体勢を維持できず、10隻体勢となった。

さらに深刻なことに、西太平洋艦隊に配属換えの予定だった原子力空母ジョージ・ワシントンが火災を起こし、修理のため横浜のドックに入った。また、流木との衝突によってスクリューが変形したままで相模湾西部での警戒にあたっていた原子力空母ニミッツは、スクリューの変形によって生じる振動によってスクリューの軸受けまで損傷する恐れがでたため、遅れに遅れていた定期点検の機会を利用して修理する決定がなされドックに入った。

空母が削減されたうえ、事故の修理のため空母が2隻も同時にドック入りしたことは、星川海軍にとって大きな痛手であった。香貫の核基地攻撃に充当できる空母は<カール・ビンソン>ただ1隻にすぎない。

単に核基地上空の制空と対地支援攻撃だけなら<カール・ビンソン>に乗艦するCVW-15は十分要求にこたえられる。攻撃のためには防御する空間が少ない相模川を5キロメートルほど遡上しなければならないが、長距離対艦ミサイルを搭載した香貫海軍航空隊の爆撃機はそこまで到達できない。このため、防御よりも攻撃により多くの航空機を割り当てられる。

だが、酒匂軍まで相手にするとなると話は別である。狭い香貫の核基地で核兵器をめぐって三つ巴の戦いになるだけでなく、酒匂海軍の空母艦載機によって<カール・ビンソン>も攻撃を受ける可能性がでてくる。しかも、香貫の核基地を攻撃するために<カール・ビンソン>は相模川に入らなければならない。

障害物のない海であれば、早期警戒機E-2D“ホークアイ”、F-14D“トムキャット”そしてイージス艦による縦深防御が可能になる。川には、そのような空間がない。

E-2Dが背負った最新型レーダー、AN/APY-9レーダーであっても建物や樹木を透過して目標を探知することはできない。BSH飛行(信号機よりも低い高度での飛行)で接近してくる酒匂の艦上攻撃機の探知は困難となり、<カール・ビンソン>への接近を許すことになる。しかも狭い川ではイージス艦を理想的な位置に配置することもできない。

レーダーで探知できない地点の穴を埋めるためには、敵の接近経路に戦闘機を配置すれば対処できる。その代わり核基地上空の制空と対地支援攻撃に必要な航空機が不足してしまう。最も近い空軍基地は二俣川コロニーにしかなく、兵力が削減された空軍の支援は困難だ。どうしても、もう1隻の空母が必要となる。しかし、現在の星川海軍には、その余裕がなかった。

CVW15の司令代理である加藤中佐は、CSG3(第3空母打撃群)の航空作戦責任者でもある。核基地の攻撃支援とCSG3の安全をいかに両立させるのか。その点からも酒匂との争いを避けたい加藤中佐にとって、三宅准将からの連絡は渡りに船だった。問題は、いつ誰にこの話を持っていくのか? 持って行きかたを間違えたら自分だけでなく横山少佐まで飛ばされてしまう。勝算はあるが、もしもの場合、横山少佐まで巻き込むわけにはいかない。加藤中佐はそう思った。


加藤中佐は横山少佐の腕を取って言った。「口が裂けても自分から酒匂と協力しようなどと言うんじゃないぞ。わかったな!」

「わかりました。加藤さんに心配をかけるようなことはしません」

「おれも、お前を失うわけにはいかんからな」加藤中佐は横山少佐の腕から手を離した。

「そりゃあ、私みたいに優秀な情報士官を失うわけにはいかないでしょう」

「お前は、知らない事をさも知っている事のように話すその辺の情報野郎とは違って、知らない事は知らないというし、確認された情報と自分の憶測をはっきり分けて話す。それに、膨大な情報の中から宝を探し出す能力も持っている。お前は今までに会った情報野郎の中で一番だ。その軽口がなければもっといいやつなんだけどな」

「私からこの口を取ったら、私じゃなくなりますよ!」

「それもそうだな!」二人は顔を見合わせて笑った。


そんな二人を階段の上から苦々しく見下ろす一人の大佐がいた。加藤中佐が酒匂の件を最初に報告するWESTPACFLT N-3(西太平洋艦隊司令部作戦主任幕僚)の内藤大佐であった。




相模川河口 平塚駅南東約2キロメートル

星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)攻撃型原子力潜水艦<カメハメハ>(SSN-642)


相模川河口、国道134号線が走る相模大橋の橋脚付近の浅瀬に1隻の潜水艦が浮上した。星川海軍の攻撃型原子力潜水艦<カメハメハ>である。

浮上と同時にセイルに通じるハッチが開けられ、航海長と見張員が垂直の梯子を駆け上っていった。艦長・村田中佐が遅れてセイルに上ったときには、すでに狭いセイルは満員だった。

セイルに上った村田中佐が先にしたことは、セイルにいる全員の命綱がしっかりと繋がっているかの確認だった。

潜水艦としては大柄な<カメハメハ>であっても、丸い断面の船体は少しの横波でも大きく左右に振られる。水面から3センチメートルの高さにあるセイルは、少しの波でも水をかぶる。艦から投げ出されないためには命綱が必要だった。続いて村田中佐はNVG(暗視ゴーグル)を使って周囲の状況を確認してから、船体を見回して艦に異常がないか確認した。異常なし! 結果に満足した村田中佐は、腕をあげて夜光塗料の塗られたルミノックスで時間を確認した。「あと5分」 島崎大尉のシールズ分遣隊を乗せた2機のMH-60Sとの会合時刻まで、あと5分ということだった。

「ヘリコプター2機、2時方向、高度低い、こちらに向かってきます!」右の潜舵に配置された見張員が大声で報告した。村田中佐は、その報告をすべて聞き終わるのを待たずに反射的に2時方向である右前方にNVGを向けた。そのNVGは、2機のヘリコプターを映しだした。2機のヘリコプターはH-60だ。潜水艦乗りにとって最も厄介な存在である対潜ヘリコプターSH-60と同系列のMH-60Sを見間違えはしない。

村田中佐はセイルから身を乗り出してセイル後方の上甲板を見渡した。ヘリコプター誘導員はすでに配置についている。受け入れ準備が整っていることを確認した村田中佐は、セイルにいる航海科員に接近許可の発光信号をMH-60Sに向けて送るよう指示した。

接近許可を確認した2機のMH-60S”キャット04”と”キャット07”は編隊を解散すると、”キャット07”が橋の上流で警戒に当たり、もう1機の”キャット04”が橋の橋脚をぐるりと回って風下から<カメハメハ>に接近した。

セイル後方の甲板上空約5センチメートルでホバリングした”キャット04”から、ホイストと呼ばれるウインチによってシールズの装備品が甲板に降ろされた。<カメハメハ>の乗員が素早く装備品を確保して艦内に運び入れるころホイストはすでに巻き上げられ、続いて運動会の綱引きで使うような太いロープが”キャット04”から垂れ下がってきた。ロープの先端が甲板に接地するのと同時に、まさにあっという間に4名のシールズ隊員がロープをつたって滑り落ちてきた。

最初に<カメハメハ>に降りたったのは島崎大尉だった。その島崎大尉は、甲板作業を指揮している水雷長のもとに近寄り握手を交わしてその横に立った。残りのシールズ隊員は艦内に降りていったが、分遣隊指揮官である島崎大尉は”キャット07”に分乗する残り4名の到着を確認しなければならない。

2機目の”キャット07”は、”キャット04”と入れ替わるようにホバリングに移り、同じ手順で装備品と隊員を<カメハメハ>に降ろして飛び去っていった。

島崎大尉は艦内に降りようとしたが、水雷長や甲板要員は、まだ何かを待つように東の空を見上げていた。「我々のほかに移乗してくる人がいるのですか?」島崎大尉は水雷長に聞いた。

「人じゃない。食料を待っているんだ」返事をしたのは水雷長の後ろに立っていた補給長だった。「君たちが移乗してくる話を聞いたので、<カール・ビンソン>の補給長に頼んで生鮮食料品を分けてもらったんだ。おかげでパリパリの新鮮なキャベツを乗員に食べさせられる」補給長はそういって東の空を見上げた。

「そういう事だから、先に下りて荷物の整理でもしていたらどうだ」水雷長の言葉を受けた島崎大尉は、もう一度夜の相模川を見渡し深々と深呼吸してから名残惜しそうに艦内へと降りていった。

どうしても潜水艦だけは馴染めない。

島崎大尉は潜水艦が苦手だった。確かに艦内は狭いというだけで水上艦艇となんら変わりない。だが、周りを水で満たされた密閉空間というだけで圧迫を受ける。最悪なのは「ロサンゼルス」級攻撃型潜水艦だ。あの潜水艦は狭すぎる。それにひきかえ<カメハメハ>はまだましだった。もともとは戦略ミサイル潜水艦だったのでミサイルの保守要員が乗艦していたスペースがそのまま空いている。それに長期間の潜航に備えて空間にゆとりがあった。とはいえ島崎大尉が受ける圧迫感を完全に解消するほどのものではなかった。潜ることに変わりないからである。島崎大尉はシールズ隊員にはなれても潜水艦乗りにはなれなかった。

火薬や銃弾などを所定の場所に格納した島崎大尉は、セイル直下にある発令所に向かった。潜水艦には馴染めないとはいえ、幾度も潜水艦から発進して任務をこなしてきた島崎大尉は潜水艦の構造を熟知していた。

島崎大尉が迷うことなく発令所に達するのと、セイルから村田中佐が降りてくるのが同時だった。生鮮食料品の搭載も完了したようだ。「潜航用意」命令を発した村田中佐は、島崎大尉の存在に気付いて言った。「また来たな、大将!」

「よろしくお願いします」島崎大尉は敬礼して答えた。

「君たちの発進ポイントまでは40時間で到達するが、その前に、この厄介な相模川を抜け出さねばならん。相模湾に出たところで発進ポイントを細かく検討しよう」

「了解しました」

<カメハメハ>は潜航を開始した。艦内ではブザーと同時に「ダイブ! ダイブ!」という警告が鳴り響いたが、橋の上を走る自動車の騒音と振動によって艦の外までは聞こえなかった。

<カメハメハ>は相模川の流れに逆らってゆっくりと進みだした。真っ暗な橋の下から出たころには潜望鏡だけが水面上に出ていたが、それも徐々に水面下に消え、<カメハメハ>の存在を示すものは何も見えなくなった。<カメハメハ>は、黒い水の色と同化した。

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