その13
滑川 鎌倉駅南約700メートル
星川合衆国海軍 NAS由比ガ浜(由比ガ浜海軍航空基地)
星川合衆国鎌倉コロニー
由比ガ浜海軍基地(海軍は“鎌倉海軍基地”と呼ぶことを頑なに拒否している)に隣接した由比ガ浜海軍航空基地のエプロン(駐機場)を数人の整備兵が歩いていた。加藤中佐が操る”サンダウナー200”の受け入れを支援するためである。
CVW-9(第9空母航空団)隷下、VF-211(第211戦闘飛行隊)の整備員である竹内2等兵曹は、先頭を歩く金城1等兵曹の背中越しに話しかけた。「今日は、やけにお偉いさんの動きが激しいですね! こんな時におたくのCAGが戻ってくるなんて、もしかしたらフーリガンズが、また何かしでかしたんですかね?」
自分の所属するCVW-15をフーリガンズと言われてカチンときた金城1等兵曹は振り向いて竹内2等兵曹をにらんだ。確かにCVW-15は問題を起こして他の部隊では引き取ってもらえない隊員がゴロゴロしている。だが、自分の仕事にかける情熱はお前らなんかよりずっと上だ。ただ、その情熱が度を越しているだけだ。単に世渡りが下手で問題児だと思われたやつもいる。本当はいいやつばかりなんだ。だからこそCVW-15は、けっして刑務所航空団などではない! 金城1等兵曹は常々そう思っていた。「ボスの“ダブルナッツ”に傷の一つでもつけてみろ、お前らも明日からCVW-15でしごいてやるからな!」
星川海軍の空母艦載機には必ず2桁または3桁の数字が機首の両側に描かれている。“ダブルナッツ”とは、航空機を識別するために付与された3桁の機体識別番号のうち、下2桁が“00”であることからそう呼ばれている。“0”がボルトとナットのナットに似ているからである。最初の1桁目は空母航空団に所属する飛行隊を表し、下2桁が飛行隊内での機体番号となる。そして、この“00”の識別番号を持つ航空機はCAGの搭乗機として指定されるため、CAG機は“ダブルナッツ”とも呼ばれている。
「怒らないでくださいよ!」こんな日に整備当直なんて、とんだ貧乏くじだぜ! 竹内2等兵曹は心の中でぼやいた。
空母搭載中の航空機が陸上基地に飛来すると、空母に搭載されていない手空きの空母航空団が受け入れ支援を担当する。空母搭載中の空母航空団は3人ほどの留守番しか陸上基地に残さないからである。
竹内2等兵曹の所属するCVW-9は、1週間前に空母を降りていた。CVW-9の“ボート”である空母<ニミッツ>(CVN-68)がスクリューの修理と定期点検のためドック入りしたからである。このため、竹内2等兵曹らCVW-9の整備員が今回の支援要員となった。
「そんなにぼやくな。それに、のろまな地上勤務の整備員にジェットを扱えるわけがないだろ。安心してダブルナッツを任せられるのは、お前らのようなボート乗り組みの整備員だけだ。」一転してやさしい口調に戻った金城1等兵曹が言った。
「怒られてるんだか、おだてられてるんだかわからねえや!」そう言う竹内2等兵曹も、まんざらでもない顔をしていた。
「それに、ボスが戻ってくる理由はオレにも知らされていないんだ」金城1等兵曹は真実の半分を打ち明けた。CVW-15の隊員が問題を起こしたのならCVW-15最先任上級曹長“チーフ”村居上級曹長からそれなりの指示があるはずだ。だが、今回に限ってはボスが司令部に報告しに行くとの連絡だけだった。電話では言えない何かが起こっている。たぶん、またドンパチが始まるのだろう。金城1等兵曹はそう考えていたが、そのことまでは言わなかった。
彼らが”サンダウナー200”を駐機させる場所に到着すると、竹内2等兵曹は部下の整備員を適切な場所に配置していった。金城1等兵曹はその状況を確認しながら、航空機に燃料を給油する燃料給油車を探した…………いた! 車両はエプロンの外側、格納庫の横で待機している。チーフが早目に教えてくれたおかげでなんとか間に合った。下士官がいなければ部隊はスムーズに動かないことを何人の士官が知っているのだろう? 金城1等兵曹はそう思いながら間もなく進入してくる”サンダウナー200”を探すためゲートの方向を見上げた。
夜間とはいえ星川共和国の主要コロニーである鎌倉コロニーを行き交う民間航空機は非常に多い。さらに軍の航空基地も多数所在しているので混雑に拍車がかかっている。入り口専用のゲートからは次々と航空機が着陸のため進入していた。
コロニーの中は暗く航空機のシルエットもはっきりしない。このため夜間の航空機識別は困難だったが、金城1等兵曹は進入してくる多数の飛行機の中から”サンダウナー200”を見つけ出した。経験豊富な金城1等兵曹はF-14が夜間に点灯させる航法灯の位置とF110エンジン音だけで十分だったのである。ボスが入ってきた!
ボス、待っていましたよ! 妻が家を出て一人ぼっちとなった金城1等兵曹にとってボートの仲間は家族だった。早くボートの仲間に会いたい。下士官である金城1等兵曹は士官に対して家族と呼べるほどの親近感を持っていなかったが加藤中佐だけは別だった。加藤中佐と親しいわけではないが、チーフと加藤中佐が兄弟のように接する様子を見て自然と加藤中佐にも親近感を持っていたのである。
金城1等兵曹は竹内2等兵曹に滑走路に進入しようとする”サンダウナー200”を指差した。竹内2等兵曹は「わかっていますよ!」と親指を上にあげた。
滑川 鎌倉駅南約700メートル
星川合衆国海軍 NAS由比ガ浜(由比ガ浜海軍航空基地)エプロン
星川合衆国鎌倉コロニー
加藤中佐は、金城1等兵曹が確保した駐機場所で”サンダウナー200”のキャノピーを引き上げ、エンジンを停止した。
金城1等兵曹は待っていましたとばかり”サンダウナー200”に駆け寄り、引き込み式の梯子を引き出した。
コックピット横に昇って話しかけようとした瞬間、加藤中佐が先に口を開いた。「急に戻ってきて悪かったな。バタバタしただろ! 足は大丈夫か?」
自分の怪我を覚えていてくれた加藤中佐に金城1等兵曹は笑顔で答えた。「基地を1周走ってもこいつは音をあげません。大丈夫です」といって左足をたたいた。
空母艦上ではフライト・オペレーションの合間にフライト・デッキでの体力トレーニングが許可される。艦内のトレーニング室にはランニング・マシーンがあるものの、天気が良く波の穏やかな日には潮風を浴びながら走ればストレス解消にもってこいだ。ただフライト・デッキは無数の航空機が“タイダウン・チェーン”と呼ばれる鎖によってフライト・デッキに係止されているため、注意して走らないと“タイダウン・チェーン”に足を引っ掛けてしまう。
金城1等兵曹も注意しながら走っていたが、急な横波によって艦が傾いたときに“タイダウン・チェーン”に足を引っ掛け、バランスを失って一段下のキャットウォークと呼ばれる通路に転落してしまった。転落によって左足の付け根を骨折した金城1等兵曹は、治療とリハビリのため地上基地での留守番勤務に回されていた。
金城1等兵曹にとって地上基地での勤務は苦痛以外のなにものでもなかった。いや、正確には毎日自宅に帰ることが苦痛だった。妻が家を出て行ってしまい、待つ人がいない自宅のドアを開けても中は真っ暗だった。
出て行った妻に「ただいま」などと言ったことはないが、返事をしてくれる人がいないと分かっているのに「ただいま」と言って玄関のドアを開ける日が続いていた。もしかしたら妻が戻っているかもしれない。そのような淡い期待もあったが、玄関のドアを開ける度にその期待は裏切られた。妻を失ってはじめて存在の大きさに気が付いた金城1等兵曹であった。
金城1等兵曹と妻の間に子供はいなかった。長い航海中、妻はこの家に独りぼっちで居たんだなと思うと、妻の寂しい気持ちを受け止めなかった自分が情けなく、妻には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。様々な思いが交錯して考えがまとまらない金城1等兵曹は、一人きりの部屋にいると、いつもこう思った。「俺は、これからどうすればいいんだ!」 ボートでは頼れる1等兵曹も、私生活は、からっきしダメだった。早くボートの“家族”に話を聞いてほしい。金城1等兵曹の願いは切実だった。
「そうか、よかった! チーフに連絡して早くボートに戻ってくれ。金城が必要な事態になりそうだ」身体を射出座席に固定していたハーネスをとりながら加藤中佐が言った。
「またドンパチですか?」
「そうなりそうな雰囲気だ。それに早くボートに戻りたいんだろ。チーフからも聞いている」
「チーフは何でもお見通しですね!」
「そのようだな……悪いが後は頼んだぞ。俺たちは今からWESTPACFLT(西太平洋艦隊司令部)に行ってくる。今日は、戻らないから明日会おう」
「アイ・サー、ボス!」
”サンダウナー200”を金城1等兵曹に託した加藤中佐は、横山少佐を伴って目の前の格納庫に寄り添うように建てられた細長い“サイドショップ”と呼ばれる建物に向かった。
滑川 鎌倉駅南約700メートル
星川合衆国海軍 NAS由比ガ浜(由比ガ浜海軍航空基地)CVW-15サイドショップ
星川合衆国鎌倉コロニー
サイドショップの出入り口に黒い海軍の制服に着替えた加藤中佐が立っていた。
出入り口の横には「CARRIER AIR WING FIFTEEN」(第15空母航空団)と書かれた看板が立てられ、このサイドショップがCVW-15の陸上司令部であることを示していた。
長いクルーズの後にこの看板を見ると妙にホッとする加藤中佐であったが、今日に限ってはそう思わなかった。
妙な胸騒ぎがする。いつもとは違う何かがありそうだ…………
だが、加藤中佐はその思いを振り払って言った。「よし! 行くぞ! 情報部員」
「お待たせしました。さあ 行きましょうCAG!」加藤中佐と同様に黒い制服に着替えた横山少佐は両手に資料が入ったかばんを持っていた。
「俺の車でWESTPACFLTまでの短いドライブだ」といって加藤中佐が車のキーを出そうとしたその時、ポケットに入れた携帯電話が鳴った。
ん! 誰からの電話だ。加藤中佐は携帯電話の画面に表示された相手を確認すると顔をほころばせて、電話を耳元にあてた。
電話は三宅准将からだった。加藤中佐と三宅准将は大学時代からの親友だった。それは、大学卒業後に星川と酒匂それぞれの母国の軍人となった後でも変わりない。ただ、敵対する国同士ということもあり、なかなか会えないのが難点だった。
「ひさしぶりだな。元気か? そうだ、昇任おめでとう!」加藤中佐は一気にしゃべった。
「あぁ、ありがとう。でも、そのことは後で話そう」三宅准将の声は不安と安堵が入り混じっていた。先ほどは参謀総長の前で星川との接触は任せてくれと大見得を切ったものの、加藤が空母に乗り込んでいたらすぐには連絡できないことを失念していた。電話が繋がったことに安堵したが、果たして加藤はこの話に乗ってくれるのか? 対立する国の軍人から共同作戦の申し出があったなどと誰に報告するのか? 一歩間違えれば違法に外国人と接触したとして逮捕される可能性だってある。逮捕に至らなくても軍には残れないかもしれない。加藤はそのような危険を冒してまで我々に協力してくれるのであろうか? 時間の経過とともに三宅准将の不安は大きくなっていた。
いつもの三宅とは違う。何かあったな。加藤中佐は三宅准将の不安を含んだ声を敏感に感じとった。「どうした?」
「同じゼミだった谷川を覚えているか? 親父の会社を引き継ぐと言って実家に戻った谷川だよ。あいつが実家で大変なことになっている。俺はさっきその話を聞いたのだが、お前もさっき聞いたんじゃないのか? おかげでうちの会社の上層部は大騒ぎだよ。お前の会社も同じだろ?」
三宅は何の話をしているんだ? 確かに谷川は伊勢原にある実家の会社を引き継いだが、大変な事になっているなんて聞いてない。だいいち、俺も三宅も会社なんかに勤めていないぞ。そこまで考えた加藤中佐はピンときた。もしかして三宅は香貫が建設した核ミサイル基地の話をしているのか? それならわかる。秘匿されていない一般の電話回線で核ミサイルの話などできない。ならば話を合わせよう。「俺も夕方、うちの若いもんから聞いた。おかげで出張先から呼び戻されて、今から本社に行くところだ。うちの上層部も大騒ぎだよ。そうそう、うちの若いもんが、会長の息子に会ったと言っていたぞ。お前の会社の!」
「俺も会長の息子から聞いた。お前の部下だと思っていたよ。信頼できそうな人間だと言っていた」
二人は、香貫が建設した核ミサイル基地上空で緒方、石川少尉コンビが出雲少佐と出会った話しをした。盗聴されても会話の本当の意味が分からないよう話しているため、お互いにミサイル基地の話をしているのか確信が持てなかった。だが、関係者しか知らないことをお互いに確認できたことで確信が持てた。
それでも三宅准将は、共同作戦の話を切り出せなかった。親友の頼みとあれば自分のキャリアを台無しにしてでも事を進めるだろう。加藤とは、そんなやつだ。そんな親友のキャリアを終わらせてしまうかもしれないのに、それでもよいのか?
短い沈黙の後、話し始めたのは加藤中佐だった。「わざわざお前が電話してきたのは、一緒に谷川を助ける相談のためだろ? お互いの会社は商売敵だが、無駄な競争はやめて協力することが互いの利益になるんじゃなかったのか? 学生時代に何度も話し合ったじゃないか。俺は今でもその考えを変えていない」
加藤中佐は、学生時代から価値観が同じ星川と酒匂は真の友人になれると考えていた。「それに相模川西岸なんて、星川と酒匂の間で人と物の行き来が増えて初めて価値が出る土地だろ。国交もないのに取り合いをしているなんてバカじゃねえか」学生時代、星川と酒匂の話題になると、加藤中佐は最後にいつもそういっていた。
あいかわらず加藤は直球勝負だな。俺も率直に自分の考えを話そう! 三宅准将はそう考えた。「俺もその考えを変えてはいない。それに今回の協力に関しては社長も同意している。ただ、こんな話を持ち込んだらお前の会社での立場が危うくならないか? そっちが心配なんだ」
「気にするな。確かに持って行き方を間違えたら立場も危うくなるだろうな。だけど、立場が危うくなるようなキャリアもないから大丈夫さ!」加藤中佐は笑ったが、真顔に戻って続けた。「ただ、会社を動かせるかどうかはわからない。俺は、これから今回の件を直属の事業部長に報告しに行く。明日の午前中には担当地域の事業部長にも報告するから返事はその後でもいいか?」
「かまわん。こちらの準備もそんなに早くできんからな。それよりも慎重にやれよ」
「そうも言っていられない。向こうが準備を整える前にやらないとてこずるだけだ。また、連絡する」
「わかった。気をつけろよ」
電話を終えた加藤中佐は、意を決したように車に向かって歩き始めた。何があったのかわからない横山少佐も、あたふたと加藤中佐の後を追って車に向かった。
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