その11
酒匂川 鴨宮駅南西約0.8キロメートル
酒匂王国連邦 酒匂王国連邦軍合同参謀本部庁舎地下1階
酒匂王国連邦鴨宮首都コロニー
「……以上で王子が偵察された結果の報告を終わります」説明を終えた北川少尉は会議参加者の顔を見渡して言った。「質問はございますか?」
合同参謀本部地下1階の第3会議室には酒匂王国連邦軍制服組のトップである合同参謀本部議長のほか、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、空軍参謀総長、緊急展開部隊に指定されている陸軍第1空挺集団長、海軍第5航空戦隊司令、空軍第17独立飛行団司令、出雲少佐、そして彼らの幕僚が参会していた。
だが、深刻な面持ちの参会者からの質問はなかった。
香貫に扇動された暴動が熱海に続いて真鶴でも発生しようとしている。広く浸透した香貫の工作員が暴動を扇動し、体制に批判的な左翼勢力がこれに加担しているのである。酒匂軍はこれらの対応に追われていた。酒匂軍の兵力はこれらの地域に集中せざるを得ないため、核ミサイルの対応に回せる兵力はほとんどない。会議参加者の誰もが見えない突破口を探っていた。重苦しい沈黙が会議室を包んでいた。
沈黙を破ったのは合同参謀本部議長であり、酒匂3王の一人、吉野王であった。「隼人殿下、ご苦労でしたな……さて、どうしたもんかの」
「総理は航空機だけの攻撃をお許しになりませんか」と、空軍参謀総長
「総理は爆撃によって放射能が漏れることを危惧されておる……もし放射能漏れとなれば、核兵器を違法に配備した香貫よりも攻撃した我々が非難される。それだけは避けねばならん。これは総理だけでなく大王のお考えでもある」合同参謀本部議長・吉野王も同じ考えだったが、ではどうすればよいのだ。軍令の最高機関として政策の選択肢を政府に示さなければならない。
核弾頭を確実に処分するには持ち帰って解体処分するのが最善だ。このためには、ダイダラの建物2階にある敵基地に兵力を送り込まなければならない。だが、このような場所に投入できる陸軍第1空挺集団や海軍特別陸戦隊空挺大隊は真鶴方面に広く展開しているためすぐには投入できない。
しかしダイダラの建物2階とはよく考えたものだ。基地への接近手段はヘリコプターか輸送機しかなく、戦車や装甲車などの重火力を送り込めない。地上から2階に兵力を送る手段がないのである。まるで空中要塞のようだ。敵は空からの攻撃に備えるだけでよい。ならばどうする……
「星川との共同作戦なら可能です」空軍第17独立飛行団司令・三宅准将は会議参加者の誰もが考えていた星川との共同作戦を口にした。だが、相模川西岸の領有をめぐって対立する星川との共同作戦を言い出すことは勇気のいることだった。
空軍にも骨のあるやつがいるなと思った出雲男爵は言った。「敵の敵は味方ということじゃな。我々がやらんでも星川は勝手に攻撃するじゃろ。とはいえ我々も手をこまねいているわけにはいかん」出雲男爵は同意を得るように参加者の顔を見渡して続けた。「共同できれば星川の出方を気にする必要はなくなるじゃろし、星川との余計な争いを回避することができるじゃろ」
「共同作戦は帝国主義者の星川にもメリットがある。我々からの攻撃を気にしないで作戦ができる。星川は乗ってくると思うが……世論が心配だな」相次ぐ暴動によって酒匂国民の政府に対する不信が高まっている。この不信を背景に勢力を増しつつある強硬派が、敵対する星川と合同作戦すると知ったら民衆を扇動して大規模なデモを行うだろう。そうなっては酒匂が分裂してしまう。だが、何もせずに星川軍の攻撃を傍観すれば、酒匂の危機に何もできなかったとしてさらにひどい結果を招くであろう。
「星川との共同作戦はリスクが大きい」暴動の矢面に立つ陸軍参謀総長がつぶやいた。
「では、香貫の核を星川の手にゆだねて見ているだけですか! 何もしないわけにはいきません。星川と共同してでも危機に対応するほうが国民は納得すると考えます!」海軍第5航空戦隊司令が主張した。
星川と手を組まなければならない現状を受け入れなければならないと考え始めていた出雲男爵が言った。「5航戦司令の言うとおりじゃ。だが事態が落ち着くまで極秘に事を進めたほうがよいじゃろ」
「極秘に進めるとなると外交ルートは使えませんな……どうやって星川とコンタクトを取るかな?」
「私の大学の同級生が星川海軍におります。お許しいただければ私にその役をお与えください」この危機を乗り切るためには星川の手を借りなければならない。星川にはあいつがいる。あいつならうまくやってくれる。加藤なら。三宅准将はそう思った。
「その、君の同級生の准将は星川海軍のどこにおるのだ?」
「いえ、准将ではありません。中佐です……加藤中佐といいますが、加藤中佐は私と同じ戦闘機パイロットで、今は空母<カール・ビンソン>の航空団司令代理をしております」
「なに、中佐! こう言っては悪いが、たかが中佐であの巨大な星川軍を動かせるのか?」
「彼ならできると思います。王子があの基地で遭遇した星川海軍機は彼の指揮下の航空機です」三宅准将は確信していた。
だが、会議室に芽生えた期待は一気に萎みはじめた。
「……」再び第3会議室は沈痛な沈黙に覆われた。
意を決した北川少尉が立ち上がった。「発言をお許しいただけますか?」
下級将校がこのような場で発言を求めることはないし、通常であれば中佐以上の階級でなければ発言は許されないのが慣例であった。この少尉もそれくらいはわかっているはずだ。それでも発言を求めるからにはそれなりの理由があるのだろう。合同参謀本部議長は許可することにした。「許可する。意見があれば申してみよ」
「ありがとうございます。海軍情報部は次の闘いに備えて星川海軍の指揮官を調査していますが、加藤中佐は最も注意すべき指揮官の一人であります。いまだに中佐なのは、昇任に必要な海軍大学などへの入校ですとか中央勤務を拒否し続けて第一戦部隊勤務に固執したからです。
彼は海兵隊の武装偵察部隊でも勤務していたので海軍内部だけでなく海兵隊や特殊戦部隊とも通じています。彼は5機以上撃墜のエースです。4年前の平塚沖海戦で航空隊を率いた指揮官です。私は彼が軍内部で高い発言力を持っていると考えています」
「……」
北川少尉は居並ぶ軍の最高幹部の前で直立不動のまま固まっていた。
「北川少尉だったかな? よく教えてくれた。もう着席してもよいぞ」
「はっ! ありがとうございます」北川少尉は緊張のあまりカクカクとロボットのように動いて椅子に座った。
「平塚沖ではその男にしてやられたのじゃな。面白い男のようじゃ。なにもその……なんという名前じゃったかの?」出雲男爵は北川少尉の方に振り向いた「加藤中佐であります」
「そうじゃ。なにも加藤中佐に星川を説得してもらわんでも仲介してくれればよいのじゃ」
出雲少佐は緒方少尉、石川少尉と交信した時に感じた信頼感を思い出した。「手を組めない相手ではない気がします。F-14の搭乗員と交信しましたが、決めたことは守る者たちのような気がします……勘に過ぎませんが」
「敵対しているとはいえ、隣国でありながら交流のチャンネルが皆無ということは憂慮すべき問題だな……だが長年の敵である星川と手を組まねばならんとは……軍がこの有様では国民に顔向けできんな」空軍参謀総長は地下室にもかかわらず天をあおいだ。
陸軍参謀総長も意を決した「背に腹は代えられない。まずは国内の秩序を回復することが第一だ! 核ミサイルについては星川と手を組んででも早期に解決させよう」
意見が出つくしたと思った合同参謀本部議長は言った。「では、星川との共同作戦を追求することにする。よろしいか?」合同参謀本部議長は参会者の同意を得て話を続けた。「星川との調整は三宅准将に委ねる。今後、この件は合同参謀本部の特殊戦班長に取りまとめさせるが、極秘の作戦なので関係者を厳選してことに当たってもらいたい……よし! 閣議に向かおう……しかし、海軍は優秀な若い士官がいてうらやましいですな」
この一言で会議は終了し、合同参謀本部議長と陸海空軍の長は閣議に向かった。
小出川 香川駅南西約1.5キロメートル
星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)原子力航空母艦<カール・ビンソン>(CVN-70)
<カール・ビンソン>は小出川を下流に向けて南下していた。「相模湾の哨戒区域に戻り、次の命令を待て」新たなUSWESTCOM司令官(西方軍司令官)の命令であった。
我々を行ったり来たりさせて、何がやりたいのだ? だが、狭い小出川にいるより広い海で行動するほうが安全なのは確かだ。遅れた訓練も取り戻すことができる。真っ暗な艦橋の左側にある艦長席に座った大辻艦長は、そう思いながら隣で操艦指揮に当たる当直士官を見守った。
暗い艦橋、輝度を最低限に絞ったモニターの光によって暗闇に浮かぶ当直士官は、時おり高感度前方監視カメラを確認しながら<カール・ビンソン>を川の中央部に維持するよう細かな操艦をしている。
川の航行は集中力が要求される。川の中央部分と川岸では流れが異なる。横から流れ込む支流の影響もある。穏やかに流れているような川でも均一な水の流れなど期待できない。川の流れが異なる場所で発生する渦巻きや、横から流入する水の流れによって急激な方向変換や転覆の危険性がある。このため、不断の水面監視が必要となる。
冷静に操艦する当直士官から目を離した大辻艦長は双眼鏡を取り上げた。もうそろそろライトアップされた湘南ベルブリッジの特徴的なアーチが見えてもいい頃だ。湘南ベルブリッジを過ぎれば河口までは約1キロメートルとなる。小出川は相模川と合流し200メートルほど南下すると相模湾に出る。酒匂との紛争地ともなっている相模川西岸の平塚が目の前の地点である。
だが湘南ベルブリッジは背の高い草が邪魔をして見えない。大辻艦長は早く相模湾に出たかった。早く自由に動ける海に出たい。イライラする気持ちを抑えて双眼鏡を置いた大辻艦長は、うす暗いオレンジ色の光に包まれたフライト・デッキに目を移した。
艦橋から見るフライト・デッキにはF-14DとF/A-18Cが整然と駐機している。その中の1機が発艦の準備にかかっていた。加藤中佐のF-14D、200号機である。キャノピーが開けられ、空気取り入れ口の上に立って後席に座っているCSG3の情報士官、横山少佐に何か説明している加藤中佐がいた。何がおかしいのか、時おり口を開けて笑っている。ここまで笑い声が聞えてきそうだ。加藤らしいな! 大辻艦長は思った。
「艦長! アーカンソーとハワードが相模川河口の警戒位置につきました。酒匂軍の動きは探知していません」<カール・ビンソン>副長・酒井大佐が、先行する原子力ミサイル巡洋艦<アーカンソー>とイージス駆逐艦<ハワード>が配置についたことを艦長に報告した。両艦ともCSG3に所属する艦艇である。
優秀なセンサーを搭載したイージス艦が警戒しているとはいえ、巧妙に隠された地対艦ミサイル発射機があるかもしれない。大辻艦長は不安を感じた。川岸から撃たれれば20秒もしないうちに当たってしまう……いかん、いかん! 私がピリピリしすぎると部下に悪影響を与えてしまう。CSGとして最善の対策をとっているのだ。考えすぎはよくない……だが、あいつはこんなことで悩まないのだろうな。大辻艦長は加藤中佐を見て思った。
酒井副長もつられて大辻艦長が見つめる方向に目を向けた。「CAGはいつも楽しそうですな!」酒井副長は思ったことを口にした。
「あいつは昔と変わらん」
「どこかで一緒に勤務されたことはあるのですか?」
「いや、一緒に勤務したことはないが、FRSで一緒にターキー(F-14)の転換訓練を受けた」
FRS(艦隊即応航空隊)とは星川海軍・海兵隊が保有する航空機のパイロット、航空士、整備員を訓練する航空隊である。F-4J“ファントムⅡ”のパイロットであった加藤中佐やNFO(海軍航空士官:戦闘機のレーダー迎撃士官や対潜哨戒機の戦術航空士などパイロット以外の航空機搭乗員の総称)であった大辻艦長がF-14で飛べるように機種転換訓練をしている。そのほか、初めてパイロットや航空士になる搭乗員の訓練も担当している。
艦隊即応航空隊はまた、余剰の航空機を管理しており戦闘や事故による機体の損耗を速やかに補充する任務も担っている。行動中の空母に搭載された艦載機と人員が定数を維持できるのはFRSのおかげである。第一線飛行隊のような派手さはないが、星川海軍・海兵隊にとっては不可欠な航空隊である。
軍の強さは、ともすれば空母の保有隻数などに目がいきがちだが、第一線の強さを支える訓練システムや継戦能力をもっていなければ本当の強さとはいえない。「スクナビ」世界で有数の軍事力を保有する星川軍の強さは、FRSをはじめとする様々なレベルでの訓練システムや、継戦能力を維持するためのストックや補給能力が充実しているからである。
「転換同期ですか……今のところ艦は予定どおり進んでいます。この分なら相模湾で日の出を見られそうです」
「わかった。湘南ベルブリッジの下まで来たら総員配置をかける。準備を怠るな。相模湾に出るまでは総員配置を続ける。今日はみんな徹夜になるぞ」
「了解しました」酒井副長は総員配置の準備状況を確認するため艦橋を離れた。
大辻艦長の3センチメートル下、フライト・デッキ直下の03デッキにあるCDC(戦闘指揮所)では岡部准将が司令専用のモニターを見つめていた。
水上ユニットの配置は完了した。対空警戒ではフーリガンズが24時間態勢で早期警戒機E-2Dと4発の長距離空対空ミサイルAIM-54を搭載したF-14Dを飛ばしている。川岸からのミサイル攻撃も考えられるが、ミサイルなど空からの攻撃は排除できるだろう。
現時点の問題は潜水艦だ。岡部准将の関心は対潜捜索にあたるS-3BとSH-60Rにあった。2機の艦上対潜哨戒機S-3Bは1時間前にオンステーション(現場到着)して相模川河口の対潜捜索を開始していた。
モニターを見ていると、S-3Bを示すシンボルは時おり上流に向けて飛んではUターンしてくる。上流でソノブイを投下して捜索エリアに戻っているのである。エリアに戻ったS-3Bは流れてきたソノブイをオントップ(直上飛行)して、ソノブイが水草や岩に引っかかっていないかを確認しながら音響データを拾い集めている。障害物のない広い海ならばソノブイを確認する必要がないので、高い高度でゆったりと出来るのだが川ではそうもいかない。
一方のSH-60Rは潜水艦が隠れるには絶好の場所である川底に沈んだ自転車や、橋げた周りを集中的に捜索している。
酒匂が保有する潜水艦は全てが通常動力型である。原子力潜水艦は保有しない。通常動力型潜水艦は原子力潜水艦のように広い水域を縦横無尽に動き回る能力こそ持たないが、静粛性に優れているため待ち伏せ攻撃するには最適の兵器だ。しかも酒匂の士官は通常動力型潜水艦の使い方を知っている。相模川河口にいるかいないかは分からないが最大限の警戒をしなければならない。海に出てしまえばCSG3の改ロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦ジェファーソン・シティが警戒に当たっている。加えて、由比ガ浜海軍航空基地からやってくるVP-4(第4哨戒飛行隊)の対潜哨戒機P-8Aが援護してくれる。そして、海ならば酒匂の潜水艦を振り切るスピードが出せる。空母を動かすには小出川は狭すぎる。岡部准将は部下に気付かれないように小さくため息をついた。
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