その10
3 準備
狩野川 沼津駅東約1.8キロメートル
香貫公国軍 S15基地
香貫公国香貫山首都コロニー
イリューシンIl-76M “山鳥-574”はS15基地に着陸した。
S15基地は永野公の宮殿や政府機関が集中する沼津特別市城塞地区に隣接している。戦略ロケット軍のほか、首都防空軍の司令部が所在する大規模な基地である。
“山鳥-574”は大規模航空基地にありがちな長い誘導路を走行して駐機場に向かった。
駐機場でエンジンを停止すると翼の横に2台の車両がやってきた。一台は堀内少将と前基地司令官を戦略ロケット軍司令部に送るため、もう一台は高井大佐を最高参謀本部に送るためである。
“山鳥-574”のタラップが降ろされると、高井大佐は堀内少将に対する敬礼もそこそこに迎えの車両に乗って最高参謀本部に向かっていった。
苦笑いをして高井大佐を見送った堀内少将と前基地司令官も車に向かって歩き出した。車両の後部ドアを開けて敬礼している伍長に答礼した堀内少将は車内に乗り込むため腰を屈めた。だが給油のためにS33基地に立ち寄った以外は5時間近くも機内で座り続けていた体が悲鳴を上げた。
苦痛に顔を歪めながら後部シートに座り込んだ堀内少将であったが、娘と妻が待つ基地に帰ってきたことだけでうれしかった。まさか今日、戻ってこられるとは思ってもいなかった。R38基地に戻る前に一目でいい、娘と妻の顔が見たい。今日会えなければ二度と会えないだろう。堀内少将は不吉な予感がした。
「司令官がお待ちです」車を発進させた伍長が言った。その言葉に家族への思いを断ち切られた堀内少将は「わかった」とだけ答えた。
堀内少将は弱気になった自分を叱った。これからも娘と妻に会いたければ攻めてくるであろう星川や酒匂を撃退すればよいのだ。そのためには援軍が必要だ。しかも早急に! だが誰に話を持っていく? 本国に戻る機内で考え続けたことはそれだった。
R38基地は編成上、最高参謀総長直属の基地だ。指揮系統に従えば最高参謀本部作戦局長に援軍の話を持っていくべきであろう。しかし堀内少将はこの考えを捨てた。R38基地の状況を考えれば、すぐにでも増援が必要なことくらい誰でもわかっている。当然最高参謀本部も増援を計画しているが、その動きは鈍い。
動きが鈍くなる原因は責任問題にある。極秘のR38基地が星川と酒匂に知られてしまった。しかも核ミサイルがあることまで知られているだろう。
この失態の責任を誰がとらされるのか? 下手に増援を急げと言い出せば、言い出した者に責任が押し付けられる。最高参謀本部の参謀達は動きたくても動けない。今回の失態に少しでも責任がある軍上層部の誰かが「増援を急げ!」と言い出すのを待っているはずだ。
堀内少将は、その「言い出しっぺ」役を戦略ロケット軍司令官・成増上級大将に頼もうと考えた。戦略ロケット軍としては、そうせざるを得ない状況にあるからである。
香貫は陸軍、海軍、空軍そして戦略ロケット軍の4軍種を保有している。この4つの軍種の中で最も新しく、そして最も小規模なのが戦略ロケット軍である。戦略ロケット軍はエリート部隊と言われるが海軍や空軍からは二流の軍と見なされていた。それでも敵をたたきのめす即応性を持っていれば、海軍や空軍も頼りにしたかもしれない。
だが、ミサイルを発射位置に展開するためには海軍と空軍の力を借りる必要があり即応性もへったくれもない。こんなことだから歴代の戦略ロケット軍司令官は陸軍や空軍からやってくるのだ。戦略ロケット軍の将校が司令官になったのは成増上級大将が初めてだ。このような現状を打破する絶好の機会が「死のトライアングル」構想だった。
R38基地を中心に3つの衛星基地を作り、互いの基地を連携させて鉄壁の防御態勢を整えた東京方面への侵攻拠点。そのR38基地には射程圏内に星川と酒匂の主要コロニーを射程におさめた核ロケットを配置して星川と酒匂ににらみをきかす。戦略ロケット軍の存在意義をかけた構想である。
しかも、構想の最終段階では伊勢原方面に新たな軍の行政機関となる伊勢原軍管区が新設され、R38基地司令官が兼任することになっている。戦略ロケット軍が総力をあげて獲得したR38基地司令官のポストから、軍管区司令官への道が開かれているのである。
「ようやく他の軍に肩を並べることができる」成増上級大将がそう考えた矢先に今回の事態が発生した。事態を憂慮した成増上級大将が新たに任命した基地司令官。それが堀内少将であった。
「何しに戻ってきた?」今回の事態を永野公に報告した成増上級大将は、堀内少将が戻ってくると聞いて司令部で待っていた。
堀内少将は成増上級大将の前で立ち止まり答えた。「増援を求めに」
「そんなことはわかっている」椅子の背もたれに身をあずけ、天井を見つめた成増上級大将が言った。
「一刻の猶予もありません。星川はすぐにでも攻めてきます」
「そんな事、お前に言われんでもわかっている。だから私自身が永野公に報告してきたのだ。陸軍は1週間以内に部隊を派遣すると約束した。永野公の前でな」
「ありがとうございます」
「礼は星川を追っ払ってから言え」
「高射ミサイル部隊も不足しています。最低でも1個中隊必要です」
「どれだけ与えれば気が済むのだ! 1個大隊を与えるのだぞ!」成増上級大将は堀内少将を睨んだ。
「空軍が防空任務を果たしてくれるのであれば必要ありません」
「空軍は、よりにもよって“魔女飛行隊”をA57基地に派遣すると言っている。しかもたった6機だ。女の部隊が6機あっても何の役にもたたん」
魔女飛行隊とは、司令から末端の兵士に至るまで女性のみで構成された第586戦闘機連隊のことである。スホーイ27を28機運用し、第1大隊を白バラ隊、第2大隊を白ユリ隊と呼ばれている。固有の防衛担当区域を持たず、機動的に運用される部隊に指定されている。
「やる気のない防空軍のパイロットに比べたら、よっぽどましです」死のトライアングルと香貫本国を結ぶ中間地点の補給基地、A57基地の建設は遅れている。ミグ31を12機運用するだけで精一杯の基地に、たったの6機といえども増えてくれればありがたい。
それに魔女飛行隊の実績を見れば頼りになるのは明らかだ。堀内少将はそう思ったが、まだまだ足りないものがある。「こちらが至急必要な装備品のリストです」と言ってリストを成増上級大将に差し出した。
「この私にずけずけと要求ばかりするのはお前だけだ! こんなものは参謀長にでも渡せ。私が怒り出す前に部屋を出て行け!」
「はい!」堀内少将は回れ右をしてドアに向かった。
堀内少将の背中に一瞥をくれた成増上級大将は、椅子を回転させて窓の外の夜景を眺めながら言った。「頼んだぞ。堀内!」
堀内少将は振り返らずに「はい!」とだけ答えて部屋を出た。それでも堀内少将の覚悟は成増上級大将に伝わった。
狩野川 沼津駅東約1.8キロメートル
香貫公国 沼津特別市城塞地区
香貫公国香貫山首都コロニー
「もっと飛ばせ!」乗り込んだ車両の後席から高井大佐が叫んだ。
何としてでも今日中に政治部長にお会いしなければならない。この危機を説明して、別の政治将校をR38基地に送り込まなければならない。そう、私は政治部長側近の一人だ。政治部長も危険な基地に戻れとは言わないはずだ。たぶん。だが、この淡い期待も政治部長に会えなければ露と消えてしまう。「もっと飛ばせ!」
面会のアポを取るために政治部長秘書官に連絡を取った高井大佐は、政治部長が公邸に戻ったことを知った。
行き先変更だ。「行き先を政治部長公邸に変更しろ!」高井大佐が叫んだ。
日中は車の渋滞が激しい香貫山首都コロニーでも、夜間は極端に車の交通量が少なくなる。自家用車を持てるのは党の幹部か国営企業の経営者くらいなものだ。このため仕事が終了した夜間は極端に車の交通量が減るのである。
ガランとした夜の大通りを高井大佐が乗った車両が猛スピードで突っ走る。パトロール中の民警も相手が軍高官の車両とわかれば手出しできない。
こうして高井大佐を乗せた車両が政治部長公邸に到着した。政治部長公邸は、軍高官の専用居住区域のなかでもひときわ大きい。道路からは建物が見えないほど広大な敷地を持つ。
高井大佐が玄関前で車を降りると、公邸の中から秘書官が出てきた。「大佐、部長にはお会いできません。このまま、お帰りください」秘書官は、たった今降りた車両の後部ドアを開けて帰るように促した。
「なんだと! さっきアポを取ったじゃないか!」
「お会いできないと言う前に電話を切ったのは、あなたです」秘書官は冷たい目で言った。
「部長に会わねばならん用件があるのだ!」高井大佐はあせった。
その時、一人の大佐がやってきて高井大佐に声をかけた。「高井さん」高井大佐の1期後輩である元島大佐である。
「おぉ! 元島か! 秘書官が部長に会わせてくれないんだ」高井大佐は元島大佐に駆け寄った。だが、元島大佐は高井大佐を避けるように後退った。
「残念ですが部長は予定が詰まっております。時間が取れません」
「5分でいいんだ! 取り次いでくれ!」
「ですから無理だと言っているのです」
「部長が空くまで待っているから。頼む!」
「高井さんもしつこいですね! 無理なんですよ!」
高井大佐は元島大佐を押しのけて公邸の中に入ろうとした。そこに、この騒ぎに気付いた政治部長が玄関口に現れた。
「騒がしいぞ。何事だ」
「あっ! 部長! 私です! お話があります!」
「高井か。君に話などない。帰りなさい」
「R38基地が危ないのです!」
「R38基地には1週間以内に増援部隊が派遣されることになっておる。問題はない」
「私の交代要員は」
「何を言っておる!」
「ですが、ですが、部長の命令を忠実に実行できるのは私だけだと部長はおっしゃいました。私はここに必要です!」
「くどい! お前も軍人なら軍人らしく戦え! 元島! こいつを叩き出せ!」そう言って政治部長は姿を消した。
政治部長公邸の玄関には高井大佐、元島大佐と秘書官だけが残った。
高井大佐はぼう然と立ち尽くした。その高井大佐に元島大佐は言った。
「高井さん。お分かりになられましたか? さあ! お帰りください」
「なぜだ? お前も部長の心変わりを知っていたのか?」
「高井さんは何もわかっていない。はっきり言わせてもらいますが、高井さんは行く先々でトラブルを起こしています。部長はその事をいつも苦々しく思っていたのです」
「それは部長の意向に沿ってやったことだ」
「私はもっとうまくやっていますよ。周りの反感を買ったり、むやみに淡島コロニーに送ったりはしません……だからR38基地に飛ばされるのです」
「部長はミサイルの発射態勢を早く整えれば昇任も早まると言われたのだぞ」
「次の少将昇任は私です。すでに内定しています」口元に笑みをたたえた元島大佐が言った。
「なんだと!」
「もう、お分かりになられたでしょう。R38基地に戻ってください。ここに高井さんの居場所はありません」元島大佐は先輩に対する遠慮もかなぐり捨てて、勝ち誇ったように満面の笑みで言った。
高井大佐はショックだった。あれだけ尽くした部長に捨てられ、後輩に先を越され、秘書官にさげすまれ、こんな情けない気持ちになったのは初めてであった。私はR38基地で朽ちるのか……あまりにも非情だ。今までしてきたことは何だったのだろう。ショックと死への恐怖で立っているのがやっとの高井大佐は、最後の力を振り絞って車に乗り込んだ。
行くあてもない高井大佐はS15基地に向かった。
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