その8

小出川上流 香川駅南西約1キロメートル

星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)原子力航空母艦<カール・ビンソン>(CVN-70)


緒方少尉と石川少尉は耐Gスーツなどの飛行装備を外すことなくCVIC(空母情報センター)に向かった。CVICに達した二人はドアロックを解除して室内に入った。

入ったとたん二人の目の前に、腕組して仁王立ちしている加藤中佐がいた。

二人と顔を合わせるなり「ばかもん!」加藤中佐の怒鳴り声が部屋中に響いた。

先に二人が送った偵察データの解析や司令部との連絡で喧騒に満ちた室内が静まりかえった。あまりの迫力に緒方少尉と石川少尉は危うく手に持つヘルメットを落とすところであった。

二人が帰艦するまでの時間、情報部員がTARPSの画像データやラインスキャンデータに注目しているのをよそ目に、加藤中佐は”サンダウナー205”の航跡、チャフ・フレアの射出データ、ミサイル探知データを確認していた。TARPSはこれらのデータも収集して送信してくるのである。

航跡を見る限り何の躊躇もなく建物内に進入している。たぶん建物に侵入する絶好のタイミングだったのだろう。

問題は、「建物内にはどんな危険が待ち構えているのか?」を考えずに進入している点だ。航跡を見る限り危険性を考えた痕跡はみられない。これでは、いくら命があっても足りない。建物内でチャフ・フレアの射出もしていない。

何のために室内射出用のチャフ・フレアが装備されたと思っているのだ。建物内の敵兵士が携帯SAMを撃ってくるかもしれない。敵兵士が放った小銃の7.62mm弾でも当たり所が悪ければ死に直結する。これらの危険から身を守るために追加された装備が室内射出用のチャフ・フレアだ。

それだけではない。攻撃するにせよ防御するにせよ、必要なことは機動性とスピードだ。その両方が制約を受ける建物内の飛行は危険が伴う。自由に動き回る空間のない建物内の危険性を理解させなければならない。

二人が偵察目標を変更して建物内部に侵入した臨機応変な判断は文句なしに100点満点だ。よくここまで成長してくれたと思う。だからこそ二人を失うわけにはいかない。まずは、ガツンと叱ろう。

「中の状況もわからずに熊の穴倉に飛び込むやつがどこにいる! ……ところで、チャフ・フレアの室内モードはどうした?」

加藤中佐に言われて、二人は室内モードを忘れていたことに気が付いた。

「ばかもん!」二人は、またヘルメットを落としかけた。

「建物に入ったお前たちを守る大事な装備だ! 忘れるな!」

「はい!」二人は加藤中佐に負けない大声で答えた。

「ところで機動性とスピードの確保については忘れていないな?」加藤中佐は建物内を飛行する危険性と、どんなときも機動性とスピードだけは忘れないように二人を諭した。

そろそろ許してやるか! それに怒った顔を続けられなかった。こいつらを見ていると昔の自分を思い出す。

「被害は?」

「右水平尾翼に弾が貫通しただけです」緒方少尉が直立不動の姿勢で答えた。

「怪我は?」

「ピンピンしております!」同じく直立不動の姿勢で石川少尉が答えた。加藤中佐は笑い出した。

「よし! よくやった! ゆっくり休めと言いたいところだが帰投報告だけは頼むぞ! ここの情報部員たちが首を長くして待っている」


30分後、帰投報告を終えた二人はCVICを後にした。飛行装備をロッカールームに戻し、飛行当直士官にも帰投の報告をしなければならない。二人はフライト・デッキ直下の03デッキを貫く長大な廊下を重い足取りで歩いた。着艦直後の達成感と高揚感にかわって強い疲労感が二人を包んでいた。ロッカールームに行く途中にある水密ドアの高い敷居を越えたところで緒方少尉はうつむきながら言った。

「中に入らなきゃよかったな。オレのせいでお前も殺すところだった。すまねぇ」

先に歩く石川少尉は振り向いた。「お前が言わなきゃオレが入ろうと言ってたぜ……緒方! オレたちは「ダイダラ」の生活が長いけど、れっきとした星川の人間だろ。だから星川を守るために宣誓して海軍に入ったんじゃねぇか。海軍が安全だなんて誰も言わなかったぞ!」

「急に怖さが染み出てきたぜ」ヘルメットを持つ緒方少尉の手は震えていた。

「情けねぇこと言うなよ。 しかし、よくあんなところに入ったよな」そういう石川少尉の手も震えていた。


VF-111飛行隊長との兼任とはいえ、CVW-15司令代理の仕事が大半を占める加藤中佐はVF-111の隊長事務室ではなくCVW-15司令部事務室に向かった。

VF-111はCVW-15に所属する戦闘飛行隊である。F-14Dを12機運用している。加藤中佐は、この戦闘飛行隊の飛行隊長であるが、同時にCVW-15の実質的な指揮官でもある。CVW-15には、もう一つのF-14D運用部隊であるVF-51の他に、F/A-18Fを12機運用するVFA-52戦闘攻撃飛行隊、F/A-18Cを12機運用するVFA-97とVFA-27の戦闘攻撃飛行隊など7機種約90機を擁する。これらの航空機を使って艦隊防空、対地攻撃、対潜戦などの様々な任務を実施している。必然的にVF-111飛行隊長の業務にまで手が回らない。その加藤中佐をVF-111副長・原口中佐が補佐していた。

「二人の様子はどうでした?」事務室では原口中佐が待っていた。緒方少尉と石川少尉が香貫の建物に侵入して偵察を成功させた話は、あっという間に艦内に知れ渡った。その知らせを聞いた原口中佐が加藤中佐を待っていたのである。

「二人とも落ち着いていたよ……だがな、いつもあんなことをしていたら命がいくらあっても足りないぞ」

「……でも同じ状況なら隊長も入っていたと思いますよ」

「そう言うお前だって入っただろ?」加藤中佐は椅子にドサッと座り込んだ。

「んーー たぶん入っていたと思いますね」

「建物に侵入した判断はよかったと思う。問題はその後なんだ。室内飛行の危険性を全く考慮していない。なんせ、チャフ・フレアの室内モードすら忘れていたのだからな」

「香貫軍の不手際に助けられたというところですか……あの二人も今ごろはそう思って震えているころかな。変に悩みだす前に話を聞いてやる必要がありそうですな」

「若年航空士官制度は覚えも早いし、早くから経験を積めるという点では良い制度なんだが……あの二人は、まだ高校生だからな。自分で気持ちの整理をつけろといっても無理な話だ。話をするなら今すぐがいいだろうな」

「あとは、よろしくお願いします。隊長」

「わかった。そういえば、中に入ろうと言い出したのは緒方みたいだ」

「ほぉ 緒方にはもっと積極性を持ってほしいと思っていたところですが……成長しましたな」

「お前の指導のおかげだ」

「飛行隊全体のおかげでしょう。隊長の存在が飛行隊によい雰囲気を生み出していますから」原口中佐は、そう言いながら席を立って部屋を出ようとした。

「それと、あの二人にはシルバースターを申請しようと思っている」加藤中佐は部屋を出ようとした原口中佐を呼び止めた。

シルバースターとは星川軍の軍人が勇敢に交戦した場合に授与される勲章のことである。軍人に授与される勲章としては上位から5番目にあたり、序列の高い勲章である。

「シルバースターですか。ちょっと高すぎませんか?」

「授与基準からすると少し高い気もするが、それだけの事をしてきたんだ。それに司令部は核ミサイルのことで大騒ぎだ。気にするやつなんかいないよ」

「わかりました。今日中に申請書を作ってチーフに渡しておきます」

「いつもすまんな」

「隊長にこき使われるのは慣れていますよ! 何年あなたの下で働いていると思っているんです?」原口中佐は、笑いながら部屋を出て行った。

原口中佐が部屋を出て行ったところで加藤中佐はCVW-15最先任上級曹長である“チーフ”村居上級曹長を呼んだ。「チーフ! いるかい?」

「ヒーローの二人を呼べばよろしいですか?」丸太のように太い腕を持つ筋肉の塊のようなチーフは司令部庶務室から顔を出した。

チーフはいつも俺のやりたい事を先回りしてくれる。

「それとコーヒーです。忙しすぎて飲むのも忘れていますよ」チーフは加藤中佐の手にコーヒーの入ったカップを手渡した。

「ありがとう。これから来るヒーローにもコーヒーを出してくれないかな」

「アイ・サー!」

「ただ少なめにしてくれ。震える手でカップを持ったらこぼしてしまう」

「一番いいコーヒーを出しますよ! 任してください」

「ありがとう。チーフ」

「CAGにこき使われるのは慣れていますよ! 何年あなたの下で働いていると思っているんです?」

「おいおい! チーフもか!」


緒方少尉と石川少尉が重い足取りで司令部事務室に入ってきた。

加藤中佐が二人に椅子を勧めているところにチーフが入ってきて、コーヒーを二人に手渡した。

「帰ってから何も口にしていないでしょ? 司令部特製はちみつコーヒーです。 どうぞ!」

時折、恐怖に勝てず身も心もぼろぼろになって海軍を去る若者がいる。それは国旗に包まれて無言で去るのとかわらない。このようにして海軍を去る若者は自信をなくし生きる希望もなくしてしまう。その後の人生は悲惨なものだ。もうそんな若者を見るのはたくさんだ。

自分にできることは限られているが、できるだけの事をしてやろうとチーフは決めていた。それは二人をリラックスさせて加藤中佐と話ができる環境を整えてやることであった。

「大活躍でしたね!」といいながらチーフは立ち去った。

二人はチーフから手渡されたコーヒーカップを両手に持ってうつむいていた。

「今日はどうだった? 疲れただろ!」加藤中佐は二人に話しかけた。

「運よく帰って来ましたが……疲れました」緒方少尉がぼそりと言った。

「運がよかったから帰ってこられたと思っているのか?」加藤中佐は右の眉毛を吊り上げた。

「違いますか?」緒方少尉が顔を上げて言った。

「違うな! 君たちは一番良いタイミングを判断して、一番良い進入方向を判断したから帰ってこられたんだ。運ではない! 考えてもみろ、道を横断する時に左右の確認をして渡ったら車にぶつからなかった。これは運がよかったのか? 違うだろ! 左右の確認をしないで無事に渡れたら運がよかったといえるんじゃないか。君たちは短い時間で一番良い判断をしたんだ。だから無事に帰ってきた。これは運ではない。訓練の成果だ。きみたちは立派なもんだよ。」

「でも、チャフ・フレアの室内モードを忘れていました。」

「君たちは一番良いタイミングで建物に侵入した。だから敵が準備できる前に建物を脱出できた。これを運というならオレは今頃運を使い果たしてこの世にいないよ」

「隊長は怖いと思ったことはないんですか?」これまで黙っていた石川少尉が聞いた。

「実はな、この年になっても怖かったと思うことがあるんだ。飛んでいる時は必死だから怖いと思わないんだけどな……それが人間として正常な反応だと思うぞ。逆に怖いと思わないやつは信用できない。怖いと思うから仲間を気遣う気持ちもうまれるし、勉強もするんだと思う」

「オレたちだけじゃないんですね。でも、どうやって追い出せばいいんですか?」

「恐怖をか?」

「はい。仲間がいれば、がんばれそうな気もしますけど。」

「そうだな。仲間の存在は勇気をくれる。それとな、自分を信じることだ」

「自分を……ですか」

「そうだ。ただ、やみくもに自分を信じろといっているわけではないんだぞ。これまで訓練してきた自分の腕と判断力を信じろということなんだ。我々は世界で一番厳しい訓練をしている。その訓練に脱落することなく頑張っている自分を信じろ。君たちはそれだけの事をやっている。」

「はい!」二人は、ようやくコーヒーを口にした。

「だがな、どんなに磨き上げた腕と判断力も訓練を怠ったり“俺は最高だ”などと思うとすぐに錆付いてしまう。それだけは覚えておいてくれ。いいな!」

「はい!」二人の声に力強さがよみがえった。

「チーフのコーヒーは、うまいだろう」

「はい……でも、攻撃はいつやりますか?」石川少尉がコーヒーを飲みながら言った。

「核ミサイルのか? それは陸軍か海兵隊の準備しだいだな。航空機だけでの攻撃はやらない。爆撃した拍子に核弾頭が誘爆でもしてみろ! 近くには「ダイダラ」の民家や大学まである。」

「大学ですか……」緒方少尉は、ため息をついた。

「どうした?」

「こいつ大学に行くか行かないかで悩んでいるんです」石川少尉はひじで緒方少尉をつついた。

「オレは、いえ、私は何をしたいのかわからないんです。「スクナビ」と「ダイダラ」を行き来するのも疲れてきましたし……突き詰めて考えてみると、「スクナビ」と「ダイダラ」の、どっちで生きればいいのかと思って」

「同じ空間を「スクナビ」と「ダイダラ」が共有して暮らしている。違いは身体の大きさだけなのに、それだけで考え方も社会構造も違っている。それはそうさ、大きさが違えば見える景色は変わってくるし、自然環境から受ける影響も変わってくる。違いがあって当然さ。どっちの世界にも良い面と悪い面がある。それを受け入れてから、どちらで暮らすか決めても遅くはないぞ!」

「どっちかに悪い面があっても、しょうがないと思って諦めろってことですか?」

「諦めるわけじゃない。受け入れるとは自分を変えるということだ」

自分を変える? どういう意味だろう。緒方少尉は思った。

「良い面を無視して後ろ向きに考えたり、嫌な面を拒否したりしないで、ありのままの現状に合わせて自分を変えてみることだ。そうすることで偏見のない結論が出せるんじゃないかな」

「自分を変える……」

「そうだ。心の壁を突き破れ!」

「はい」

「それとな、何をしたいのかわからないと言っていたが、“いま何をしているのか”についても考えてくれ。いま君は命がけで国を守っている。こんなことは生半可な気持ちではできない」

オレは大事な事を忘れていたのかな。緒方少尉は思った。

「石川! いま緒方が悩んでいることは、いずれ君も悩むと思う。緒方のフォローを頼むぞ!」

「お前が悩む姿なんて想像できないな!」緒方少尉は石川少尉を見ながらニヤリと笑った。

「うるせー! だけど何でも相談に乗るぜ!」

「すまねぇ」

「だから謝るなって。」石川少尉がそういった時、緒方少尉の腹が鳴った。

「腹減ったな!」緒方少尉と石川少尉は、お互いに笑った。

二人を見ていた加藤中佐も笑いながら食券を二人に渡した。「由比ガ浜行きのCOD(艦上輸送機C-2)が出る前に飯でも食って来い」

緒方少尉と石川少尉は、明日から「ダイダラ」に戻って高校に行かなければならない。二人を含めた若年航空士官を鎌倉コロニーの由比ガ浜海軍航空基地に送り届けるCOD、C-2“グレイハウンド”が間もなく発艦する。

「隊長! ありがとうございました!」敬礼した二人はチーフにも礼をいって部屋を出た。

ドアの外からは二人の声が聞こえてきた。「ダッシュで食わねぇとCODの発艦に間に合わねぇぞ!」「ダッシュだ! 石川!」急ぐ二人の足音が遠ざかっていった。


「二人のヒーローは、もう大丈夫ですね」部屋に入ってきたチーフが言った。

「俺にできることは進むべき方向を示すことだけだ。あとは自分自身で考えて、自分自身で歩かなきゃならない。それは自分自身でないとできない事だしな……きっかけはつかんでもらえたかな。それもチーフのコーヒーのおかげだ」加藤中佐は、いつも不思議に思う。この太い腕と指から、どうしてうまいコーヒーが作れるのだろう。そして彼は、このコーヒーと無敵の身体によって他の部隊では手に負えなくなった下士官兵を引き取って手なずけている。

手に負えなくなった者の転任先としては士官も同じで、次に問題を起こせば不名誉除隊になるような士官もCVW-15に転任してくる。このためCVW-15は刑務所航空団または“フーリガンズ”と呼ばれているが、不思議と腕だけは確かな者が集まってくる。

「ヒーローとお話し中に横山少佐から2回、WESTPACFLTのN3(西太平洋艦隊司令部作戦主任幕僚)から3回、WESTCOMのJ-3(西方軍司令部作戦主任幕僚)から1回、DIA(国防情報局)の戦略情報主任分析官とかいう方からも電話がありました……何もなければCAGのことを冷遇するくせに、いざとなればCAGを頼りにしてくる。中央のお偉いさんは、いい気なもんですな」

「俺も好き勝手にやらせてもらっているんだ。しょうがないさ……そろそろ情報の整理も終わったかな。今から横山のところに行ってくる。中央のお偉いさんから電話があったら指揮系統にしたがって俺が直接報告すると伝えてくれ。」

「アイ・サー! CAG!」

加藤中佐は横山少佐に会うためCVICに向かった。

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