その7

小出川上流 香川駅南西約1キロメートル

星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)原子力航空母艦<カール・ビンソン>(CVN-70)上空“サンダウナー205、208”


茅ヶ崎の空を夕日が赤く染めるころ、2機のF-14Dは<カール・ビンソン>上空に達した。

2機は着艦フックを降ろして<カール・ビンソン>と同じ進路で上空40センチメートルを航過した。空母上空を航過する際は一糸乱れぬタイト・フォーメーションで飛行する。2機の間隔が広すぎたり狭すぎたりしてはいけない。2番機が編隊位置を修正しようとしてフラフラしてもいけない。もちろん編隊長機がフラフラするなど論外だ。特に定められた規定はないが、ビシッと決まったフォーメーションはパイロットのプライドの問題である。

特に仲間が見ている空母上空で下手なことはできないはずだが、関口少尉は間隔を修正しようと小さな右ロールをうった。修正操作が少し急で大きすぎる。修正操作が大きすぎると修正操作を修正する操作が必要になる。結果としてフラフラとした飛行になってしまう。必要なことは繊細で微妙な機体のコントロールである。だが、このような操作も厳しい訓練によってはじめて習得できる。関口少尉の訓練は始まったばかりであった。

スパッ! 空母の前方に出た緒方少尉は鋭い左ロールをうって”サンダウナー205”をバンク60度の旋回に入れた。次いでギアを降ろしてフラップを下げた。

<カール・ビンソン>の進路と反対方向まで旋回したところで機体を水平にした”サンダウナー205”は、<カール・ビンソン>の左舷側4メートルを飛行しながら着艦チェックリストを完了させた。

<カール・ビンソン>の左正横を通過後、さらに5メートル直進してから着艦アプローチの進路に向けるために左旋回を始めた。旋回を終えた”サンダウナー205”は、ファイナル・アプローチ・コースを飛びながら3.5度のアプローチ・パス角で降下を続けた。

<カール・ビンソン>の左舷中央に張り出したFLOLS(フレンネル・レンズ光学着艦装置)中央にある光を確認した緒方少尉はLSO(着艦信号士官)に着艦のコールをした。「トムキャット205 4ポイント3 ボール」(トムキャッ205号機 残燃料4.3 FLOLS中央の光を確認している)

VF-111出身のLSO、金子大尉は<カール・ビンソン>の左舷後方にあるLSOプラットホームから答えた。「ラジャー! ボール」

金子大尉は思った。アプローチしてくるパイロットは緒方だ。初めてセクションリーダーとして任務をしてきた。得意の絶頂になっているのかと心配したが、声を聞く限りは落ち着いている。だが、夕闇迫る時間の着艦は予想より回りが見えにくいので注意が必要だぞ。 さあ来い! 緒方! 

高い堤防に囲まれた川の中央部は薄暗く、思いのほかアプローチ・パス角の判断が難しい。

緒方少尉はFLOLSを頼りにアプローチ・パス角を判断してきたが、少しずつアプローチ・パス角が低くなってきた。「パワー!」LSO金子大尉が警告した。アプローチ・パス角が低いので、エンジンのパワーを出して降下率を減らせと言っているのだ。緒方少尉はスロットルを少し前方に出してパワーを上げた。

風は少々強いが艦の揺れは少ない。こんなにやさしい環境なら陸上基地での着陸と同じだぞ!  金子大尉は心の中で緒方少尉に話しかけた。アプローチ・パス角が適正角度に戻る。ステディ! ステディ! ”サンダウナー205”が金子大尉の横を通り過ぎた。”サンダウナー205”の着艦フックは4本あるアレスティング・ワイヤー(着艦拘束ワイヤー)の後ろから2本目をとらえた。

緒方少尉は”サンダウナー205”の主車輪が<カール・ビンソン>のフライト・デッキを叩いた瞬間スロットルを前方に押し出してパワーを上げた。着艦フックがアレスティング・ワイヤーをとらえそこなった場合、増速して再び飛び上がるためである。でなければ川に転落してしまう。

だが、”サンダウナー205”はショルダー・ハーネスが二人の肩に食い込むような急制動で停止した。

停止を確認した緒方少尉はスロットルをアイドリング位置まで戻して着艦フックを引き上げた。黄色いジャージを着た誘導員が右に行くように指示している。指示に従って右に旋回しながら”サンダウナー205”の主翼を格納位置まで後退させた。

第2エレベータの手前で停止の指示を受けた緒方少尉は、そこで”サンダウナー205”を停止させ、エンジンをカットした。

キャノピーを上げると”サンダウナー205”の機付長、永村2等兵曹が待っていた。「お疲れ様。お偉方が首を長くしてお待ちですよ。直ちにCVIC(空母情報センター)に出頭せよとの事です……何かあったのですか?」

「TARPSが大物を釣ったんですよ! ですが……被弾しました。すみません」石川少尉がハーネスを外しながら謝った。

「被弾したのは私のせいです。申し訳ありません」

「お二人とも無事でなによりだ。こいつは遊覧飛行機ではありません。戦闘機です。戦うために生まれてきたのです。少しくらいの傷ならこいつもわかってくれますよ」永村2等兵曹は、いとおしそうに”サンダウナー205”を撫でた。「それよりも急いでください。飛行整備記録は私が書いておきます。後でサインだけしてください……でも、こいつは最高の機体だったでしょ!」

「そりゃあ もう最高です!」二人は声を合わせて答えた。

「しかし……ゆっくり休めそうもないな! 石川!」

「やれやれ!」

二人は急ぎ”サンダウナー205”を降り、CDC(戦闘指揮所)の隣にあるCVICに向かった。





鈴川と板戸川の合流点付近 伊勢原駅南約2.5キロメートル

香貫公国軍 R38基地


高井大佐は失態の生贄を探していた。「防空指揮官! 敵の侵入を許してしまったのだぞ!」生贄は防空指揮官林少佐のようだ。

堀内少将は激昂する高井大佐をさえぎって言った。「責任は基地司令官である私にある。防空指揮官の過失ではない。もちろん君の過失でもないから安心したまえ……敵の侵入を許した最大の原因は、この基地の構造的欠陥にある」

R38基地の周辺は防御に必要な空間がほとんどない。唯一防御可能な方向は、この建物の専用駐車場がある東側だけである。北側は雑木林と民家、西側は雑木林と道路沿いのガードレール、南側は川と川沿いに背の高い草が茂っており、これらの方向から低空で接近を図る敵機に隠れる場所はいくらでもある。

縦深防御を図るためには周囲の建物や雑木林を撤去して防御に必要な空間を作り、その外側に監視所と対空火器を設置しなければならない。建物や雑木林の撤去は用地買収が必要なため早急に対応できないが、監視所と対空火器は本国の支援があればすぐにでも配置できる。

これまでは基地の秘匿に重点を置いてきたが、これからは敵の攻撃に備えた防御態勢に移行しなければならない。

星川軍と酒匂軍の航空機が去り、”山鳥-574”のエンジンが停止してR38基地に静寂が訪れた。そのR38基地に管制塔への階段を急ぎ駆け上がる音が響いた。

「被害は?」息を切らせて副司令官清水大佐が管制塔にやってきた。清水大佐は堀内少将の階級章を見て瞬間的に新司令官だと悟った。「失礼しました! 副司令官の清水です」

「先ほど着任した堀内です。あなたのミサイル整備態勢の改革案には感銘を受けました。早くお会いしたいと思っていたんですよ」

「ですが、触れてはいけない部分の改革も提言してしまい、こちらに飛ばされました」二人は現状を忘れて笑顔で握手をした。

清水大佐は堀内少将より5歳年長であるが、ミサイル整備部門でのキャリアしかないため、これ以上の昇任は望めない。その清水大佐が提言したミサイル整備態勢の改革案は、香貫の体制矛盾をも指摘する内容が含まれていたために中央から遠ざけられたのである。堀内少将は清水大佐と改革案について話し合うことを楽しみにしていたが、当面は無理だなと思った。

「さっそくですが各部門の長を集めていただきたい。集まれる場所はありますかな?」

「あちらの食堂テントがよいでしょう」清水大佐はスロープの隣に立ち並ぶテントの一つを指差した。

堀内少将は30分後に集合するよう命じるとともに、”山鳥-574”に対しては指示があるまで離陸しないよう命じた。


各部門の長がそろうまでの間、堀内少将は食堂テントの隣にある司令部テントで状況を確認することにした。

管制塔の階段を降り、司令部テントに近づくと、そのテント内部から怒鳴り声が聞こえてきた。「撃墜できる保証がないと出撃しないだと? ……だらだらと判断に迷っているから撃墜機会も逃すのではないか! ……燃料! ……そんなものまで、こっちで面倒見なきゃならないのか!」作戦担当将校の藤井中佐が机の端に腰掛けながら電話口に向かって怒鳴っていた。

司令部テントはがらんとして藤井中佐しかいなかった。藤井中佐は司令部テントに入ってきた堀内少将を横目でにらんだ後、堀内少将の階級章を見て電話を持ったまま急いで起立した。「今後の防空態勢については、後でもう一度話し合おう。お互い冷静になる時間が必要だな。また連絡する……うん。うん。わかった。では、また」

電話を終えた藤井中佐は直立不動の姿勢で言った。「失礼しました。作戦将校 藤井です」

藤井中佐の戦闘服の襟には2本の砲身が交差した徽章がピン止めされていた。香貫陸軍砲兵将校を示す徽章である。藤井中佐とは初対面であったが、こんなところで砲兵将校に会えたことで堀内少将は親近感を感じた。「作戦将校が砲兵出身とは心強い。先ほど着任した堀内だ」

「私は、765空挺砲兵大隊からこちらに来ました」藤井中佐は、自分と同じにおいを堀内少将に感じた。野戦部隊指揮官の、しかも砲兵将校のにおいだ。

「私もロケット軍に来る前は385砲兵旅団にいた。さっそくだが、立ち聞きして申し訳ないが先の電話では空軍の協力は得られないということか?」

「そんなわけではありません。ただ、空軍は敵の襲撃後に迎撃機を出しても無意味だといっています。A57基地の燃料事情もよくないようですし」

堀内少将も藤井中佐に同じにおいを感じた。戦場での寝不足、緊張、不安、恐怖、部下を失った悲しみをこの男も知っている。

「中佐、私の質問に率直に答えてほしい。私を信用してくれないか」

「鉄の雨を降らせ!」 藤井中佐は香貫陸軍砲兵隊が攻撃を開始する際の合言葉を口にした。それは何でもお答えしますという藤井中佐の合図であった。二人は互いにほほ笑んだ。


30分後、各部門の指揮官が集合した食堂テントに堀内少将が入ってきた。「気を付け!」副司令官・清水大佐の号令で全員が立ち上がった。

「着席してくれ」堀内少将は集合した指揮官を見回した。集まった指揮官の顔には疲労の色がにじんでいる。高井大佐を除いて。

「私が新基地司令官の堀内だ。最初に、短期間でミサイル発射態勢を整えた皆さんに敬意を表する」 堀内少将の言葉を聞いた高井大佐は、得意気に最前列の席から周りの指揮官たちに振り返った。だが、だれも高井大佐に顔を向ける指揮官はいなかった。

それはそうだろう! と、堀内少将は思った。藤井中佐によると、次の少将昇任リストに名前を連ねたい高井大佐が、得点を稼ぐためにミサイル発射態勢の整備を急がせていたのである。基地の防衛態勢や隊員の休養を犠牲にしてまでも。

藤井中佐は忠告もしてくれた。高井大佐は最高参謀本部政治部長子飼いの一人だ。この立場を利用して、自分に反目する将校を政治的信頼性に欠ける人物と断罪し、政治教育のために淡島コロニーに送ったことも一度や二度ではないらしい。

前司令官は、この高井大佐のプレッシャーに勝てなかった。こうしてR38基地では高井大佐に反論できない雰囲気が出来上がっていった。

だが、堀内少将は違った。自分が淡島コロニーに送られる恐怖よりも、自分の保身によって部下を失う恐怖のほうが強かった。今の状態で攻撃されたら部下は全滅だ!

「これからは、努力の方向を基地の防衛に向けてもらう」

「我々の任務はミサイルの発射態勢を確立することです!」高井大佐が憮然とした表情で言った。食堂テントに緊張が走った。

「確かに高井君の指摘どおり我々の任務はミサイルの発射態勢を確立することだ。だが、核弾頭やミサイルの防護も必要だ。単にミサイルの発射が可能になっただけでは発射態勢が確立したとはいえない。星川と酒匂に内部を見られた以上、彼らはここが核ミサイルの基地だとわかるだろう。彼らは必ずこの基地を攻撃しに来る。だからこそ基地防衛が必要なのだ」

高井大佐は憮然とした表情を変えずにいる。

「私が基地防衛を考えられるのは、計画よりも早く基地建設が進んでいるからだ。君たちの努力があったからなのだ。高井君、計画よりどのくらい進んでいるのかな?」

「約2週間です」

「基地防衛の整備に1週間かかっても、まだ1週間早い。健全な政治指導がなければここまではできん。そうは思わんかな?」

「まあ! そうでしょうな!」自分の功績を認められた高井大佐は座りながら胸を張った。

「基地の存在が暴露したからには、あらゆる手段で防衛態勢を作る。レーダーを屋根に移して動かせるようにしてくれ。基地外周に監視所を設置して、そこに携帯SAMを配置する。考えを切り替えてくれ! これからは隠れるのではない! 基地防衛が最優先だ!」

「星川は……星川ならば、1週間、遅くとも2、3週間以内には攻めてくると考えます」藤井中佐が言った。

堀内少将も同じ考えだった。確かに星川陸軍の即応部隊は18時間以内に出撃態勢が整う。だが、態勢が整っても出撃はできない。星川が攻めてくるならば、その理由は核兵器の奪取にあるはずだ。この基地への進入計画、核弾頭の奪取計画、航空支援計画、撤収計画などを決めなければならない。できれば事前演習もしたいところだ。順調にいって1週間はかかるであろう。それ以上遅れるとすれば政治的な要因だろう。

星川軍も我が軍に劣らず制服を着た官僚の壁は厚いと聞いている。核弾頭の奪取作戦ともなれば政府上層部の承認も得なければならないであろう……周辺に民家が点在するこの基地で、核爆発を誘発させる危険を冒してまで航空攻撃はしないはずだ。やはり空挺部隊による強襲攻撃だ。早くて1週間、遅くとも2、3週間以内に。

「本当に攻めてくるのだな!」高井大佐が藤井中佐に向かって言った。

「自国に核ミサイルが降ってくるかもしれないのに指をくわえて見ている国などない。必ず来る!」藤井中佐にかわって堀内少将が答えた。やっとわかったようだな。高井君!

「細々とした航空支援はあるものの、孤立したこの基地では我々以外に闘える者はいない。私に力を貸してくれ。団結して敵を排除しようではないか!」

それぞれの指揮官は力強く頷いたが高井大佐は違った。高井大佐は自分に迫る危機にぼう然とした。今度ばかりは逃げる場所がない。

「私は増援を求めに本国に戻る。24時間以内には帰ってくる。1時間後には出発したいので、それまでに防衛に必要な物品のリストを作成してくれ……それと、高井君! 増援を急がなければならないのだが、通常の手続きでは時間がかかってしまう。政治部からの強力な後押しがあれば中央の動きも早くなると思う……協力してくれないか?」

「わかりました。私もお供します」うまく立ち回ればここに戻らなくてすむ。淡い期待を持って高井大佐は答えた。

1時間後、堀内少将、高井大佐、それに前基地司令官を乗せた”山鳥-574”はR38基地を飛び立った。

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