その6

鈴川と板戸川の合流点付近上空 伊勢原駅南約2.5キロメートル

酒匂王国連邦海軍 第1航空艦隊第5航空戦隊 空母<瑞鶴>飛行隊“竜神01、竜神07、孤虎02”


「あの建物だ!」出雲少佐は心の中で叫んだ。北川少尉の説明どおりだ。3機のプロペラ機は川に沿って緩やかに右旋回して細い川に沿って建物の北側に向かった。

ヘッド・アップ・ディスプレイの表示が100ヤード(約90メートル)を切った。上昇して目標の建物に向かう地点までもうすぐだ。今のところ敵に探知された気配はない。よし! 計画実行だ!

出雲少佐は上昇しながら左に旋回して機首を目標の建物に向けた。

その建物の方向から飛行機がこちらに向かってくる。

出雲少佐は一瞬、敵の迎撃機かと思ったが、よく見ると輸送機のようであった。

あの飛行機は……上昇中でスピードも遅い。目標の建物から出てきた香貫の輸送機か?

離陸したばかりの”山鳥-574”と3機の酒匂海軍機は、お互いに正面から接近しつつあった。このままでは発見される。かといって、ここまで来て回り道するには遅すぎる。輸送機が我々のことを報告する前に撃ち落さなければならない。やむをえん!

出雲少佐は正面の計器版に手を伸ばして、マスター・アーム・スイッチをオンにした。この紫電改二は酒匂空軍のF-15と同じように操縦桿とスロットルについた無数のボタンだけで、ほとんどの機器を操作できる。だが、ミサイルや機関砲などの安全装置となっているマスター・アーム・スイッチだけは別だ。

続いて出雲少佐は右の主翼に取り付けられている90式空対空誘導弾 -今日は左右の主翼に1発ずつ90式空対空誘導弾を装備している- を選んだ。そのとたん誘導弾の先端に取り付けられた赤外線シーカーは輸送機のエンジンから放射される赤外線に反応した。その反応はヘルメットのイヤホンにトーンが聞こえてくることでわかる。


無事にR38基地の外に出て離陸後点検を終えた根本大尉は周りの景色を眺める余裕ができた。

前回この基地に来た時は夜中だった。いつもは基地の存在が暴露しないように航空機の運行は深夜に限定されていたのである。

根本大尉は稲刈りが終わった田園風景を眺めながらタバコに火をつけた。星川や酒匂の飛行機は機内禁煙らしい。離陸の緊張から開放され、上空で味わうタバコは最高なんだがな。

「のどかな風景だな」根本大尉はタバコの煙を吐きながら言った。

「私は2番街のほうがいいですね。こんな寂しい所に転勤したら軍を辞めますよ」離陸後点検が終わってからは副操縦士が操縦していた。

「お前も夜遊びばかりしてないで少しは落ち着いたらどうだ……ん!」

「どうしました?」

「正面! 航空機!」

「航空機2機! ……いや3機!」

直線翼? プロペラ機?

「あれは……紫電改! 酒匂軍だ! まずい!」

根本大尉は操縦桿をつかみ左へ急旋回させた。


出雲少佐がミサイルを発射しようと思った瞬間、輸送機が急旋回を始めた。くそっ! 発見されたか! だが、もう逃がさない。どこへ行くつもりだ?

輸送機が横を向くにつれて飛行機の形がはっきりしてきた。あれはイリューシンIl-76だ。予想どおり香貫だ。すでに我々の発見報告もしているだろう。いまさら攻撃しても遅いかもしれない。ミサイルは敵の迎撃機のために残しておいたほうが良さそうだ! 出雲少佐は操縦桿のトリガーにかけていた指の力を抜いた。


「ギア ダウン!」根本大尉が叫んだ。

「VLO(最大ギア操作速度)を少し超えています」フライトエンジニアはスピード計を見ながら言った。

「このくらいならギアが降りる時間が少し長くなるだけだ! 降ろせ。基地に戻る」

「あっちぃ! くそ! 操縦代わってくれ。 タバコを消す!」根本大尉のくわえタバコの火が口元で熱くなった。

“山鳥-574”はR38基地に戻り始めた。


ギアを下げ始めた。建物に戻るつもりだ。こいつに隠れて建物に接近しよう! いや、こいつと一緒に建物の中に入ろう。そうすれば中に何があるのかわかる……だが3機で行くのは危険だ。

私と偵察機だけで入ろう! 出雲少佐は決断した。

「輸送機に続いて建物の中を偵察する! 孤虎マルフタは、私に続け! 竜神マルナナは第1集合点で我々が戻るのを待て!」

「マルフタ 了解!」

「マルナナ 私もお供します!」

「危険だ! だめだ! 言うことを聞け!」

「しかし!」

「だめだ! 敵の迎撃機に備えて待機しろ!」

「マルナナ 了解……第1集合点に向かいます」”竜神07”から無念の応答

マルナナの気持ちはわかるが危険は最小限にしなければならない。それに香貫の迎撃機が心配だ。

出雲少佐の”竜神01”と”孤虎02”は”山鳥-574”を追ってR38基地に向かった。


林少佐は監視モニターの画面を指差しながら説明していた。「先日は、この監視装置で星川のSR-71を探知しました。SR-71は探知できて飛行コースがわかってしまえば、その後の偵察経路は予測できます。おかげで迎撃に成功しました。以前、私は……」

突然、監視モニターが警報を発した。機器オペレータが画面を確認しながら「目標011度方向」と報告した。

「”山鳥-574”を誤探知したんじゃないか?」

「いいえ! ”山鳥-574”のほかに2機を探知! ……お待ちください。こいつは1機目の目標を紫電改と識別しました! 酒匂軍です!」

「なに! 酒匂!」林少佐は指示を仰ぐような目つきで高井大佐を見つめた。高井大佐は真っ青な顔をしてぼう然としている。

「何をしている! 早く空襲警報を発しろ! 迎撃命令を出せ!」堀内少将は怒鳴りながら、高井大佐がこの基地でしてきたことがわかった。こいつが基地をかき回していたんだ!

「ですが、今ミサイルを発射すれば”山鳥-574”に命中する危険があります」林少佐は迎撃命令を躊躇した。

「あれを見てみろ!」堀内少将は廊下の壁際に整然と整列している4両のTELを指差した。

「廊下には丸裸のTELがあるんだ! 絶対に中に入れてはならない。TELを守れ!」

林少佐は飛びつくように警報スイッチを入れ、有線電話をつかんだ。

「ゼーエス3、ゼーエス3、ゼーエス・コントロール! 目標011度、酒匂軍紫電2機! 射撃許可、撃ち落とせ!」

「こちらゼーエス3、目標011度、酒匂軍紫電2機、射撃許可! 了解!」

「残りの1機は、彩雲と識別」オペレータの一人が報告した。

「ゼーエス3、ゼーエス・コントロール! 目標を訂正、紫電改1機、彩雲1機! ”山鳥-574”が近くにいる。よく狙って撃て!」

「ゼーエス3、了解!」

ゼーエス3の応答と同時に、堀内少将らが見守る監視モニターが新たな目標探知の警報を発した。

「新たな目標探知! 115度方向」

「今度は何だ!」

「F-14! 2機!」

「今度は星川か!」

「はい!」林少佐は堀内少将に返事をしながら有線電話をつかんだ。「ゼーエス5、ゼーエス・コントロール 目標115度、星川軍F-14、2機! 射程に入りしだい射撃許可!」

「ゼーエス5 了解! 射撃許可!」

星川と酒匂の共同攻撃か? いや、機内で読んだGRU(最高参謀部情報総局)の情報要約には先日も星川と酒匂の間で小競り合いがあったと書かれていた。単に時期が重なっただけだろう。だが、北と東から来る敵に、2方面から来る敵に対処できるのだろうか? 堀内少将は不安を感じた。


屋根の北側に配置されたゼーエス3では照準手が”山鳥-574”を目標にした追尾訓練をしていた。本国にいれば訓練目標となる飛行機はいくらでも飛んでいる。しかし、何もないこの基地では訓練目標すらない。せっかくの訓練チャンスを逃す手はない。ガミガミとうるさい車長に言われなくても訓練するさ。それにしても車長の野郎、気が散るから俺の後ろで監視しないでほしいな!

照準手の気持ちが通じたのか、そのとき有線電話が鳴った。車長は狭い車内を移動して受話器を取り上げた。「目標011度、酒匂軍紫電2機、射撃許可!」車長が復唱する声を聞いた照準手は、車長に命ぜられる前にミサイル・ランチャーを011度方向に旋回させた。といっても、ほんの少し旋回させるだけでよかった。

「目標011度、酒匂軍紫電2機! 早く照準しろ!」車長が大声で命令してきた。照準手は、うるさい! と心で叫びながら「捜索中!」と声に出して報告した。「目標、紫電1機、彩雲1機に訂正!」といいながら車長が戻ってきた。「いそげ! いそげ!」照準手の後ろで車長が急かした。

照準手は、その言葉を無視して目標の発見に集中した。「いた! あそこだ!」 だが、正面から来るプロペラ機の赤外線放射は少ない。なかなかロックできない。急がなければ屋根の下に隠れてしまう。よし! ロックした「発射!」照準手は発射ボタンを押した。

ゼーエス3のミサイル・ランチャーから9Mミサイルが発射された。ミサイルの尾部からはロケット・モーターが作り出した炎の尾を引いている。その炎からはミサイル特有の紫外線が放射されていた。


F-14Dに取り付けられたミサイル警報システムが、その紫外線をキャッチした。

「12時方向ミサイル!」石川少尉が叫ぶと同時に緒方少尉もミサイルを求めて前方を探した。あった! ミサイル自体は見えないがミサイルから出た煙を視認した。「ミサイル タリー(視認)! でもこっちには来ない! 何を狙っているんだろ?」

「ちょっと、待ってくれ」石川少尉はF-14Dの機首に取り付けられたTCS(テレビカメラセット)を使ってミサイルの目標を捜索した。「輸送機発見! ……あれ! 後ろにも飛行機がいる。紫電改みたいだ! 」

「どうなってんだ?」

「俺だってわからねーよ……うん、やっぱり紫電改だ! 後ろは彩雲かな! 香貫の輸送機を酒匂の紫電改と彩雲が追ってる」石川少尉はTCSが目標から外れないように操作しながら言った。レーダーを使えば、かってにTCSが目標をロックしてくれるのに。でも、レーダーを使えばオレ達がここに居ると教えるようなもんだ。一苦労だぜ!

「あっ! 後ろの彩雲がチャフを撒いてる」

「本当だ! タリー!」

「輸送機は車輪を出してる。ミサイルが発射された建物に着陸するのかもしれないぞ! それを紫電改と彩雲が追ってる!」

「このへんは加藤のおやじが指示した捜索中心点だよな?」

「あぁそうだ! 悪者はあの建物の中にいるんだ! ……紫電改が輸送機の後ろにぴったりくっついた……攻撃してない! ……あいつらは輸送機に隠れながら建物に接近する気だ! もしかしたら、一緒に中に入る気かもしれないぞ!」

どうしよう。緒方少尉は一瞬迷った。

「俺たちも中に入ろう!」緒方少尉は決めた。

「マジか!」石川少尉は驚いた。

「あぁ! 大マジだ!」

いつも慎重な緒方がどうしたんだ? でも紫電改と同じ方向から建物に入らないほうがいい。隊長がいっていた。「一番機と同じ方向から攻撃する二番機は死ぬだけだ!」と。

「オッケー! 建物の反対側から入ろう!」

「えっ! 反対側から?」

「同じ方向からだと敵が待ち構えている。反対側からなら敵も油断してるぜ! それと、俺たちだけで入ろう」

「そうだな!」緒方少尉は、そういって関口少尉の”サンダウナー208”を呼び出した。「208! 205 ミサイルの発射地点を確認しているか?」

「確認してます!」関口少尉はすぐさま答えた。

「208 お前はミサイルの発射地点の東側で待機しろ! 俺たちは建物の中を見てくる」

「先輩!」関口少尉は、思わず叫んだ。

「ミサイルに気をつけろ! すぐ戻る!」

「自機防御、フルオート! デコイ(囮)を出す。いいな!」石川少尉はF-14Dの防御システムを作動させた。特に曳航式デコイは“ブロック3A”からF-14に装備されたもので、ケーブルで後方に曳航されたデコイが電波を放射してミサイルの誘導レーダーを欺瞞する。最新のデコイは赤外線の放射もできるため、赤外線ミサイルにも対応できる。”サンダウナー205”のデコイは最新のデコイであった。

「目標の南側に回りこんで突っ込むぞ!」

「オッケー! デコイ作動ノーマル! デコイが出ている。やさしく操縦してくれよ!」

「ガチャ!」

“サンダウナー205”の突入準備が完了した。


「ゼーエス3がミサイルを発射しました」オペレータは先ほどまで政治将校と初対面の司令官を前に緊張していたが、今では熟練のオペレータらしく落ち着いた口調で報告した。

堀内少将はオペレータの変化に好感を持った。だが……と、堀内少将は考えた。輸送機から降り立ってまだ1時間しかたっていない。時間がないことはわかっていたが、これほど急激な事態の変化は予想していなかった。しかも星川軍と酒匂軍が同時に攻撃してくるなど誰が予想したであろうか。

星川軍と酒匂軍の同時攻撃……先ほどは偶然時期が重なっただけだと思ったが、GRUの情報を自分の希望で解釈していないか? それは危険な解釈だ。星川軍と酒匂軍は裏で繋がっていると考えて対処したほうがよいだろう。

「ゼーエス2の修理まだか? いつまでかかっている!」高井大佐は管制塔の手すりから身を乗り出してゼーエス2を見つめた。ゼーエス2が動かないことを認めた高井大佐は林少佐をにらんで怒鳴った。「職務怠慢だぞ!」

「ゼーエス2に問題でもあるのか?」堀内少将は高井大佐をさえぎるように言った。

「ゼーエス2は偽装ネットがミサイル・ランチャーの回転部分に絡んで動かなくなりました。ランチャーを外して修理中です」林少佐は監視モニターの表示を見つめた「間もなくゼーエス3のいる場所からでは屋根が邪魔して低高度の敵を撃てなくなります。このため、低高度の敵には廊下の北側にあるゼーエス2が担当する予定でしたが……」

「それが故障中なのか。他にはないのか?」

「廊下には3両ありますが、ゼーエス2はダメで、もう1両は検査中です。低高度の敵に使えるのは南側のゼーエス6だけです。屋根にも3両ありますが1両は照準器が故障して使えません……あとは滑走路両端に23mm対空機関砲が2両あるだけです」

「今は現状で最善を尽くそう。いいな!」堀内少将は林少佐の肩を叩いた。高井大佐の思いどおりにはさせない。


「12時方向ミサイル!」出雲少佐はR38基地から発射されたミサイルを視認した。

「マルフタ 確認!」

「私の合図でフレアを射出しろ! 私から離れるな!」紫電改と彩雲のエンジン排気口にはIRサプレッサー(赤外線排出抑制装置)が装備されている。フレアの強い赤外線放射で我々へのロックは外れるだろう。とはいえ用心しすぎることはない。フレアを射出したら我々とミサイルの間に香貫の輸送機がくるようにしよう。もしそれで輸送機が撃墜されてもオウンゴールだ。


ゼーエス2から発射された9M赤外線誘導ミサイルは弱いながらも紫電改の赤外線パターンを捕捉していた。ミサイルは自身と目標の方位変化がなくなるように動翼を動かし続けた。目標に接近するにつれて信号強度も増してきたが、それでも紫電改からの赤外線パターンは弱かった。

そこに、彩雲がフレアを射出したことで強い赤外線放射が紫電改の弱い赤外線パターンを隠した。ミサイルは一瞬の迷いもなく目標を赤外線強度が最も強いフレアの一つに変更した。誘導プログラムの指示どおりに。ミサイルは紫電改の捕捉に失敗した。


ミサイルとの相対方位が変化している。あのミサイルは、こちらに来ない。出雲少佐は当面の関心をミサイルから目標の建物に変更した。目標の建物をよく見てみると、入り口 --滑走路の進入口-- から、建物の反対側の出口が見える。予想どおり滑走路の反対側にも飛行機の出入り口が開かれている。このまま突っ切るぞ! 間もなく入り口だ!

目標の建物が迫る。入り口の巨大な穴がどんどん迫ってくる。「ダイダラ」の人間が一人通れるほどの入り口でも「スクナビ」にとっては巨大だ。

建物に入る直前、紫電改と彩雲は”山鳥-574”を追い越し、フル加速で建物の中に突入した。「偵察開始! 中にあるものを全て記録しろ!」出雲少佐は”孤虎02”に命じた。


「2時方向ミサイル! 屋根の上から撃ってきた。 高度を下げる!」緒方少尉は草に隠れるように高度を下げた。

石川少尉が接近するミサイルを確認していると目の端に新たなミサイルをとらえた。「おっと! もう1発来る。 今度は建物の入り口から撃ってきた。 くそっ! 花火の季節はとっくに終わってるぞ!」


発射の瞬間2発の9Mミサイルは”サンダウナー205”の排気パターンを捕らえていた。だが、建物の入り口から発射された9Mミサイルは緒方少尉が草に隠れる高度に降下したため”サンダウナー205”を見失った。

一方、屋根の上から発射された9Mミサイルは高い位置から”サンダウナー205”を見下ろしていたために見失うことはなかった。その9Mミサイルがロケット・モーターの燃料を使い果たしたその時、ミサイルの動翼がススキの穂をかすった。このためミサイルの向きが変わった。ミサイル先端に取り付けられたIRシーカーの探知範囲から”サンダウナー205”が消失した。


「ミサイルは2発とも離れていく」石川少尉が後方に離れていくミサイルを見ながら言った。

「オーケー! もうすぐ突っ込むぞ! TARPSの準備はいいか?」

「TARPS 作動ノーマル! 記録を開始した」

緒方少尉はスロットルを最前方、フルアフターバーナの位置まで押し出した。”サンダウナー205”のF110エンジンは緒方少尉の意思に応えて爆発的な推力を生み出した。二人の身体は強烈な加速によってシートに押し付けられる。

「この加速 たまんねーなぁ! 緒方!」

「ミサイル! 正面 レフト・ブレイク!」緒方少尉は操縦桿を左に倒しながらスロットルを手前に引いてエンジンからの赤外線放射を減らした。

“サンダウナー205”自身は自らフルオートにセットされた自機防御装置によってフレアを放出した。とはいっても9Mミサイルは最初から”サンダウナー205”のデコイを目標にしていた。

「ミサイルはデコイに向かってる! 俺の合図で入り口に向けろ! 次のミサイルが準備できる前に中に入ろう!」

「ガチャ!」

「スリー! トゥ! ワン! 今だ!」

9Mミサイルの爆風がデコイを破壊する直前、”サンダウナー205”はもとの進路に戻った。


ミサイルだ! 出雲少佐の全身に電流が走った。建物内に滑走路があるなら出入り口にもミサイル発射機があるはずだと北川少尉が言っていたじゃないか。と、間もなくミサイルは外に向かって飛んでいくことがわかった。ホッとするのと同時に誰に向かって撃っているのだろうかと思った。まさか”竜神07”が囮になっているのか?

南側出入口の対空砲も外に向かって射撃を始めた。香貫軍の関心は南側にいる敵に集中しているようだ。我々にはよせていない。この隙に外に出よう!

出雲少佐の”竜神01”と”孤虎02”は滑走路の中ほどに達しようとしていた。


「新しいデコイを出す」石川少尉は、9Mミサイルの命中によって破壊されたデコイを切り離して新たなデコイを出した。

「オーケー! 対空砲も撃ってきた! 全速で突っ切るぞ!」

“サンダウナー205”は南側からR38基地に進入した。建物の中に入ったとたん対空砲は鳴りを潜めた。正面からは紫電改と彩雲が迫ってくる。”サンダウナー205”と”竜神01”、”孤虎02”は急速に接近し、わずか20センチメートルの距離ですれ違った。

すれ違う瞬間、緒方少尉と出雲少佐はすれ違う相手をよく見たい誘惑にかられた。だが生きて帰りたければ自分に向かってくるミサイルや機関砲を1秒でも早く発見しなければならない。すれ違うまで攻撃してこない相手に攻撃の意思はない。お互いに攻撃意思のない相手をよく見ている余裕はなかった。


すれ違った相手を観察できたのは彩雲の最後部にいる通信/機銃手だけであった。後方に遠ざかるF-14Dのエンジン排気口に機銃の狙いを定め射撃命令を今か今かと待っていた。そのF-14Dはみるみる遠ざかる。けっきょく射撃命令は出されなかった。彩雲の通信/機銃手は絶好の射撃機会を逃した。


香貫はあのF-14を狙っていたのか。けっきょく出雲少佐は建物内を観察する余裕がなかった。

“竜神01”と”孤虎02”はR38基地を出た。出雲少佐は彩雲の最大旋回能力を超えない範囲で右に急旋回した。紫電改の最大旋回率で旋回すると彩雲がついてこられないからである。

西に機首を向けたところで翼を水平に戻した出雲少佐は、後ろを振り向き”孤虎02”の無事を確認し、さらに後方からミサイルが発射されていないかを確認した。

ミサイルは来ない。出口に配備されていた9K35からは逃れることができた。中ですれ違ったF-14のおかげだが、このような幸運は長続きしない。屋根の上からはまだまだミサイルを撃ってくるだろう。

出雲少佐は、”孤虎02”に最大速力で第1集合点に向かうように指示した。

“孤虎02”は出雲少佐の右側を追い越すため加速を開始した。追い越しざま、”孤虎02”に搭乗する3人は、出雲少佐に敬礼していった。

“孤虎02”は最大出力で飛行する”竜神01”をどんどん引き離す。太平洋戦争中、彩雲に搭乗する通信員が「我に追いつくグラマンなし!」と打電したほどの速度性能は酒匂の彩雲も受け継いでいた。彩雲のスマートな機体は出雲少佐からすると頼りなく見えたが、今は違う。遠ざかる”孤虎02”が頼もしく思えた。

出雲少佐は”竜神01”を屋根の9K35と”孤虎02”の間に置くように上昇させた。偵察データを母艦に届けなければならない。”孤虎02”を守る!


“サンダウナー205”も出口に近づいていた。だが、正面には対空機関砲の23mm弾が待ち構えていた。ガン! 機体後部から衝撃がきた。 「被弾! どこだ!」警報灯は一つも点いていない。

「わからん! 見る限り当たった箇所は見えない。計器に異常はない。 このままトンズラしよう!」石川少尉は機体後部を見回してから答えた。

“サンダウナー205”はR38基地を飛び出した。「高度を下げる」

「ちょっと待った! デコイがある……オッケー! もういいぞ」石川少尉が言った。デコイもR38基地の外に出た。

「ガチャ! 高度を下げる」

「屋根の上からミサイルを撃ってくるはずだ! 隠れる場所を飛んでくれよ。ミサイルを確認したらすぐ知らせる」

「オーケー」頼りになる相棒だぜ。東側は木や建物が少ない。遠回りになるが、あの木を通りすぎたら西側に旋回しよう。石川少尉のおかげで緒方少尉は飛ばすことに専念できた。

「そら来た! ミサイル6時方向。まっすぐこっちに来るぞ!」

木を通り過ぎた。「レフト・ブレイク!」緒方少尉は5G旋回で”サンダウナー205”を西に向けた。石川少尉は強烈なGに耐えながらもミサイルから目を離さなかった。一瞬、木の陰に隠れて見えなくなったが、間もなくミサイルを再発見したときは、そのまま北に向かって飛び去っているところだった。9Mミサイルは”サンダウナー205”を見逃した。

グン! 後ろに引っ張られるような軽い衝撃が”サンダウナー205”を襲った。急旋回によって大きく外に振れていたデコイが木の枝に引っ掛かり、ワイヤーが切断されたからだった。「デコイが切れたみたいだ。ミサイルは遠ざかる! トンズラ続けてくれ」

「遠回りになるけど、大きく西側を迂回して帰投進路に向ける」

石川少尉は現在位置と残燃料を確認した。帰る燃料は何とか残ってる! 「オッケー! 燃料はもちそうだ」


出雲少佐の”竜神01”は屋根から発射された9Mミサイルに追われていた。出雲少佐は道路を渡ったところでガードレールの内側に隠れるために高度を下げ、北に進路を変えた。9Mミサイルは目標を失ったが、次の目標を決める前にガードレールに当たって爆発した。

危機を脱したとたん出雲少佐の全身からどっと汗が噴出し、ヘルメットの内側から流れ出た汗が目に入った。

JHMCS(統合ヘルメット装着式目標指定システム)付きのヘルメットの場合、バイザーを上げて目をこするまではよいが、またバイザーを下げた後、ヘルメットを元の位置に直さないと微妙な違和感を覚える。戦闘中になくてはならない装備でも、面倒な作業に出雲少佐は思わず罵りの言葉を口にした。「くそっ!」


「くそっ!」石川少尉も罵りの言葉を口にした。「デコイのワイヤーを切り離せない。 ちょっとスピードを落としてくれ」ワイヤーの先端にデコイがなくなったため、ワイヤーが振れまわって切り離せない。スピードを落とせばワイヤーの振れ回りもおさまるだろう。

「ガチャ。 旋回が終わった後にスピードを落とす」緒方少尉は機首を南に向けてスピードを落とした。


十分にミサイルの射程圏外に出たと判断した出雲少佐は第1集合点に向かうため機首を西に向けた。民家の庭を低高度で抜けようとしたとたん、民家の西側を自分よりも少し高い高度で飛行する戦闘機を発見した。出雲少佐は直感的に建物内ですれ違った星川のF-14だと思った。

しかし不用心だな。俺にはまったく気が付いていない。ならば挨拶していこう。あいつらにその気はなかったかもしれないが、結果的に我々を助けてくれた。礼くらい言わねばならない。

出雲少佐は”サンダウナー205”をかわして後方から接近した。”サンダウナー205”の下後方10センチメートルにつけた出雲少佐は先ほどできなかったF-14の観察を始めた。

F-14Dの新型だ。偵察ポッドもつけている。こいつも、あの建物の偵察に来たのだ。右翼の付け根からはワイヤーを曳いている。 おや! 右の水平尾翼に穴が開いている。被弾したな。他に異常はなさそうだ。そろそろ横に出て、どんなやつらが乗っているか見てやろう。


「やっと切断できたぞ!」石川少尉は見えるはずもないワイヤーを見ようと右を振り向いた。

「うわっ!」

「どうした?」緒方少尉も右から後ろを振り向いた。

「うわっ!」

“サンダウナー205”の右10センチメートルを”竜神01”が飛んでいた。

“竜神01”のパイロットが手信号を送っている。「2 ・ 2 ・ 5 ・ 3」「無線周波数じゃないか? セットしてみる」石川少尉が無線機の周波数を225.3にセットした。「星川海軍F-14、205号……聞こえるか?」

「誰だ! お前は!」石川少尉は真横に”竜神01”が来るまで気が付かなかった自分自身に対する怒りを出雲少佐にぶつけた。

「私は酒匂海軍 出雲少佐 ”竜神01” 攻撃する意思はない」

緒方少尉も動揺したが、石川少尉が自分の気持ちを代弁してくれたため、反対に気持ちが落ち着いた。「私たちは星川海軍 緒方少尉と石川少尉 ”サンダウナー205”です! なにか御用ですか? ”竜神01”!」

「貴機の右水平尾翼に穴が開いている。被弾したようだな。そのほかに異常はない」

「ありがとよ! おれたちに何の用だ? あんたかい? あの建物の中ですれ違ったのは」

「そうだ。あんなところに入ってくる無謀なやつを一目見たかっただけだ。それから……礼をいう。貴機が入ってきたので我々への注意がそれた。おかげで無事に脱出できた。借りができたな」

「あんたに貸しをつくったおぼえはねぇよ! それより、こんなところでぐずぐずしてると香貫の戦闘機が来るかもしれねぇぞ。あんたらも気を付けな!」石川は初対面の相手に好感を持つと、いつもこんな話し方をする。緒方少尉はニヤリとした。

「では、また会おう。貴機の飛行安全を祈る!」出雲少佐は第1集合点に機首を向けた。

「あぁ あんたの安全も祈ってるぜ! またな!」石川少尉は右後方に遠ざかる”竜神01”を見つめながら言った。

「何が無謀だよ。あいつだって一緒じゃないか! 何が借りだよ……律儀じゃねぇか!」

「そうだな。 俺たちもそろそろ帰ろう」緒方少尉はスロットルを前に押し出し、操縦桿を左に倒して東に向かった。

その後、強い絆で結ばれる3人の初めての出会いであった。彼らの強い友情が星川と酒匂を動かし、両国を和平へと導く原動力となるのだが、それはもう少し先の話である。


“サンダウナー205”は”サンダウナー208”と会合して帰投針路に向けた。”サンダウナー208”の関口少尉は建物の中で何があったのか知りたくてウズウズしていた。「山口! 先輩は何してきたんだろう? もう帰るだけだぞ。聞いてみようか? 俺たちの出番がないじゃないか」 関口少尉は同級生のRIO山口少尉に話しかけた。

「用もない通信はできないでしょ。黙って操縦してよ! そのうち私たちにも出番が回ってくるわよ!」


「ホッグとリンクが繋がった。TARPSデータを送信する。ボートのやつら、ぶったまげるぞ!」石川少尉は、空母近傍の上空で監視にあたるホッグ(E-2D“ホークアイ”早期警戒機)を経由してTARPSで撮影した画像データ、ラインスキャンデータを<カール・ビンソン>に送った。

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