5人目ノート
「な、なに? 今の?」
今起きたことを確認するのを恐れるように、ゆっくりと鞍馬に顔を向けた部長の声は上擦っている。鞍馬は鞍馬でそれを口にする緊張感から固い唾を飲み込んで、
「さっきの奴だ。あのライト付きキーホルダー持ってた」
自分で言いながら鞍馬はその事実に怖気を振るう。なんの前触れもなく、気付いた時には音もなくすぐ隣という死角に『5人目』が忍び寄っていたのだ。
——もし、あれが本気で殺しにきたら?
今からでも悲鳴を上げたい気分になる。実際、その意味を深く考えようものなら頭がどうにかなってしまいそうだ。
「終わらないってなに? 途中でやめたらどうなるわけ?」
それは部長も同じ——いや、急に『5人目』を身近に感じた分だけ鞍馬よりも取り乱している。藁にも縋りたいのだろう。鞍馬の夏服のシャツの半袖を右手で掴んで、落ち着きなく揺れる瞳を向けてくる。
鞍馬は目を閉じて深呼吸を一つ。ユニフォームを着て、スパイクシューズでトラックを踏みしめてスタートラインに並ぶ自分を想起する。
よし、いける——。
根拠のない自信。あるいは一種のマインドセットか。これだけで頭が切り替えられるのは陸上選手としての訓練の賜物だ。必要な分だけ緊張を残し、今だけは自分に不安や恐れを感じさせない。
「落ち着けよ。とにかく、他の二人に連絡しようぜ」
クリアになった頭で鞍馬は為すべきことを提案する。自分は二人の連絡先を知らないし、部長が行動に移してくれるのを待っていると、
「ちょっと待って……。今の、二人に教えない方がいいんじゃない?」
慎重に、鞍馬の反応を窺うような目と声音で部長。
「なんでだよ?」
「だって、私達の中からどうのって。これって誰かが犠牲になるってことじゃないの?」
その言葉に鞍馬は別の意味で肝を冷やされた。自分がしっかりしないとなどと思い上がりも甚だしい、部長の方がよっぽど冷静に現状を捉えている。
「ねえ、私達で組まない? 二人には悪いけど——」
こちらの目を覗き込むようにそう誘ってくる部長の歪んだ笑みに妙な色っぽさを覚えて鞍馬が何も言えずにいると、
「なんて……ね。嘘よ嘘。そんな目で見ないでよ」
それを自分への拒絶と受け取ったのか部長は無理やりに冗談めかして撤回し、
「だよな? そうだと思った」
鞍馬もわざとらしく笑い飛ばしてそれに合わせた。
川俣健吾:ともかく二人が何もされずに済んでよかったよ。そうすると、次に来るとすれば俺の所かもしれないなぁ
川俣健吾:俺だけ『5人目』と接触してないんだよねぇ。順番的に考えると次は俺かなって
なやみ:考え過ぎよ
鞍馬蕗彦:ま、考え過ぎだな
川俣健吾:そうだといいんだけど。やっぱりこんな事があると色々と良くない方に考えてしまうよ
なやみ:無理もないけど、悪い方にばかり考えていても仕方がないわ
なやみ:ともかく今は4人でしっかり協力して『5人目』に立ち向かっていきましょう
なやみ:でしょ? 鞍馬君?
鞍馬蕗彦:ああ、部長の言うとおりだ
鞍馬蕗彦:で? 明日からはどうする?
なやみ:気は進まないけど、部室を調べてみようと思うの。なにか『5人目』の手がかりがあるかもしれないでしょう?
鞍馬蕗彦:だな。それと
川俣健吾:それなら誘われた時に久遠先生から聞いたよ。ずっと昔に同じ名前の部があって、当時の部員達は部活を通じてすごく前向きで活動的になったらしいんだ
なやみ:私も似たような話を聞いたわ。それにあやかってこの部を復活させようと思ったんだとか
鞍馬蕗彦:いろいろと言いたい事はあるけど、ともかく
なやみ:そうね。じゃあ、明日の放課後また部室に集まりましょう
川俣健吾:わかった。今日は明日に備えて早く寝るようにするよ
なやみ:それがいいわね。
「活動を始める前に確認しておきたい事があるの」
翌日の放課後、グループチャットのやり取り通りに部室に集まったメンバーに部長はそう前置きし、
「状況的に今までどおり何もしない決められないじゃやっていけないでしょう? この際だからちゃんとした、牽引力のある人に部長をやって貰いたいのよ」
そう言って鞍馬に顔を向ける。川俣はそんな部長と鞍馬の顔を交互に窺い、真歩は相変わらず聞いてるのかいないのかぼんやりとミヤモリの頭を撫でている。
「やれって言われりゃやるけどさ。俺がやってた陸上って個人競技だし、期待されてもリーダーシップなんて一個も発揮出来ないぜ。ぶっちゃけ川俣と鯖戸さんだって今のままの方がしっくりくるんじゃないか?」
鞍馬としては正直どうでもよかった。避けたいと思うほど責任の伴う役職でもないし、既存の部員である二人の意見を聞いて決めればいいと思う。
「うーん、俺は部長がそうするべきだというのなら反対する気はないけれど」
やはりというか、どっち付かずな意見でお茶を濁す川俣。
「うちは、今のままがいい」
と、ここで意外にもはっきりと真歩が自分の意思を示した。無表情ながらどこか睨むように鞍馬に顔を向けてくる。
「じゃ、現状維持ってことで。さっさと始めようぜ」
別に俺が言い出したことじゃないんだけどな、と思いながら鞍馬はそう言うとさっさと『5人目』の痕跡探しに乗り出す。部長がこんな時だけ余計な事を言う真歩に笑顔を引きつらせたのは気付かないことにした。
そう広くもなく、備品も少ない部室の家捜しなど4人で掛かればすぐに終わる。
「これ、なんやろ?」
開始から10分も経たないうちに、それを発見した真歩が声をあげた。なにも無いとわかっていながら掃除道具入れのロッカーの上など確かめていた鞍馬は踏み台にしていた椅子から慎重に足をおろしてそちらに向かう。
部長と川俣も各々集まってきて真歩が手にしたノートに注目する。古びて赤茶けた表紙には『5人目ノート』と書いてある。鞍馬はその事に気付いていないらしい真歩以外の二人と顔を見合わせて、
「それ、どこにあったんだ?」
真歩がいるのは教室机を4つ合わせたいつもの大机だ。灯台下暗しというやつで、誰もそんなところを調べようとも思わなかった。
「鞍馬の机の中」
それはそれでゾッとする事を言われ、鞍馬は気味悪そうに自分が使っていた机の物入れを覗いてみる。中は空っぽで他にはなにも入れられていない。
「おかしいわね。この机、ここに持ってきたときは何も入ってなかったのに」
そう言って部長が遠巻きに眺めるような視線をノートに向ける。
「さ、鯖戸さん。それはあまり触らない方がいいんじゃないかな」
引けた腰で真歩に忠告する川俣は今にも逃げ出してしまいそうだ。出来ればこんな不吉な代物とはさっさと距離を置いてしまいたい。
そう思いつつ、鞍馬は目を閉じて深呼吸を一つ。
「つっても、中身を見ない事にはなにもわからないだろ」
瞬時に切り替えた頭で手を伸ばして真歩からノートを取り上げると、鞍馬は躊躇いなくページを開く。
そこには旧現民と呼ぶべき過去の生徒たちの活動の記録が記されていた。
この5人目ノートの中で、各メンバーは『
だが、ここで疑問が浮かぶ。
「どうしてここには3人分の呼び名しか出てこないの?」
それを口にした部長に鞍馬は少し考えて、
「そりゃ、もう1人はどうにかなったってことだろ?」
結局、誤魔化すのを諦めて苦い顔で返す。
「じゃあ、この不自然な空白にはその誰かの事が書かれていたという事なのかなぁ」
痛ましそうな顔でノートを見下ろして川俣。指摘した空白はこの世から存在そのものが消えてしまう可能性を示唆していた。
「逆に、以前になにかあったときも3人は助かっている可能性が高いのね」
呟くように推測を口にする部長を鞍馬はチラッと横目で見やる。そのまま視線を川俣、真歩へと移動させて不穏な発言の影響を無言で確認した。果たして、
「そんな、この中の誰かが……」
巨体に似合わぬガラスのハートを持つ川俣が、それを真に受けて悲痛な表情を浮かべる。
「そう悲観すんなって。それはあくまで失敗した時の話だろ。そうならないようにしっかり対処法を確認しとこうぜ」
その空気を嫌った鞍馬は川俣を鼓舞するように明るく言って『5人目ノート』を何ページか流し読む。
それによると、『5人目』はメンバーの身近なところからまずは噂という形で現れ、徐々に現実のものとなって姿を現すようになる。何かしらの怪異として具現化した『5人目』に対抗するにはノートに3つの事をする必要がある。
一つ、『5人目』として現れた怪異に名称を与えること。
二つ、その怪異を納めた写真を添付すること。
三つ、その怪異を示す記述を完成させること。
これらをノート上で満たすことによって、どういった理屈かはわからないが『5人目』に宿った怪異はただの怪談に戻り力を失うらしい。
「それにしても、詳細に書いてくれていて助かるわね。このノートの持ち主は仕事の出来る人に違いないわ」
鞍馬の横からノートに目を落としていた部長がふと感想を漏らす。
「ほら、ここなんか結構大事じゃない? 媒体は別にノートじゃなくても構わないってところ。この『Del』って人の危機にメール上で『5人目ノート』を完成させたって。これならスマホでデータを共有すれば、いつでもみんな同じ内容の『5人目ノート』を持ち歩けるじゃない?」
そんな、なんでもない様な部長の着眼点に鞍馬は感心する。優等生に見えるのは伊達ではないのかもしれない。少なくともスポーツ任せの学校生活を送ってきた鞍馬よりはずっと勉強が出来るだろう。
「あー、なんかそういうのって簡単に出来るのか?」
「そうね。なにかいいアプリがないか調べておくわ」
それは便利だと尋ねる鞍馬に部長がノート上に目を滑らせながら気負いなく返す。
「ちなみにそれって、誰かが間違って内容を消しちゃったりしたらどうなるんだ?」
鞍馬の疑問に、その事態を想像したのか川俣が身震いした振動がノートを載せた机に伝わる。
「安心して。そうならないようにちゃんと使い方を説明するから」
それじゃ心配? と、部長は顔を上げて鞍馬の顔をじっと見つめた。
「いや、ちょっと気になっただけなんだ。運動部やってるとたまに自分達でも信じらんないようなアクシデントが起こったりするからさ」
それに、鞍馬は自分の取り越し苦労を笑うように肩を竦める。
「どうしても心配ならスマホの本体にデータを保存しておけばいいよ。確かに不測の事態が起こらないとも限らないから、念の為にみんなでそういう対策をとっておくというのはどうかなぁ?」
珍しく前向きで積極的な発言に「それいいな」と鞍馬に肩を軽くパンチされて「いやぁ……」と相好を崩して照れる川俣。
「そうね——。ええ、鞍馬君や川俣君の言う通りかもしれないわ」
そんな二人に部長はどこか冷めた視線を向けて、再びノートに目を落とした。
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