オズ作戦

 その後、部長が新『5人目ノート』の準備、その他の3人が旧『5人目ノート』の精査と役割分担が決まったところで一旦どこかで腰を落ち着けないかという事になった。

 結果として鞍馬あんばは昨日と同じ、しかも曰く付きのノートが入っていた机の前に座っている。『5人目』と一次遭遇ファーストコンタクトしたこの部室に滞在するのもいい気分ではないが、かといって他に周りの目を気にせずこんな話を出来る当てもなく、

「そもそも、その気になりゃいつでも隣に現れるんだから、どこに居たって変わらないんじゃないか?」

 どこか悟ったように経験者あんばが語ったことで、部長は諦めたように席に着き、腹を括った川俣かわまたはお茶の準備を始め、とっくに着席していた真歩まほは机に載せたミヤモリと何やら密談を交わしているらしく口パクするミヤモリにコクコクと頷き返している。

「今日はジャスミンティーにしてみたよ。集中力を高めて、緊張感を和らげてくれる効果があるから」

 鞍馬が最初のページからゆっくりと読み直していると、川俣が戻ってきて盆に載せたカップをそれぞれの前に置いていく。湯気に乗ってほのかな花の甘い香りが鼻腔を擽る。

「ハーブティーってやつ? いいもんだな。確かに匂いだけで気分が落ち着く」

 ふと、肩の力が抜けたことで、気負い過ぎていた事に気付いた鞍馬は一旦ノートを置いてカップの中の液体を一口啜った。

「ほんと、川俣君ってお茶のチョイスも絶妙よね」

 部長もカップを両手で包んで表情を和らげている。真歩は猫舌なのかフーフーと熱を冷ますとチョビッと一口飲んでコクコクと頷いていた。

「いやぁ、今の自分が飲みたいと思ったお茶を淹れてみただけさ。みんなに気に入って貰えてよかったよ」

 照れ笑いを浮かべて給湯スペースにしているらしい窓際の長机に向かった川俣は、今度は皿を持って戻ってきた。

「昨日は何かしていないと落ち着かなくて、気を紛らわせるために焼いてみたんだけど」

 そこには様々な形の色とりどりのクッキーが載せられていた。菓子作りが得意とは聞いていたがその腕は相当のものらしい。一つ一つの手の込んだ細工は一朝一夕で身に付く技術ではないだろう。

「そういや、菓子作りって何気に体力いるっていうもんな」

 俄か知識で川俣のがたいの良さに納得する鞍馬。

「それはプロの話さ。個人でやるのとは作る量が違うから、材料を運ぶのも生地を捏ねるのも重労働になるそうだよ——あ、どうぞどうぞ」

 それに答える川俣に「いただきます」とそっと皿に手を伸ばす真歩。じゃ、俺も一つと鞍馬もそれに倣ってクッキーを一つ摘まんで口に入れる。

「あ、美味いわこれ」

 素直にそんな感想が口をついて出た。作り手の人柄を表すような控えめで丁寧な優しい味のするクッキーだった。

「よかったらこれ、いくつか持って帰っていいか? 妹がこういうの好きでさ」

 つい、自分だけで楽しむのも勿体ない気がして鞍馬は図々しさを発揮する。

「もちろんさ。昨日はつい作り過ぎてしまってまだ持ってきたのが余っているから、ぜひそれを持って帰って妹さんにも食べて貰ってくれよ」

 笑顔で了承する川俣をもの言いたげに真歩がじっと見つめていた。

『それならこっちも頼むわ。マホ子もうちのババアに食わせてやりてぇってよ』

 それをミヤモリが代弁する。早くもそれに違和感を覚えなくなっていた鞍馬は、ふと人間の順応性の高さに想いを馳せた。

「そういうことなら、後で余ったのを人数分小分けにしておくよ。せっかくだから部長も持って帰ってくれるかい?」

 そんなものはとっくの昔らしい川俣は当たり前のようにそう返し、

「ええ、ありがとう。部活仲間が作ってくれたクッキーを持って帰ったら、うちの親もきっと喜んでくれるわ」

 同じく部長もその気遣いを穏やかな笑みで受け止める。

 5人目の事がなければ、案外悪くない部じゃないかと鞍馬は少し考えを改めた。


「とりあえず、5人目ノートで使う呼び名みたいなの決めとかないか?」

 川俣と野郎二人で肩を寄せ合ってノートを読んでいた鞍馬は区切りをつけてそう提案した。自分を真ん中に真歩が川俣と反対側に来てくれるのをこっそり期待したものの、本人にそんなつもりは全くないらしくミヤモリと無音会話をするか、隣でスマホを操作する部長の様子が気になる素振りを見せるだけだった。

「そうだなぁ。どんな意味があるのかはわからないけど、ここに本名を載せる事自体がいい気分ではないよねぇ」

 一息つくように鞍馬に寄せていた体を伸ばして川俣。

「一応、こっちは『5人目ノート(仮)』にしといたわよ。流石にまんまだと縁起が悪いでしょう?」

 スマホに目を落としながら部長。こちらはこちらで着々と進んでいるようだ。

「だな。かといってそれ以外に呼びようもないし。うん、いいんじゃないか?」

 何気に二杯目のハーブティーで喉を潤わせて、

「作戦名みたいなのはどうする? 別になくてもよさそうだけど」

 と、鞍馬。これに関しては『御伽作戦』と旧現民のメンバーが対『5人目』の活動をそう呼んでいたという以外に記述がなかったのだ。

 隣で同じくノートを読み込んでいた川俣も「そうだなぁ」と同意を示し、

「オズ」

 ぽつりと真歩が声を漏らした。

「ん? ああ、作戦名?」

 会話に混ざっているとも思っていなかった鞍馬は意表を突かれて聞き返す。

「もしかして、鯖戸さばとさんはさっきからそれを考えてくれていたのかい?」

 続けて川俣がそう確認すると真歩はこくりと頷いた。

「どうしてオズなの?」

 なんとなしといった風にスマホを操作しながら部長。それに「え、と」と口籠る真歩に代わってミヤモリがぐるりと他の部員を見回して、

『無から有を作るってのを『Zero to oneゼロ トゥ ワン』って言ったりすんだろ? その逆で出てきちまったもんを無に還すって意味で『One to zeroワン トゥ ゼロ』、略して『OZオズ』だ。文句あっか?」

 その流暢な説明に鞍馬は思わず感心していた。

「いや、いいよそれ。この作戦名にピッタリだよねぇ」

 隣で川俣が体ごと揺らすように頷いて絶賛する。

『そうだろうが。しかもオズの魔法使いってくりゃ、ちょうど4人ほど出てくんだろ。そいつをまんまテメェらの呼び名にしちまえばいい』

 続くミヤモリの説明に鞍馬は彼らを侮っていた己を恥じた。どうせ何も考えていないと思っていた真歩——とミヤモリ——が自分の提案にとっくに答えを出していたとは。

「確かに。じゃ、これで決まりだな。えーと、ドロシーにカカシにライオン……だったら俺はブリキでいいや」

 錆び付いた自身の右足への皮肉を込めて鞍馬。

「そうすると俺は……その中だとカカシかなぁ」

「それはうち。昔そんな風に呼ばれてたから」

 さらっとそんな発言をする真歩に、鞍馬は隣の川俣を見やる。同じく横目でこちらを見てきた川俣と一瞬目があった。

 深くは詮索するまい。その一瞬で意思疎通を交わして、

「じゃあ、俺はライオンにするよ。勇気がないというならその通りだしね。ただ、呼びにくそうだからレオに変えてもいいかなぁ?」

 流れるように話を進める川俣。確かにスマホで入力するにもそちらの方が楽そうだ。部長はようやくスマホに落としていた目を上げて、

「私がドロシー? なんだか恥ずかしいわね。柄じゃないし出来れば鯖戸さんに代わって貰いたいんだけど」

 本当に遠慮したい顔でチェンジを求める。凡人を自任する部長は名目上でも主人公的な役回りを避けたいのだろう。

「いや、役割的にそこはやっぱ部長だろ。別にこのメンバーで演劇やるんじゃないんだからさ」

 とはいえ、真歩を中心ドロシーとするのはやはりしっくりこない。それに——と鞍馬は思う。これは部長が自分に見せた利己的な部分を抑える役目を果たしてくれるかもしれない。

 もちろん、鞍馬とて手放しにみんなで無事にと願えるほど高潔な人間ではない。確実に助かる目が出れば自分がどう転ぶかなど分からないのだ。

 ただ、なにも分かっていない現時点では全員で協力した方が得策に決まっており、部長の思惑でそれを乱されたくはないだけだ。

「それはそうだけど——。ま、いいわ。ドロシーねドロシー。でも、女の子をカカシ呼ばわりもなんだから、そこはもう少しなんとかしない?」

 ほら、部長はなんだかんだと真歩の世話を焼いてしまう。

『そうだな。一寸崎もたまには良い事いうじゃねぇか。じゃ、カカシのカカ子でどうだ?』

 それに気をよくしたらしいミヤモリがろくでもないネーミングセンスを発露する。作戦名はいい感じだったのに。真歩脳とミヤモリ脳はそれぞれ別で動いているのだろうか。

「え? それってなにか変わったの? 普段の呼び方もそうだけど、子って付けとけばいいと思ってない?」

 案の定、呆れた部長に指摘され、こればっかりはミヤモリも言い返せないらしく、悔しげに舌をチロチロと出すしかなかった。

『つっても、カカシなんざ他にどう呼ぶのよ? カアチャンか? カカチャンか?』

 更に壊滅的な呼び名を並べるミヤモリを見かねて川俣が口を開いた。

「うーん、カカシは英語でスケアクロウだから。女の子っぽくスケアというのはどうかなぁ?」

 ミヤモリの迷走をぽけーと眺めていた真歩は川俣の提案にワンテンポ遅れて顔を上げる。

「うん、それがいい」

 そう答える無表情がどこか嬉しそうに見えたのは鞍馬の気のせいだろうか。

 とにもかくにも、新現民メンバーの『オズ作戦』が動き出す。

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