始動! 現代民俗学研究部!
現民へようこそ
ドアに貼られた真新しいA4の紙にはマジックでやっつけのように『
——あの幽霊教師め。
青白く頬のこけた貧相な教師の顔を思い浮かべて鞍馬は胸中で毒突いた。
そう、
亡霊の如く教室に現れては淡々と授業をして去っていくだけのあのくたびれた教師が何を思ったのか立ち上げたのがこの『現代民俗学研究部』だった。
それだけなら良かったが、急に張り切り出した久遠は不慮の事故で目標を見失った生徒に目を付けたのだ。
余計なお世話も甚だしいと鞍馬は思う。
そう思ってはっきりと断った。一度だけでなく何度もだ。にも関わらず自分を見掛けては執拗に勧誘してくる久遠の異常なまでの粘着質な熱意——もはや一種の狂気すら感じた——に負けて鞍馬は一度きりの見学に訪れることになってしまった。
心が弱っているのだ——と、鞍馬は走れなくなった自分の右足に目を落とす。幽霊教師の一つ追い払えないほどに今の自分は活力を失っている。
——さっさと入ろう。鞍馬は負の方向に向かっていく気持ちを切り替えてドアノブに手をかけた。所属していた陸上部の知った顔と出くわすのも気まずい。
思い切りよくドアを開け、目の前に現れた光景に鞍馬は早くも後悔に襲われた。
学校机を4つ合わせた簡易的な大机に向かって女子2名と男子1名が座っている。目立たない優等生然とした女子に、こんな所で背中を丸めているのが勿体なく思える大柄の男子。そして、それ以上の場違いさを思わせる美少女が会話もなく自分の前に置かれたカップに目を落としていた。
お通夜の席に直接会った事のない3人が集まっている。
その様子を端的に表せばこうで、それ以外になんと言えば良いかと聞かれれば返答に困る。
コイツらは一体なにをしているんだ? 鞍馬がどう声を掛けたものかわからず純粋な疑問を浮かべていると、優等生然とした女子がこちらに気付いて立ち上がった。
「え、と。鞍馬君よね?」
「ああ、そうだけど。まだ全員集まってないのか?」
「いいえ、これで全部よ。私は一応この部の部長をさせて貰っている——」
それだけ聞けば十分だった。鞍馬は部長の自己紹介を遮ると特別いい笑顔で、
「そっか。久遠先生から見学に誘われたんだけど、なんとなく分かったからもう帰るよ」
「待って、待って。せっかく来たんだからお茶くらい飲んでいったら?」
柔和な笑みで通夜の席に招待してくる。鞍馬が返事を躊躇っていると「
「さ、座って座って。彼の淹れるお茶はとっても美味しいのよ。それにああ見えてお菓子作りも得意なの」
この部が一体なにをする所かは知らないが、恐らく関係のないアピールをしながら男子が座っていた席の隣を勧められたので鞍馬はそれに従うことにした。
椅子を引いて着席した鞍馬は正面の美少女にチラッと目を向ける。近くで見ると無表情の整った顔立ちが人形のように思えた。二つ結びの三つ編みにした真っ白の髪と赤い瞳が一際その印象を強めている。
この子、身長の割におっきいな——鞍馬が胸中でそんな感想を漏らしていると、
「あ、気になる?」
唐突に、美少女が声を発した。自分に言われたのかと思って鞍馬が言い訳を探していると、美少女が机の下に隠れていた両手を胸元に持ち上げた。
なんの冗談か、その両手にヤモリが包まれている。
——どう反応すればいいんだ?
こちらを見上げるヤモリと目が合った気がして鞍馬が反応に困っていると、
『よお、俺はミヤモリってんだ。で、コイツはマホ子、
ヤモリが喋った。ご丁寧に飼い主の手の中で鞍馬に顔を向けて口をパクパクさせている。ともかく美少女は鯖戸真歩という名前らしい。
「腹話術よ。彼女ってちょっと変わってるから」
相変わらず反応に困る鞍馬に部長が何でもないことのように言ってきた。
『あ? うちのマホ子が変わってるだぁ? そりゃどこだ? 髪か? 目か? 言っとくが
それが気に障ったのかヤモリが部長に噛み付き出す。気のせいか、その眼が飼い主に似て煌々と赤味を帯びているように見えた。
「やめて、ミヤモリさん」
それを、真歩が
『わぁってる。釘を刺してやっただけよ。下手にやらかすと後でババアがうるせぇからな』
そんな一人芝居を眺める部長の目は冷ややかだ。
「ごめんなさいね、ミヤモリさん。そんなつもりで言ったんじゃないのよ。あなたが鯖戸さんの大事なお友達だって事を私はちゃんと認めているわ」
冷ややかに、柔らかい笑みを浮かべて弁解する。
『いちいち癇に障る女だぜ』
舌打ちは真歩が漏らしたのだと思う。
「まあまあ、せっかく彼が見学に来てくれたんだから」
そこへ盆にカップを載せた川俣が戻ってきた。どうぞ、と鞍馬の前にカップとシュガーポットを置く。
「好みが分からなかったからとりあえずダージリンにしてみたんだ」
そう言われ、茶の好みなど聞かれても分からない鞍馬は「どうも」とだけ返して一口啜る。確かに普段口にしている紅茶より上品な味がした。
「君が来てくれるのが分かっていたらお菓子も用意したんだけれど」
隣の椅子に座りながら川俣が残念そうに漏らす。丁度良かった、そう歓待されても入部する気のない鞍馬には居心地が悪くなるだけだ。
「じゃあ、みんな揃ったところで改めて自己紹介といきましょうか」
この時点でほぼ済ませたようなものだが、形ばかりの自己紹介のあとに部長が部の活動内容を説明しだす。ちなみに部長の名前は
部長の説明を要約するとこうだ。
この部は2学期に出来たばかりでそれも1年生しかいないためまだ活動の方針が定まっておらず、顧問の久遠に相談してみても『まずは自由にやってみて欲しい』という投げっ放しな対応をされて正直少し戸惑っている。
以上のことを困った笑みで部長が語るのを鞍馬は妙に達観した心持ちで聞いていた。部長と鞍馬の顔色を窺いながら調子っぱずれの木魚のようにズレた相槌を打つ川俣の姿が隣から哀愁を漂わせてくる。
真歩に至っては完全に部外者の顔でヤモリと無言のテレパシーを交わしていた。
目も当てられないとはこの事だ。この部はきっと方針も定まらないまま自然消滅するに違いないと鞍馬は思う。
もちろん、鞍馬にそんな沈みゆく船と運命を共にする気はなく、用が済んだのでさっさと帰ることにした。
「おー、やっとるねー」
その時だった。カチャリとドアを開けてこの状況を作った元凶が部室に現れた。
「あ、先生」
そう声を出した部長も、そちらに顔を向けただけの川俣も顧問の登場に期待していなかったのは明らかだ。証拠にどちらも顔に書かれた「今さら何をしにきたんだ?」感が拭い切れていない。当然、鞍馬も全面的にそれに同意だ。
「来てくれたんか鞍馬ぁー。嬉しいねー」
が、そんな場の空気などお構いなしに久遠は青白い顔に裂けるような笑みを浮かべている。間違っても顧問が見学に来た生徒に向ける顔ではない。お化け屋敷で出てきたら大抵のこどもは泣き出すだろう。その不吉さたるやまさにあの世への道連れを見付けた亡者のそれだ。
不健康に落ちくぼんだ目が熱に浮かされたようにギラギラと鞍馬に向けられる。これまでもそうだったが、久遠が見せる異様な執着心にいよいよ気味が悪くなった。
「あの、久遠先生」
さっさと入部を辞退して帰ろう。そう決めて席を立とうとするのを止めるように久遠が鞍馬の言葉を遮った。
「みなまで言うことねー。その顔見たら俺でもわかるー。オメーが先生の熱意を受け取ってここに来てくれた事が嬉しいんやー」
意外なほどにあっさりとこちらの意図を汲んだ久遠の発言に鞍馬は一度浮かせた腰を再び椅子に落ち着ける。
「そんなオメーにせめてなんか一つでも来て良かったいうもんを感じて帰って欲しいねー」
これはこれで有難迷惑なことこの上ないが、気の緩んだ鞍馬は久遠なりの厚意を無下に断る気はなくなっていた。
「でも、先生。うちはまだ」
入れ違いに、実質この計画倒れ未満の部を丸投げされた部長が控えめに難色を示す。
「わかっとるー。一寸崎も頑張ってくれとるけどー、いかんせん俺の指導力の無さで苦労掛けるねー。川俣に鯖戸も毎日顔出してくれとるみたいでありがてー」
これまた意外にも部長の言いたい事が伝わったのか久遠が物分かりの良さを見せる。その賢明さをもう少し早く発揮してくれていれば、こんな所に来ることもなかったのにと鞍馬は思わなくもない。
「いやぁ、そんな、俺はただ……」
ついでの感謝を向けられてしきりに恐縮する川俣。ヤモリの頭を撫でながら横目で一瞥する真歩。
「そのお詫び言うたらなんやけどー、今日はこの部に相応しい4人で出来る遊びを用意してきたんやー」
そして、久遠は何故か満足げに恍惚とした顔でろくでもない提案をした。
「これは山小屋の一夜——スクエアとも呼ばれとる怪談なんやけどー」
普段の授業では見せたこともない、とっておきを披露する笑顔で鞍馬たちにその怪談を語って聞かせた久遠は、持ち込んだ暗幕で窓を覆って暗闇を作り出す準備を終えると、
「折角やけー、一人目は鞍馬にやって貰おー」
と、鞍馬にロウソク代わりのライト付きキーホルダーを渡し、
「ほな俺はこれでー、後はオメーらでよろしくやってくれー」
自分が居ては場が白けると気を利かせてかさっさと部室から出て行ってしまった。
「え、と……どうする?」
それを見送って、ドアが閉まる音を合図に部長が口を開く。彼女自身、およそ久遠らしからぬ仕切りっぷりに押し切られる形となって戸惑っているようだ。
「そうだなぁ。せっかく久遠先生が考えてくれたんだから俺はやってみようと思うよ。もちろん、鞍馬君がよければだけど」
それを受けて川俣。やはり鞍馬の顔色を窺ってくる。
「俺は……」
別に構わないと言い掛けて、馬鹿正直に付き合うこともないと鞍馬は考え直す。久遠が居なくなったことだし律儀にその提案に乗ってやることもない。それが気まずければ部員たちで口裏を合わせて『スクエア』とやらをやった事にすればいいのだ。
「怖いの?」
真歩が無表情になにか言ってきた。なんとなくその声音が自分の臆病さを笑っているような気がした。
「別に。やるならさっさとやろうぜ」
思えばこのとき、つまらない意地を張らずに帰っておけば良かったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます