第11話 決意

 プラネタリウムにも似た半球状のスクリーンには棒や波といった真っ白な光が流れていく。ワープとはまた違ったポータルでの航法は見た事のない者にとっては目を輝かせる状況だが、見慣れた者にとっては代わり映えしない風景に飽き飽きしている。故に長距離のワープ航法時には交代で仮眠を取るのがこの銀河での慣例となっていた。その長距離ワープも間もなく終わろうとしていた。


 プシュッ。と音を立てて、ドアが横にスライドする。ドアが完全に開ききると開けた人物が大あくびを披露した。


「ふわぁ……んにゅ。おはよう御座いますマナ姉様」

「おはようマイナ。相変わらずすごい寝癖ね」


 胸の谷間からネコ型のヘアブラシを取り出し、こっちへいらっしゃい。とマナが言うと、マイナは頷いたのか、再び眠りに落ちようとしたのか分からない返事を返した。


「……ねぇマナ姉様」

「ん? なあに?」

「彼は大丈夫でしょうか?」


 マイナの髪を梳いていたブラシが止まる。


「なに? 気になるの?」

「ちちちち違いますわっ!」


 マイナが勢い良く振り向いた所為でヘアブラシがマナの手から離れ、マイナの髪に引っかかったままでぶらぶら揺れる。


「ホラ、動かないの」

「ごめんなさい」


 マナは再びマイナの髪を梳き始める。


「彼が来たと言っていた地球とかいう星は、余程平和な星だったんでしょうね」

「お分かりになるのですか?」

「ええ、彼の手は戦いを経験していない手だったから」

「手?! あの汚らわしい手に触れたのですか?! いやらしい顔でお姉様の身体を撫で回していた手を!?」


 マイナはハッキリと見ていた。操縦桿を掴んだ時のレイジの得も言われぬ表情を。スロットルレバーの先にあるモノを凝視していた事を。


「それくらい奴等に比べたら遥かにマシよ」

「それは、そうですけど……」


 俯くマイナは捕虜救出作戦の事を思い出していた。培養液で満たされたカプセルに入った女性達。足元から伸びるソレを苦悶の表情で拒む者。或いは恍惚な表情で受け入れている者達の姿を。マイナは時折夢に見る。ガラスの向こうから自分を覗いている醜悪な存在が下卑た笑みを浮かべているのを。


「一応ケアはしてみたけど、あとは本人次第って所ね」

「そうですの……ハッ! んまっ、まままさかお姉様はあの男とっ!?」


 再び振り向いたマイナの髪からヘアブラシが床に落ちる。多感な年頃のマイナの脳内では、大好きな姉と彼との情事が展開されていた。そんなマイナを現実に戻したのは、プシュ。と音を立てて横にスライドしたドアだった。


「あらレイジ。よく眠れたかしら?」

「ああ。はい」


 帰宅してからこっち、様々な事がその身に降りかかった所為もあり、レイジはいつの間にか深い眠りに就いていた。


「ご迷惑をお掛けしてすみません」

「別に気にする事もないわよ」


 レイジに背を向けたマナは、床に転がったままのヘアブラシを拾う。脚を曲げずにピンッと伸ばしたまま拾うものだから、ぷりんとしたお尻を突き出す格好になっていた。ゴクリ。とレイジの喉が鳴ったのをマイナは聞き逃さなかった。


「で? あなたはどうしたいのかしら?」


 ネコ型のヘアブラシを胸の谷間へと仕舞いながら、マナはレイジに問いかける。レイジの返答次第では切り捨てる覚悟もマナにはあった。


「もしご迷惑でないのなら、ボク……いや、オレを一緒に連れていって下さいっ」


 力強い意志がレイジの目に宿っていた。真っ直ぐに見つめるその視線をマナは真っ向から見つめ返す。


「惨事に出会す度にいちいち項垂れてちゃ迷惑よ」


 ここから先はにわか仕込みでは無い。本当の意味での意志強き者の世界。


「ねぇレイジ。普通に暮らしながら戻る手段を探す事だって出来るでしょう? どうしてわざわざ茨の道を進もうとするの?」

「それは……」


 真っ直ぐに見つめていたレイジの視線が僅かにブレる。そして再びマナを見つめ、その口が開かれた。


「好きになった女性ヒトを守りたいって思っちゃいけませんか?」

「え?」


 マナの目が驚きで開かれる。ミーナがピューっと口笛を鳴らす。マイナは怒りで両拳を握る。そしてレイジは……耳まで真っ赤だった。


 真っ向から告白されたマナも流石に冷静さを保つ事が難しかった様で、レイジから大きく視線を逸らしている。その頬は少し染まっている様にも見えた。


「気持ちは嬉しいわ。でも、ごめんなさい」

「おおっとぉ、ごめんなさいだぁっ!」

「当たり前ですわ! お姉様には既にふさわしい方が居らっしゃいますもの!」

「マイナ、余計な事言わないの」


 強く言い放ったマナにマイナは身体をビクッと振るわせる。そして艦橋内にエンジン音だけが流れていく。


「ふ、ふさわしい方って……本当なんですか?」


 レイジの問いにマナは深いため息を吐く。余計な事を口走ったマイナには後でお仕置きが必要だな。と、マナは考えていた。


「まあ、本当よ。私には婚約している男性ひとが居る。……いえ、居た。って言う方が正しいかしらね」


 過去形なら今はフリー。だったら押しまくればイケるんじゃないかと、レイジは心の内でマナの心が揺れるような気の利いた言葉は無いものかと模索し、マナが見せた悲哀の表情にそれを中断した。


(マナさんはまだ諦めきれていないんだ)


 その彼は今や遠く離れたダークサイド領内に取り残されている。邪悪な者達の支配下で生き抜く事は非常に厳しく既に死亡しているとマナは思ってはいるが、自身で見た訳でもなく誰に言われた訳でもない以上、生存の可能性は残されている。彼女達が冒険者になったのも婚約者を救い出す為であり、生まれ故郷を取り戻す為だ。その為にはより強力な船。より強力な武装が必要となり、それらを得る為に地道にクエストを熟してきたのだ。


(もう四年か……守りたい。なんて久しぶりに聞いた気がする)


 それを聞いたのは四年前、彼女達の生まれ故郷である惑星がダークサイド軍の侵略を受けた最中だ。戦い方も知らなかったマナ達を逃がす際に婚約者が言った言葉が最後だと記憶している。実の所それ以降にも言われてはいたのだが、マナ達を落とす為の常套句としてカウントどころか記憶すらしていない。


「で、フラレちまったけどどうするよ?」


 ミーナの言葉にレイジは考え込む。アニメやラノベでも婚約者が居るからと当初断られたパターンも幾許いくばくか存在している。それらは結局、最後には主人公と結ばれている。ならば。と、レイジは思いついた。


「マナさん。一つ聞かせて下さい。マナさんは今でもその人の事を愛していますか?」

「ええ、愛しているわ」


 レイジの問いに臆するフリすらも見せずに応えたマナ。そのマナにレイジは手を差し伸べる。


「じゃあ、助けに行きましょう。オレとこの船ならそれも不可能じゃない」


 レイジは今、人生最高の顔をマナに向けていた。ミーナとマイナは互いに見つめ合い、急に態度を変えたレイジの支離滅裂ぶりに首を傾げている。


 レイジが理解不能な行動に出たその裏では、旅の間に少しづつ関係を築き上げて現実を目の当たりにしたマナを絶望の淵から掬い上げる。という、レイジプロデュースによるずさんなNTR計画が始動し始めたのだ。


「いいわ。一緒に来る事を許可します。ただし──」


 マナは胸の谷間から一つの首輪を取り出した。その首輪はチョーカーなどというファッション性は皆無の飼い犬に着ける様な首輪。レイジが以前に着けたヤツである。


「これは着けてもらうわよ」

「ええ、喜んで」


 第一段階は成功した。そう確信したレイジは躊躇なく首輪を着ける。


「遠慮なく吹っ飛ばして下さい」


 ミーナとマイナが気持ち悪くなる程の笑みを作ったレイジは、操縦席に着いたのだった。

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