本当に大切なもの④


 いつかの遠い過去。心の中に仕舞い込んだ幸せな思い出。


 皓々こうこうと照らされる月明かりと星空の下。周りは生い茂る緑で囲まれており、どこからか聞こえてくる鈴虫の鳴き声が耳に心地良い。脇を流れる小河は底が透けて見えるほど澄んでいる。


 白髪の青年愛する者と一緒に流れる水と鈴虫が奏でる演奏に耳を傾けながら、自然のプラネタリウムを楽しんでいた。


 青年はぼうっと空を見上げている。星を見るその面持ちは物憂げでありながら、瞳は蒼月のように冴え冴えとした輝きを放っていた。



「えへへぇ~」



 そんな彼に腕を絡めると、彼は私に目を向けてくれる。それが嬉しくて、ついだらしのない笑みがこぼれ落ちてしまう。



「アルフィー、ひっつきすぎだ。暑い」


「でもでもぉ~、へへへぇ~」



 熱帯夜だったことを覚えている。彼と触れ合っているところがじっとりと汗ばむが、そんなことは気にならなかった。それどころかもっと彼に触れたくて、首に頬を擦りつけたり、身体を密着させたりした。



「だから暑いって」



 しかし彼はそうでもなかったらしい。暑さに耐えかねて私を押し退け、頬を摘まみ上げる。



「いひゃいいひゃい~ごめんなひゃいぃ~」


「反省したか?」


「しひゃしひゃ……しひゃからはなひてぇ~」



 ようやく解放されて、ひりひりする頬を押さえながら涙目に彼を見た。



「はぅう~、痛いよぉ~、それが奥さんにすること?」


「誰が奥さんだって?」


「私が」


「誰の?」


「貴方の」



 そう言うと彼はにこやかに笑いながら両手で私の顔を優しく包み込んだ。その行動に私は顔を赤らめて恥らう。彼を見上げる目はうっとりと熱を帯びていた。



「やん、こんな外で大胆っ。誰かに見られたら……みぎゃっ!?」



 視界一杯に星が見えた。彼に頭突きをされた額がじんじんと痛み、その場にうずくまった。



「ひどいよぅ……あのときは私のこと好きだって言ってくれたのに……」



 ボソリと、だけど彼に聞こえるように愚痴を零す。


 すると彼は顔を背けた。顔がちょびっと赤い。照れてる。可愛い。



「あれはだなっ……」


「でも嘘じゃないでしょ?」


「…………」


「本心なんだよね?」


「…………」


「だよね?」



 顔を覗き込もうとする度に逸らして逃げようとする。だけど回り込んで逃がさない。


 言ってほしい。聞かせてほしい。貴方の口から紡がれるその言葉が欲しい。


 やがて根負けしたように彼は聞こえないくらい小さな声で告白した。



「そう、だよ……」


「えー、聞こえなぁい」


「そうだよっ、お前のことが好きだよ」



 いつも落ち着き払っている彼だけど、私にだけはこんな一面を見せてくれる。


 自棄っぱちに言い捨てられても、それだけで胸が満たされた。



「ねぇー? やっぱりそうだよねー? 私たちは相思相愛! うん、いい響き!」



 ひとしきりはしゃぐと私はそっと彼の胸に顔を埋めた。



「心臓ドキドキゆってるっ」


「ほっとけよ」



 そう言って彼は私を抱きしめてくれた。それに応えて私も力一杯抱きしめ返す。



「変わったな、お前は」


「そお?」


「初めて会ったときは問答無用で襲いかかってくるし、全然喋らないし、無表情だし、目を離すと暴れるし、じゃじゃ馬どころじゃなかったな」


「う……そ、そんな昔のことは忘れましたー」



 彼の胸に額をぐりぐりして恥ずかしさをごまかした。それは黒歴史だから言わないで欲しい。



「それがこんなお喋りで無邪気に笑うようになるとは思わなかった」


「そうかもね」



 この世の全ては敵だと思っていたし、私も誰も信じないで敵対していた。


 こんな私を彼は受け入れてくれた。何があっても見捨てずに隣にいてくれた。


 だから今の自分がある。



「髪、出逢った頃に比べるとかなり伸びたな」


「だって前に長い髪が好きだってゆってたじゃん。だから伸ばしてるんだよー?」



 髪を梳いてくれる彼の指先が心地良い。もっと触って欲しい。いっぱい触れて欲しい。


 身体を擦りつけても今度は暑いと言って突き放してこない。



「綺麗な髪だから長かったらもっと綺麗だろうなって言ったと記憶してるんだが」


「じゃあ嫌い? 短くする?」


「お前の好きにしろ。長かろうと短かろうと、お前の綺麗な髪が好きなことに変わりない」


「髪フェチだ?」


「そうかもな」



 からかうように笑うと彼も笑った。



「じゃあ伸ばす。そっちの方が好きそうな顔してるから」



 彼がいてくれるから、私はいま幸せなのだ。


 だからこそ、この時間を失うことが何よりも恐ろしい。



「……私を残して、いなくならないでね」



 胸に顔をうずめたまま、気づけばそんなことを口にしていた。



「当然だろ、お前こそ勝手にいなくなるなよ」



 たまらなく嬉しい。もちろん離れるわけがない。ずっと傍にいる。離れろと言われても絶対に離れない。


 湧き上がる想いが口から零れた。



「愛してるよ、輝」



 この一瞬が永遠になればいいのに。

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