本当に大切なもの③


 血風が吹き荒れた。


 腕を振るうだけで何十もの首が宙を舞う。一振りで多くの命が散る。二振りでさらに多くの命が刈り取られる。


 惨殺ざんさつに次ぐ惨殺を繰り返し、目に映る世界は消えた命の分だけ紅に彩られていく。


 白昼のセンター街。日常に住む人々の喧騒は悲鳴へと変わり、突如として襲いかかってきた残虐な嵐に蹂躙されていた。老人を突き飛ばし、子供を踏みつけ、我先にと逃げ惑う人間はみにくさを通り越して滑稽こっけいですらあった。



「あは」



 聞こえてくる悲鳴も、向けられる恐怖も、生まれて初めて心地良いと感じた。


 罪人を駆逐していくついでに、内に溜まったモノをぶちまけられる快感。



「あははは」



 笑えてくる。手を軽く振るっただけで簡単に死んでいく。魔力を込めればこの通り。飛翔した斬撃がビルを切断し、倒壊に巻き込まれた人間が潰れていく。


 人間を殺すたびに言いようの無い昂揚感こうようかんに包まれた。原罪を裁いたことがこの上ない快楽となって身体を火照らせる。


 こんな脆い存在にしいたげられてきたのか。こんな弱い存在に奪われてきたのか。


 もっと早くこうすればよかった。今まで我慢していたことが馬鹿馬鹿しくて仕方がない。



「あはははははははははははははははっ」



 目に見えるもの全てを切り刻む。人間も建物も何もかも全部。斬って斬って斬って斬って斬って斬って、斬るものがなくなるまで斬り捨てる。


 哄笑こうしょうが止まったときにはもはや悲鳴を上げる人間はいなかった。生きている者はおらず、瓦礫とむくろの山が築き上げられているだけだった。


 うなじに焼けつくような感覚。背後の死角からの狙撃。脳漿をぶちまけようとする銃弾を斬って捨てる。真っ二つに分かたれた銃弾はそのまま瓦礫の中に埋まった。


 黒いもやが見える。距離は一キロ。ビルの屋上。目が合うと狙撃手の顔が歪む。


 双剣を弓へと持ち替えて矢を放てば、狙撃手は建物ごと木っ端微塵になった。


 なるほど。今まで上手く力を使えなかったのは〝断罪の女神〟の力を拒絶していたかららしい。力を受け入れ、行使することに躊躇ためらいがなくなった今は、まるで自分の手足のように剣も弓も扱うことができる。



「今の、狩人ね」



 騒ぎを起こしたことで戦う力を持った者がここに集まってきているらしい。ざっと見回すと他にもこちらを狙っている気配があった。



「その気持ち悪い色……見えてるのよ」



 【造形】ぞうけいされた矢が次々と飛翔する。全て狙いを外すことなく、ビルごと狙撃手を吹き飛ばした。


 〝断罪の女神〟の力を使いこなせるようになったからか、罪の色が遠目にも見える。どんなに遠かろうが遮蔽物しゃへいぶつがあっても、それを頼りに居場所を割り出すことは造作もなかった。



「そうよね。あたしは『アルカディア』の敵。そんなあたしを殺しにくるのは当然よね」



 大勢の人間に包囲されていた。狩人や『ティル・ナ・ノーグ』、理想郷で平穏な日常を暮らす住人達。


 誰もが険しい顔つきでアルフェリカをにらみつけている。覚醒体への恐怖を押し殺し、都市を守るために奮い立つ。まるで勇敢な正義の味方だ。



「あは」



 虫酸むしずが走る。


 無造作に放った一つの矢が狩人を捉えた。狩人は障壁を展開して身を守ったが、衝突と同時に炸裂した衝撃が障壁ごと狩人を弾き飛ばす。



「へぇ、戦えるだけあってさすがに簡単にはいかないか」



 耐えかねた誰かが発砲。それを合図に全方位から魔術や銃弾が降り注いだ。


 それら悉くが音速を超えた剣捌けんさばきに撃ち落とされる。腕の動きに合わせて発生した衝撃波が炸裂弾などの爆発を誘発し、誘爆による花火が拡散した。


 爆炎が視界を遮り、同士討ちフレンドリーファイアを恐れて攻撃が停止。


 この隙を逃すわけがない。アルフェリカには全員の居場所がわかる。


 暗闇に潜む暗殺者の如く、粉塵に紛れて次々と首を落としていった。断末魔の叫びはなく、首が地面に落ちる音とアルフェリカが駆ける音だけが戦場に響く。


 視界ゼロの中、無謀にもこちらに向かってくる二つの影があった。嘲笑ちょうしょうを禁じ得ず、口元をゆがませたまま首をねようと白刃を閃かせる。


 刹那、天地が逆転した。


 何が起きたのか把握する間も無く横合いから受けた衝撃に身体が地を滑った。とっさに双剣を盾にしたが、その衝撃に骨の髄まで痺れている。



「そっか。キミたちも来たんだ」



 体勢を立て直し、攻撃してきた影を見て、アルフェリカは昏い笑みを湛える。


 紫色の長髪を揺らす小柄な女性。初めて友達になれるかもしれないと、淡い期待をさせてくれた無邪気なお姉さん。


 どこか物憂げな蒼眼を持つ白髪の青年。守ってくれると、転生体であると知ってもそう言ってくれた優しいお兄さん。


 実を言えば、この二人に囲まれて行ったショッピングは楽しかった。ずっと前からあんな時間を過ごせることを夢見て、それを叶えてもらえて嬉しかった。


 そして、あの時間はもう訪れない。


 だって敵だから。敵は殺さなくちゃいけないから。


 少しだけ胸が痛んだ気がした。



「さあ、殺し合いましょう」





 

 

 死が散乱していた。


 母の■■があった。父の■■があった。兄の■■があった。姉の■■があった。弟の■■があった。妹の■■があった。祖母の■■があった。祖父の■■があった。赤子の■■があった。狩人の■■があった。


 目の届く範囲に紅が映らない場所はない。血溜まりには首なしの身体が沈んでおり、ゴミのように打ち捨てられた頭部は誰も彼もが恐怖に歪んでいる。倒壊した建物の下敷きになった人間の肉片が至るところに散らばり、広がる火の手が亡骸なきがらを焼いていく。焦げた死臭と黒煙が一帯に充満していた。


 そこに老若男女の区別はない。人間であるものは皆平等に命を刈り取られていた。



「これを、お前がやったのか」



 問わずともわかっている。しかしどうしても受け入れ難かった。混乱か動揺か別の何かか。頭の中が滅茶苦茶になって叫ばずにはいられなかった。



「アルフェリカ!」



 返り血によって深紅に染まったアルフェリカは微笑した。昏い昏い歪みきった微笑みを。



「あたしね、やっと理解したのよ。あたしたち転生体が排除されるのは、あたしたちが人間の敵だからだって。だから皆あたしを恐れる。だから皆あたしを傷つける。あたしが怖いから、自分が傷つきたくないから、安心を得るために攻撃してくる。考えてみれば当たり前のことよね。猛獣が隣にいれば離れようとするわ。襲われるかもしれないなら殺そうともするわよね」



 でもね、とアルフェリカは自らの肩を抱きしめた。



「それはあたしも同じよ。人間はあたしを傷つける。だから襲ってくる者は殺すわ。人間を殺して殺して殺し尽くす。そうすれば転生体あたしは憂いなく過ごしていけるようになる」



 恐れられて忌み嫌われる転生体に居場所を。


 上辺の言葉だけなら輝が抱いているものと同様の未来。


 しかしそこに至るまでの過程も結末も大きく異なっている。



「だから人間を根絶やしにするっていうのか」


「そういうことよ。輝が神を根絶やしにするのと同じ」


「違う! 俺が目指しているのは人間と神の共存だ! 俺の敵は敵性神と敵性転生体だけだ! 人間と共存する意思を持つ者まで手にかける気はない!」


「じゃあ『アルカディア』はあたしと共存してくれるの?」



 氷のような冷たい声が輝には嘆きに聞こえた。



「あたしはその気があったのよ? この都市ならあたしの願いが叶うかもって、淡い期待も抱いていた。昨日の時点ではエクセキュアが火蓋を切っただけで、あたしはこの都市の人間を傷つけるつもりはなかった。



 虫の良いことを。被害を被った者たちの眼差しが怒りに打ち震え、アルフェリカの望みを聞き入れるつもりはないと声なく語っていた。


 アルフェリカが手にかけた人間の数は優に百を超えている。争いとは無縁な日々を生きていただけの無辜むこの人々。その命を無残に散らし、『アルカディア』に甚大じんだいな被害を与えた。


 これだけの被害をもたらす存在と共存など誰もしたいとは思わない。


 アルフェリカ=オリュンシアは『アルカディア』の敵。


 その認識を覆すことは輝一人の力では叶わない。


 それがわかっているアルフェリカは仄かに笑った。



「もう無理でしょ? だってあたしは〝断罪の女神〟。人間はあたしに敵対するし、あたしももう敵対してしまってる。そんなあたしだけど共存を許してくれる?」



 浴びせかけられる敵意など意に介さず、アルフェリカは【白銀の断罪弓刃】パルティラの切っ先をウォルシィラに突きつけた。



「エクセキュアの目的はウォルシィラへの復讐。それ以外の人間を害するつもりはないわ。あたしも、ここに居場所をくれるならもう敵対しない。この都市を護るために魔獣とでも覚醒体とでも戦ってあげる。どう? この都市はいまさらこんな提案を聞いてくれる? あたしの言葉を信じてくれる?」



 復讐の成就は夕姫の死を意味する。輝もウォルシィラもそれを許容することはできない。


 『アルカディア』の住民もアルフェリカを信用することはできないだろう。


 理想郷に彼女の居場所はない。



「そういうことよ。もうキミたちはあたしを信じられない。そんな勇気を出してくれる人間なんてもういない。後戻りできないところまで来ちゃったんだから」



 かけられる言葉はもうないのだとわかってしまった。アルフェリカはすでに人間を見限ってしまっている。


 でも、それならば何故、共存を許してくれるかどうかということを、アルフェリカはわざわざ確認したのだろうか。



「一つだけ。エクセキュアの目的がボクなら君の相手はボクと輝がする。ボクらと戦ってる間は周囲の人間に手出しはしないでくれるかい?」



 ウォルシィラの要求にアルフェリカはきょとんと首を傾げた。それからその真意を汲みとるとあざけりにも似た笑みを浮かべる。



「いいわよ。戦ってる間は誰にも手を出さないでいてあげる。どうせ早いか遅いかの違いだけどね。でも巻き添えで勝手に誰かが死んでも知らないわよ。それとキミたち以外の誰かがあたしに攻撃してきた時点で、この約束はなかったことにするからそのつもりでいてね」


「充分さ」



 ありがとう、とウォルシィラは謝意を述べて振り返った。



「聞いての通りだ! 他のみんなは巻き込まれないように下がっていて欲しい。彼女との決着は――ボクらがつける!」



 どよめき。


 ウォルシィラが何か企んでいるのではないかと、覚醒体をよく思わない者たちが疑惑の目を向ける。しかし神同士が勝手に潰し合ってくれるならと判断した者たちを筆頭に、最終的には全員が戦闘に巻き込まれない場所まで退避していった。



「やっぱり言葉じゃ止められなかったね。念のため確認だけど……いいんだね、輝?」


「ああ」



 『アルカディア』もアルフェリカも、もうお互いを信じることができない。


 覚悟していたことだ。



「わかった」



 背負った斧槍ハルバートを抜いてウォルシィラは重心を落とす。



「じゃあ一緒に〝断罪の女神〟を殺そう」



 返事を待たず、ウォルシィラはアルフェリカへ突貫した。

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