本当に大切なもの⑤


 ウォルシィラは心の中で溜息をついた。


 輝の優柔不断には困ったものだ。


 あれもこれも大事にしようとするから何も選べなくなってしまう。抱え込んで身動きが取れなくなって、誰かに選択させてしまって、その結果に後悔する。



「まったく、黒神輝だなんて……その名前が大事だってことは、ボクもわかるけどさ」



 そうじゃないだろう。名前なんて結局はそいつを表すための記号でしかない。そこに意味を求めることを否定はしないが、大切なモノを取りこぼすくらいなら固執する意味なんてない。


 だってその両手で掴める数は限られている。神であろうとすべてを守ることなんてできない。全部が大事で全部を守りたいなら、それそこ全知全能の力が必要だ。


 そんな力なんて存在しない。そんなことができるわけがない。自分の手なんて驚くほどに小さい。


 だから選ぶ。大切なモノのために切り捨てる覚悟をする。


 何を拾い上げ、何を切り捨てるか、輝はようやく決断した。


 ならば力を貸そう。あのとき輝が本当に拾い上げたかったモノを、勝手に切り捨てた自分に出来るせめてもの贖罪として。



「夕姫……ボクの我儘に巻き込んでごめんね。でもボクは君のことも守るよ」



 ウォルシィラの戦意に呼応して神名が光を帯びた。


 迫るウォルシィラを前に、アルフェリカは何かをこらえるように目を伏せる。



「さようなら、夕姫、輝」



 それは一瞬の出来事で、瞳が開かれたとき、そこに宿っていたのは哀絶の狂気。



「さあエクセキュア。キミの怨敵が目の前にいるわ。復讐を遂げてあたしとの契約を果たしなさい!」



 ほとばしるは神名の光。アルフェリカ=オリュンシアの意識は深淵しんえんに沈み、あらゆる罪を断つ執行者――〝断罪の女神〟エクセキュアが顕現する。



「ごめんね、アルフェリカ。でも――ありがと」



 憎悪に燃える双眸そうぼうがウォルシィラを捉える。放たれる殺意はそれだけで相手を死に至らしめることができるほどに激烈。


 二柱の女神の邂逅かいこうが開戦の合図となった。


 【白銀の断罪弓刃】パルティラに番えられるのは数本の矢。それが放たれると同時、さらに数本の矢が番えられ、ウォルシィラへと射かける。それが放たれればさらに数本。常軌を逸した速度で繰り返される。


 たった一張ひとはりの弓から機関銃の如く張られた矢の弾幕。弓矢で実現できるはずのない密度を作り上げた技術はまさに神業。


 ウォルシィラは当然のように対応してみせた。身の丈以上もある斧槍ハルバートを軽々と振り回し、自身に命中する矢のみを精確に受け流す。


 獲物を逃した矢は着弾と同時に炸裂。執行者の魔力が込められた矢は榴弾の如く。爆発で弾かれた石飛礫いしつぶてがウォルシィラを襲い、それすらも踊るように回る斧槍ハルバートが危なげなく撃ち落とした。


 ウォルシィラの姿が掻き消えた。エクセキュアがそれを認識したとき、すでに互いの間合いは一メートルまで詰まっていた。


 胴を叩き斬る一撃が振るわれる。


 寸前で飛び退き回避。斧槍ハルバートが空を切る。神速で振るわれた斧槍ハルバートに巻き込まれた空気が破裂し、エクセキュアの身体を風圧で吹き飛ばした。


 せっかく詰めた距離が開いたことにウォルシィラは舌を打つ。案の定、空中で体勢を立て直したエクセキュアが吹き飛ばされながらも矢の弾幕を張ってきた。


 それを撃ち払いながらウォルシィラは疾走する。一つでも受け損なえば身体が弾け飛ぶ矢をすべて紙一重でかわし、躱しきれないものは斧槍ハルバートで受け流す。破壊の豪雨に身を濡らすことなく、確実にその距離を詰めていった。


 エクセキュアの着地と同時、ウォルシィラは跳躍し、遠心力を上乗せした一撃を振り下ろす。


 回避が間に合わないと悟ったエクセキュアは双剣に変えた【白銀の断罪弓刃】パルティラを交差させて斧槍ハルバートを受け止めた。



「ぐうっ!?」



 大地が激震し、足元に円形の亀裂が広がる。人体など容易に圧壊できる重撃を受けてエクセキュアの口から苦悶が漏れた。


 ウォルシィラの攻撃は一撃では終わらない。


 受け止められた斧槍ハルバートを支えに身体を回転させ、エクセキュアの左腕を蹴り上げた。そのまま回転の勢いを利用してガラ空きになった脇に斧槍ハルバートを叩き込む。


 今度は防御が間に合わない。エクセキュアはほとんど背中から倒れ込むことでかわしきった。だが無理な回避行動は次の動きを阻害する。


 そして戦いの神を称する存在がそれほどの隙を見逃すはずもなかった。


 着地をともなった踏みつけフットスタンプがエクセキュアの無防備な腹部に突き刺さり、内臓と骨盤を粉砕した。



「がぶっ!?」



 はらわたが破裂したことで彼女の足の間からおびただしい量の血が噴出した。消化器官を逆流した血液も口から吐き出される。


 殺すつもりで放った一撃が綺麗に入った。息の根は止められずともすでに致命傷。憎悪に囚われて動きも攻撃も単調。そんな様で〝戦女神〟たる自分に敵うはずもない。


 もはや勝負あった。



「――――っ!?」



 ウォルシィラがほんのわずか気を緩めたとき白刃が足元を滑る。


 だが足を斬り落とさんとする刃も難なく回避。悪足掻わるあがきは不発に終わった。


 今度こそ戦闘態勢を解こうとしたとき、目の前で起こった現象にウォルシィラは我が目を疑う。


 ゆらりと、まるで幽鬼のようにエクセキュアが立ち上がる。人体のかなめを砕かれ、臓器にまで潰されたにも関わらず、自らの足で大地を踏みしめていた。



「ちょっとちょっと、なんで立てるのさ……」



 悪夢のような光景にウォルシィラの頬を冷や汗が伝う。


 〝断罪の女神〟は罪を裁く執行者。その裁きは絶対であり、逃れられる咎人とがびとは存在しないとまで謳われる神。



「治癒力が普通の覚醒体の比じゃないね……もしかしてこれが人間の天敵とされるカラクリってわけ?」



 もともと覚醒体は人間と比較して治癒能力が格段に高い。人間なら完治に数日かかるような傷でも、覚醒体ならば一晩あれば全快できる。


 だが〝断罪の女神〟の治癒能力は覚醒体のそれすらも遥かに凌駕していた。


 これではもはや治癒ではなく再生だ。


 戦闘不能に追い込んでもすぐに再起してくるというのは厄介極まりない。


 正直〝断罪の女神〟の戦闘能力はそこまで高くない。こと白兵戦に長けた〝戦女神〟ウォルシィラが遅れを取ることはない。一〇〇回戦っても一〇〇回勝てる自信がある。


 だがいつかこちらの体力が尽きる。


 そうなったとき殺されるのは夕姫ウォルシィラだ。



「こりゃ頭を潰すとかしないと無理かもね」



 軽口とは裏腹にウォルシィラの顔は引き攣っていた。


 エクセキュアが回復しきる前に斧槍ハルバートを薙ぐ。今度は頭を吹き飛ばすつもりで。


 銀閃が閃いた。音を立てて散らばったのは嘘のように切り裂かれた斧槍ハルバートの穂先。



「くっ!?」



 さっきよりも速い!?


 斧槍ハルバートをただの棒切れにされて、追撃を恐れたウォルシィラは後退した。


 だがエクセキュアは立ち尽くしたまま追撃してこなかった。



「どうして、アルフィーが死ななきゃならなかったの?」



 それは一体、誰に向けられた糾弾か。



「アルフィーは泣いてた。本当はヒカルとずっと一緒に居たいって。本当は世界中に死を望まれていたことも辛いって。そう思ってた!」



 転生した神には宿主の心が伝わる。ウォルシィラにだって夕姫の心は伝わっている。


 アルフィーがあのとき何を思っていたのか。それを知っているエクセキュアは彼女の哀しみを痛哭する。



「あの子にはヒカルしかいなかったのにっ。ヒカルとの時間だけがあの子の幸せだったのにっ。みんなしてそれを奪おうとした……なんで!? どうして!? 〝断罪の女神〟の転生体ってゆーだけで、どうしてその幸せを奪われなきゃいけなかったの!?」



 血を吐くような嘆きは、きっと〝断罪の女神〟が背負う運命を呪ったもので。



「あのとき、!」


「……そうだね。ボクならきっと、その子を助けることができただろうね」



 あのとき、あの状況でなら、エクセキュアが望むようにアルフィーを救うことができた確信がある。


 だけどそうしなかった。暴走して殺戮を繰り返す〝断罪の女神〟を殺害することしか考えていなかった。アルフィーとエクセキュアが助けを望んでいたことなんて想像もしなかった。


 味方になってあげられなかった。



「君たちの願いに気づいてあげられなくてごめんね。助けてあげられなくてごめんね。だけど――」



 柄だけになった斧槍ハルバートを投擲。矢のごとく疾走するそれは大気を貫き、しかし【白銀の断罪弓刃】パルティラにいとも簡単に軌道を逸らされて瓦礫の塊に突き刺さる。粉砕された欠片がバラバラと一帯に飛び散った。



「それはただの逆恨みだよ。アルフィーを助けられたのに助けなかったからボクを憎んだ。憎んだ結果、理想郷で多くの命を奪って、アルフェリカの希望を奪った」


「……っ……」


「アルフェリカもアルフィーと似た境遇だったんじゃないの? なのに君は繰り返した。しかも今回に関しては〝断罪の女神〟の性質によるものじゃない。エクセキュアが私怨で行ったことだ」



 それはエクセキュアの胸を深く抉る。



「一人の少女の願いを踏み躙っておきながら人間の心を語るなよ。それは君もボクも、神々が語っていいモノじゃない!」



 本当はわかっているのだろう? これがただの八つ当たりだと。八つ当たりでアルフェリカを絶望させてしまい、それでももう後に引けなくて、間違っているとわかっていてもその道を進むしかなくて。


 嘘を見抜く〝断罪の女神〟が一番自分に嘘をついている。



「違う!」



 エクセキュアが本当に殺したいのはきっと――。



「違う! 違う! 違う! 私は、私はただ――」



 その叫びはきっと嘆きだ。エクセキュア自身が己の罪に耐えられなくて助けを求める悲鳴。



法則制御ルール・ディファイン――魔力圧縮・一点解放ソード・オブ・ザ・ハート



 一条の蒼い光がそれを掻き消した。


 反応したエクセキュアは難なくそれを回避し、着弾した魔力砲撃は土煙を巻き上げる。



「ヒ、カル……?」



 煙が晴れると、まるで裏切られたような顔で輝を見るエクセキュアの姿があった。



「どう、して……? どうしてヒカルまで、ウォルシィラの味方をするの? ヒカルだけは、アルフィーの気持ち、わかると思ってたのに……ヒカルもあの子の敵になっちゃうの?」


「味方だよ。これまでもこれからも。俺はアルフィーの味方だ。だけど――」



 蒼眼が悲しげに揺れる。しかしエクセキュアを見つめる瞳に宿る意志は一片も揺らがず。



「転生体に絶望を与えて不幸にする神の敵でもある。これまでもこれからも」



 黒神輝はエクセキュアの敵であると宣言した。



「……そっか」



 透明な視線は輝の言葉が真実だとわかってしまい。



「アルフィーのことは守らなかったのに夕姫その子のことは守るんだ? あはは、なにそれ」



 瑠璃色の瞳から光が消えていく。絶望、失望、憤怒、怨嗟。様々な感情がぐちゃぐちゃにかき混ぜられて。


 耐えきれなくなったエクセキュアの心が粉々に砕け散る。



「そんなの許せない」



 そうして――エクセキュアは〝断罪の女神〟へと成り果てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る