自由への渇望⑥
腕の中で泣きじゃくる夕姫を見ながら輝は悪いことをしたな、と反省していた。
知っていたのだから話せば良かった。たった一言で取り除ける不安を、夕姫が嫌がるからという理由で話さなかった。嫌がっている理由をきちんと理解してあげることができれば、すれ違うこともなかったのだろう。
「それなりにできるようになったと思ってたけど、難しいものだな」
湧き上がる罪悪感と共に独り言ちた。
わかり合うというのは難しい。相手を想ってしたことでも逆に苦しめることがある。ただ話せば良いわけではなく、ただ隠せば良いわけでもない。
「ところで、輝って夕姫の中の神のこと知ってるの?」
先ほどのやり取りで気になったのだろう。アルフェリカはそんなことを訊いてきた。
「ああ、昔から縁があるんだ。戦女神だから白兵戦では最強の部類だ。夕姫の馬鹿力も、あいつの力が反映された結果だろうな。なんせ肉体そのものが
「へぇ、そんな神もいるのね」
穏やかな微笑みを浮かべるそのアルフェリカの反応に輝は目をぱちくりとさせた。
「なによ、人の顔じっと見て」
「いや、なんていうか……予想していた反応と違うなって」
てっきり
「べ、別に、いちいち目くじら立ててもしょうがないと思っただけよ」
アルフェリカは気恥ずかしそうに顔を逸らす。
まだ一日と経っていないのに随分と受ける印象が変わったものだと輝は思う。
「輝くん、そんなことまで知ってたんだね」
泣き止んだ夕姫が腕の中で輝を見上げる。泣いているところを見られて恥ずかしいのか、上目遣いにこちらを見る目は遠慮がちだ。
「まあな。もう腐れ縁と言ってもういいかもな。でも良い奴だよ」
「知ってる。色々相談に乗ってくれるから」
「でも最後には茶化すだろ」
「うーん、そうかもっ……あ、ごめんって。いつも感謝してるよ。ほんとだって」
「何か言ってたのか」
「そんなことゆーならもう相談に乗ってあげないってへそ曲げちゃった」
夕姫は中にいる神との会話を隠そうとしない。それができることに終始嬉しそうだった。
彼女の表情を見ていると転生体の居場所は必ず作れると再確認できた。理解者が近くに居てくれるだけで長年の悩みから解放され、こうして笑顔を見せられるようになるのだ。人間と神の共存は決して不可能ではない。
可能性を見せられて無意識に頬が緩んだ。
「放っておけばそのうち機嫌を直すさ。ウォルシィラはそんな小さなこと気にしないからな」
「名前も知ってるんだ。輝くん、ホントに知り合いだったんだね」
「嘘をついても意味ないしな」
そうだね、と夕姫は同意した。夕姫の屈託無い笑顔を見て安心したからか、身体から力が抜ける。ぐらりと傾く身体を夕姫が支えた。
「あっ、ごめんね輝くんっ。傷痛むよね。すぐにお医者さん呼んでくるからっ。アルちゃん、輝くんのことお願いっ!」
輝が重傷を負っているということを思い出し、アルフェリカに輝を託して人を呼んでこようと立ち上がる。
しかしアルフェリカから返事がなく、夕姫はすぐに立ち止まった。
「アルちゃん?」
夕姫につられて輝もアルフェリカへ視線を送る。
アルフェリカは愕然と夕姫を見つめていた。信じられないものを目撃したかのように驚愕に染まり、顔は白く血の気をなくしていた。
「ウォル、シィラ……それが夕姫の中にいる神なの?」
「う、うん、そうだけど……」
「嘘……そんな、そんなことって……」
うわ言のように呟いたアルフェリカの瞳が絶望に
アルフェリカが見せた反応に嫌な予感がして輝は機械鎌に血液のシリンダを再装填した。
「待ってっ、エク――」
次の瞬間、アルフェリカの身体が刻印に
障壁と機械鎌の双方を用いて剣を払い落とす。骨の髄まで浸透する衝撃を伴い、
「アル、ちゃん……?」
突然のことに夕姫は事態を飲み込めず、
違う。こいつはアルフェリカではない。
「エクセキュア、どういうつもりだ」
刃を振るったのはアルフェリカに宿るエクセキュアだ。
「私ね、どうしても許せない神がいるの。ヒカルも想像つくんじゃないかな」
理知的な回答。暴走しているわけではなさそうだ。だが唱えられる声に抑揚はない。
あるのは底知れぬ憎しみの感情。
「〝戦女神〟ウォルシィラ。アルフィーを殺した神を殺すつもりか」
何故と問うことはない。暴走したアルフィーを輝は殺せず、代わりに彼女を殺した神こそがウォルシィラだ。
そんな相手にエクセキュアが復讐心を抱くことに不思議はない。
「どいてよヒカル。私はウォルシィラを殺す。ヒカルだって、その神は許せないはずだよ」
夕姫に振り下ろされる
「お前がウォルシィラを恨む気持ちは理解できる。だけどそれは駄目だ、エクセキュア」
「どうして!?」
エクセキュアからするとそれは裏切りに等しかった。
激昂と共に魔力を注がれた
「ウォルシィラを殺すってことは夕姫を殺すってことだ。そんな真似させられるか」
「アルフィー以外の女の名前を出さないで!」
「関係ない。それにこの都市には夕姫の家族もいるんだ。夕姫を大切に想っている相手にどんな痛みを与えるか、お前なら理解しているはずだ!」
エクセキュアは唇を噛む。彼女にとって核心を突く言葉。図星を突かれた者が見せる反応はいつだって決まっている。
「うるさい!」
絶叫と共に機械鎌が断ち切られた。彼女が太刀筋を鈍らせたのか、運よく受け流せたのかはわからない。
側頭部に衝撃を受けて視界が弾けた。蹴り飛ばされたのだと気づいたのは全身に激痛が走ったときだった。
「輝くんっ!?」
夕姫の悲鳴が遠い。
「死ね、ウォルシィラ!」
憎しみが込められた断罪の剣が振り下ろされる。輝は動けない。夕姫は動けない。
故に、夕姫を守ったのは夕姫を守れる者だった。
断ち切られたはずの機械鎌が踊る。金属がぶつかり合う音が甲高く響き、夕姫の首を
軌道を逸らされた魔力の斬撃があらぬ場所へ飛び、軌道上にいた人間たちを巻き込んだ。警戒を解いていた人間たちは突然のことに対応する間も無く、その凶刃に切り裂かれて絶命した。
「まったく、どいつもこいつも話を聞かないやつばっかりだなぁ」
いま起こったことが目に入らなかったかのように、冗談めかした口調でウォルシィラは呟いた。しかし口調とは裏腹にエクセキュアを見据える瞳は鋭い。
「久しぶりだねエクセキュア。君がボクを恨むのはわかるよ。けど夕姫を傷つけるやつは誰だろうと許さない。君には復讐の権利があるけど、こればっかりは譲れないっ!」
ウォルシィラはほとんど柄だけとなってしまった機械鎌を横薙ぎに振るった。
「なっ!?」
驚愕の声はエクセキュアのもの。吹き飛んでいる途中でウォルシィラが目の前に現れた。手にした機械鎌の柄が縦一閃に振り下ろされる。遠心力が乗ったそれの直撃を受けて、エクセキュアの身体がくの字に折れて轟音と共に地面に叩きつけられた。
エクセキュアを中心に放射状に亀裂が広がり、アスファルトが陥没する。それほどの力を叩きつけられて人体が無事でいられるはずがない。
「今ので
「ふざけるな!」
敵意すら感じられない目で見下ろされてエクセキュアは憤慨した。復讐の対象が自分を歯牙にも掛けていない。その事実がエクセキュアには我慢ならない。
痛みを押して跳ね起きる。同時に刃を走らせ首を狙う。ウォルシィラは棒術を駆使して剣を握る手を砕きにかかる。
エクセキュアはそれに反応し、目にも留まらぬ速さで機械鎌の柄を細切れにした。唯一の獲物が奪われ、ウォルシィラは
取った。エクセキュアはそう確信する。
「
その確信は、
「知らないわけじゃないよね? ボクの『神装宝具』は
やりすぎだ。
攻撃を受け続けるエクセキュアの身体が内出血で青黒く変色していく。額は割られ、臓器までダメージが及んでいるのか吐血している。殴られた衝撃で血飛沫が飛び散る。
それでもなおウォルシィラの攻撃は止まらなかった。このままではエクセキュアは死ぬ。それは当然アルフェリカの死も意味する。
ただ幸せに生きたいと望む少女が、神の都合によって命を奪われる。
それは黒神輝が最も呪った現実。指を
「
手元にシリンジはない。だが流れ出る血にも魔力は溶け込んでいる。そこから直接魔力を取り出せば、魔術の行使は不可能ではない。
幾重にも展開された蒼色の障壁がエクセキュアを取り囲む。障壁は呆気なく破壊されるが、予想だにしていなかった輝の介入にウォルシィラの攻撃が
その隙をついて
同じようにエクセキュアも大きく後退している。勝てないと悟り、逃げるつもりだ。ウォルシィラは阻止するために追撃をかけようとするが、矢の弾幕がそれを阻んだ。
無秩序に撃ち出された矢は狙いなどつけられていない。一つ一つが炸裂弾に等しい威力を持つ矢が着弾すれば、どれほどの死傷者が出るかは想像に難くない。
故に輝の取れる手は一つしかなかった。城壁の如く展開された蒼の魔法陣。それら全てに矢が着弾し、轟音と爆炎と爆風を巻き起こす。
「見ろ! これが覚醒体なんだよ! いつ俺たちに危害を加えてくるかわからねぇ!」
悲痛な訴えが木霊する。それは先ほど夕姫を攻撃した狩人から。
「奴らが暴れたせいで何人死んだ!? さっさと殺せば誰も死ななかったっていうのに、見逃した結果がこれだ!」
それは理不尽に仲間を殺された者の叫びだった。その怒りは瞬く間に
輝は何も言うことが出来ない。彼らからすれば輝が止めたことによって仲間たちが被害を受けた。致命傷を受け、命を失った。要因を作ったのは輝であり、怒りの矛先がこちらに向くのは当たり前のことだった。
殺意が膨れ上がる。それを止めようとする者はもうこの場にはいない。この事態を起こしたことによって、覚醒体は人類の敵であると彼らの中で確定した。
「覚醒体を殺せ! あいつらは敵だ!」
「応援を呼べ! 狩人ギルドと『ティル・ナ・ノーグ』にもだ! 『アルカディア』の戦力をかき集めろ!」
あちこちで指示が飛び、それぞれが武器を構える。それらは全て輝たちに注がれており、留まれば殺されるのは明白だった。
「なに? まだ夕姫を傷つけるつもりなの?」
向けられた殺意に反応してウォルシィラは苛立ち紛れに吐き捨てた。
神の持つ感覚は人間とはかけ離れている。目的のために命を奪うこと。それ自体に抵抗を持つ者はほとんど存在しない。
ウォルシィラにとって最優先事項は夕姫を守ること。そのために誰を殺すことになっても
今にも駆け出しそうなウォルシィラの腕を掴んで制止をかける。
「駄目だ。夕姫に手を汚させるのは」
「……そうだね。それはボクも本意じゃない」
深く息をつくとウォルシィラは満足に動けない輝を担ぎ上げた。
「反省も後だね。まずは逃げよっか。それからどうするか考えよう」
ウォルシィラの跳躍と共に強力な重力が身体にのしかかる。浮遊感を覚えたときには既に地上は遠い。
こちらを見上げる敵意の眼差しに、輝は強く唇を引き結んだ。
〝断罪の女神〟を敵性覚醒体と認定。治安維持のためこれを排除対象とする。
人の口に戸は立てられない。情報は噂となって瞬く間に都市全体へと拡散した。中には映像も存在しており、彼女の容姿までも明るみとなる。
この日、アルフェリカ=オリュンシアは
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