自由への渇望④


 争いの声はずっと聞こえていた。どこか遠く、意味もわからなかったが、声に含まれている感情を理解することはできた。


 気分が悪かった。不愉快だった。今はまだそうなのだとわかっていても、その感情を大切な者に向けられるのは我慢がならなかった。



「だい、じょうぶか……?」



 呼吸が辛い。咳き込むだけで胴体に激痛が走る。左腕の感覚はなく、掲げた右腕は鉛のように重い。


 それでも身体はすべきことをわかっていた。



「輝くん!」



 ぼろぼろと大粒の涙を流しながら夕姫は輝の名前を呼んだ。重力に負けて落ちる右腕を掴み取って自らの胸に引き寄せる。



「悪い、心配かけたな……」


「輝くん、輝くん、輝くん」


「泣くなよ。俺は大丈夫だって」


「ぜんぜん大丈夫に見えないよっ」


「……だろうな」



 夕姫には心配ばかりかけてしまっている。その情けなさに苦笑しながら、自力で立ち上がろうとした。動くたびに傷の痛みで苦悶に顔を


ゆがめることになる。



「う、動いちゃダメよ輝っ。じっとしててっ」


「そうだよ、ひどい怪我してるんだから」


「そうもいかないだろ」



 二人の制止も聞かず、身体中から血をしたたらせながら、それでも輝は自分の足で立った。


 そして夕姫たちを取り囲む狩人たちをめつける。



「いま、攻撃したのは誰だ?」



 静かな問いかけには底知れぬ怒気が込められていた。その糾弾きゅうだんに反発した一部の狩人が声を荒げる。



「そいつらは覚醒体だ! この都市で暴れられたらどれだけの被害が出るかわかったもんじゃないんだぞ!」



 神をおそれるが故の敵意。わかっていたことだし理解は示せる。


 だがこれは別の話だ。



「ここで殺す必要があるのは当たり前のことだろうが!」



 殺す。


 聞き捨てならない。許容できない。


 全身の血液が沸騰した気がした。瞳の奥が赤光する。


 輝の中で自戒が千切ちぎれ飛ぶ。バキンッ、バキンッと音を立てて。



「なら、やってみるか?」



 おぞましいほどの殺気が輝から放たれた。空気どころか時間さえも凍りつかせるほどの威圧に、対峙たいじする全員が青褪あおざめる。中には過呼吸におちいったり、失神したりする者まで現れた。


 桁外れの殺意に反論の声も上がらない。輝が瀕死の状態で、戦える身体でないことが明白であっても、なお立ち向かおうと思えないほどの、圧倒的な死の気配。


 誰もが思った。


 この男は本当に人間なのか、と。


 歯向かったら最期、慈悲もなく命を落とすことになるのではないかと本能から恐れた。


 耳が痛いほどの静寂。



「この二人を傷つけることは俺が許さない。たとえ人間だろうと容赦しない。それをゆめゆめ忘れるな」



 異論の一切を許さない一方的な宣告。



 機械鎌の柄が地面を叩く音だけが深く浸透しんとうした。

 





 

 自分を守ってくれる背中にアルフェリカは見惚みとれた。


 血塗れになって、相当に痛むはずなのに、都市を敵に回すリスクまで背負って、自分たちを庇ってくれた。


 友人である夕姫がいることが彼の行動の理由だったとしても、こんなにまで自分を守ってくれたことにアルフェリカは激しく心を揺さぶられた。


 守ってもらったことなんて今まで一度もなかった。頼れる相手なんていなくて、いつの間にか誰も信じることができなくなった。


 信じられるのは自分だけ。自分を守れるのも自分だけ。誰も助けてくれない。誰も守ってくれない。


 そうだったはずなのに。


 輝は、今まで出会ったどんな人とも違う。こんな人を自分は知らない。


 自分たちを睨みつける人たちは、輝に気圧されながらもその敵意を向けることをやめない。


 視界が濁りきった黒色で染まっていく。人の持つ罪の色。罪業の香りが充満していき、ひどい吐き気に襲われた。


 恐怖、敵意、憎悪、そういった負の感情に支配されたここの空気はアルフェリカにとって毒素でしかない。目にしているだけで気持ち悪い。息をするだけで心が蝕まれる。


 守ってくれている輝にもそれが見える。他者に比べると特に酷い。


 だけど不思議と初めて出会った時ほどの不快感を抱くことはなかった。



「ねぇ、輝」



 知らず、彼の名前を呼んでいた。


 彼は振り向くことさえ辛そうに、けれどしっかりと視線を合わせてくれる。瀕死の身体。満身創痍でありながら、蒼い瞳の力強さはとても頼もしい。



「あの約束を、覚えてる?」



 昨夜、交わした約束。輝からの一方的なもので話半分程度にしか聞いていなかった。しかし偽りを含まなかった言葉。


 輝は少しだけ笑って――



「俺はあんたを傷つけない。俺はあんたを裏切らない。あんたを傷つけようとする奴らから、俺はあんたを守る」


「――――――――っ」



 心臓が大きく脈打った。目頭が熱くなって思わず顔を背けてしまう。


 嘘はなかった。こんな状況でも、輝が口にした約束に嘘はなかった。


 守ってくれるとはっきりと口にしてくれた。



「ふ、ふざけるな! 覚醒体は敵だ! いつ俺たちに牙を剝くとも限らないんだぞ!」



 我に返った狩人からの再度のがなり声。それが呼び水となって次々と荒々しい声が上がる。一度は沈静化したと思われた言い争いが再燃してしまった。


 これでは先ほどの焼き直しだ。


 誰かが夕姫たちに向かって魔術を放った。輝の警告を無視した攻撃は、彼と敵対する意思表明と同義である。


 輝は飛来した魔術を障壁で防ぐ。


 同時、至近距離で青白い光を見た。それが隣にいた夕姫から放たれたものだと気づいたときには、彼女の姿は掻き消えており、攻撃を放った狩人の眼前にいた。


 全身に神名の輝きをたたえ、狩人の顎に小さな拳を紙一重で添えている。



「彼の言ったことが理解できなかったのかな」



 夕姫の声で、夕姫のモノではない言葉が紡がれる。



「な、あ……」



 紫色の瞳に睨まれてその狩人は色を失った。輝に負けず劣らずの殺意。



「君たちがボクらを恐れるのはわかる。だけどこの子を傷つけようとするなら話は別だ。ボクは人間を傷つけるつもりはないけど、降りかかる火の粉を払うことを躊躇ためらうつもりもないよ」



 夕姫の姿でそう口にしたのは彼女の中にいる神。その神による威嚇と警告。


 敵愾心てきがいしんを持っていた狩人たちは、そこでようやく自分たちが置かれている状況を理解した。


 敵性覚醒体であるザルツィネルを討伐した狩人の黒神輝。


 たったいま彼我の力の差を見せつけた覚醒体の神楽夕姫。


 そして同じく覚醒体であるアルフェリカ=オリュンシア。


 この三人と同時に敵対することの無謀さに。



「わ、わかった」


「聞き分けが良くてよろしい。ほら、散った散った。怪我人とか沢山いるでしょ。まずはその人間たちの手当てとかしなきゃ。ボクらに構ってる暇なんてないはずだよっ」



 両手を叩いて取り囲む人たちに指示を飛ばす。先ほどの鋭い眼光はもうどこにもない。


 敵意のあった狩人たちは逃げるように散らばっていった。それを呆けたように見送っていた擁護派の狩人たちも、ややあって怪我人の手当てや瓦礫の撤去などの作業に取り掛かる。


 それを満足そうに見届けると夕姫の姿をした神は輝の元に戻ってきた。



「やあ、輝……で今も良いんだよね? こうして話をするのは久しぶりだね。こっぴどくやられたみたいだけど大丈夫かい?」


「……大丈夫そうに見えるか?」


「見えないねっ」


「まったくお前は、いつまでも変わらないな」



 からからとほがらかに笑う神は随分と輝と親しげに見えた。


 それに面を食らって目を丸くしていると、夕姫の中にいる神が人懐っこい笑顔を向けてきた。



「いやー災難だったね。ボクらは自業自得とはいえ、君のような人間にまで迷惑をかけちゃって本当に申し訳なく思ってるよ」



 悪びれているのかわからない態度で謝罪される。昨日までの自分だったらすぐに反発していただろうが、どういうわけかそういう気が全く湧いてこなかった。



「さて。じゃあ輝、世間話もほどほどにボクは引っ込むよ。夕姫、自分が転生体だって輝に知られることを何よりも怖がってたから、その不安を取り除いてあげてね」


「わかった」



 当然のように輝は即答した。


 にっこり笑うと全身に広がっていた神名が消失し、神の気配が消えていく。


 やがてゆっくりと瞳を開いた夕姫は不安げに輝を見上げた。



「……輝、くん」


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