自由への渇望③
武器を失ったアルフェリカは戦局を見守るほかなかった。
状況は
理由は圧倒的な火力不足にある。戦闘音を聞きつけた低ランクの魔獣がゲートに押し寄せ、そちらに半数以上の戦力を割かざるを得ない状況だった。
残った戦力で
それはつまり、輝が崩れたとき均衡が崩れることを意味する。
「武器があれば」
輝に借りた機械弓は神の力に耐えられずに破損した。もはやなんの役にも立たない。
この大勢がいる中で。転生体が
この攻防が始まって五分も立っていない。しかし輝はもう限界だ。
(彼を助けたいの?)
エクセキュアの問いかけにアルフェリカは当惑した。
「それは……」
わからない。いまは守ってくれてもいつか輝は裏切るかもしれない。でもだからといって死んでも良いとも思えなかった。
理由を欲した。
「都市にいる間は、いなくなられると困るし……」
(建前じゃん)
呆れるように笑うエクセキュア。
輝は言った。転生体のための居場所を作ると。
輝は言った。人と神が共存できる世界を目指すと。
本気でそう言ったのだ。転生体であるアルフェリカの前で。本心でその未来を語った。
そういう人がいることが嬉しかった。転生体である自分を拒絶せず、ただ弱き者のためのことを考えての夢が乾ききった胸に染み込んできた。
そうなればいいなと、ずっと願っては諦めていたことを輝は実行している。
信じてみたいと確かに思った。
信じていいのかと不安だった。
(あれこれ考えないの。助けたいんでしょ。じゃあそーしなよ)
アルフェリカの葛藤を蹴り飛ばし、エクセキュアは優しい声でそう言った。
(ヒカルの目指してるものを見てみたいと思ってるんだよね。ならあなたが助けてあげなよ。それで、一緒にその世界を見てみなよ。きっと素敵な世界だよっ)
それはアルフェリカの想いへの肯定。
「転生体だってバレたら、最悪この都市に殺されるかもしれないのに?」
(そーなったらヒカルに何とかしてもらおうよ。だってヒカルは約束してくれたじゃん)
――俺はあんたを傷つけない。俺はあんたを裏切らない。あんたを傷つけようとする奴らから、俺はあんたを守る。
輝が一方的にしてきた約束。
「そんなことになったら守ってくれるわけないわ」
(そーかもね。でもそーじゃないかも)
にへら、と。そんな表現が似合いそうな雰囲気で女神は語る。
(ヒカルがどーゆー奴か私は知ってる。たぶんあいつは守るよ。どんなことがあっても、あなたと交わした約束を)
信じるか信じないかはアルフェリカ次第。言外にそう告げて。
(さあどーする? 彼のために転生体であることを
それは恐ろしいくらい勇気を必要とする行為だ。今までまともに誰かを信じたことはない。他者のために自分のことを天秤にかけるなど考えたこともなかった。
自分の居場所が欲しいとずっと思っていた。転生体であることなど気にせず、普通に暮らしていける日常に憧れていた。
ガラスを割ったような音が一際大きく響いた。魔獣の剛腕が輝を捉え、ゴム毬のように弾き飛ばされる。それ以降、輝はピクリとも動かなくなった。
アルフェリカの中で何かが弾けた。頭に蔓延るしがらみが全て燃え尽きて、ただ一点のみに思考が集中する。
「来なさい――
右足から神名が光を放つ。顕現したのは白銀に輝く刀身を有する弓の剣。
それを目撃した一部の人たちの、アルフェリカを見る目が恐怖に染まる。関係ない。今やるべきことは一つだけ。
動かない輝へ追い討ちを仕掛けようとする魔獣めがけてアルフェリカは突貫した。弓矢では下手すれば輝を巻き込んでしまう。ならば接近して
それを阻止しようと狩人たちも集中砲火を浴びせかけた。しかし
これでは間に合わない。
絶望しかけたとき、高速で飛来した何かが
飛来したものを見遣る。小柄な影。
正体など考えなかった。
(汝、斬首刑に処す。命を以ってその罪を
エクセキュアの詠唱。断罪の魔力が刃に宿る。白銀の輝きがその刀身から放たれ、処刑の刃へと変貌する。
出し惜しみなどしない。
「
振るわれた裁きの刃が二つの三日月を描いた。それらは
一瞬の静寂。
「輝くんっ!」
悲鳴にも聞こえる声が
夕姫は大きな瞳に涙を湛え、倒れ伏す輝に駆け寄った。アルフェリカもそれに続く。
「うっ……」
血塗れの輝を見てアルフェリカは思わず顔をしかめた。
左腕にはあるはずのない関節が二つ増えていた。腹部は深く抉られて筋繊維が露出。見えている肌は至るところがどす黒く染まって内出血を起こしている。下手をすれば臓器にも損傷を受けているかもしれない。
素人目にも輝が危険な状態であることがわかる。早く治療を受けさせなければ。
「輝くん、輝くんっ、ねぇ、返事してよ輝くん!」
「無闇に動かしちゃダメよ。肋骨が折れてたら肺に刺さるかもしれないわ」
「でもっ、でも輝くんが!」
「落ち着きなさい。輝を死なせたいの?」
目を見つめて、静かに、しかし強い口調で諌める。それが効いたのか、彼女は少し落ち着きを取り戻したようだった。
「応急処置くらいならあたしでもできる。夕姫は治療ができる人を呼んで」
運良く応急セットが近くに転がっていたのでそれを使って止血を試みた。それがどれだけの効果があるかわからないが、少しでも生存率を上げるためにはできることはすべてやるべきだ。
絶対に死なせてはならない。死なせるわけにはいかない。
アルフェリカの頭はそれでいっぱいになっていた。
しかし周囲の者たちがそれを許してくれなかった。
「か、覚醒体だっ。こいつら、覚醒体だぞ!」
誰かがそう叫んだ。
勝利に沸き立っていた空気が一瞬にして凍りついた。恐怖、困惑、混乱、敵意、嫌悪。様々な感情が二人へ向けられる。
全身に広がった神名は覚醒体の証。そして覚醒体は転生体を超える畏怖の対象。
「誰でもいい! 狩人ギルドと『ティル・ナ・ノーグ』から応援を呼べ! 残った奴らは覚醒体を押し留めろ! 都市に覚醒体が現れたなんて魔獣どころの騒ぎじゃなくなるぞ!」
その号令を受けてまだ動ける者、戦える者が一斉に武器を構えてアルフェリカたちを取り囲んだ。
大勢から向けられる殺意に夕姫はびくりと肩を震わせる。周囲すべてが敵になるという現実。その恐怖をアルフェリカは身をもって知っている。
「そんなことしてる場合じゃ――」
文句を言おうとしてアルフェリカは言葉を飲み込んだ。
恐怖に囚われた彼らに何を言っても聞き入れてもらえない。都合よく解釈され、こちらが悪だと断じられるだけ。
今まで何度も味わってきた理不尽。味方なんていない。助けてくれる人もいない。自分の身を守るためには逃げるしかない。後ろめたいことがあるから逃げるのだと、後ろ指をさされても何も言えない。
唇を噛んで悔しさを堪える。やはりこの都市も同じなのか。他の人と同じように転生体というだけで排斥しようとする。正当性もなく、訴えも届かず、感情のまま拒絶される。
「ちょっとまて! この二人は
狩人の一人がアルフェリカたちを庇った。想像していなかった事態にアルフェリカは困惑する。今まで転生体である自分の肩を持ってくれる人などいなかった。
その男を見据えても嘘の気配がまったくない。本音からの意見。
この世界で、そのようなことがありえるのだろうか。
「魔獣を倒したからって敵じゃない保証はないだろ! そいつに宿っているのが敵性神だったらどうすんだ!?」
「そうだったら俺たちはもう皆殺しだ。見ろ! 彼女たちは全身に神名が広がってる! それでも俺たちの味方をしてくれたってことは友好神だってことだろ!」
「そんなものが何の保障になるっていうんだ! 仮にそうだとしても、この先も俺たちに危害を加えないとは限らないだろ!」
「いーや、俺はその覚醒体は敵じゃねぇと思うぜ!」
意見が対立する二人が言い争う中、また一人、アルフェリカたちを
「そこのちっさい娘は倒れてる白髪頭を見て泣いてたじゃねぇか。銀髪の娘だって手当てしてる。敵性覚醒体だってんならそんなことはしねぇだろ。ほっとくかそのまま殺しちまえばいい。だけどそれをしねぇってことは人間派の神様ってこったろ」
「それは俺たちを騙すための演技かもしれないだろ!」
「何のために!? 敵性覚醒体なら俺たちを殺すことなんて簡単だろ! それをしねぇで魔獣を倒してこの都市を守った! 傷ついた狩人を見て泣いて手当てしている! それ以上の事実があんのか! 思い込みだけでくっちゃべってんじゃねぇ!」
「なんだと!」
一人、また一人と声を上げる者が増え、言い争いはさらに苛烈さを増していった。様々な場所から様々な怒号が飛び交い、収拾がつかなくなる。
この状況は一体なんだ。転生体を敵視する者と自分との言い争いは何度もあった。しかしいま目の前で繰り広げられているのは転生体を敵視する者たちと転生体を擁護する者たち。転生体を巡っての人間同士の争いだった。
このような光景を見たこともなければ聞いたこともない。
――この都市では人間と神が手を取り合ってる場所も確かにある。
確かに輝はそう言っていた。
『アルカディア』。
輝が言っていたことはこういうことなのかもしれない。世界の全てが敵ではない。そう思うことができる光景が確かにあった。
「議論なんか意味ないんだよ! 何かあってからじゃ遅いんだ!」
平行線の言い争いにしびれを切らした誰かが術式兵装の銃口を夕姫に向けた。
敵意に怯える夕姫はもとより、目の前で繰り広げられるものに見入っていたアルフェリカも反応できずに対処が遅れた。
「
マズルフラッシュと共に大爆発。至近距離で発生した爆炎が視界を焼き尽くし、その衝撃が
しかしそれだけだった。衝撃に晒された身体に痛みはない。爆風に吹き飛ばされることも、爆炎に肌を焼かれることもなかった。
恐る恐る目を開くと眼前に蒼色に輝く魔法陣が展開されていた。それは何重にも重なり合ってシェルターとなり、二人を敵意と脅威から守護していた。
それが誰によるものかすぐにわかり、アルフェリカの心は激しく揺さぶられた。
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