遠く夢見たもの⑬


 衣服の調達は大体終えたが、あと一種類だけ必要なものがあったので、夕姫とアルフェリカの二人だけその店にやって来ていた。


 場所はランジェリーショップ。


 男子禁制の店であるため輝は別行動で日用品の調達に行っている。


 店に入るや否やアルフェリカは夕姫に引っ張られて試着室に連れ込まれた。問答無用で服を脱がされて店員にサイズを測られている。



「適当でいいって言ってるのに……」


「だめです。ちゃんとサイズの合ってるもの選ばないと形が崩れたりするんですよ」



 適当なものを数個見繕うつもりだったが、腰に手を当てる夕姫はそれを許してくれそうにない。



「Eですね。あちらのコーナーに並んでいるものから選んでいただくのが良いかと思います。何かございましたらまたお声がけください」



 一礼して去っていく店員を見送り、脱いだ衣服に手を伸ばす。サイズがわかったのだから手早く選んで済ませてしまおう。



「アルフェリカさんって胸大きいですよねぇ。いいなぁ、どうしてそんな大きいんですか?」


「どうしてって聞かれても……気づいたらこうなってたとしか。それに大きくたって良いことないわよ?」



 男どもにはいやらしい目で見られることが多いし、戦闘中に揺れるせいで重心がブレて動きづらい。大きい分、身体に厚みが出るので回避行動も大きく取らないといけない。



「そーゆーのは持ってる人の贅沢な悩みなんですっ。私なんてAなんですよっ。寄せて上げてもBに届かないんですよっ」



 夕姫は羨望嫉妬せんぼうしっとが入り混じった瞳でアルフェリカの胸を睨みつける。なんとなく感じていたことだが、夕姫とはやはり価値観が違うようだ。



「だ、大丈夫よ。夕姫にはまだ伸び代があるでしょ。二十歳になるまでには成長してるわよ」


「あと一年切ってるじゃないですか。ぜつぼー的ですよっ、ゆめもきぼーもないですよっ」


「えっ、夕姫って十九歳なの!?」



 そちらの方が衝撃だった。小柄で可愛らしい小動物のような印象が強かったので、勝手に自分と同じか年下だと思っていた。


 驚かれたことがショックだったらしく夕姫は顔を覆ってしまった。



「わーんっ。どーせ私は子供っぽいですよー。アルフェリカさんは良いですよね。大人な女性って感じで。胸おっきいし、スタイル良いし、足長いし、肌きれいだし、顔ちっちゃいし、髪つやつやだしっ」


「あたし、まだ十六歳だから子供はあたしの方だと思うんだけど」



 ピシッ、という音が聞こえた気がした。夕姫は硬直してしまい、唯一信じていたものに裏切られたような悲壮な表情を浮かべた。



「とし、した……? しかも十六歳なのに、そんな、いろいろすごいの……?」



 夕姫の瞳から光が消える。視線だけで呪われそうで怖い。



「アルフェリカさんのうそつきーっ! なんかもうすごいエロいの持ってきてやるーっ!」


「え、あ、ちょっ、夕姫!?」



 夕姫は泣きべそかきながら試着室を飛び出してしまった。何一つ嘘などついていないのだが何かを言う暇もない。


 とりあえず追いかけようとしたとき、唐突なめまいに襲われてその場で膝をついた。



(大丈夫?)



 エクセキュアの気遣わしげな声が頭に響く。



「これだけ人の多い場所だと流石に少しきついわね。どこを見ても黒い靄が目に入ってくる」


(感じ取れちゃうから目を閉じれば良いってものでもないしね)



 エクセキュアが言うにはその黒い靄はその人間が犯した罪の色だという。断罪者である"断罪の女神"が罪人を見つけるために備わった権能がそれを五感で知覚してしまう。


 無臭なのに吐き気を催す醜悪な香り。無言なのに呪詛にも聞こえる悍ましい音。無味なのに空気に混ざる不浄な味。触れないはずなのに粘つく不快な感触。そして、見ているだけで気が触れそうになる悪徳の色。


 対象が背負っている罪が重ければ重いほどそれはひどくなる。心まで穢されそうなそれは本能的な嫌悪を掻き立てて、ただひたすらに気持ち悪い。



「本当、罪を背負っていない人って存在しないのね。人は生まれながらに原罪を背負ってるって話だけど、そもそも原罪ってなんなのよ……」



 なにせ善悪の概念もない生まれたての赤ん坊にも見えてしまうのだ。原罪とは、生を受けたこと自体に対するものなのかと思わずにはいられない。



(わかってると思うけどあまり見ないようにね。下手をすると気が狂っちゃうから。自分でコントロールできればいいんだけど、そういう類の力じゃないし)


「おかげで嘘が見抜けるわけだけど、正直釣り合いが取れてないわね」



 嘘は見抜けるが精神力がガリガリと削られる。もし気が狂ったらどうなるか。自分が〝断罪の女神〟の転生体ということを考えれば、何をしでかすかは想像に難くない。



(ごめんね。私がこんな神であるばっかりに)


「まったくね。けど生まれたときからこうだったんだから付き合い方はわかってるわよ。調子が狂うからいつも通りにしていて」


(もしかして慰めてくれてる?)


「……そんなわけないでしょ」



 慰めるなどあり得ない。ただ事実を口にしただけだ。他意などあるはずがない。


 素っ気なく話を打ち切ろうとしたとき、更衣室のカーテンが勢いよく開いて夕姫が姿を見せた。



「アルフェリカさん買ってきましたよ! 夕姫セレクトです! 観念して着てください!」



 大きな紙袋を掲げて満面の笑みを浮かべる夕姫。支払いまで済ませてきたらしい。しかしまだ服を着てなかったアルフェリカは夕姫が掲げたものを気にする余裕など無かった。



「ちょっと夕姫っ! 開ける前に声かけてよっ」


「まだ服着てなかったんですかっ。そんなにその美ボディを見せびらかしたいのかーっ」


「ちょっ、ひゃあぁっ!?」



 飛びかかってきた夕姫に胸を揉みしだかれて、あられもない声を上げてしまった。とっさに口を噤んだが、後から込み上げてくる羞恥心は抑え込めない。



「ねぇアルフェリカさん、アルちゃんって呼んでもいいですか? あと敬語もやめていい?」


「んっ、な、なによ急に」


「せっかく知り合ったからできれば仲良くしたいなぁって。今のままだとよそよそしいし。私のこともゆーちゃんとか呼んでくれていーですから」



 構わず夕姫は手を動かし続ける。やめさせようとしても小柄な見た目からは想像できないほど力が強くて全然引き剥がせない。


 承諾するまで解放しないつもりと悟らされる。身体が甘く痺れ始めて、これはまずいと思ったアルフェリカは半ば自棄になって首を縦に振った。



「わかったっ。わかったから、好きに呼んでいいから手を止めてっ」


「いやったぁ! よろしくねアルちゃん!」



 夕姫はアルフェリカを解放すると満面の笑顔で喜びを表現する。



(お友達が出来たみたいでよかったね)



 友人。存在自体忘れかけていた単語だった。


 やや乱れた呼吸を整えながら、笑顔満面の夕姫を見上げた。


 今朝の話でアルフェリカが転生体だということを夕姫はわかっているはず。その自分と接しても彼女の顔に怯えは一切見えない。


 そのような触れ合いは久しく無かった。気負いのない関係。それはアルフェリカ=オリュンシアが求めていたものだ。夕姫との触れ合いはそれに近い気がした。


 したのだが。



「じゃあアルちゃん、いま着けてるの結構擦り切れちゃってるから、新しいの着けてこうよ。私が着けてあげるね!」


「い、いいわよ! 自分で着けられるからっ」


「遠慮しない遠慮しない」


「遠慮じゃな……ちょっとそこはっ……ひゃんっ!?」


「アルちゃんって声まで色っぽいよねー。これで年下かこんちくしょーっ」



 悪ノリが過ぎる夕姫によってアルフェリカの艶やかな悲鳴が店内に響き渡った。

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