第二章:遠く夢見たもの《アンビシャス》
遠く夢見たもの①
これは夢だと、輝はすぐに気がついた。
冴え冴えとした月明かりの下。どこにあるのかもわからない山の奥。しんと静まり返った針葉樹に囲まれ、古びた教会がひっそりと佇んでいる。
気の遠くなるほどに長い時間、手入れもされずに放置されてあちこちに風化の痕が目立つ。踏み抜きそうなほど脆い屋根の上で星空を見上げていた。
「ブラックゴッド……いないと思ったらこんなとこにいたんだ」
ぼんやりと星を眺めているところで、そう語りかけてくる声があった。
そういえば昔はそんな呼ばれ方をしていたなと思い出す。
誰が呼び出したかもわからない名前だが、呼び名がないと困ると言われてからはそう名乗っていた。
声の主は一人の少女。肩口まで伸びた銀髪が月光に濡れて煌めいている。こちらを見る瑠璃色の瞳は蒼眼と視線が絡むとふいっと違う方を向いた。
「ちゃんと寝ないと疲れが残るぞ」
「それはあなたも同じだと思うんだけど」
「俺はこれくらいなら問題ない」
「心配してるからゆってるのに……」
ぽそりと呟かれた言葉は風に紛れてよく聞こえなかった。
「悪い、もう一回言ってくれ」
「な、なんでもないっ」
彼女はそっぽを向いてしまう。この頃、目が合うとすぐに逸らされてしまう。彼女の言動から嫌われているわけではなさそうだったので、理由がよくわからなかった。
「隣、いい?」
「ああ」
頷くと、おずおずと一人分の距離を開けて腰を下ろした。これが二人の距離なのだろう。
会話はなく沈黙が漂う。時折、彼女からの視線を感じるが、顔を向ければ目を逸らされるに違いない。それがわかっていたので、何も言わずぼうっと星を見ていることにした。
長い長い沈黙。
「ねぇ」
沈黙に耐えられなくなったらしい。顔を向けると彼女はもじもじと膝を擦り合わせて居心地悪そうにしていた。
用件があって声をかけたわけではなかったようで、続く言葉を探しているといった様子。
「な、なんで、ブラックゴッドなの?」
「さあな。呼び始めたやつに聞いてくれ。大方、死神にでも見えたんじゃないか?」
言いながら自嘲した。本当にそう思っているのは自分なのに。
「あー、確かに大鎌を使ってるもんね」
「そうだな」
それもあるかもしれない。黒い
「……嘘」
適当な同意に彼女は透明な視線をこちらに向けていた。
「本当は見た目が死神っぽいからそう呼ばれたわけじゃないんでしょ? 私、嘘は嫌い」
彼女はこんな無意識の小さな嘘も見抜いてしまうのか。
嘘が嫌いなら、本心を語るしかない。
「多分、俺が大勢の人間を殺してるからだろうな」
当時はそんなに罪悪感を持っていなかった。なぜなら自分はそういう存在だったのだから。
「俺は人間の命を糧として神を殺す〝神殺し〟だ。
何万、何十万、何百万。あるいはそれ以上に。戦争が終結したときには一体どれほどの命を奪ったのか知りようもない。
「ほら、人間から見れば死神だろ?」
「……悲しいね」
彼女はそんなことを言った。
「俺はただの殺戮者だ。いつか犯した罪の報いを受けることになるさ」
「それを私の前でゆうのはどうかと思うけど」
「ならお前が俺を裁くか?」
「冗談でも怒るよ?」
睨みつけられた。それから悲しげに瞳を揺らして。
「罪だと感じてるなら、生きて償おうよ」
「……俺はただの殺戮者だ。だから
「でも
「代わりに命を奪った。神から人間を救うために、救おうとした人間を喰らって。人間から見て、それは
そうだ。それを疑問に思うこともなかった。それが正義だと疑うことなく使命に殉じた。
大地を救うために人間を駆逐することを正義とした神。
人間を守るために神々と相対することを正義とした神。
己の正義を疑わなかった神々と何も違わない。矛盾した行動をした自分の方が、よほどタチが悪い。
なによりも果たすべき使命がない。生きる目的も理由もないのだから、死んだ方が世のためではないだろうか。
「じゃああなたはどうして私を助けたの? 人間に捕まって殺されそうになってた私を」
「別に助けたわけじゃない。お前の力ならあれくらい自力でどうにかできただろ。俺は人間がお前の力で死ぬことを防いだだけだ」
「それこそなんで? 殺戮者なら見捨てればよかったじゃん。別に誰が死のうと関係ないでしょ?」
こちらの欺瞞を見抜き、確信に満ちた表情で。
「あなたは償いたいと思ってるんだよ。だから私も、私を捕まえた人間も傷つかないように、私をあそこから連れ出した。誰かを助けたいって、本当はそう思ってる」
「まさか。そんなこと思ってない」
「嘘は嫌いだってばゆってるでしょ……だから、えいっ」
おもむろに立ち上がったかと思うと背中を強く蹴られた。突然のことにバランスを崩し、屋根の傾斜を転がり落ちる。宙に投げ出されたと認識した次の瞬間には、背中から地面に叩きつけられていた。
痛みに悶絶した後、蹴り落としてくれた当人に向かってとっさに叫んだ。
「いきなり何するんだ!? 下手すれば死んでたぞ!?」
死んでも別に構わないはずなのに、なぜ自分は抗議しているのだろうか。
「死んだんだよ」
蒼月を背に、こちらを見下ろす瞳は、痛いほど真剣で。
「
何を言っているのかわからなかった。
「あなたはこれから
「救う? そんなことして――」
なんの意味がある?
「やるの! 意味なんてあってもなくてもやるの!」
有無を言わさない勢いがあった。
「殺してしまった人より多くの人を救ってあげて。もう涙を流す人がいなくなるように。もう傷つく人がいなくなるように」
このとき生きる目的を与えられた。人間は敵だと思っているはずの少女が人間を救えと。そんな矛盾を抱えてまで。
「犯した罪を償いたい。それがあなたの本心。だけどあなたは認めようとしない」
意味も意図もわからない。
「なら私が罰を与える。あなたが
だが応えなければならないと思ってしまう何かが込められていた。
「……わかった」
気づいたときには頷いていた。
心の整理はついていない。たったいまお前は死んだと言われても実感がわかない。
けれど目の前の霧が晴れていくような感覚はあった。彼女の啓示で今まで見失っていた道が見えるようになった気がした。
自分の名は黒神輝。
殺してしまった人より多くの人を救う。もう涙を流す人がいなくなるように。
その誓いを果たすための名。
「ところで、なんで輝なんだ?
ふと浮かんだ疑問を口にすると彼女は空を指差した。
「あの月があなたの目と似てるなって思って」
夜空に浮かぶ蒼い月。あれと輝が結びつかなくて首を傾げる。
「あなたは太陽ってガラじゃないもん。陽の光を受けて輝くの。誰にも負けないくらい輝いて、暗い絶望にある人を照らしてあげて」
「その話だと太陽が必要になるな」
「じゃあ私があなたの太陽になってあげるね」
自らの手に胸を当てながら自信満々にそんなことを言うものだから、つい黙ってしまった。
「な、なにかゆってください……」
恥ずかしくなったのか、だんだんと顔が赤くなっていく。
「く、くくくっ……」
「な、なんで笑うかなぁっ!?」
笑っては悪いと思ったが堪えきれない。
「いいじゃん! 私の名前アルフィー=サンライズだよ!? 別に間違ってないじゃん!」
「そうだな」
なんとか笑いを抑えることに成功し、笑われてむくれる彼女を見上げた。
「これから俺は黒神輝として生きる。殺してしまった人よりもより多くの人を救う。もう涙を流す人がいなくなるように。そのために身命を賭すことを誓い、これを贖罪とする」
蒼月を背負い、教会に佇む銀髪の少女へと向けた宣誓。
「大丈夫、あなたならきっとできる。だって――」
アルフィーは柔らかく微笑んで。
「私は、輝に救われたんだから」
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