限られた陽だまりの中②


「そういえば学校の方はどうだ? 今度、魔術師の認定試験を受けるんだろ? 確か第四階級フォースだったよな」



 これでも夕姫は魔術の専門学校に通う学生の身だ。


 現在では日常生活に魔術が使われているのは当たり前。魔術師というだけで職の選択肢は驚くほど増えるため、『アルカディア』に住む者はそのほとんどが魔術を学ぶ。


 魔術を修めた者はその証として資格を持つことになる。下から〝第五階級魔術師〟フィフス・メイガスフォースサードセカンドファーストアイン無限アイン・ソフと続き、最高位が無限光魔術師アイン・ソフ・オウルの八段階。


 資格が高いほどこの都市での就職は有利に働く。


 無限アイン・ソフ無限光魔術師アイン・ソフ・オウルの取得基準はとても人間が超えられる者ではないため、実質最高位は〝第零階級魔術師〟アインメイガスとなっているが。


 ここでケーキを頬張っている夕姫も例に及ばず。今日も学校で講義を受けてきた後だったりする。



「今のところ調子はいいかな。落ちることはないと思う。ただ最近あんまりやる気が出ないからその次の第三階級サードを受けるときはどうなるかわかんない」


「努力家の夕姫にしては珍しいな。なんかあったのか?」



 夕姫はフォークをくわえたままムッとした。



「輝くんが学校来なくなっちゃったからでしょ。目標にしてた人がいなくなっちゃったんだから、そりゃモチベーション下がるよ。輝くんに追いつくために頑張ってたよーなものだし」


「中退した脱落者を目標にしてどうするんだよ」


「いやいやいやいやっ。なにゆってんのさ。輝くん成績上位だったじゃん。それに魔力の測定で保有量と出力量が学内ダントツだったの知ってるんだよ?」


「俺は魔術師として欠陥を抱えてることも知ってるだろ。現に合格率九五%の第五階級フィフスの試験だって落ちたぞ」


「うっ……輝くんの体質のことは知ってるけど。でもぉ」



 卑屈な物言いが気に入らないらしく、夕姫は食い下がろうとしてくる。目標としている人物が自分を否定していたら反発したくなる気持ちはわからなくもない。



「俺は魔術師には向いてなかった。それだけのことだ。まあ得るものはあったから、入学したのは無駄じゃなかった。夕姫ともこうして仲良くなれたわけだしな」


「うん、それは私も同じ気持ちだよ」



 夕姫も同じことを感じてくれていたことを嬉しく思いながら、互いに笑い合った。



「俺はともかく、夕姫なら卒業する頃には〝第三階級魔術師〟サードメイガスくらいにはなってるさ。だから自信持て」



 本人に自覚はないが夕姫は相当な努力家だ。理解できないことがあれば理解できるようになるまで学習する。出来ないことがあれば出来るようになるまで練習する。そこに注ぎ込まれる熱量は他の人間の比ではない。


 努力できるというのは何よりも重要な才能だ。きっとこの娘は自らの夢を自らの力で叶えることができるだろう。


 それが幸福であることを輝は知っている。



「む、なんか輝くんすっごく生温かい目で見てない? もしかして馬鹿にされてる?」


「せめて温かい目と言え。馬鹿にしてるわけじゃないよ。ただこう、平和だなと思ってさ」


「うわ、急に年寄りじみたことゆい出したよこの人」


「うるさいな」



 茶化されたことで意図せず語気が荒くなった。



「千年前の『神滅大戦』ディオスマキナで世界人口が半分まで減って、魔獣が世界に蔓延はびこるようになって、人間にとって生きていくのが難しい世界に変わったんだ。明日の心配どころか数分後に魔獣に殺されるかもしれない、残された僅かな食糧と住処を人間同士で奪い合う過酷な日々が続いてた。それが今じゃこうしてケーキ食いながら他愛のないことを話してられる。当時じゃ考えられない贅沢だ。これが平和じゃなかったら何なんだよ」



 『神滅大戦』ディオスマキナ。いまの時代ではもうただの歴史上の出来事としか認識されていないが、その史実を知らない人間はいない。


 この大地の資源を際限なく食い潰す人間を排除しようとした神とそれを良しとしない神による争い。多くの神々が命を散らし、その戦禍に人類の半数が焼かれて死に絶え、大地に決して浅くない傷跡を残した。


 愚かな神々は緑豊かな大地を自ら破壊して生命を赦さない地獄を創り出したのだ。


 それにより人類は衰退を余儀なくされた。かつての文明はほとんどが滅び、残された技術はあまりにも少ない。


 それでもかつての栄華に引けを取らない文明を築き上げた。


 世界に脅威は未だあれど、いまこの時が平和であることは揺るがない。



「その話になるとまるで見てきたみたいにゆーよね、輝くんって」


「……教科書でな」



 熱弁をごまかす輝の様子に夕姫はにこりと笑った。



「まぁ千年前なんて私たち生まれてないから実感わかないけど、輝くんがゆってることも何となくわかる気がするよ。そもそも神様なのに戦争起こすことが間違ってるんだよ。そのせいで魔獣なんて怖い生き物が生まれてきちゃったわけだし」


「死んだ神の魔力素マナが大量に大地に降り注いだからな。そりゃ生態系も狂う」


 魔力素マナとは万物を構成する最小物質の呼称である。生物が大量の魔力素マナを取り込むと突然変異を起こし、今までにない特性を得ることが過去の研究からわかっている。


 最たるものが魔獣と呼ばれる生命体だ。魔獣はそのほとんどが凶悪で凶暴。縄張り意識が強く、他の生物が侵入してくれば何であろうと襲いかかる。さらに繁殖力が高く、異種族とも交配が可能であるため魔獣の総数は増加の一途を辿っている。



「けど魔獣なんてまだ可愛いもんだよ。『アルカディア』の防壁は頑強だし、魔獣狩りに特化した狩人も多い。ここに住んでる限り魔獣に襲われることなんてそうそうない。それよりも……」



 輝は視線だけで店内のテレビを指す。夕姫もつられてそちらに顔を向けた。そこではニュース番組が放映されており、キャスターが淡々と原稿を読み上げている。



〈二月二十日未明、魔術都市『ソーサラーガーデン』にて敵性覚醒体が現れた事件ですが、逃走した敵性覚醒体は未だ見つかっていません。当時は一〇〇名以上の死傷者を出しており、被害を受けた地域は今も復興中とのことです。復興の様子をご覧ください〉



 移り変わった画面には崩壊した街並みが映し出されていた。まるで怪獣映画のセットのように見えるそれは現実にあった破壊の爪痕。二ヶ月も前から復興作業は始まっており、建築中の建物がいくつか見受けられるが、それでも壊れた道路や建物の瓦礫が目立つ。



〈敵性覚醒体が都市を襲う恐怖に住民は不安で仕方がないでしょう。何故このようなことが起きてしまったのでしょうか。――ここで転生体・覚醒体に詳しい専門家の先生にお話を伺いたいと思います〉


〈皆さん御存知の通り、『神滅大戦』ディオスマキナで滅んだ神の魂を持つ人間――すなわち転生体が、自分の中に宿している神に人格を奪われることによって覚醒体が生まれます。敵性かどうかはその神の人格に依存しますが、神と呼ばれるくらいですから、当然その力は我々人間が及ぶべくもありません。世界で十二人しかいない第零階級魔術師アインメイガスでもない限り単独で対抗することは難しいでしょう〉


〈それでは我々は敵性覚醒体が現れたらどうすることもできないということでしょうか?〉


〈いえ、決してそのようなことはありません。これは我々人類の天敵である〝断罪の女神〟や〝神殺し〟にも当てはまりますが、神といえど肉体は人間です。それなりの武力と戦略を持つ組織であれば無力化することは不可能ではありません。さらに転生体と覚醒体には致命的と言える弱点もあります〉


〈神名と呼ばれる痣ですね〉


〈その通りです。転生体と覚醒体には身体のどこかにその痣がありますが、それに一定以上の傷を負わせると必ず絶命します。このようなカッターでつけられる傷でもそうなります。つまり武力と戦略を駆使し、神名を傷つけることで敵性覚醒体も撃退できるというわけですね。たとえばこのような事例があります――〉



 覚醒体が現れる度にこの手のニュースが放送される。一体の覚醒体が現れるだけでどれだけの被害が出るか。身を守るにはどうすればいいか。専門家たちは転生体や覚醒体の恐ろしさを延々と語るのだ。


 聞いているだけで気分が悪くなる。無意識に拳を固く握りしめていた。



「ああやって呼ばれる人間が生まれてしまったことの方がよっぽどだ」


「やめて輝くんっ!」



 夕姫の声に叩かれて渦巻いていた熱が急速に冷えていく。彼女の方へ視線を戻すとテレビから目を離して耳を塞いでいた。



「その話、本当に嫌なのっ。私の前でその話はしないでってば! 前にもゆったよ!」



 過去に何かあったのか、夕姫はこの話題を極端に嫌う。


 この世で魔獣以上に忌み嫌われている存在が転生体や覚醒体だ。いや、嫌うなどと生優しいものではない。


 転生体と覚醒体はそうであるというだけで人間として扱われない。迫害され、排斥され、化け物として扱われる。場所によっては生まれたらすぐに殺害されたり、捨てられたり、奴隷として身売りされたりすることもよくある話だ。


 この理想郷アルカディアでは他の地域と比べてその風潮は圧倒的に弱い。世界的に珍しい場所ではあるが、それでもやはり転生体と覚醒体が恐れられているという現実は変わらない。


 夕姫がこの話題を嫌うのも仕方がないのかもしれない。



「……悪い、そうだったな」


「う、ううん……私も、おっきな声出してごめん」


「夕姫のことを考えなかった俺が悪いんだ。気にするな」


「ごめん……」



 しょんぼりと項垂れてしまう夕姫を前にして輝は頭を掻きむしった。



「まあとにかく、都市の中にいる限りは魔獣に襲われる心配なんてないってことだ」


「うん。でも都市に魔獣が入ってきた時を想像すると、ちょっぴり怖いなぁ」


「だろうな。『アルカディア』には魔獣を見たことない人間がいるくらいだからな」



 写真や映像で見たことはあるだろう。しかしこの都市で生まれ育った人間は、そのほとんどが一度も実物を見たことがないという。


 この都市がそれだけ安全だという証なのだから、ある意味では良いことだ。


 反面、魔獣を目の前にしたとき正しく行動することができる人間は果たしてどれだけいるだろう。



「輝くん、あの、ね?」



 夕姫はモジモジとしながら顔を逸らしたまま視線だけをこちらに向けてきた。



「もし、もしだよ? もし私が危ない目に遭ってたら、輝くんは私を守ってくれる?」


「当然だろ。何をいまさら」



 唐突な問いに疑問を持つよりも早く答えを口にしていた。


 その即答に夕姫のしょぼくれていた表情がぱあっと華やぐ。



「えへへ、そっか。えへへ」


「なんだよにやにやして。気持ち悪いやつだな」


「ちょっと!? 気持ち悪いってひどくない!?」


「事実だから仕方がない」


「むぅー」



 ぷくーっと頬を膨らませる可愛らしい仕草に輝は相好を崩した。


 ふと夕姫の表情が陰る。



「ねぇ輝くん、なんで学校辞めちゃったの?」



 輝は一瞬だけ首を傾げたが、夕姫が何を言いたいのかを察して逆に問いを返した。



「戻ってきてほしいのか?」


「そう、だね。今までいた人がいなくなるのはやっぱり寂しいよ」



 そう思ってもらえることのなんと嬉しいことか。



「今もこうして会えるだろ。行動範囲が変わっただけで二度と会えなくなったわけじゃない」


「輝くんから誘ってくれることってあんまりないじゃん。連絡だってほとんどくれないし」


「狩人業が忙しくてな」



 嘘ではない。魔獣の数は世界人口を超えている。世界各国は魔獣を駆除する手を常に欲している。



「狩人って命の危険があるんでしょ? できれば普通に就職してほしいよ。知らないところで輝くんに何かあったら嫌だもん」


「心配かけて悪いな」


「なぁんかてきとー。輝くん誠実って言葉知ってる?」


「もちろん知ってるさ。夕姫にはそう接するように心がけてるつもりだけど」


「そうやって軽くゆっちゃう辺りがてきとーだってゆってんのっ」



 不貞腐れてまたそっぽを向いてしまう。しかし本当に機嫌を損ねたわけではないのは彼女の顔を見ればわかる。


 他愛のない会話を交わす穏やかな時間。


 こんな時間がいつまでも続けばいいのに。つくづくそう思う。


 そこに水を差すようにポケットから着信音が聞こえた。ディスプレイに表示されている名前を見て、この陽だまりの時間が終わるのだと理解した。


 輝はそれを惜しみながら、携帯端末を耳にあてる。



「もしもし」


「輝、いま大丈夫か?」



 電話口から聞こえてきたのは男の声だ。その声には焦燥が滲んでいた。



「大丈夫だ。いまセンター街で夕姫と一緒にいるけどな」


「そうか。悪いんだが緊急で依頼をしたい」



 電話の主――神崎かんざきは単刀直入にそう切り出した。その事務的なやり取りにチリチリとうなじがひりつく。



「都市近辺で敵性覚醒体が確認された」



 その単語を耳にした瞬間、全身の血が沸いた。



「襲撃を受けた輸送業者からの報告だ。命からがら『アルカディア』まで逃げて来たらしい。その証言から敵性覚醒体と断定した」



 人間を傷つけた覚醒体。それは黒神輝がこの世で最も憎むべき存在。



「場所は?」


「東ゲートから三十キロほど離れた場所だ。『アルカディア』にまっすぐ向かってる。徒歩だからここに辿り着くのは夜になるだろうな」



 センター街から東ゲートまでは五十キロメートル。交通機関など足があることを考えれば、武装を整えて移動するには充分な時間がある。



「狩人ギルドを通して他の狩人にも依頼を出してる。だがあくまでも寄ってきた魔獣の露払いだ。敵性覚醒体相手の戦力として期待するな。そっちはオレたち『ティル・ナ・ノーグ』から部隊を向かわせる」


「部隊? 守護者はどうした?」


「戦える奴らは他の都市に派遣されて出払っちまってる。明朝に戻ってくることになってるんだが、今回は間に合わない。すまねぇ」


「そうか。わかった」


「敵性覚醒体が襲撃して来た場合、部隊と連携して迎撃にあたってくれ。場合によってはお前の判断で処理して構わない」


「了解した」


「では『ティル・ナ・ノーグ』専属狩人の黒神輝に正式に指令を出す。敵性覚醒体から都市を防衛。必要に応じてこれを排除せよ」


「受諾する」


「死ぬなよ」


「当然だ」



 通話を切ると、こちらの様子に何かを感じ取った夕姫が不安げにこちらを見つめていた。



「どう、したの?」


「悪い、急な依頼が入った。料理は今度またご馳走してくれ。必ず埋め合わせはする」



 まさか敵性覚醒体のことを言うわけにもいかない。


 申し訳ないと思いながら、財布から高額札を一枚抜き取ってテーブルに置いた。



「待って!」



 テーブルを乗り出して夕姫は輝の腕をがっしりと掴んだ。骨が軋むほどの力で掴まれて簡単に振り解くことができない。



「おい、夕姫っ」


「……ぎ貸して」


「え?」


「鍵貸してってゆったの! 私と遊んでるのに、いっつもそうやってどっか行っちゃう! 輝くん家で待ってるから鍵貸して!」


「なんでそうなるっ!?」



 確かに今日のように夕姫との約束を反故にした前科はいくつもある。何度も彼女の厚意を無下にしているのだから怒るのは当たり前だ。


 だがそれにしても怒りの方向がおかしい。



「輝くんのばか! ばかっ! ちょーばか! いいから貸してってゆってるの! じゃないと私もついてくからねっ!」


「それは絶対ダメだ!」



 魔獣が生息する都市の外はそれだけで危険な場所だ。ましてや今回は魔獣など比にならないモノが標的。そんなところへ、夕姫を連れて行くことなどできない。



「だったら鍵貸してよ!」


「……わかったよ」



 ここで言い争っていても夕姫は聞く耳を持ちそうにない。止むを得ずポケットから取り出した鍵を夕姫に渡した。



「さ、最初っからそうしてくれればいいのっ」



 手渡された鍵を夕姫は不機嫌な顔のまま大事そうに両手で抱え込んだ。



「じゃあ、輝くん家で待ってるからね。ちゃんと帰ってきてよ」


「すぐに帰れるかわからないぞ。最悪朝になるかもしれない」


「帰ってくるまで待ってるもん」


「それはダメ――」


「待ってるもんっ!」



 みなまで言わせず輝にずずいと顔を寄せてくる。不満不服、そういった感情を隠すことなく前面に押し出す。


 大きなため息が出た。



「なるべく早く帰れるようにする」



 梃子でも動きそうにないなら頷くしかないだろう。


 夕姫だって見た目は小さくても立派な成人。外泊したとてそれはもう彼女の責任の範疇だ。他人の自分が口うるさく言うことではないだろう。


 恋人でもない一人暮らしの男の家に、ということはこの際、目を瞑る。



「ちゃんと家には連絡しとけよ?」



 夕姫の頭に手を置いた。それだけで彼女のしかめっ面がふにゃりと緩む。


 小動物のような愛らしさに思わず苦笑してしまう。



「じゃあ行ってくる」


「いってらっしゃーい。えへへ」



 機嫌が悪くなったり良くなったり、忙しない夕姫の声を背中越しに聞きながら、輝は東ゲートへと足を向ける。


 笑みを引き剥がし、蒼眼に宿すのは冷たい殺意。


 それは黒神輝が日常では決して浮かべることのない顔。

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