第一章:限られた陽だまりの中《オールウェイズ》
限られた陽だまりの中①
春先の夕暮れ時。
冬は終わりを告げて温かな季節を迎えたばかり。土の中で眠っていた虫や植物が待ち遠しかった春の到来を受けて顔を見せ始める季節。
それは人間も同じだ。ポカポカ陽気につられて外出する者も多くなった。街はそんな者たちで活気づいている。
街の喧騒は平和と発展の象徴。茜色の空の下で行き交う人々を眺めていると平穏を実感できて、絶え間なく聞こえてくる人間の声は心地が良い。こうして耳を傾けているだけでも穏やかな気持ちになることができる。
油断しているとすれ違い様にぶつかりそうだ。道を譲り譲られ歩幅を変えて、ただ歩くだけで気を遣う。
「やっぱりこの時間になるとセンター街はかなり混んでくるな。さすがは
地方都市『アルカディア』。都市の中心であるセンター街には物資、情報、技術など様々なものが集う。それらを求めて人が集い、またさらに物資などが集う。経済と都市開発が活発化し、センター街を中心とした都市全域に交通網が張り巡らされ、多種多様な技術が発達し、急激な発展を遂げた。
望んだものが手に入る理想郷。それがこの都市の代名詞。
「あれから随分経ったよな……」
不意に過ぎ去った時間のことを思い出した。昔を思うと自分が買い物袋を片手に歩いているなんて、まるで出来の悪い笑い話のようだ。
「おーい! ひっかーるくーんっ!」
感慨に耽っていると街の喧騒を打ち消すような明るい声が飛んできた。
カフェのオープンテラスから小柄な女の子がぶんぶんと手を振っている。腰まである紫の長髪が彼女の動きに合わせて左右に揺れていた。
「早く早くっ。こっちだよ。来て来てっ」
何が待ちきれないのか繰り返し手招きをして輝を急かした。そんな彼女の無邪気な振舞いはそれだけで元気をもらえる気がする。
そんな心の内を表には出さず、輝は肩をすくめながら彼女の待つ席へと早足に向かった。
「輝くんやっと戻ってきたぁ。頼んだもの全部買ってきてくれた? じゃないと晩御飯レシピどーり作れなくなるよ」
「買い忘れがあったとしても夕姫だったら美味いもの作れるだろ」
丸テーブルを挟んでにこにこしている彼女の名前は
童顔な上に身長一四〇弱という小ささは中学生と見紛う容姿だが、実年齢は十九歳。十八歳を超えているので、これでもれっきとした成人女性だ。
彼女としては子供に見られるのは
一年前に初めて出会ったとき、彼女を中学生と間違えて不服そうな顔をされたのを今でも覚えている。
この紫色の髪と瞳が特徴的な少女は、輝にとって数少ない友人だ。
「作れるけど足りない材料を他でまかなうのって大変なんだからねっ。メモ渡したんだからちゃんとそのとーりに買ってきてよぉ」
「買ってきたって。確認してみれば良いだろ、ほら」
「どれどれ…………うん、全部そろってるっ。やれば出来るじゃん輝くん」
「お前の中で俺はお使いで褒められる程度なのか……」
そんな輝のささやかな抗議を無視して、逆に夕姫が不満げに頬を膨らませた。
「でもどーして私はここで留守番なのかなぁ? 一緒に行きたかったのにー」
「センター街ではぐれたら夕姫を見つけるのが大変だからだよ。ついこの前も合流するの苦労したの忘れたか?」
通常はぐれたとしても携帯端末で連絡を取れば合流は容易い。しかし夕姫の場合はそうはいかない。
合流場所を決めても夕姫はすぐに人混みに流され、居場所を転々とするので全然見つけることができないのだ。
そのせいでセンター街のあちこちを歩き回る羽目になったのは一度や二度ではない。
そのときのことを思い出して疲れ切ったため息をつく輝に対して、夕姫はバツが悪そうに。
「し、しかたないじゃんっ。こんなに人がいっぱいなんだから」
「夕姫はちっちゃいからな」
「ちっちゃいゆーな!」
「痛い! 痛たたたっ! 割れる! 頭が割れるって!」
軽く夕姫をからかったら頭をアイアンクローされた。彼女の細腕からは想像もつかない力でガッシリと締めつけられて、頭蓋骨がミシミシと嫌な音を立てる。悲鳴を上げながら引き剥がそうとしても、頭を掴まれる力が強すぎて引き剥がすことができない。
ひとしきり痛めつけて気が済んだのか、ようやく解放された輝はぐったりとテーブルに突っ伏した。
「くそ、ちっちゃいくせに相変わらずの馬鹿力め……」
「なんてゆった?」
「いえなにも」
「……もうっ」
夕姫は頬を膨らませて機嫌を損ねたことを表す。こういうところは小柄なこともあって愛くるしい。
とはいえ礼を失したのは事実。
「悪かったよ。お詫びに好きなデザート注文していいから。そのジュース代も俺が持つよ」
「ホントっ!? すいませーんっ。チーズケーキとモンブランとガトーショコラくださいっ」
目をキラキラさせながら、即座に近くの女性店員にケーキ三つも注文。遠慮がなさ過ぎていっそ清々しい。
「輝くんは?」
「じゃあアイスコーヒー。ブラックで」
かしこまりました、と愛想のいい笑顔を見せて女性店員は離れていく。ぼんやりとその後ろ姿を眺めていると夕姫が意地の悪い笑みを浮かべて顔を寄せてきた。
「カッコつけちゃって輝くんってば。あのウェイトレスさん気に入っちゃった?」
「なんだよそれ」
「アイスコーヒー。ブラックで」
目をキリッとさせて低い声を出す夕姫。真似のつもりだろうがクオリティの低さも相まって妙にイラッとした。
「ブラックで飲むのが格好いいなんて思ったことないよ。なに、女子目線だとそうなの?」
「まっさかぁ。むしろなにカッコつけっちゃってんのあいつ、ってなる」
「どういう理屈だよ」
「女の子は甘いものが大好きなのです。だから甘くないコーヒーを飲める人はすごいのです。つまりすごい人はカッコイイのですっ!」
「お前の理屈だろそれ」
夕姫は苦いもの辛いものが苦手だ。コーヒーを飲むときはいつも砂糖とミルクをこれでもかというほど入れる。太るし糖尿病になるぞと忠告したら、コーヒーを飲むのをやめてコーヒー牛乳を選ぶようになった。
夕姫は両手で頬杖をつきながら上機嫌に笑う。
「女心がわからないならもっと勉強しないとね。じゃないといい男の人になれないよ?」
「ほっとけ」
輝も片手で頬杖をついて夕姫から顔を逸らした。
彼女にはそれが拗ねているように見えたのか――
「まーまー。でも輝くんってばすっごくラッキーなんだよ? 今日だって輝くんのためにわざわざ家に出向いて、手料理を振る舞ってくれる超献身的な女の子がいるんだから」
「そんないい子どこにいるんだ?」
「い、る、で、しょ、こ、こ、にっ!」
今度は両手で頭をホールドされる。また強烈なアイアンクローが来ると察した輝は慌てて弁明した。
「じょ、冗談だよ! いい友達を持って幸せだと思ってるよ!」
「う、それはそれでちょっと複雑」
「……なんでだよ」
理由は察しているがあえて口にしない。
気が削がれたのか夕姫の手から力が抜け、とりあえずは頭蓋骨を握り潰される危機は去った。
程なくして注文した三つのケーキとコーヒーがテーブルに置かれる。夕姫はすぐさまフォークを手に取るといかにも美味しそうにケーキを頬張った。
幸せそうでなによりだ。
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