贖罪のブラックゴッド ~果てなき誓いをこの胸に~
柊 春華
序章:刻まれたもの《トリガー》
刻まれたもの
〝断罪の女神〟は人間を愛していた。
しかし人間は〝断罪の女神〟を忌避していた。
人間は生まれながらの罪人。先祖が神々の意志に背き、反逆し、その法を犯したが故に。
〝断罪の女神〟は生まれながらにして人間の天敵。噓偽りを見抜き、罪を暴き、断頭にて裁きを下すが故に。
人間は己の安寧のため、あらゆる手段で〝断罪の女神〟を排除せんと牙を剥く。
それでも彼女は人間を愛し続けていた。
弱い存在でありながら、この過酷な世界で、寄り添い助け合う生き様を尊いと感じていた。
故に苦痛だった。
人間は須らく罪人。だから愛する命を自らの手で摘み続けた。彼女自身が拒んでも断罪者として生まれた使命に逆らうことはできなかった。
何十年、何百年。人間の命で手を赤く染め上げた。
死してなお滅べない。魂は転生し、新たな命に宿り、生を受け、〝断罪の女神〟の魂を宿した子は、それを理由に同胞から恐れられ、いつも凄惨な最期を迎える。
何十回、何百回。人間に憎まれて何度も殺された。
どれだけ嘆いて繰り返される。
呪いのような輪廻転生。
それでもずっと望み続けた。
私に救いがなくても構わない。だけど、だけどせめて、私が宿ってしまった命だけでも。
この子だけでも。
「誰か……助けてあげて」
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
人肉の焼けるにおい。痛みに苦悶する声や救済を
地面には人体の破片が転がっていた。手、足、首、胴体、臓物、骨、肉片、血液。
まるで廃棄された生ごみのように。
死臭に満ちた地獄を創り出したのはたった一人の少女。
身の丈ほどの銀髪は返り血に汚れ、瑠璃色の瞳が虚ろに揺れる。
両手に握られた双剣から赤い雫が滴る様子は、多くの命を奪ったことを物語っていた。
何千、何万、何十万。数えきれないほど
「もうやめてくれ!」
青年が叫んだ。白い髪は血や煤で汚れ、少女を映す蒼眼は苦悩に満ちている。
叫びも空しく、銀髪の少女の返答は白銀の二連撃。首を刎ねに来た刃を、青年は漆黒の大鎌にて弾くのが精一杯。
二つの白銀が
それぞれの色がぶつかり合うたびに火花が散った。
火花の中で青白い光が明滅する。彼女の体表に浮かぶ幾何学的なその文様は、彼女が神の魂を宿す存在であることを示す刻印。
罪人を根絶やしにするまで止まらない〝断罪の女神〟の転生体。
人間の天敵で――白髪の青年の想い人。
彼女はもう止まらないし、止められない。
想いを寄せた想い人の命を選び、人間が殺されることを許容するか。
顔も名も知らぬ人間の命を選び、想い人の命と引き換えに止めるか。
そのどちらかでしか、この事態を収める方法はない。
「くそっ……」
白髪の青年は大鎌を強く握り締めながら歯噛みした。
――感情が告げる。
この少女より大切な者などこの世にはいない。顔も名も知らないその他大勢と心の底から愛した人。どちらが大切か明白だろう。
――理性が告げる。
人類を守ることがお前に与えられた使命だろう。全うするにはこの少女を排除しなければならない。人類が滅ぶことなどあってはならない。
感情と理性の狭間で天秤が揺れる。
知らず後ろに下がった足元で、瓦礫が
迷いは動きを鈍らせる。剣戟を受け損なって体勢が崩れる。踏み留まろうとした足が血溜まりを滑って転倒。
心臓を突きにきた刃を見てとっさに彼女の手を掴み、狙いが逸れた刃が肩に埋まる。
もう片方の刃が首を刎ねるために振り上げられた。
「頼む……正気に戻ってくれ、アルフィーっ!」
それが彼女の名前。
振り上げられた刃は落ちてこない。
落ちてきたのは――涙。
瑠璃色の瞳から溢れ出た雫が、白髪の青年の顔に落ちては流れていく。
「……て……」
虚ろな瞳のまま、涙を零しながら、いまにも消え入りそうな声で――
「……ころ、して……」
愛する人を殺すくらいならいっそ――。
そこに込められた願いを青年は正しく理解し、理解してなお、その願いに応じて動くことができなかった。
「いや、いやぁ……いやああああ――――っ!」
銀髪の少女の嘆き。彼女の意思に反して、彼女の身体は愛する青年の首を刈り取ろうとする。
「うん、その願い、叶えるよ」
声と共に割って入った紫の旋風。それが青年の手から大鎌を掠め取る。
旋風の正体は紫髪の少女。全身に浮かぶ幾何学的な刻印は、紫髪の少女が〝断罪の女神〟と同種の存在であることを示している。
「鳴れ――
――リィン。
まるで紫髪の少女を主と認めるかのように大鎌が清涼な音色を響かせて応じた。
その音色は、銀髪の少女が持つ双剣を七色の粒子に分解して。
鈍色の刃は、銀髪の少女の無防備な胸元を深々と抉り裂いた。
溢れた鮮血が雨のように降り注いで頬を濡らす。火のように熱い。
まるで役目を終えたと言わんばかりに、漆黒の大鎌は七色の粒子となって崩れていく。
そして銀髪の少女の身体もゆっくりと傾いていった。
その身体を紫髪の少女は優しく抱き留めた。
「あり、がとう……」
落涙の礼を受けて紫髪の少女は自身の勘違いに気づく。そして後悔をかみ殺すようにきつく瞳を閉じた。
「……助けられなくて、ごめん」
「あの人の、ところに……」
「うん」
その願いに応じてぐったりとした銀髪の少女の身体が青年に託される。
明滅していた刻印は消えて、彼女は正気を取り戻していた。
しかし身体の内側を覗けるほど深い傷は、彼女の命が風前の灯であることを告げている。
「ごめん、ね」
どうして謝る。謝らなければならないのは何もできなかった自分なのに。
「守るって……ずっと傍にいるって、約束したのに……」
ありふれた理不尽だ。世界の至るところで起こっていて、特別珍しいことでもない悲劇。
けれどそんな事実は何の慰めにもならない。
「なんでだよ……なんで、こんな……」
白髪の青年の嗚咽が紅い雫と共に零れ落ちた。世界のすべてを呪うかのような悲痛な声でただただすすり泣く。
「ごめん、ね……」
蒼眼を見つめる瑠璃色の瞳は、すでに濁りきって焦点が定まっていない。
「……ごめんね」
繰り返される謝罪。否定したくても声は嗚咽にしかならない。
いつか交わした約束を守ることができなかった。
「泣かないで……悪いのは、あなたじゃない、よ? あなたの、せいなんか……じゃ、ない。だって、私は〝断罪の女神〟の……転生体なん、だもん。いつ、かこうなる……ことはわかって、た……」
たったそれだけの動きも辛いのか。頬に添えられた手は震えていた。
青年は無意識にその手を握った。この手が離れてしまえば彼女の命は消えてしまう。それを防ぎたくて、すでに冷え切ってしまった手を強く握りしめた。
「違うっ……全部俺のせいだ。俺が何も選べなかったから、俺が弱かったら……」
「あなたは、弱くなんかないよ……?」
ヒュー、ヒュー、と危険な音を喉から鳴らしながら、少女は青年に笑顔を向けた。
「あなたが、今日まで……頑張ってき、たの……知ってる……あなたは……全能なんか、じゃない……んだか、ら……取りこぼしが、あったって……しょうが、ない、よ。それに……」
「もういい! もういいから、もうしゃべるな!」
必死になって叫ぶ青年の声に少女はまた笑った。とても死に逝く者の顔とは思えない。驚くほど穏やかな頬笑み。
「……無理だよ……まだまだ、いっぱい、話したい……ことがあるん、だもん」
青年の目が涙で滲む。
「私は……あなたが好き」
少女は動かない身体を無理に動かし、青年に顔を寄せた。
「大好きだよ?」
かすれた声で少女は囁き口づけをする。相手を想い愛情を表す誓いの行為。それは触れるだけの短いものだったが、想いは確かに響いた。
「へへ、たったこれだけのことも……精一杯みたい……」
独り言のように少女は話し続ける。
「ねぇ、覚えてるよね……私たちが誓った、こと……私たちの、償い……」
「殺してしまった人たちよりもより多くの人を救う。もう涙を流す人がいなくなるように」
この少女と共に掲げた誓い。それが二人の生きる理由であり、在ろうとした姿。
忘れるわけがない。
「護ってあげてね……泣いている人を……助けてって、叫んでる人を……あなたの、力で……あなたの手で……護ってあげて。そうすれば、きっと……あなたは輝ける……」
少女が咳き込むと夥しい量の血が口から吐き出された。跳ねた血が青年の頬を染める。
「もっと……一緒に、居たかったなぁ……」
胸に顔を埋めた少女は吐血と共に嗚咽する。涙は血と混ざり合い、鮮やかな紅となって地面に落ちていく。
この言葉に、青年も堪えられなかった。透明の雫が頬を伝った。
「最期に、あなたの気持ち……聞かせて……?」
「最期だなんて、そんなこと、言う、なよっ……」
声が詰まる。感情ばかりが昂る。
彼女を失いたくない。
自分なんてどうなっても構わない。代償が必要だというなら何でも差し出す。彼女を救う奇跡に手が届くなら、この身から何を奪われたって構わない。
だからどうかこの子を救ってほしい。
青年の願いを聞き届ける者は存在せず、少女の灯火は今にも消えそうだった。
「ねぇ、お願い……」
受け入れるしかないのだ。彼女はもう生きられない。もう変えることができない現実。
最期の願いすら叶えられずに逝ってしまうことは、きっと最大の不幸だ。
だから青年は告げる。少女を生かしているであろう意志の力を断ち切る言葉を紡ぐ。
「……愛してる……」
彼女がそれを望んでいるから。
「愛してる。これからも、ずっと」
精一杯の想いで微笑みかける。
「あたしも、だよ……輝」
少女も笑った。幸せそうに。
青年を見つめる瞳がゆっくりと閉じられる。彼女の身体から力が抜け、青年の腕にかかる重みがぐっと大きくなった。
「お、おい……」
呼びかけても返事はない。身体を揺さぶっても反応はない。
なぜ、彼女が死ななければならなかった。
なぜ、彼女が殺されなければならなかった。
人間を守るために彼女を失った。
動かなくなった少女の身体から七色の粒子が立ち昇った。
粒子が増えるにつれて少女の肉体は崩れていく。
「あ、ああ……ああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
心を壊すほどの慟哭が、彼方へと響き渡った。
腕の中に残ったものは七色の輝きを宿す大きな結晶という――愛する少女だったモノ。
神など存在するからだ。死してなお神々の魂が人間を不幸にする。
神などいなければ、彼女が〝断罪の女神〟として死ぬことなどなかった。人間を殺すことも、人間に憎まれることもなかったはずだ。
神が滅びぬから、こんな不幸がいつまでも続く。
それを両腕で強く抱き締め、黒く染まった天を仰ぐ。
蒼眼は、決意と憎悪に満ち満ちて。
「人間を不幸にする神は――すべて殺す」
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