episode18.終幕



 アマシアたちが会場を出るころには、屋敷にはかなり火が回っていた。

 東の離れから出火したらしい。

 気付いたころには、もう手遅れ。

 

(熱い…………喉が焼けそう……)


 息を吸い込だけで、喉と肺が焼けてしまいそう。

 高級な絨毯、絵画、壁紙……いたることころで火炎があがり、アマシア達の逃げ道をふさいでいる。


「ごほ……っ、ごほ……っ」

「アマシア、大丈夫かい?」

「ごめんなさいグレン様……」


 アマシアの体は普通の人よりも火や熱に弱い。

 こんなところでみんなの足を引っ張るなんて思わなかったが、幸い、グレンにハンカチを貸してもらったので、辛さはマシになる。


「そうだ、お母様……」

「セレニアさ、ん…………?」

「お母様とお父様がきっとお部屋にいらっしゃる。ここから見える限り、そこはまだ火が回ってない。燃えていることに気付いてないかもしれないわ。だから迎えに行く」

「ではわたくしもご一緒に」

「ありがとう、ファルベッド」


 無茶だと思った。

 伯爵夫人の部屋に行くまえに、焼け死んでしまうかもしれない。

 

「アマシア」

「なんですか? さ、さっきビンタしたことは、謝りませんからねっ」

「違うわ。お礼を言いたいのよ」

「お礼、ですか?」

「ビンタしてくれてありがとう。どれだけ自分が甘えていて、人に嫌な思いをさせていたのか分かったわ。…………これ、あげるわ。婚約を結んだ日にグレン様のお父様からいただいたの。主役のあなたにこそ相応しいわ」


 そう言ってセレニアが渡したのは、宝石があつらえられている首飾りペンダント。深い海の色をしたサファイアは、グレンの瞳の色とそっくり。とても美しく高価そうなものを、意地悪で性格が悪かったセレニアがくれた……。


 じーんと、アマシアは心にくるものがあった。


「じゃあ行くわよファルベッド」

「お供致します」


 セレニアはそう言って、ファルベッドと一緒に炎の中を走っていった。赤色のドレスが見えなくなって、ようやくアマシアは立ち上がる。グレンと頷き合うと、ドレスの裾を持ち上げて全力疾走を開始。


「はぁ、はぁ……っ!」


 アマシアとグレンは、命からがら何とか外へ出ることができた。

 屋敷はもうほとんど焼け落ちてしまっている。

 でも、一体誰の仕業なのだろうか……。


「グレン様とセレニア様は、お怪我はありませんか?」


 そのとき見覚えのある紳士がやってきた。

 パーティのなかでグレンにセレニアとの今後の事を質問をしていた人だ。アマシアをセレニアだと思っているようで、にこやかな笑顔を浮かべている。身代わりだと知られるのは問題なので、あえて明かしたりしない。


(でもこの人…………一番最初に帰ったはずじゃ)

 

 なのになぜ、ここにいるのだろう。

 何とも分からない不安が襲いつつ、地下室に閉じ込められていた時にファルベッドが言っていた言葉を思い出した。


『貴族にも色々とありまして。特にセレニア様はあのような性格をしていらっしゃいますから、恨まれる事も多いのです。元はグレン様を罵ったことで、反抗的な輩に暗殺の大義名分を与えてしまいました。身を隠す意味で、身代わりをたてたのです』

 

(まさか…………ね)


 どうやら、アマシアの悪い予感は今回も当たりそうだ。

 彼はゆっくり近づきながら、ズボンのポケットからナイフを取り出す。あの角度はグレンにとって死角だろう。見えているのはアマシアだけだ。


「死ね、セレニア!!」

「わたしとグレン様を守って!!」


 とっさにアマシアはシスターから貰った魔法具を握り締める。たった一度だけ、どんな攻撃でも跳ね返せる。魔法具から膨大な魔力が迸り、光が結界となってアマシアとグレンの周りに展開。

 風圧で襲い掛かろうとしてきた男は遠くへ吹き飛ばされ、激しい音を立てながらゴロゴロと転がった。


(い、意外と激しい…………っ!!)


 防御してるつもりが、攻撃してしまった。

 あの吹っ飛ばされ方では骨にヒビが入っているかもしれない。最悪、折れたのではないだろうか。殺そうとしてきた男だから近づけないが、殺したら後味が悪すぎる。吐血していないか、目をこらして見た。


「くそ…………魔法なんて分が悪すぎる。屋敷を焼いただけ良しとするか」


 男は何とか立ち上がり、逃げようとしているようだった。セレニアは殺せなかったが、屋敷を焼いただけでも伯爵家の傷は大きいからだろう。男はニヤリと笑いながら、足をひきずって動き始める。

 とっさにグレンが男を捕まえようと走りかけたが。


「魔法具の発動を感知して来てみれば、なんだい? 屋敷は燃えてるわ娘は火責めに喘いでいるわ、アタシは娘をこんな危険な場所に送り込んだ覚えはないよ。それに加えて、どこぞの伯爵ご令嬢と見間違えて殺そうとする男もいる。みあげた度胸じゃないかい、えぇ?」


 アマシアが、グレンが、目を見開いて驚く。

 今まさに逃げ出そうとした男の目の前には、女性が立っていた。

 白髪交じりの長い髪を後ろに束ね、理知的な緑の瞳は剣呑な光。おおよそ六十を超えたご高齢には見えないほどの、しっかり背筋の伸びた立ち姿。喫煙管タバコから口を離し、ふぅと紫煙をめぐらせている。


 シスター・イザミナ。


 彼女が、険しい表情で男を見下ろしている。


「だ、誰だババア」


(あ。それ禁句)


 言ってはいけない言葉を言ってしまった男を不憫に思う。

 予想通りシスターは、より一層眉間に皺を寄せながら「チッ」と舌打ち。無造作に手を差し出し、一言。


「燃えな」


 ぼうっ!! 

 激しい炎が男を包み込む。


「まったく淑女レディへの接し方がなってない、これだから若い男は」

「し、シスター、大丈夫ですかアレ」


 シスターは優秀な魔導師だから、このままだと丸焦げになってしまう。

 心配そうにシスターを見るアマシアに、シスターは不敵な笑みを見せた。


「これは痛ぶって楽しむ用だよ。熱そうに見えるが、本人はそこまで熱くない。せいぜい体全体がうすーく焦げるくらいだ。ほら、良い匂いもしてきたよ」

「さすがですね、シスター!!」


 シスター信者の一人であるアマシアは、目をキラキラ光らせた。

 

「まさか…………イザミナ様がアマシアの言っていたシスターだったなんて」

「そこの坊ちゃんは、あぁ通りで見覚えのある顔だと思ったよ。あんた、騎士公爵家アルヴァフォンんとこの堅物男ロードスせがれだろう? 可愛げのない目元がそっくりだよ」

「え? グレン様、シスターのことを知っているんですか?」

 

 しかも、シスターはグレンの父親を知っているような口ぶりだ。

 グレンは、ごくりと喉を鳴らした。


「イザミナ様は、魔法具の職人でありながら剣術の達人だった。昔、父上が若かりし頃、イザミナ様に勝負を仕掛けてこっぴどくやられたっていう話を聞いたことがある」

「なんかファルベッドさんから聞いたような気がしますけど、シスターって何者なんですか??? どうしてグレン様のお父様と面識が?」

「君の下の名前がシスターの名前から取ったって言ってたから、まさかとは思っていたけど。イザミナ・エラペトラ・サーヴァンハイム様は、自ら王位継承権を放棄して剣術の道を極め、のちに公の場から姿を消したっていう王族の一人だよ」

「王族!?」

「あーはいはい。その話はまた後でいいかい、お坊ちゃん。とりあえずこの不届き者を縛らないといけないよ」


 面倒そうに促すシスターに、グレンはニコニコと彼女に近づく。


「はい。どうか状況が収まりましたら、ぜひ俺に剣術のご指導をお願いしたく」

「…………似てる」

「え?」

「いいや。アタシはもう貴族のお偉い方と付き合うつもりはないんだよ。分かったらとっとと、あの魂抜かれた顔してる男をこのロープで縛り上げな」

「はい、わかりました」


 もしかしてグレンのお父様の顔とグレンの顔が似ているということだろうか。

 今になってそのことを言うなんて、もしかしてシスターはグレンのお父様のことが……?

 

「ほらアマシア、いつまでニヤニヤした顔してんだい。向こうであんたの治療するから、こっちおいで」

「はい! あ、あとシスター! 向こうのまだ燃えているとことに、セレニアさんとファルベッドさんがいるかもしれないんです! 助けてあげてくれませんか?」

「なんだい仕事が増えたじゃないかい。まったくもう」


 といいつつ、結局助けに行ってくれるのだから本当にシスターは優しい。

 やっぱりアマシアは、シスターの事が大好きだなと思った。

 

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