episode10.本物


 アマシアがセレニアの身代わりとして屋敷にやってききて、もう十八日。

 最低限身代わりとして暮らしていけるように、話し方や姿勢、食事のマナーなどをこれでもかとファルベッドに叩き込まれた。


 けれども、悪女としてより高みを目指しているアマシアは、十数時間にも及ぶ厳しいレッスンも、へろへろになりながらこなして習得してしまった。もちろん粗さはあったが、元は孤児だと思えば目覚ましい成長ぶりである。


 実はアマシアは、ファルベッドの態度が軟化していることに気付いていた。

 初日こそ「これだから孤児は」と高笑いをあげていたので、アマシアもあまり彼女のことが好きになれなかった。


 しかし、雑草根性で懸命にレッスンに励むアマシアに、彼女も心を動かされていたのだろう。彼女はアマシアの出自で笑わなくなり、いつしか、アマシアが上手に出来たときは褒めるようになったのだ。まぁ、相変わらず言葉の節々に棘があって、褒めても「貴女にしては上出来ね」くらいなのだけれども、アマシアが彼女のことを好ましく思うには十分すぎる事だった。


 たまに彼女は、罪悪感を押し殺しているような、複雑な顔をする。

 それが何なのか分からなくて、アマシアは最近、とても不安なのだ。

 

 この思いを、アマシアはグレンに話してみた。

 セレニアの身代わりとしてグレンと話しているため、気軽に相談すると身バレしていることがファルベッドに悟られてしまう。

 慎重に言葉を選びながら気持ちを打ち明けたアマシアに、グレンは黙って俯いていた。


 やがて、顔をあげたグレンはただ一言──


「君は俺が守る。信じてほしい」


 そうして、グレンはアマシアの髪束を一つ掬い取り、小さく口づけた。

 あまりに突然のことで、アマシアが驚く暇も与えてくれない。

 グレンは爽やかな笑顔を浮かべて、その場を去っていった。


(……騎士公爵家の人って、みんなグレン様みたいに甘いのかな)


 動きが手慣れ過ぎて変に勘ぐってしまう。

 人の気配を感じて、ちらりと向こうを見やる。

 ファルベッドか、あるいは侍女か誰かだろうか。ファルベッドなら、きっとレッスンだ。


「お久しぶりね、偽物」

「せ、セレニアさ……ん……」


 グレンの滞在期間を終えるまで屋敷に帰ってこないと聞いていた、本物のセレニア・ル・ロレンティーネがそこにいた。


 なぜ。

 予定外のことに頭が真っ白になる。なにせ、さきほどグレンに不安ごとを告白したばかりだ。聞かれていたのではないかと声が出なくなって、体が萎縮してしまう。


 セレニアは、外だとグレンに気付かれると思ったのか、アマシアの腕を引っ張って移動し始めた。つねるように腕を掴まれ、かなり痛い。ようやく解放されたと思えば、屋敷の地下にやってきていた。


「驚いているでしょう? ここは伯爵家の収監所。今は誰も使ってないけれど、昔は罪人を拷問するために使っていた場所らしいわ」

「いえ、わたしが驚いてるのはそちらではありません」

「あら、ずいぶんあの女に仕込まれたのね。田舎臭さが消えて、少しはこの私と話せるような人間になったじゃないの。うふふ、よかったわ。身代わりが愚図すぎて使えなかったらどうしようって思っていたの」


 怖いくらいにニコニコ笑うセレニア。

 お人形のように整った顔。

 美しい金色の髪に、大きな青い瞳。

 さすがお嬢様といったところか、立ち姿や振る舞いもアマシアより頭一つ優れている。でも、負けるわけにはいかない。アマシアは、グレンの容姿を侮辱したことでセレニアに怒りを覚えている。ファルベッドやグレンのいないここでなら、取っ組み合いになっても構わなかった。

 

「私が帰ってきた理由はね、お祝いするためよ。────おめでとう。あなたは晴れて、身代わり令嬢を卒業できるわ。お家に──あなたのだーいすきなシスターのもとへ帰ることができるわ」

「え?」


 はたから見れば、初々しいセレニアがアマシアの任期終了を心から喜んでいるように見える。事実、あの日ファルベッドに話しかけられて身代わり役をホイホイ受けてしまった当時のアマシアなら、字面通りにそれを信じ、報奨金を持って孤児院に帰っただろう。

 

 アマシアの脳裏には、グレンの顔がよぎっていた。


 シスターに使用を禁止されていた【植物生成】【調合】の力を使ってでも、彼の笑顔を取り戻したかった。薬で顔が元に戻り、グレンの笑顔を見ると今でもやってよかったと心の底から思う。


 庶民なのに、孤児なのに。

 グレンのそばを離れることを思うと、とてもつらい気持ちになる。鋭い声を発しながら剣術の稽古

をする様子も、失敗作かもしれないのに真緑の薬液を一気に飲んでしまう茶目っ気のある所も、何もかも傍で見ていたい。そんな想いがアマシアにはあった。


「まだ帰りたくありません。それにセレニアさんは、グレン様のことがお嫌いだと聞きました。わたしが身代わりの期間を終えるのは、グレン様が帰ったあとのことで」

「まぁ、そんな小さな事を気にしていたの。庶民と伯爵令嬢の格の違いね、びっくりしちゃったわ」

「どういう……」

「確かに昔は嫌いでしたわ。あの顔、まるで『ゴルゴンの呪い』によって石にされたみたい。騎士公爵家の嫡男は美少年と聞いてとても嬉しかったのに、本当にアレは失望させられたわ」


 ゴルゴンの呪い、なんてロマンス小説でよく出てくる単語だ。

 ゴルゴンという怪物の目を見たものは石にされ、醜く朽ち果てる。そんな創造上の怪物とグレンを一緒にされ、怒りで眩暈を覚えた。


「セレニアさんはどうして、グレン様を醜いなどと言えるのですか? お顔のことは、毒を盛られてそうなってしまったとお聞き致しました。それは彼のせいではありません。それどころか、彼は志を忘れず、お父様のような騎士を目指し、まだ日が昇りきらぬうちから稽古に勤しんでおりました。これのどこが……どこが醜いと?」

「まぁファルベッドったら、そんな言葉遣いまで貴女に教えたの? 教育熱心すぎるのはあの年増侍女長の悪い癖ね。上流階級の言葉なんて、任を降りれば使わないのに。孤児、だものねぇアマシアは」

「話をそらさないでください!」

「だからさっきも言ったでしょう? 小さい、と。昔は醜かったけれど、今は美しいじゃない。ファルベッドから聞いたわ、本当にありがとう! まさかグレン様の後遺症を治したっていう偉大な功績を冥土の土産にしてくれるなんて!」


 今度こそ、アマシアが閉口する番だった。

 確かにセレニアの身代わりとしてアマシアがやったことは、すべでセレニア自身の功績となる。なにせ、身代わりのことを知っているのは、グレン本人を除けばわずかしかいない。


 アマシアがやったという証拠など、ない。


「────よくやったわ。ありがとう。

 ────そして、さようなら偽物」


 どすんっ、と重い衝撃がアマシアの体を襲う。

 頭を背後から思い何かで殴られた。

 おかげで一気に意識を持っていかれそうになる。


(…………せめて、一発ビンタを……)


 セレニアに会ったら、絶対に一発派手なのをしてやろうと思っていた。

 彼女には反省してもらわないといけないのに。

 意識を手放すまえに、妙齢の女性の顔がアマシアの視界に映る。


(ファル……ベッ……ド…………さん)


 そこで、アマシアの意識は途絶えた。

 


 当のファルベッドは、意識を失ったアマシアから顔を背けていた。

 見たくないものに、蓋をするように。


 


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