episode09.グレンという少年
グレンという男児が生まれたとき、公爵の爵位を賜っているアルヴァフォン家の者たちは、生後数時間という赤子に対して畏敬にも似た思いを抱いていた。生まれた瞬間から魔法の才能──とどのつまり、魔力の存在を確認できたからだ。
森羅万象を意のままに操る魔導師は国の指導者とも言われ、魔力の片りんでも見せれば家族全員が大喜びする。それが公爵──いや騎士公爵という特別な爵位を賜ったアルヴァフォン家ならなおのこと。
”騎士”という枕詞から分かるように、かの家の爵位は普通のものではない。騎士、それも代々優秀な騎士隊員を輩出し、当主が騎士団長になって初めて、騎士公爵という爵位を賜った。
だから騎士公爵家は、グレンの誕生を両手を挙げて歓迎した。
グレン自身も、自分がアルヴァフォン家に相応しい才能を持っていることを喜んだし、努力を惜しまないことを胸に誓った。
でも。
あの忌まわしい事件は、グレンが若干10歳の頃に起きた。
気が付いたら寝台の上。心配げな母君の顔はすぐ近くにあって、威厳に満ちた元騎士団長の父君は両手で顔を覆っている。
──何が起きたのでしょう?
そう言うグレンに、母君はわなわなと肩を震わせて口もとを抑えた。何となく、聞いてはいけないような気がして、グレンは再び瞳を閉ざすことを選んだ。
あくる日、公爵家の医術師が状況を説明してくれた。
内容は、毒を盛られて左半身麻痺と顔の筋肉硬直。何とか命は取り留めたが、リハビリしてもどれくらい元に戻るか分からない、という。
正直、初めは混乱していて状況が掴めなかったグレンも、剣を両手で支えることができないと知ったときに、ようやく理解した。でもグレンは、父君と母君に心配かけまいと気丈に振る舞った。辛いリハビリを耐え、一年以上の歳月を経て左半身の麻痺を治していった。
グレンは喜んだ。
左半身の麻痺で、そのときすでに婚約していた女性とは縁が切れてしまったが、自分には剣がある。国のために命を捧げる父君を尊敬していたし、自分もいずれああなりたいと強く願っていた。ただ、それだけではダメであることを、使用人たちのお喋りで分かってしまった。
──まだお顔に後遺症が残っているそうよ。
──あれでは、もうろくな縁談はないだろう。
──残念ね、せっかくお美しい顔だったのに。
自分は残念な存在だったのかと、グレンは天を仰いだ。
のちにすぐ、ロレンティーネ家から縁談の話があった。こんな顔になってからというもの、女性からは避けられていたので正直驚いたが、かの家の財政状況を聞いて納得した。
ロレンティーネ家は、愛娘であるセレニアを溺愛するあまり異常な金の使い方をしていた。借金こそないものの、このままでは伯爵家に傷がつく。そこで騎士公爵家の嫡男に目をつけたというのだ。
婚約し、いざ会ってみた結果は最悪の一言に尽きる。
セレニア嬢はグレンの顔を見るや否や、公共の場だというのに「あんなの聞いていない」と叫び出し、この話はなかったことにしたいと言ってきた。縁談を持ちかけたのはそちらなのに、だ。
家をあげて正式な抗議をしたのは当然のこと。
世間的に見ても悪いのはセレニア嬢で、こちらから婚約を破棄してもよいと父君と母君は言ってくれたが、グレンは断った。彼女の真意を確かめたいと言って、屋敷に滞在した。
そこで出会ったのが、アマシアという少女だった。
驚くべきごとにセレニア嬢と瓜二つの顔。でも話し方や雰囲気、なにより──
「いいんですそんな騎士道。わたしは『悪女』ですからそんなの気にしないでください」
自分を殴れと言い張る少女なんて、聞いたことがない。
その少女がセレニア嬢ではないとグレンは確信した。
早朝、中庭にいるアマシアを見つけて、声をかけた。
もうその時には、アマシアのことを好きになっていたのだろう。自分のことを『悪女』だと言い放つが、グレンにとって彼女は、天使そのものだ。
「まぁ。セレニアお嬢様の仰っていた言葉は本当だったのですね。本当にお嬢様が、グレン様のお顔を治したのですね。お体が優れないと聞いた時は心配いたしましたが、本当にようございました」
「本当にありがとうございました。おかげさまでこの通りです」
いつものように猫を被り、ファルベッドに対して丁寧なお辞儀をするグレン。
(セレニア嬢の教育係であり、侍女長でもあるファルベッド。忠誠心が厚いかと言えばそういうわけではなく、奔放なお嬢様に手を焼いている……)
ファルベッドが求めるのは、伯爵家の栄光。
精神年齢が幼いセレニア嬢よりも、庶民だが根性もあり要領の良いアマシアを気に入っている節もある。伯爵夫妻からの信頼も厚いから表立って反抗を見せないが、セレニア嬢には相当振り回されているとみた。
(……揺さぶってみるか)
アマシアがなぜセレニア嬢の身代わりになっているのか、突き止めるために。
事と次第によっては、その後のことも考えなければ。
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