episode05.『悪女』に遠慮はいらない


 昼食後のこと── 


 いつものように、アマシアは悪女について敬虔な信徒のように考えていた。

 シスターのような女性を目指すあたり、シスターの見てくれを真似ることは大事なのではないかと。まずはドレスのスカートを破いて……いや、さすがに身代わりだとそれは出来ない。じゃあ喫煙管タバコを……いやいや、13歳じゃそんなの吸えないしシスターに怒られる。


 アマシアはがっかりした気分になる。

 

(わたし…………立派な悪女になれるのかな)



 ────と。



「セレニア様、いらっしゃいますか?」


 びっくぅ、アマシアの肩が跳ねる。


「セレニア様、いらっしゃいますか?」


 びっくぅ、と考え事をしていたアマシアの肩が跳ねる。

 その声の主……少年だろうか、扉越しに呼びかけているようだった。


(そっか、わたし今セレニアなんだ…………返事しなくちゃ!)


「あ、は、ははははい、そ、そそうです。わたしが、せセレニアですっ、なななななんでございましょうか……?」


 カミッカミのぎこちなさ過ぎる挨拶に興を失ったのだろうか、少年が訝し気な声を出している。あぁ、終わった。屋敷に来てまだ三日目。侍女にもまだ挨拶を交わしていないというのに、この失態。いまバレたら屋敷から追い出されるだろうか。それとも「よくもセレニアお嬢様に化けたな!」とか言われて捕まるだろうか。


(あわわわわわわわ…………どうしようどうしようどうしようどうしよう!!)


 アマシア、プチパニック状態。


「病み上がりなうえに、突然のご訪問申し訳ございません。僕です、グレンです。セレニア様、この間の件でお話よろしいでしょうか?」


 グレン。セレニアの婚約者だ。

 ついにこの時が来てしまった。

 この間の件というのは、もしかしてセレニアがグレンに対して手酷く罵ったことだろうか。他人の容姿を罵ってはいけないけれど、ファルベッドの助言なしの状況で彼と適切に話せると思えない。だといって断るのも────


「ど、どうぞ。中へお入りになって」

「失礼いたします」


 少年は部屋の奥には入ってくることはなく、入口で止まった。

 婚約者とはいえ、まだ正式ではないから女性の部屋には入れないということだろうか。ありがたい、とほっと胸をなでおろす。


「僕の、何が気に入らなかったのでしょうか。あれからずっと考えておりました。やはり……この顔の一部が毒で侵され、醜く映るからでしょうか。どうしてもセレニア様にはお嫌なのでしょうか」


 グレンは、ひどく傷ついたように悲し気だった。

 己の左頬を撫で、やるせない気持ちを押し殺している。

 セレニア本人からは、婚約者グレンと話すときは何でもいいから上手い具合にはぐらせと言われている。でも、これではあまりにも彼が可哀想だった。

 

「グレン様。今更何を言うのか、とグレン様はお思いになるかもしれませんが、あのときのわたしの思いは本意ではありません。お話がしとうございます。お嫌に思われるのなら結構でございますが、できれば目を見て話したいのです。どうぞ、お部屋の中へお入りください」

「え……?」


 アマシアの下手過ぎる演技にドン引きしたのだろうか。暗くてアマシアにはよく見えないが、グレンが戸惑ったような表情を浮かべている。

 もう一度念を押して促すと、グレンはおずおずといった様子で部屋に入る。

 ようやくアマシアは彼の顔を見ることができた。


(…………これの、どこが醜いって言うの?)


 美しい金糸雀カナリアの髪はふんわりとしていて、いかにも肌触りがよさそう。

 海よりも深い藍色の瞳は、今まで見てきたどんな子よりも綺麗だ。

 顔…………確かによく見れば、左頬の一部が石のようになっている。色も変色しているが、それだけだ。それを差し引いても、とても彼が醜いと罵られるような容姿ではないことが分かる。アマシアは初めて、セレニアに怒りを覚えた。一発ビンタして、彼に謝らせないと気が済まないほどに。


「セレニア様……?」

「今までの無礼な発言をお詫びします。ごめんなさい、グレン様。あなたは全然醜くありません」


 せめてこれで、少しでも彼の心が救われるなら。

 自分は偽物と分かっていても、そうせずにはいられなかった。


「わたしを殴って」

「え」

「いいからわたしを殴ってください。言葉は刃物なんです、人を傷つけるんです。わたしを育ててくれたシスターは、いつもそのことを言ってました」

「しす、シスター???」

「あぁいえ、気にしないでください。わたしは悪女なのでグレン様には殴る権利があります」

「し、しかし女性に手をあげるのは騎士道に反していて……」

「いいんですそんな騎士道。わたしは『悪女』ですからそんなの気にしないでください」


 シスターから貰った魔法具は、アマシアが強く念じない限り発動しない。

 だからグレンが殴ったとしても発動しない……と思う。大丈夫だと思っているが、こんなことで発動してしまったら、一度きりの魔法具が台無し。


 アマシアはぎゅっと目を瞑る。


「遠慮はいりません。わたしの体は頑丈ですから」


 セレニアが与えた苦しみを、これで少しでも晴らすことができるのなら。

 たとえ歯が折れても、頬骨……が折れるのは遠慮したいが、それでも多分、なんとかなる。

 来るであろう衝撃に、アマシアは覚悟した。

 

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