思惑・Ⅰ

 カッカリア、――国土は隣国エルンと同程度――南の火山と東北の塩湖に挟まれた土地柄ゆえに、作物の実りは少ない。そのため国民の半数近くが傭兵業を生業としており、食料品などは他国との輸入に頼っていた。しかし主だった輸入先のエルンが滅びたことにより国の食糧事情が暗転。さらにエルンの領土を吸収したメシュドドの勢力圏がカッカリアと接するところまで来ていた。

 エルンとカッカリアが同盟関係だったこともあり、元から不仲だった両国の緊張が高まったこともあったが戦争までには至らなかった。


 『フェンリル大戦』と呼ばれる戦いから三年、カッカリア国内にメシュドドの動きが活発になっているという情報が入ってきた。

 そんな折、カッカリアにとって急務となったのが兵士の調達だった。特にメシュドド――旧エルン領――と接するセルゲレント辺境伯領では迅速な対応を迫られ、腕に覚えのある者から剣をまともに握ったことのない者ですら徴用せざるを得ない状況であった。




 エドワード・セルゲレントの足取りは重い。眼下ではそんなあるじの想いなど気にも留めない馬がかっぽかっぽと歩を進めている。


「初陣だというのに、浮かない顔でありますな。坊ちゃん」


 気の抜けるセリフを投げかけるのは隣に並んで歩く老兵のケイドだ。老兵、とは言っても彼の年齢に不相応な筋肉がただの兵士ではないことを物語っている。何より彼の眼は表情に反して鋭い。


「ケイド! 坊ちゃんはよせ! それに……」

「それに、なんでしょうか?」


 ケイドと目線が合う。やはり鋭い眼だ。心までも覗き見られている気分になる。エドワードが言いかねていると、彼の方から視線をずらした。


「まぁ、今は、良いでしょう。しかしこれからは困りますぞ。仮にも一軍を預かる将になるお方がそのような表情かおをなさると全体の士気に関わりますからな」


 ケイドは諭すように語りかけた。確かに一理あるなとは納得するものの、緊張からかやはり表情は強張っている。


 そんな会話を繰り広げる二人の前後を重武装に身を包んだ兵士が並んでいる。どの顔つきも精悍であり、歴戦の猛者を思わせた。一転して、後方にはエドワードと同じかそれよりも頼りない顔をした男たちが列を成していた。彼らは新兵であり、そのほとんどが若者だった。


 この一行の目的は、とある村の討伐だった。村を討伐するだけなら新兵は必要なかったが、来たる戦争に備えて少しでも有用な兵士に鍛え上げるため、カッカリアの精鋭である『我らが振るうは王の剣レシュヴァット』に随行しての遠征だった。


 その混成軍の長に任命されたのが領主の嫡男、エドワードである。副官にケイドを据えられものの、レシュヴァットの彼らが呼ぶ『将軍』とはケイドに向けられた言葉のように感じる。

 最近になって知ったことだがケイドは昔、本当にレシュヴァットの副官を務めていたことがあったそうだ。


 エドワードはちらりとケイドに視線を戻す。


 ケイドも視線に気づいたのか、「何か用でしょうか?」とでも言いたげに顔を向けてきた。エドワードもこのような場所で弱音を吐けるほど恥知らずではなかったので、新たな話題を振ることにした。


「ケイド、目的の村まであと何日かかりそうだ?」

「三日もかからんでしょうなぁ。近くに川があるはずなので今夜はそこで野営する予定でしたが、急ぎますか?」


 エドワードはそこまでする必要はない、と首を振った。


 今のところ、この遠征自体かなり上手くいっている。とエドワードは自己評価していた。予定通りに行軍できているし、トラブルも起きていない。順調そのものだ。これはエルンの援助によるものが大きい。先の戦争で敗れたエルンだが交渉の末、メシュドドに対して不利な条件を飲むことで停戦に持ち込んでいた。よって援助してくれているのは北部に残った貴族連中だ。


 エドワードたちの行軍経路はエルン北部を国境に沿って迂回し、西にあるメシュドドとの国境線に向かっていた。もちろんこのような場所で見つかれば間違いなく敵対行為と見なされる。しかし、そうはならない理由が3つある。


「とは言え、ここから先は気を抜けないな」

「さき、と言えば、エディ様……」


 深く息を吐き前を向くエドワードにケイドが呟く。その目はいつになく真剣でエドワードに緊張が走る。


「さきほどから太陽を背になにやら飛んでおりますが、メシュドドの奴らは鳥を使った偵察をするのはご存知ですか?」

「なにっ!?」


 エドワードは声を荒げると空を見上げた。太陽を見つめるが、眩しくてよく見えない。


「どこにいる? 見えないぞ」


 すると前後を挟む兵士たちが声を出して笑い始めた。それに釣られるようにケイドも噴き出した。


「はっはっは! 冗談ですよ。ま、緊張のしすぎも良くはありませんからな。気負わずにいきましょう!」


 エドワードは耳まで赤くなったのを感じた。ケイドの事は慕っているがこういうところは苦手だ。




 日が沈み空に星が散らばり始めた頃だろう。しかしエドワードたちのいる天幕からはその様子をうかがい知ることは出来なかった。川が近くにあるのでそこまでいけば視界も開けて星空を眺めることができるが今は軍議中のため、そのような暇はない。


 中央の机に敷かれた地図が見えるようにランプが空中に浮いていた。そのランプから発せられる光に熱は感じない。エルン製の魔法具マジックアイテムだ。


 地図を中心に六人、その外側に二人、さらに外側に見張りが三人といった具合に並んで立っている。順にカッカリアの指揮官、エルンの魔法使い、次いでカッカリア兵となっている。


 中心にいる六人の中の一人、ケイドが地図を指さす。


「多少誤差はありますが、我々の現在地はこの辺りだと思います」


 そう言うと赤く塗られた丸石を地図の上に乗せた。それを見たレシュヴァットの隊長、ガネロアは満足そうに頷く。


「うむ、このまま行けばあと二日で到着できますな」

「ええ、ええ、まさに順調そのもの。それもこれもエドワード様の手腕、私のような凡才には到底及ばぬ指揮能力の高さ、いやはや恐れ入ります。それに――」


 ガネロアの言葉に賛同しながらエドワードを褒めちぎる男は今回新兵たちを取り仕切っているディロイ・クリアだ。彼も貴族の出であり、エドワードよりも年上だが爵位は下のためか妙にへりくだった言い方をする。


 エドワードははっきり言ってこの男が苦手だった。この遠征中、事あるごとに話しかけて来てはおべっかやお世辞を言い並べてくるのだ。最初のうちはまだ良かったものの、今では辟易している。指揮能力と言われてもエドワードにとっては皮肉に聞こえるのも要因の一つかもしれない。


 聞いた話によると新兵の中には貴族出身の者が何名かいるらしいが、他にまとめ役がいなかったのかと聞きたいくらいだ。


「――まぁまぁ、ディロイ殿もそれくらいにして」


 話の腰を折られたディロイは不満そうにケイドを見つめるが、それを言葉にすることなく口をつぐんだ。ガネロアは彼が黙るのを見届けると話を再開する。


「今までは比較的安全なルートを進んでいたのでこの行軍速度でやってこれましたが、今後はカッカリアとの接触が考えられます」


 ガネロアの視線が二人の魔法使いに向く。


「問題ない」


 意図を察したのか魔法使いの一人が答えた。たしか合流した初日にデリックと名乗った男だ。もう一人はモアンという女だった。彼らはエルンから送られてきた協力者で目的地までの案内と索敵を主に任されていた。部下も十名ほどいるが、カッカリアの野営地から少し離れた位置にテントを張っていた。


「我々が用意した結界内を進めば発見されることは絶対にない」


 デリックの顔には優越感のような表情が垣間見えた。それがかんに障ったのかディロイが食ってかかる。


「絶対とは大した自信ではありませんか」

「何が言いたい? ディロイ殿」


 ディロイに向かうデリックの視線には明確な敵意が込められていた。


「その自信に見合うだけの実力があれば蛮族相手に負けることなどなかったでしょうに、と」

「貴様――」

「なんです? ここで――」

「やめろ! このような場で争ってどうする!」


 ケイドの一喝に両者とも口を噤んだ。エドワードも自分に向けられたものではないとはいえその気迫に冷や汗を流した。怒声は天幕の外にも聞こえていたようで、衛兵の一人が顔をのぞかせていた。


 ケイドは剣を抜き、ディロイの首筋でピタリと止めた。一連の動きに無駄はなく、ディロイ本人ですら反応できていなかった。


「エドワード様、導師殿に謝罪のため、この首落としても構いませんかな?」


 エドワードは全員の視線が集まる中、生唾を飲んだ。ガネロア、モアン、デリック、ディロイ、そしてケイド、他の二人も、一人ずつと眼を交差させた。


 エドワードは息を吸い込み、そして吐いた。


「ケイド、それはダメだ。しかしそれではデリック殿の怒りは収まらないだろう。だからここにいるカッカリアの者を代表して私が謝罪する。すまなかった」


 エドワードは頭を下げデリックに謝った。


「何を――」

「加えて、私に魔法でも拳でも剣でも、一度だけ振るって構わない。それによって私がどうなろうとあなたに責は問いません」

「……馬鹿な」


 デリックの眼は見開かれ、やがで落ちる。ディロイが何かを言いたそうにするがケイドに阻まれていた。


「謝罪は受け入れよう。その上で指揮官であるエドワード殿に何かをするつもりはない。だが、これ以上ここにいると気分を害することになるので我々は戻らせていただく」

「分かりました」


 デリックは身を翻し、モアンと共に天幕から去っていった。去り際に彼女からウインクされたように見えたがすぐにフードに隠れて見えなかった。


「いやいや、エディ様、立派なもんでしたよ」


 肩を軽くたたいて来たのはケイドだ。そのまま肩を掴み、引き寄せた。


「まぁ、ディロイの奴を怒らんでやってください。不満のぶつけ方を間違っただけなんですよ」


 ケイドはそう呟くと地面にへたり込んだディロイを引き起こした。


「さぁ、一悶着あったが軍議は終わってませんぞ。ディロイ殿」

「あ、あぁ」


 ディロイはまるで何かに陶酔したような目でエドワードを見つめ、起こしたケイドには軽く礼をしただけだった。


 夜も更け、軍議は今までの方針を維持するという形で滞りなく終わった。

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アスカ -Asuka- みかろめ @mikarome

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