邂逅・Ⅰ 帝歴283年 水の1月

 和服に身を包んだ子どもが道のない森の中を走っていた。空を覆う木々の隙間から月が二つ。

 汗は滝のように流れ、肩まで垂れた黒髪が首筋に張り付いている。

 子どもは少年とも少女ともとれる中性的な見た目をしており、両腕で刀を握りしめていた。右足にしか草履を履いておらず、もう片方の足は血や泥で汚れていた。それでも走ることをやめなかった。


 遠くに薄っすらと明かりが見える。夕焼けや、日の出のたぐいではない。もっと赤く禍々しい黒煙を立ち昇らせていた。耳をすませば僅かに怒声や剣戟の音が響いている。


 脳裏に母の姿が浮かぶ。足が不自由で一緒に遊ぶことは少なかったが、黒く暖かな瞳で幼少の頃より見守ってくれていた。家を守ることが女の務めだと言い、火がついた時も頑としてその場から離れなかった。


『よいですか、アスカ。貴方は逃げてお父上の元へ私に助けは不要だと伝えるのです……頼みましたよ? それと、これは持ってお行きなさい。貴方の命の次に大切なもの。そうでしょう?』


 凛として冷や汗一つ流さないその姿は強き母であり、普段よりも一層落ち着いて見えた。彼女は火の手が迫っても我が子、アスカを不安にさせないために微笑みを絶やさなかった。


 刀を持つ腕に力を込めると鍔が胸に食い込み、鼓動が高鳴る。元服した日に父から譲り受けた大切なものだ。手放す訳にはいかない。


 足が樹の根元に引っかかり、体勢を立て直そうにも足がもつれ二回転がる。擦り剥けた膝には血が滲み、体のあちこちから痛みが襲ってくる。それでも刀だけは離さなかった。


shtgttzあしあとがあったぞ!」

kttdこっちだ!」


 数人の男の叫び声に加えて甲冑がぶつかって響く金属音が背後から迫ってくる。それは少しずつではあるが確実にアスカとの距離を詰めていく。


tzいたぞ!」


 接近する足音、響く金属音、もはや逃げられる距離ではない。アスカは覚悟を決め、背後にいる甲冑の男たちに刀を抜いた。

 片手に松明を持った先頭の全身鎧フルプレートの大男が急に止まったことにより、後ろに続く四人の皮鎧レザーアーマーを着た仲間も察したのか左右に広がった。


 炎に照らされた刀身は光りを纏って鈍く輝いている。


 実戦で使うのは初めてだが、握る力を込めると擦りむいたまめ・・の数だけ柄の凹凸によく馴染む。


mdkdmdzまだこどもだぞ……」

rdオレttrkrnmskgだってあれくらいのむすこが


 何を話しているのかは理解できないが、男たちの戦意が削がれたことにアスカは怒りを感じた。今まで村を焼き、女を犯し、皆を殺してきた連中が自分に対して狼狽えているのが許せなかった。


 アスカが刀を構えたまま一歩進むと男たちは同じく一歩下がった。


「退くなっ! 男なら戦って死ね!」


 アスカが激昂したまま斬りかかると一回り大きな全身鎧の兵士がたじろぐ男たちを割って入り、持っていた巨大な斧で一太刀を弾き返した。その兵士は他の男たちを一瞥するとため息を一つ。


nsknなさけないytrdzヤツらだぜ


 呆れ気味にヘルムのベンテールを下げた。


mtmhkdmdmみためはこどもでもktrhnngnjnこいつらはにんげんじゃないsdnkryrそうでなけりゃnhエルンはhrnjnsほろんじゃいないさ


 大男は斧を構えてまた一歩、距離を詰める。アスカも間合いを見極めるために地面に擦りながら後退する。


wrnkzわるいなこぞうknnくにのtmnsndkryためにしんでくれや


 言い終わると大男は一気に距離を詰めた。斧を振りかぶって大上段から必殺の一撃を決めるつもりだろう。大振りであるため隙も大きいがその巨体から放たれる威力は質量も相まって絶大である。

 まともに当たれば頭蓋を簡単に砕き、その刃は脳髄にまで達する。例え防いだとしても腕か、刀が折れて使い物にならなくなるだろう。


 しかし大男の予想とは異なり、アスカは後ろに跳ぶことでその一振りを紙一重でかわし、前のめりでガラ空きとなったヘルムの隙間に刀を突き刺した。そのまま腕を持ち上げヘルムをはじき飛ばすと二つに割れた頭部があらわになった。意思を失くした巨体は、地面に刺さった斧の横に倒れた。


 残った兵士の誰かが喉を鳴らした。動揺が広がっていくのが見て取れる。返り血を浴びたアスカを見て兵士たちは恐怖に負けじと声を張り上げた。


ytwヤツをkdkmdtmnこどもだとおもうな!」

kkmkkmかこめかこめ!」


 四人の兵士に周りを囲まれ、アスカは冷静さを取り戻しつつあった。そして感じる違和感、正体は分からないがそれを考えている場合ではない。


 アスカは四人を観察する。皮鎧に長剣ロングソード、おそらく村を囲んでいる敵の標準装備はこの一式なのだろう。さっきの大男が特別だったのだ。


「ウォオオオオオ!」


 視線がそれたことを隙と見なしたのか、左側の兵士が雄叫びと同時にロングソードを振り上げて突っ込んでくる。アスカはその兵士の無防備になった腹に一撃を叩き込んだ。鋭い斬撃は兵士の皮鎧を斬り裂き、刃が肉にまで到達する。


「ぐぅっ!」


 その兵士は腹を抑えながら地面に倒れ込んだ。


「あと……みっつ」


 アスカが残りの兵士へと視線を移すと、倒れていた兵士に足首を掴まれた。意表を突かれたことにより焦りが生まれ、その焦りが次の動作を遅らせた。


「ウァアア!!」


 正面の兵士が迫る。


 血脂に濡れた手が滑り、拘束から抜け出すことに成功した。迫る刃は上体を反らすことで致命傷にはならなかった。

 アスカは斬り込んで来た兵士に焦点を合わせ、反撃に出ようとしたが背中に激痛が走る。視界外からの攻撃に思考が跳ねる。反射的に刀を振るうも空を斬り、体力を消耗するだけだった。


 背中の肉が開いているのが感覚で分かった。傷口に触れる空気が燃えるように熱い。


「フゥッ!」


 兵士の一人が再び剣を振る。それを払おうとするも力が足りず、腹部に切っ先が突き刺さった。致命傷だ。


 肩を大きく上下して息を吸い込むがそれが精一杯だった。もはや刀を振る力も残っていないだろう。したたり落ちる血が地面に赤い染みを広げていく。限界を迎えた膝がその中に沈んだ。


 アスカは残った力を振り絞って刀を鞘に納めた。せめて死の瞬間まではこの刀を抱きしめていたかったのだ。

 静かに目を瞑る。自分はここで死ぬのだと理解していた。


 戦いが終わったことを確信した兵士たちの足音が近づく。


hykrknstはやくラクにして――」

「俺の息子になにをするッ‼」


 曇天の空から差す一筋の光に導かれるように暗闇の底から意識が急浮上する。軽くなったまぶたを開き、声の主を探すため最後の力を振り絞って叫ぶ。


「父上っ!」


 見つけた途端アスカは表情を一変させ目には涙が浮かんだ。しかしそこまでだった。


 希望は再び一転して絶望へと変わる。


 アスカの視線の先には確かに父、ジンベエの姿があった。だが、左腕の肘から先が失くなっており、背中には何本もの矢が刺さっている。

 体中から血を流し、満身創痍のその状態で何故生きているのか不思議だった。


 肩で息をするジンベエはアスカの周りにいる兵士を睨みつけた。彼らはその殺気にあてられ無意識のうちに一歩下がった。


「アスカァ……待ってろ」


 か細い声だったがしっかりとアスカの耳に届く。


gkhknkzdガキはこのキズだsknttwyttmさきにあっちをヤッちまおう

tmアイツもstnhkddzそうとうのふかでだぞ


 その言葉に他の兵士も賛同する。虫の息の子どもを相手取るよりも、いち早く標的を大人に変えたかったのかもしれない。

 ジンベエは狙いが自身に切り替わったことに気づき口元に笑みを含む。腰に提げた刀を抜き、疾走。そのまま直進して正面にロングソードを構える兵士二人を一振りで片付けた。斬られた兵士はそれぞれに小さな悲鳴を上げて絶命する。


knこのぉっ!」


 斜めに振るわれる剣を最小限の動きで躱し、首に刀を突き刺して引き抜く。その兵士は豪快に血飛沫を上げて後ろに倒れた。


「ヒィッ!」


 最後に残った兵士はジンベエの強さに対してか仲間の死に対してか、はたまたその両方かは分からないが恐怖で身を怯ませた。そこにジンベエの蹴りが炸裂する。力が抜けていた兵士は簡単に転んだ。


 起き上がろうとしたところをジンベエが踏みつけると、兵士は必死に何かを懇願していた。


ymtkrやめてくれ! rhオレはnnmyttnnd《なにもやってないんだ》!」


 ジンベエはその兵士を冷ややかな目で見る。


「なに言ってるかわかんねぇよ。……仮に助けてくれと言ってるとしても、許す気はないがな」


 言い終わると一切の躊躇なく刀を振り下ろした。兵士は恐怖を顔に張り付けたまま絶命した。


 刀身に付いた血糊を払うとジンベエは刀を納め、無言のままアスカを右肩に抱き上げて走りだした。


skdあそこだ!」


 ジンベエの背後、アスカの視界には新たに追いかけてくる全身鎧の兵士たちの姿があった。


「アスカ……」

「父上?」


 ジンベエが口を開く。このような状況でも父の言葉は落ち着いていた、しかしどこか哀しげに思えた。


「……カヤメは助けられなかった」


 母の死を聞き、目が見開かれて大粒の涙が頬を伝う。アスカは自身の使命を果たせなかったことを恥じた。おそらくジンベエは母、カヤメを助けるために無理を承知で家に戻ったに違いない。それを伝えるのは自分の役割だったはずだ。謝りたかった、それでも声が詰まって出てこない。


「俺もこの傷では長くはない。だから――」


 ジンベエの足が止まる。眼下には谷が広がり、谷底には川が流れていた。水深は深いものの飛び降りれば命を落とす可能性もある。一瞬の思考の末、ジンベエはアスカを掴む。


「――だからこそ、お前は生きよ!」


 谷底にアスカを投げた。空中でジンベエと目が合う。滲んだ視界の中、その瞬間ジンベエは微笑んだ。かつて母がそうしたように、絶望を感じさせまいと。


「そんなっ……父上!」


 アスカの涙が空中に舞った。意思に反して地上との距離はどんどん遠ざかっていく。


「俺はここだっ! 逃げも隠れもせんぞっ!」


 姿の見えなくなったジンベエの声が耳に届いた時、背中に叩きつけるような衝撃を受けて気を失ってしまった。

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