プロローグ・Ⅱ
十メルター(1メルター≒1メートル)を超える大樹が乱立し、日中ですら薄暗い。樹海、そう表現した方がしっくりとるだろう。人の手が及ばないならば当然道などあるはずもない。地面から剝き出しの木の根が大きな障害となり、足を踏み入れた者の体力を奪っていく。
そんな森をかき分けていく者たちがいた。黒いローブを頭からズッポリと被り、それぞれの手には柄の先端が曲がった杖を持っていた。彼らは二列に並び、歩を進めていく。長蛇の列であり数にすると二百人くらいか。
共通点として全員が同じく赤い耳飾りを付けている。軽装で、腰に巻いたベルトには二つか三つかの革袋を下げている程度だ。一つは皮製の水筒、残りは携帯食や
夜になると、辺りは漆黒に包まれ数メルター先も見えなくなっていた。二つの月が弧を描く中央に位置する頃、一行は足を止めそれぞれに休憩を始めた。視界から消えるほど離れることはなく、ある者は腰をかけるのに調度良い樹の根元に、ある者は横になるために少しばかり草の茂っているところに、といった具合だ。
誰ひとりとして言葉を発さず、静寂だった。聞こえてくるのは虫のざわめきとそよ風に揺れる草木の音くらいである。
数分後、この散らばった集団の中心に三人が集まった。彼らのローブには他の者には見られない炎をモチーフにしたような白い紋章が背中に刺繍されていた。
「…………」
ぼそぼそとその中の一人が呟く。すると青白くて薄いしゃぼん玉のような膜が3人を覆った。
「……では、報告を」
「前方、問題ありません」
「後方……同じく」
三人が同時にフードを外す。そして互いに顔を確認しあうと頷いた。
「ヤツらに動きは?」
「今のところ、見られません。あの、何か連絡はありましたか……?」
質問にリーダー格の男が首を横に振る。
「いや、なかった。動くとしてもまだ先だろう」
「予定通りですね」
「ああ、今夜はここで休息。周囲の警戒を怠るなよ」
二人の男が了解の意を示すように頭を下げた。それから頭を上げると再び全員がフードを被る。リーダー格の男が指を軽く振ると薄い膜は跡形もなく消えた。
朝日を迎える前からその一行は行進を再開した。その甲斐もあり、二日目の夕方には目的地に辿り着いた。本来ならば五日はかかる道のりだったが、疲労を軽減する魔法と魔除けが組み込まれた目印によって時間を大幅に短縮していた。魔物などとの遭遇が危惧されていたが、目印通りに進むことによって問題なく回避できた。
ある程度進むと視界が開けた場所に出た。これまでの景色を考えると想像もできない光景だった。切り開かれた円形の平地には木も草も生えておらず、橙色の土が地面を覆うように敷いてあった。その上に幾何学的な模様が黒い粉で描かれている。直径にして数百メルターはあるだろう。中でも目を引くのが中央に置かれた虹色に輝く玉である。玉は様々な色を浮かび上がらせては消えていき、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「よく、来てくれたな」
真紅のローブを纏った老人が一行を出迎えた。長く伸びた白髪を後ろにまとめているがいくつかは前にハネている。威厳と品格を兼ね備えた顔つきだったが、笑うとその印象が砕けて親しみを感じ取れた。
バレッド・フォード・クアイン。【
過去数十年にわたってエルンを支えてきた一人であり、魔法使いを束ねる主導魔法使いの主席に座すものだった。過去形なのはこの任務が始まった時に後進に席を譲ったからだ。
行列の中から代表の三人が前に進み出た。フードを外し、バレッドの前に跪いた。後ろに控えていた一行もそれに倣った。頭を深く沈めた姿はそれだけで心からの敬意を表すのに十分だった。
「いえ、クアイン様こそ長年このような辺境の地にてのお勤め……我らの悲願、必ずや叶えられるでしょう」
バレッドは笑って、髭のない顎をさすりながら満足そうに、うん、うん、と頷いた。
「悪いが、休憩はあまり長くは取れん。
「はっ、承知いたしました!」
実際のところバレッドは計画を前倒ししてでも儀式を始めてしまい気持ちに駆られていたが、そのような感情はおくびにも出さずににこやかな顔を保っていた。本来の目的はエルンの救済することだ。だが、バレッドには誰にも話したことのない目的がもう一つあった。
これから行われる儀式で召喚される存在、魔神との対話である。対話と言ってしまえば簡単だが、バレッド本人の個人的な質問を投げかけてみたかったのだ。魔神とは読んで字のごとく魔を司る神であり、この世界に広く知られる六大神話など数多くの文献に存在が示唆されていた。そのおとぎ話、空想上の人物は何を知り、何を考えるのか。魔法の深淵を知りうる存在との会話に胸を膨らませてきた。
バレッドは魔法使いとしての才能に限界を感じていた。しかし知識欲とも呼ぶべきか、その飢えのような感覚は限界を感じてもなお一層強まるばかりだ。数々の魔法書を漁り、得た知識を応用して新たな論理へと導く。事実、エルン国内では彼の開発した魔法具などを目にしない日はない。
それでも飢えが満たされることはなかった。何よりバレッドを超える魔法使いが彼の前に現れたことがない。既に師と呼べる者はおらず、次の段階に進むために、もしくは指標となるような誰かに教えを請いたかったのだ。
エルンの会議でこの計画が持ち上がった時は小躍りして喜びたい気持ちを抑え、主席の座を譲ってでも自身が適任であることを力説した。
今までの苦労を考えれば、たった一日。明日の夜には望みが叶うのだ。いまさら一日待つくらいどうということはない。
「バレッド様……?」
部下の心配そうな声に我に返った。皆一様にバレットの顔を見つめ、悔しそうに表情を歪ませている。何事かと思ったが自身の頬を伝う涙に気がついた時、その疑問は消し飛んだ。感極まったせいで泣いてしまい、それが部下たちに勘違いをさせてしまったことで少し顔が熱くなるのを感じた。
軽く咳ばらいして熱を逃がす。
「かっ、必ずや憎きメシュドドに正義の鉄槌を!」
誰が叫んだかはわからないがその一言で
「申し訳ありません、静かにさせます」
リーダー格の発言に慌てて制止を促した。何よりこうなるきっかけを作ったのはバレッド本人だ。格好もつかないのでついでに涙も拭った。
「よい、今夜は好きにさせてやれ」
「はっ! ご厚意感謝いたします」
大仰に頭を下げる部下に目をやりながら、バレッドは来たる魔神たちとの会話の日々を妄想し続けるのだった。
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