酒と涙
「兄ちゃん、背中が煤けてるぜ。そんなしけた顔してると、ツキが逃げちまうぜ」
直也が1人で街を歩いていると飲み屋の軒先で一人エールを飲んでいた40代ほどの大柄な男に声をかけられた。
(誰だ?)
男はエールを水の様に飲みながら直也のことを興味深そうにじっと見ていた。直也は男を見て面識はないことを確認すると無視して再び歩きだす。
「待ちな兄ちゃん。あんたこの辺じゃ見ない顔だな。身なりから察すると冒険者ってところか。いけねぇな兄ちゃん。何があったのかは知らねえが、そんな顔をして歩いていたらツキどころか命まで取られてしまうぜ」
男の呼び止めに思わず足を止めてしまった直也に、男はそう言うと美味そうに酒を飲んだ。
「ふう、酒が旨いな。どうだい兄ちゃんどうせ暇だろ。こっちで俺と一緒に酒を飲みながら少し話をしようぜ」
「・・・結構です」
「まあ兄ちゃん、こっちにも事情があってな、兄ちゃんがどうであろうが関係ない。いいからうだうだ言ってないで早く座りやがれ」
そう言うと男は胸から冒険者ギルドの職員証を取り出すと直也に見えるように掲げて見せた。
(バッカス・オーザケ、この町のギルドのギルマス?)
男は職員証をしまうと立ち上がり、直也の腕を掴み強引に自分のテーブルの席に座らせた。直也もギルドとことを構える気はないため特に抵抗することも、言われるがままに席についた。
「何だ、兄ちゃん。気の抜けた温いエールの様になりやがって。まあいい、おい姉ちゃん冷えたエールを2つ」
「はーい」
「どうして僕を呼び止めたのですか?」
「はん、決まっている。兄ちゃんみたいにシケた顔した奴はろくなことをしない。何かやらかしやがる」
男は探る様に直也をみながら佇まいを直すと
「兄ちゃんかなりできるだろう。俺も昔は結構ならしたつもりだが、兄ちゃんはもっと強そうだ」
「・・・」
「そんな危ない奴が、シケた顔して歩いていれば声もかけたくなる。この町で問題を起こされると困るからな」
そう言うと男は直也の真意を探るようにじっと鋭い目つきで睨みつける。周囲で二人の様子を窺っていた冒険者と思われる客たちは、バッカスが放った殺気を感じとり動きを止める。
「ふん、俺の威圧は全く効果なしか」
「僕は何もしませんよ」
「危ない連中はな、みんなそう言うんだよ。何もしない何もしていないってな」
「お待たせしました、エール2つです」
「ああ、ありがとうさん。兄ちゃん、まずは飲めや。腹割って話そうや。それにな、酒はつぎたての一番旨い時に飲まないと失礼だからな」
バッカスはエールジョッキをグイッとあおり一息で飲み干していく。
「旨い。ほら早く兄ちゃんも飲め。飲んだら話をしっかり聞かせてもらうぜ」
「僕は冒険者パーティー、アマテ」
「馬鹿野郎、先に酒だって言ってんだろうが! お前の話は酒の後だ」
バッカスは直也の話を止めさせて、目の前に置取れているエールを指さして、早く飲めと少し苛立ちながら直也に告げる。
「姉ちゃん、もう一杯おかわり」
「はーい」
「お前も早く飲めよ。一秒ごとに味が落ちていくぞ。味が死んでいくぞ、分かってんのかコラ」
「僕は、結構です。酒はあまり飲まない」
「ああん! 俺の酒が飲めないだと?」
バッカスの額に血管の筋が浮かびあがり明らかな怒気と含んだ口調で直也に顔を近づけメンチを切り始めた。無類の酒好きで酒愛の強いバッカスは、直也の酒は飲まないという発言に、自分と酒が貶められたと感じて、昭和の時代の酒好きの親父のごとく見事にキレてしまっていた。
「お前何言っての? これは旨いエールだぞ? それを飲めないっていうのか? お前これ事件だぞ? 俺の権限でお前を緊急逮捕するぞ。現行犯で」
「逮捕? あなたは何を言っているのですか?」
「俺はこの町のギルマスだから。お前が強いとかはこの際関係ないから。不審者の職質、いや取り調べ中の被疑者によるエールへの侮辱罪、飲まないことで廃棄されるエール殺酒罪、飲まないのに注文させた俺とエールへの詐欺罪。裁判なしの実刑で強制労働刑だな」
「そんなの聞いたこともない、本気ですか!?」
バッカスの言う言葉が信じられない直也は絶句してしまい、周りのウエイトレスや隣のテーブルに座る客の様子を窺うがみんな顔の前で手を振り、酒を飲むジェスチャーで諦めて飲めと促してくる。
「俺は本気だ、兄ちゃんどうする? 俺と戦争する気か?」
目を座らせて本気で言うバッカスに、とうとう直也は諦めて一杯だけエールを飲むことにしたのだった。
数十分後、
「僕は駄目な男なんですぅ。愚図でのろまな亀みたいな男なんですぅ」
直也はベロベロに酔っぱらい泣きながらバッカスに己の胸中を語っていた。エールを飲んだ後さらに「駆けつけ3杯は当然飲むよな」と言うバッカスの圧力に屈した直也は、言われるままに進められるままにエールを飲んで完全に酔っぱらっていた。テーブルに突っ伏してエールを飲みながら泣く直也はバッカスに絡みついて人生相談をしていた。
「僕には好きな人達がいるんですけど、みんな僕にはもったいない位良い子達で、みんな僕を好いてくれているんですけれど、・・・でも僕にはまだ未練と言うか、忘れられない人がずっといてぇ、僕はみんなと深い関係にならないように逃げてしまうんです」
「おうおう、それは難儀なことだな。姉ちゃんエールおかわり」
「はーい」
「僕もおかわり。・・・それで、聞いています?」
直也は先ほどまでとは違って自ら酒を頼みな、自ら積極的にバッカスに絡みにいく。逆に今はバッカスの方が辟易していた。彼女が6人いるとか自慢にしか聞こえない直也の話を聞かされても全然面白くない独身のバッカス。
「ハイハイ聞いている、聞いている」
「だから僕は愛していた彼女が忘れられないのですよ。・・・彼女を思うと・・・うううッ」
「泣くなよ、鬱陶しい。姉ちゃん酒だ、強いのを頼む」
「はーい、お酒はワインでも良いですか?」
「おう、それで良い。あと干し肉とチーズの盛り合わせも頼む」
「ありがとうございます」
バッカスは注文を受けたウエイトレスが厨房に消えていく姿を見ながらため息をつく。
(危険人物かと思って話かけてみれば、童貞拗らせたような只の面倒くさい奴とは)
「聞いています? バッカスさん、聞いています?」
「ハイハイ聞いている、聞いている」
バッカスは適当に相槌を打ちながら直也をあしらおうとするが、絡み酒の直也はそんな空気など読める訳も無く自分の話を一人で聞いてもいないのに次々を語っていく。
「みんなのことも大好きなのです。本当はね、本当はみんなとイチャイチャラブラブしたいんですぅよ。ぼかぁ(泣)」
「したいのだったらすればいいだろう。面倒せー奴だな」
「それが出来ないのですぅよ。桜を裏切ってしまうような気がしてぇ出来ないんですよ」
「知らねーよ、そんなの」
「うわーん(泣)」
「だから泣くな、鬱陶しい」
新しく運ばれてきたワインをグビグビ泣きながら飲む直也の姿を見て、バッカスは直也に声をかけてしまったことに今更ながら心底後悔するのであった。
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