Chapter 7. 旅立ちの覚悟と決意

 薄暗く閉め切った部屋の中、控えめに扉を叩く音が響く。

 部屋の片隅に設えられた寝台で膝を抱えていたロットは、のろのろと顔を上げると生気のない声で返事を返した。


「なに、母さん」

「お友達が迎えに来てるわよ。ほら、早く降りてらっしゃい」

「……いいよ。オレ、今日は何だか気分が良くないんだ。悪いけど、帰ってもらってよ」

「嘘おっしゃい。そんなこと言って、もう二日もそんな調子じゃないの。お友達もみんな心配してるのよ。フィアちゃんだって……」

「いいって言ってるだろ!!」


 母親の言葉を遮るように、ロットは声を荒げて叫んだ。ドアの向こう側から小さなため息をつく気配が伝わり、やがてゆっくり足音が遠ざかっていく。

 ロットは再び膝に顔を埋めると、やり場のない憤りに苛まれながら唇を強く噛み締めた。


 妖魔の群れから救いだされたロットは、屋敷まで連れ帰ろうとするアウラの厚意を頑なに固辞し、森の入口まで送り届けてくれるように頼みこんだ。今まで何も知らずいい気になっていた自分が情けなくて、とてもルタに合わせる顔などなかったのだ。

 それからというもの、ロットは誰にも会わずに自分の部屋に閉じこもり続けていた。フィアやリジーたちが何度も見舞いに訪れても、そのすべてを拒絶し続けている。


「……くそぉ……っ……畜生……っ……ちくしょう……っ……」


 暗がりの中で幾度となく繰り返した呪詛の言葉が、掠れて傷んだ喉から絞りだされた。

 ちっぽけで無力で、何の力も持たない自分が悔しくて。今この瞬間にも、強くあろうと努力し続けているフィアのことが眩しくて。

 そして、そんな彼女を見守っている女剣士の存在が羨ましくて、妬ましくて。何よりそんな風に感じてしまう自分の心根が、どうしようもないぐらい浅ましくて許せなくて、たまらなかった。


 どれくらいの間、そうしていただろうか。

 終わりのない自己嫌悪の渦に苛まれ、自問自答を繰り返すロットの耳が再びドアを叩く音を捉えた。


「入るわよ、ロット」


 答えを聞き届ける間もなく扉を開けたのは、先ほど去ったはずのアニスだった。彼女は無遠慮に部屋へと立ち入ると、閉め切られたままのカーテンを勢いよく開け放って窓を開いた。暗い部屋に慣れた目にまばゆい陽の光が差し込み、ロットは思わず目を背ける。


「な、何するんだよ母さん。あいつらには……」

「フィアちゃんたちには帰ってもらったわよ。今のあんたを無理に会わせたら、余計にぎくしゃくするだけでしょうしね」


 そう言いながら目の前に歩み寄ると、アニスは手に提げていた藤のかごをロットの胸元へと押しつけた。


「これは……」

「どうせ、やることもなく暇なんでしょう。それだったら、少しくらいは母さんの手伝いをしてくれたっていいんじゃない?」

「……嫌だよ。オレ、今はとてもそういう気分じゃ……」

「わがまま言うんじゃないの! ほら、さっさと行く!!」

「ちょっ、離してくれよ! やめ、やめろってば!!」


 強引に腕を掴んで立たせると、アニスは戸惑うロットの背中をぐいぐいと押して玄関先にまで追いやってしまう。不満げに見上げる我が子の顔に苦笑いを浮かべると、その頭に優しく手を添えながら言った。


「母さんはね、あんたに何があったのか知らないわ。あんたも年頃の男の子だもんね、秘密の一つや二つはきっとあるんでしょう」

「…………」

「でもね、あんな風にふさぎ込んでいたら本当に心が参ってしまうわ。今すぐにフィアちゃんと向き合いなさいなんて、そんなことは言わない。まずは外の空気でも吸って、頭を冷やしてらっしゃいな。身体を動かせば、嫌な気持ちも少しくらい晴れてくれるわ」

「……わかったよ、行ってくる」

「ええ。夕飯までには帰ってきなさい」


 お使いの代金が入った小袋を手渡すと、アニスは玄関の扉をぱたりと閉め切った。

 ロットはしばらくその場に佇んでいたが、やがて顔を上げると広場のある方へと向かって歩きだした。


 表通りに面したトム爺さんの雑貨屋へと向かう道すがら、ロットは行き交う雑踏の中に子供たちの歓声を耳にした。反射的に身を隠して建物の陰から様子を窺うと、そこには広場の空き地でリジーたちと元気に遊び回るフィアの姿がある。


 子供たちに混じって楽しげに笑うその表情に、かつて浮かべていた愁いの色は微塵も見られない。彼女が手の届かない遠い存在になってしまったように思えてしまい、ロットの胸にぽっかりと穴が開いたような喪失感が込みあげる。


 これ以上ここにいては、彼らに気付かれてしまう。顔を背けて踵を返そうとしたその時、背後から不意にロットを呼び止める声がした。


「物陰からこそこそ覗き見だなんて、男らしくないんじゃない?」

「あ、あんたは……」


 ぎょっとして振り返ると、そこには腕組みをしながら不敵な笑みを浮かべる黒髪の女剣士の姿があった。露骨に顔をしかめるロットの様子を気にした風もなく、まるで旧来からの知己に語りかけるような気安さで話しかける。


「こないだは道案内してくれてありがとね、少年。やー、この村って思ってたより全然いい所じゃないの。空気は澄んでるし、食べ物も美味しいし。あ、これも結構いけるわ」


 女剣士は露店で買いこんだと思われる肉串を頬張りつつ、満足げに舌鼓を打っていた。

 のんきそうに笑う彼女の姿が、ささくれ立ったロットの神経をさらに刺激する。理不尽な逆恨みなのだと分かっていても、このまま接し続けていれば余計なことを口走ってしまいそうだ。


「オレ、買い物の途中なんです。用がないならこれで……」

「待った待った。こないだのお礼をまだしてないでしょ。せっかくだし、今からちょっと付き合いなさいよ」

「別に、お礼が欲しくてやったことじゃないですから」

「固いこと言うんじゃないの。というかね、実を言うとさっき調子に乗って買い過ぎちゃったのよね。だから、あんたもあたしをもう一度助けると思ってさ」

「はあ……」


 お礼のつもりか、はたまた体よく余った料理を押しつけたいだけなのか。

 あくまで泰然自若を貫く態度に毒気を抜かれていると、女剣士はまだ美味しそうに湯気を立てている紙包みをロットへ差し出した。中に入った包み焼きの香ばしい匂いが鼻腔を刺激して、ここ数日ろくに食べていなかった胃が切なげに悲鳴をあげる。


 露店の軒先に並んで座り込むと、ロットは彼女に勧められるままに黙々と渡された食事を口に運んだ。今まで忘れていた食欲を身体が思い出してしまったのか、一度食べ始めれば手が止まらない。

 ふと我に返って隣を見ると、女剣士はしてやったりと言わんばかりの表情でにやにやとほくそ笑んでいた。相手の術中に嵌ってしまった気恥ずかしさと腹立たしさに、ロットはどうせ奢りなのだと開き直ることにした。したり顔で差し出された料理をぶっきらぼうに奪い取り、一心不乱に腹へと収めていく。


「……なあ、あんた。ずっとあそこの宿に居座るつもりなのか?」

「ええ。しばらくはこの村で厄介になるつもり。あ、そうそう。あたしレイリっていうの。よろしくね、少年」


 手を取ってぶんぶんと振り回しながら、レイリと名乗った女剣士は屈託のない笑顔を向けてくる。なし崩しに名乗られてしまったことで、ロットも渋々ながら自己紹介をする羽目になる。

 レイリはロットの心境などお構いなしに、他愛のない会話を一方的に続けた。やれ、入国審査に立ち会った聖都の役人が横暴だっただの、立ち寄った酒場の酒が絶品だっただの、酔漢どもと大立ち回りを演じた挙句に衛兵に追い回されただの、次から次へと話題が移り変わっていく。


「……ひとつだけ、聞いてもいいか」

「何かしら?」

「どうして、フィアに剣を教えることになったんだ?」

「そうねえ……。そこは行きがかり上、やむにやまれぬ事情ってやつ?」

「真面目に答えてくれよ」

「なに、あんたも習ってみる?」

「そんなことは言ってない」

「でしょうね。あんた、見るからにひ弱っちそうだし」


 あっけらかんと言い放ってから、レイリは憮然とするロットの背中をばんばんと叩く。

 そうしてひとしきり笑い転げた後、彼女は何でもないことのようにさらりと言った。


「あの子はこれから先、今よりずっと強くなるわよ」

「え……?」

「あの子には天賦の才能があるわ。それをこのあたしが直々に鍛えるんですもの。いずれはこの大陸中に名を馳せるほどの使い手へと成長するでしょうね」


 確信を持って誇らしげに語るレイリの横顔を、ロットはただ黙って見つめることしか出来なかった。

 フィアに剣術の才能があると言われても、にわかに信じられるような話ではなかった。森で一緒に遊んでいたあの気弱だった少女にそのような力が備わっているなどと、想像することすらも難しい。


 しかし、レイリとの出会いをきっかけに彼女は変わった。今までの弱い自分を捨て、新しい自分へと生まれ変わることを選んだのだ。

 もし目の前の女剣士の言うことが真実であり、フィアが自らの資質を開花させていくのだとすれば、これから先も彼女との差はますます開いていく一方だろう。そしていずれは今度こそ、この村を出て本当に手の届かない所にまで行ってしまう。


「それで、あんたはどうするの?」

「どうするって、言われても……」

「時間は待っちゃくれないわよ。そうやって、ずっといじけたままでいるつもり? あんたが今、一番すべきことは何かしら?」

「オレが今、すべきこと……」


 投げかけられた言葉に反駁しようとロットが顔を上げた瞬間、レイリはすっくと立ち上がった。服に付いた埃を払い、出会った時と同じ不敵な笑みを浮かべる。


「さて、あたしに出来るのはここまで。道案内のお礼、これできっちりあんたに返したからね。ま、せいぜい死ぬ気で頑張りなさい」


 そう言い残すと、レイリは颯爽とした足取りで人ごみの中へと消えていく。

 残されたロットは彼女が消えていった方向をじっと見つめながら、自分の意思を確かめるように拳を固く握り締めていた。


  ◆


 空の上から、軽やかなヒタキのさえずりが聞こえる。


 空を覆い尽くさんばかりの太い枝葉をすり抜けた陽の光が、たちこめる霧に反射して幾重もの紗幕のように地表を照らす。

 涼やかな微風に照らされた木立が葉擦れの音を奏でる中、薄明かりに照らされた森の小径を往く一人の少年の姿があった。


 少し赤みがかった山吹色の髪を短く切り揃えたその少年は、確かな足取りで森の奥へ歩みを進めていく。泉のほとりを通り過ぎ、剣の広場を抜けて森のさらなる奥へと。

 いつしか鳥たちのさえずりは鳴りを潜め、代わりに聞こえてくるのは獣の息遣いと虫たちの鳴き声ばかり。鬱蒼と生い茂った樹海の暗闇が行く手を阻もうと、少年は臆することなく道なき道をひたすらに突き進み続けた。


 ざり、と土を踏みしめる小さな足音がする。音がした方角に視線を向けると、そこには一匹の醜悪な小鬼ゴブリンの姿があった。舌なめずりをしながらいやらしく嘲笑い、赤錆の浮いた小剣を片手にじりじりと近付いてくる。


「……どけよ」


 少年は低く呟くと、傍らに携えていた革製の鞘を外して中身を抜き放った。それは、納屋から持ち出してきた薪割り用の山刀やまがたなだった。肉厚で鈍い光沢を放っている二フィートほどの刃は、子供の手には充分すぎる凶器となり得る。

 にじり寄る妖魔を前にして、ロットは一歩たりとも退くことはしなかった。射貫くような視線で妖魔を捉えながら、手にした得物を決然と構える。


「邪魔を、するなぁっ!!」

「ギィッ――!?」


 裂帛の気合いと共に駆けだしたロットは、身体ごと振り抜くようにして小鬼へ横薙ぎの一閃を放った。勢い任せの斬撃を受け止めた小剣が、甲高い金属音をあげて粉々に砕け散る。武器を失った小鬼はまなこを恐怖の色に染めると、脱兎のごとくその場から逃げ出した。


「はぁっ、はぁっ……」


 肩で息をしながら山刀を地面に突き立て、ロットはその場に萎えそうになる身体を必死で縫い留めた。全身を濡らす汗を拭いもせずに、誰もいなくなった森の虚空をじっと見つめて呼びかける。


「なあ。そこで見てるんだろ、爺さん」

「……気付いておったのか」

「ああ。さっきの妖魔が、爺さんの作りだした幻だってこともな」


 少年の言葉に呼応するように、樹木の陰から自動人形を伴ったルタが姿を現わす。

 無言のまま目の前に立つ老魔術師の顔をまっすぐに捉え、やがて長い長い沈黙を破ってロットがおもむろに口を開く。


「なあ、爺さん。オレに魔術を教えてくれよ。オレのこと、爺さんの弟子にして欲しいんだ」

「……お主には、まだ早い」

「…………」

「今のお主が強い力を手にすることは、恐らくは良い結果をもたらすまい。お主はまだまだ幼い子供なのじゃ。今は焦らず精進して、いずれは……」

「それじゃ、駄目なんだよ!!」


 感情を爆発させたロットの叫びが、森の空気を震わせる。


「ここでこうしてる間にも、あいつはどんどん先に進んでるんだ。もしここで何もしなかったら、オレはきっとあいつに追いつけなくなっちまう。そんなのは、もう嫌なんだよ……」

「ロット……」

「強くなりたい。力が欲しい。あいつに置いてかれない為に。あいつの隣に並び立つ為に。どんな奴にも負けることのないぐらいの強い、強い力がオレには必要なんだ。だから、頼む。オレに魔術を教えてくれよ、爺さん!!」


 大きく目を見開いて胸の内を吐露するロットの眼差しを、ルタは悲しげな表情で微動だにせず受け止めていた。深くゆったりとしたため息をつくと、しばしの静寂を経て静かに問いかける。


「お主が本当にわしに師事するというのであれば、これまでのようにはいかぬぞ」

「ああ、わかってる」

「修行の為に、この村を出ていく覚悟はあるか? この村へ戻ってこられるのは、何年先になるか分からぬ。もしかすれば、道半ばで果てることになるやもしれぬ。それでもお主は、なおも力を欲するというのじゃな?」


 いつになく真剣なルタの目が、少年の決意を試すようにじっと見据えている。底知れぬ叡智の色を湛えた瞳に圧倒されかけたロットの脳裏を、レイリが残した言葉がよぎっていく。


(あの子には天賦の才能があるわ。それをこのあたしが直々に鍛えるんですもの。いずれはこの大陸中に名を馳せるほどの使い手へと成長するでしょうね)


「オレは絶対にあきらめない。どんなことがあったって、オレは力を手に入れてみせる」


 迷いのない声で答えたロットを一瞥すると、やがて老魔術師は重々しく首を縦に振ってみせた。


「あいわかった。今この瞬間より、わしはお主を我が弟子として認めるとしよう」


 厳かに告げるルタの言葉に力強く頷くと、ロットは誓いを立てるようにその場へ膝を突いて深々と頭を下げるのだった。

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