Chapter 3. 箱馬車と異邦の旅人

「ったく、リジーのせいだからな。おかげでオレまで父さんに叱られたじゃないか」

「へへ、わりーわりー」


 ルークスの言い付けで教室の掃除と片付けをさせられた後、二人は村の入口にある広場へ足早に急いでいた。

 少し遅れて、後ろからエルナが危うげな足取りで二人の後を追いかけている。まだ甘えた盛りの妹は、何をするにも兄にべったりくっついて離れようとしない。

 家に置いていきたいのは山々だったが、半泣きで駄々をこねる彼女を放っていったと知れたら、後で母親から大目玉を食らうことは目に見えていた。

 案の定、道に足を取られて転びそうになっているエルナを見かね、ロットは苦笑交じりに彼女の手を掴まえる。差し伸ばされた兄の手を見ると、小さな少女はぱっと表情を輝かせ、嬉しそうな様子で手を握り返した。


 こじんまりとした村の広場は、いまや噂を聞きつけた村人たちで大いに賑わっていた。陽気なペトラにおしゃまなフランカ。そして、ふとっちょのハンス。日頃からよく遊んでいる馴染みの顔ぶれも既に揃っている。

 これほど多くの人々が広場に集まっているのは、旅の吟遊詩人が村を訪れた時以来のことだろう。


「二人とも、遅いじゃない!!」

「……へえ、意外。ロット君はこういうの、来ないとばかり思ってたけど」


 勝気そうな目をしたペトラと涼しげな顔をしたフランカが、やって来るロットたちの姿を見つけて声をかける。

 対照的な二人の少女は、仲の良い双子の姉妹でもある。走り疲れて背中でぐったりしていたはずのエルナが、途端に元気を取り戻して駆け寄っていく。


「どうせ今まで、先生のお説教受けてたんでしょ。ロット君も災難よね、こいつのおしゃべりに付き合わされちゃってさ」

「うっせーな、いちいち突っかかってくるんじゃねーよ。このブス」

「あ、あんですってぇ!?」

「だいたい、お前は人のこと言えたガラじゃねーだろ。こないだだって、お前んとこの婆ちゃんが後生大事にとってた糖蜜の壺割って怒られてたくせに。やーい、このお転婆ペトラ!!」

「言ったわね、この馬鹿リジー! 今日こそ決着つけてやるんだから!!」

「へっ、上等だ。返り討ちにしてやるぜ」

「きぃーっ!!」

「もう……やめなってば、二人とも。みんな呆れて見てるじゃない」


 顔を合わせるなり丁々発止とやり合うリジーとペトラを、フランカがため息交じりに仲裁する。二人は常に張り合っていて、事あるごとにこうして喧嘩ばかりしているのだ。


「おうおう、ガキどもは元気なことで。……おいこらハンス。柵の上に座るのはやめろって、いつも言ってんだろうが。お前のデカい図体で歪んだ柵を、後で誰が直すと思ってんだ」

「へーい」


 柵門の入口に立つ見張り役のアルフは、ロットたちより一回り年長にあたる。成人はとっくに済ませているものの、幼さを残した童顔にはやんちゃだった子供時代の面影を残している。

 手にした警杖でしっしと追い払われたハンスはのんびり腰を上げると、面倒くさそうに柵から飛び降りてぽりぽりと背中をかいた。


「別に見てても構わんが、仕事の邪魔だけはすんなよ」


 軽く釘を刺すと、アルフは欠伸をしながら再び門の前へ戻っていく。


 子供たちが思い思いに広場を駆け回る中で、ロットはアルフが門柱にもたれかかりながら、ぼんやりとこちらを眺めていることに気が付いた。どうやら考えごとをしているようで、心ここにあらずといった様子だ。

 アルフは飄々とはしているが、決して見張りの職務を疎かにするような男ではない。引っかかりを覚えたロットが近付いていくと、その気配に反応してよう、と片手を挙げる。


「どうした、ロット。お前も遊べるうちに遊んでおけよ。ガキの時分なんてのは、気が付けばあっという間に過ぎちまうんだぞ」

「そういうアルフさんこそ、今日はどうしたんです? あまり仕事に身が入ってないみたいでしたけど」

「見張りの仕事なんてのは、だいたいこんなもんさ。毎日毎日、退屈ったらありゃしない……っとと、こいつはお前さんとこの親父さんには内緒だからな」


 冗談めかした口振りでからからと笑った後、アルフは遠い目をしながら鼻の頭をかいて小さく呟いた。


「……いや、ちょっとな。昔の知り合いを思い出してたんだよ」


 ――昔の知り合い。

 目の前にいる青年の発言と、先ほど教室でリジーと交わした会話がロットの脳裏で奇妙に符合する。


「もしかして、その知り合いというのは“湖畔の水鳥亭”の一人娘のことですか?」

「はは、参ったな……お前にはお見通しってやつか。どうして、わかったんだ?」

「ちょうどさっき、リジーと話してましたから。噂の元は雑貨屋のトム爺さんらしいですけど」

「……あんの、お喋り爺さんめ」


 悪態をつくアルフを宥めつつ、ロットはリジーから聞いた話をかいつまんで説明した。


「この村の宿屋に娘さんがいたなんて話、初めて聞きましたよ」

「あいつが村を出ていったのは、かれこれ十数年も前のことだからな。お前らが知らなくっても無理はないさ」


 アルフは昔を懐かしむような眼差しで遠くを見つめていたが、やがてロットへ向き直って言葉を続けた。


「そうだな……。ちょっとした昔話になるが、聞いてくれるか?」


 ロットがこくりと頷くと、アルフは短く咳払いを挟んでから語り始める。


「昔この村に、リーシャって女の子がいたんだよ。ほら、俺ん家って宿屋のすぐ近くだろ? だから、ちょうど今のお前らみたいに、俺たちはよく一緒に遊んでいた訳だ」

「どんな人だったんです?」

「歳は俺より上だったんだが、こいつがどうにも頼りないやつでさ。いつもぼけっとして、何考えてんのかわからなくて、とてもじゃないけど年上とは思えなかったな。ルークスさんの教室に行く時なんていつも寝坊ばっかりするもんだから、しょっちゅう俺が家まで迎えに行ってたっけか」


 くくっと忍び笑いを漏らしながら、どこか楽しげに思い出を語るアルフ。しかし、その顔はすぐに曇ってしまい、苦笑めいたものに変わってしまう。


「ま、そんな奴だからこそ人にはないってやつがあったのかも知れないけどな」

「才能、ですか?」

「ああ。リーシャには、修道女シスターとしての才能があったんだ。何でも、百年に一度の逸材とかでな。それである日、聖都から迎えがやって来た」


 光王教会の聖職者を目指す者たちの多くは、世俗との関わりが絶たれた修道院での何年にも及ぶ厳しい修練の末にようやく認められ、教主から叙階を受けるのが通例とされている。

 しかし、世の中にはごく稀に生まれついて神の声を聞くことが出来る才能を持ち合わせた者が存在する。そういった人物は神の子として教会から直々の招聘しょうへいを受け、神に仕えるものとしての英才教育を施されるのだという。


「あん時は凄かったぜ。立派な馬車が聖都からわざわざこの村にやって来てな。まるで、どこぞの貴族様でも迎えに来たような仰々しさで、村人総出の大騒ぎだったよ」

「リーシャさんは、それからどうしたんですか?」

「…………」

「アルフさん?」

「いや……それがな。わからないんだよ」

「え……?」

「聖都へ行ったきり、あいつはぱったりと音沙汰が無くなっちまった。リーシャの両親の元にすら、便りの一つもないって話だ」

「そんな……」

「教会に問い合わせても、無事でやってるの一点張りだったよ。当の本人からの連絡は、出ていってからただの一度だってなかったけどな」


 悔しそうに唇を噛んだアルフは拳を固く握り締める。厚手の革手袋と樫の杖が擦れあって、ぎゅうっと音が小さく鳴った。


「しまいには、村の連中までリーシャのことは滅多に口にしなくなっちまった。おかしな話だよな。あいつは確かにこの村にいて、あの日まで普通に暮らしてたはずなのによ」


 知らず知らずのうちに声を荒げていると気付いたのだろう。アルフはふうっと大きく息を吐き出すと、かける言葉を見つけられずにいるロットの肩をぽんと叩いた。


「ま、そういう訳だからお前も友達は大事にしろよ。そいつがいつ唐突にいなくなっちまうかなんて、誰にもわかりゃしないんだからさ」


 親しかった幼なじみの少女との唐突な別れに、目の前の青年はどのような思いを抱いていたのだろう。


 寂しさや後悔、焦燥感や怒り、そして喪失感。

 アルフの中で渦巻いている様々な感情の奥にある気持ちの正体を、ロットはついぞ言葉にすることが出来なかった。


  ◆


 鮮やかな初夏の陽射しが、広場に容赦なくじりじりと照りつける。地面から立ち上るせ返るような草いきれが、周囲の熱気と共に肌に纏わりつく。


 子供たちが広場に集合してから、そろそろ一刻が経とうとしていた。来訪者と思しき旅人の姿は、どれだけ待っても現れる気配がない。

 最初の内は意気揚々としていた子供たちも、次第に待ちくたびれて口数を減らしていった。広場に集まっていた見物人も興味を失ったのか、一人、また一人と広場から姿を消していく。


「来ないね……」

「そうだね」


 木陰に座り込んでぽつりと漏らしたペトラの呟きに、フランカが気のない相槌を打つ。二人の少女の傍らでは、エルナも眠たそうに首をうつらうつらと揺らしていた。色素が薄くふわふわの金髪は愛らしい人形のようで、先ほどからペトラたちの手で様々な髪型に結われ弄ばれている。


「ほら、そんな所で寝てると風邪ひくぞ。そろそろ家に帰るか?」

「やぁー……」


 ロットに揺すり起こされるとエルナはむずかるような声をあげ、いやいやと大きくかぶりを振った。

 頭上に浮かぶ太陽はとうの昔に頂点を過ぎている。あと少しもすれば陽が翳りだし、辺りを赤々とした夕闇が覆い始めるだろう。周りを峻険な山々に囲まれたこの地方では、夜の訪れは驚くほどに早い。

 ここらが潮時だと判断し、ロットが皆を促そうとしたその時だった。


「なあ、あれじゃないの?」


 声をあげたのは、一人で黙々と柵の外を眺め続けていたハンスだった。子供たちは彼の元に集まり、指差す先に拡がる針葉樹林の並木道に注目する。


「おい、どこだよ?」

「何も見えないよ?」

「よく見てよ。ほら、街道の向こうから何か近付いてるじゃんか」


 身を乗りだして口々に騒ぐ声につられ、ロットもまっすぐに伸びる林道の向こう側へじっと目を凝らした。すると、緑の丘陵と青空を分かつ地平線の先に、ぽつりと極小の点にしか見えない小さな影が見える。

 少しずつ大きさを増しながら近付いて来るそれは、栗毛の牝馬によって引かれた一頭立ての箱馬車クーペだった。


 舗装の悪い土くれだらけの道を車輪が通り過ぎ、うっすらとわだちを刻んでいく。車軸を支える機構の働きゆえか、ひどい悪路にも拘わらず馬車は小揺るぎもしない。旅人たちが普段使っている木製の幌馬車とは、明らかに造りの違う代物だ。

 鉄でこしらわれた車体の表面には黒い琺瑯エナメルが引かれており、濡れたような独特の光沢を放っている。側面の扉には太陽を象った印章が描かれており、御者台の上で手綱を引いているのは金糸で縁取られた修道服トゥニカの女だった。


「……間違いない。あれは、光王教会の儀装馬車だ。あの時と、同じ……それじゃあ、本当に、あいつが……?」


 目を見開き呆然としたアルフが、喉の奥から絞りだすような声で呻いた。

 皆が固唾を飲んで見守る中、やがて馬車は村の境門の前でぴたりと停まる。御者台の修道女は体重を感じさせない身のこなしで、ひらりと地上に降り立った。


「やあ、お疲れさん。村長から話は聞いてるが、こいつは一応決まりでな。そちらの用向きを教えてくれないか?」

「光王教会のシスター・マルテだ。この村への移住希望者を送り届けに来た。こちらが教主猊下からの書状となる。確認願いたい」


 動揺を抑え発せられた誰何すいかに応えたのは、どこか中性的な印象を受ける低く伸びのある声だった。

 マルテと名乗ったシスターは胸元で聖印を切ると、厳重に封蝋が施された羊皮紙の書簡をアルフに手渡した。アルフが書簡を検めている間に、シスターは馬車に向き直って片開きのドアを静かに開く。


 馬車の中から姿を現わしたのは、長身痩躯の男と彼に手を引かれた一人の少女だった。

 二人とも擦り切れて襤褸ボロにしか見えない外套を、身体に巻きつけるようにして羽織っている。目深に被ったフードによって表情まで窺い知ることは出来ないが、その姿は満身創痍と例えるに他ならない。

 ある種の気品さえ感じさせる馬車の威容と比べると、些か不釣合いに感じられるような風体だ。


 旅人二人が放つただならぬ気配に圧倒されている子供たちに対し、男はフードを脱いで恭しくお辞儀をした。やつれてもなお精悍な男の相貌が露わとなる。

 陽に焼けた浅黒い肌と、くせのある縮れた黒髪。彫りの深い独特の顔立ちは、彼が遠い異国の地から訪れたことを暗に示していた。


「初めまして。私はこれからこの村でお世話になるプラートと申します。ほら、フィア。お前も挨拶なさい」

「…………っ」


 男に促された少女が、緊張に身を固くした。彼の陰に隠れながら、心細そうに外套の裾を固く掴んでいる。

 フィアと呼ばれたその少女は、何かに酷く怯えている様子だった。俯いたまま視線を合わせようとせず、引き結んだ唇は微かに震えている。一体何が、彼女をそうさせているのだろうか。興味を惹かれたロットが顔を覗き込もうとしたその時、茜色に染まった空を一陣の風が吹き抜けた。

 外套が風に巻きあげられて、晒された少女の瞳と視線が交錯する。瞬間、風に揺られた森の梢がざあ、と一斉にざわめきだす。


 不思議な印象を与える少女だった。男と同じ異邦の血を引いている為か、面差しはロットと比べて幾分くっきりとしている。しかし、肌の色は象牙のようにほの白く、見慣れたものにほど近い。異質なものと同質のもの。彼女は、そんな相反するいずれもの特徴を兼ね備えていた。

 肩まで伸ばした明るい栗色の髪を後ろで括り、瞳の色は深みのある琥珀のような榛色ヘーゼル。だが、彼女の瞳の虹彩は涙で揺らぎ、深い悲しみに彩られていた。今にも泣きだしそうな眼差しが、対峙するロットの心をどうしようもなくかき乱す。


 だが、邂逅は一瞬のことだった。

 重苦しい沈黙を拭い去ろうとして、ペトラが彼女に努めて明るく声をかけたからだ。


「あたし、ペトラっていうの! こっちは妹のフランカ。何かあったら、何でもあたしを頼ってくれていいから! よろしくね、フィアちゃんっ!!」

「……ぁ、あぁ……っ。ゃ、あぁ……っ!!」


 フィアはびくりと大きく身を震わせると、取り乱したように悲鳴をあげて二歩、三歩と後ずさった。そのまま子供たちから顔を背けると、彼女は弾かれたように村の中へと駆け出していく。


「ま、待ちなさい、フィア!!」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! ねえ、待ってってばーっ!!」


 制止の声も届かず子供たちの前から姿を消したフィアの後を、プラートは慌てて追いかけていった。取り残されて唖然とするペトラに、フランカが「この、バカ」と小さく毒づいた。


「……なあ、シスターさんよ」


 書状の検分を終えたアルフが、固い声音でシスターに向けて問いかける。彼は真剣な表情で、マルテの双眸をじっと正面から見据えた。


「書状には確かに、『シスター・リーシャの娘であるフィア・アリエスと、夫であるプラートの両名をこの村に迎え入れることを認める』と書かれていた。だけどよ……だったら、ここに当のリーシャ本人が来ていないのは、どういう訳なんだ?」

「……それは」


 投げかけられた疑問に、それまで無表情を貫いていたシスターの表情がわずかに揺らいだ。アルフは彼女の肩を掴むと、すがる様な思いを込めてその先を続ける。


「なあ、あいつもこの村に帰ってくるんだろう!? それなのに、あいつはここにいなくて、あいつの旦那と娘さんはあんなにボロボロで……。どうして、そんなことになってるんだよ……なあ、黙ってないで何とか言ってくれよ、シスター!!」


 太陽はいつしか西の山陰に沈み、赤い夕焼け空が濃紺へと変わっていた。

 シスター・マルテは感情を堪えるように眉根を寄せ、固く組まれた指先が白く色を無くしている。


「……すまない」

「なんで、謝るんだ」

「すまない……」


 繰り返される謝罪の言葉に、アルフは奥歯をぎりっと噛み締めた。


「だから、何でなんだよ! 答えろよ、シスター!!」


 長い沈黙の末、絞りだすような声がぽつりと零れ落ちる。


「彼女は……シスター・リーシャは、遠く離れた砂漠の地で命を落としたとだけ報告を受けている。彼女の崇高なる魂は……女神の御許へと召されたんだ」

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