サキュバスと大誤算

 そこから二人の一ヶ月が始まった。

 まず、毎晩決まった時間にキヨラが魔法陣で転移してきて、二人は平助の部屋で数時間を過ごす。


「平助さん、私が突撃をかけるので支援してください! 早くっ! 十時方向に狙撃手! グレネード早く! あーもう、遅いんですよ! 寝てんですか!?」

「君、ゲームに熱中すると口悪くなるタイプだな!?」


 その数時間を、最初に平助の出した案に従い二人はゲームをして遊んだり。


「このシリーズさ、俺も見よう見ようとは思っていつつも、めっちゃ作品数あるし、どの順番で見たらいいのかわからなくて……結局、有名どころを二、三本しか見たことないんだよな……」

「大丈夫ですよ、私がちゃんとどの順番で見たらいいか調べてきたので、この機会に正しい順番で最初から見ていきましょう!」

「いや、魔界に住んでてどうやってそういうマニアックな情報得てんだよ」


 時には映画を見て過ごしたり。


「あー、キヨラさんジュース飲む? というか、サキュバスが飲んでも大丈夫なの?」

「人間界のジュース!? それもコーラじゃないですか! ずっと飲んでみたかったんです! 全然大丈夫ですよ! いただきます!」

「詳しい上に食いつきがすごい」


 飲んだり。


「あ、じゃあお菓子も食べる?」

「人間界のお菓子! それも食べてみたかったんです! 是非いただきます!」


 食べたり。


「小腹空いてきたな……。キヨラさんも夜食食べる?」

「そ、それは! 人間界のカップラーメン!? 憧れだったんです! 当然食べるに決まってるじゃないですかッ!」

「もう人間界のもの何でも知ってんなこいつ……」


 食べたり。


「平助さんの毎日というか、学校生活は本当に普通で何の面白味もないんですね……いっつも似たようなことだけ書いて、もうちょっと変わり映えとかないんですか?」

「普通の人間の日常なんて、そんな風に退屈なものなんだよ! 悪かったな! キヨラさんの方こそ、ほとんどアルバイトの日報みたいなものじゃないか!」

「うっ! で、でも、ちゃんとアルバイト先のスリリングな裏話とかも書いて、少しでも楽しんでもらえるように工夫していますよ!」

「魔界のスーパーマーケットのパートさんと店長が裏で隠れて不倫してるとか、それが隠してるつもりでもバレバレで働いてるみんなしてそれを肴に盛り上がってるとか、どちらかというと知りたくない情報だったよ、そんな俗っぽいもの……」

「魔界はやっぱり色々爛れてるんです……いい加減今の職場がイヤになりますよ~……せめてこんな風に日記の中で愚痴らないとやっていけないです」

「交換日記は君の鬱憤を吐き出す場所じゃないと思うが!?」


 真面目に交換日記も書き合い、読み合い。


 そんな風にしてぱっと見順調に、二人は一緒に時間を重ね、仲を深めていた。

 二人で出し合った案の通りに一緒に遊んで互いに打ち解け、交換日記をしてお互いのことをよく知るようになった。

 それはまさしく計画通りであった。

 確かに、二人の距離は最初の頃よりもぐっと縮まり、近づいていた。


 だが、二人は一つの事実を忘れていた。重要なことを見落としていた。

 それは、二人とも所詮は今まで一度も恋愛を経験したことのない、まるっきりの初心者ビギナー同士であるということ。

 そんな二人であるが故に、大事なことがわかっていなかった。

 交換日記を通して互いのことを知るのはいい。

 一緒に遊んで仲を深めるのも、確かに一つの正解である。

 だが、恋愛とはそういうものを積み重ねつつも、どこかのタイミングで意図的に関係をステップアップさせなければ成立しない。

 ただ漫然と交遊を繰り返しているだけでは結局いつまでも友達止まりで、その次の段階へは永遠に進めないのだ。


 片や夢見がちで頭の固い、貞操観念カチカチサキュバス。

 片や生まれて一度も異性にモテたことも付き合ったこともない奥手な純情ボーイ。

 そんな二人であるから、二人してまったくそのことをわかっていなかった。

 いや、というよりもそんな二人なので、一体どのタイミングで足並みを揃えてハードルを飛び越えればいいのか計りかね、結局動けずにいたというのが正解かもしれない。

 なので、二人は時折ちらりと「果たしてこれでいいのだろうか」とは思いつつも、「まあいずれどうにかなるだろう」とすぐに楽観的に思い直すのを繰り返していた。

 危機感に蓋をしてしまった。見て見ぬふりをしてしまった。

 そうして、二人で一緒にただ遊び呆ける快楽に逃避した。

 これが正しいはずだと思い込み、享楽に耽ることで刻々と迫り来るデッドラインから目を逸らし続けた。

 しかし、流石に返済期限の一日前まで来てしまってはそれも無理だった。

 むしろ、そこまでよくもまあ二人して逃げ続けられたものである。

 だが、いくらなんでもここまで来ると観念し、恐るべき事実に目を向けなければならない。

 そのことへと最初に踏み込んだのは、平助の方からであった。


「キヨラさん……ちょっと、確認しておきたいんだが……」


 その夜、平助はおもむろにキヨラへそう声をかけた。


「なんですか? あっ、お夜食のカップラーメンのことなら私、今日はカレー味の気分なんでそれでいいですよ。シーフードは平助さんがどうぞ」


 声をかけた先のキヨラは一人アクションゲームに熱中しており、こちらへ顔も向けずにそう返答してきた。

 その様子を見て、平助は自分の中の嫌な予感が増大するのを感じる。


「いや、そういう話では全然ない。というか、マジな話なんだ。一旦ゲームやめてくれ」

「え~?」


 不満げな声を上げながら、渋々といった感じでキヨラはゲームを中断した。

 テレビにくるりと背を向けて、ローテーブルの向かいに座る平助の方へと向き直る。


「それで、なんですかぁ? 改まって……」

「いや、確認なんだけどな……借金の返済期日って、俺とキヨラさんが初めて会った日から一ヶ月後だったよな? それって、記憶が確かなら明日だと思うんだが……」

「……そうですね」


 問われたキヨラはしばし数を数えるような仕草をした後で肯定した。

 素なのか意図的なのかはともかく、どうもキヨラは今までそれを忘れていたようだった。

 答える時の少し血の気が引いたような顔からそれが伝わってきた。


「それじゃあキヨラさん、もう一つ確認だ。借金返せるくらいの精気を吸い取るためには、俺達、明日までにやることやらなきゃいけないんだよな?」

「…………」


 その顔から、どうやら向こうも自分と同じ嫌な予感に到達したらしいことを平助は感じ取る。

 黙り込んでしまったキヨラの返事を待たずに、平助は話を続ける。


「……確かに、この一ヶ月で俺達の仲は深まったと思うよ。心の距離はぐっと近づいた気がする。それは認めるよ。でもさぁ、何でだろう……俺の方は、最初に君と会った時よりも今、全然君にドキドキする気持ちがないんだ……」

「…………」

「なんというか、もしかして俺達がこの一ヶ月間に二人で作り上げた関係って、恋人同士というより『毎晩二、三時間ダラダラと一緒に遊ぶ友達』でしかないんじゃないか……?」

「…………」

「俺、正直今のキヨラさんのことを恋愛対象というよりも手のかかる妹みたいな目でしか見られていないんだが……それなのに、ここから明日までに肉体関係に突入してねって言われても全然それを想像出来ないというか、ぶっちゃけ精神的にかなり厳しい予感がひしひしとしているのだけど……」


 平助はそう胸の内を素直に全部吐露する。

 ここまで来てしまっては隠し立てしても仕方がない。

 いい加減に、お互いの本音をさらけ出すべき時であった。

 なので、平助は依然青い顔で黙ったままのキヨラへ、恐る恐る問いかける。


「……キヨラさんの方では、どうなんだ? 俺のことをちゃんと、そういうことをしてもいい相手として思えるようになっているのか?」

「……最初の頃よりは……」

「それを数値化するとして、百パーセントで肉体関係を許せる恋人だとしたら、ぶっちゃけ今は何パーセントくらいなんだ?」


 一旦曖昧な返答へ逃げようとするキヨラを追い込むために、平助は具体的な答えを求める。

 問われたキヨラは激しく目を泳がせた後に、やがて観念したような溜息を吐いて、


「さ……さんじゅっぱーせんとくらいまではきてます……」

「君の恋愛感情は通信速度制限でも食らってんのか!?」


 思わずテーブルをダンと叩きながら平助はツッコんでしまった。


「こ、これでも私史上かなり頑張ってる方なんですよ!? 男の子に向ける感情としては毎晩記録更新しているんです! 大体、平助さんの方だって人のこと言えないじゃないですかぁ!」

「うぐっ……そ、それもそうだが! でも、どうするんだよ、お互いこんな状態で! 猶予は明日までしかないんだぞ!? 結局俺達この一ヶ月で増えたの体重ぐらいじゃないか!」


 二人とも毎晩遅くに運動もせずダラダラ飲み食いしたせいで少しふくよかになってしまっていた。

 恋愛感情のゲージは微動だにせず、身についたものは脂肪ばかり。

 今更ただ漫然と遊び呆けていただけの一ヶ月が猛烈に悔やまれてきた。

 チクショウ、俺達は一体何をしていたんだ。


「だ、大丈夫です平助さん! この一ヶ月は無駄なんかじゃありません! 私の恋愛感情のゲージが三十パーセントまで上がったのは、確かな成果ですよ!」

「……つっても、三十程度じゃどうにもならんだろ……」


 そんな超スローペースでしか上がらないものが、明日突然百パーセントになるわけもなし。

 目の前にそびえ立つ圧倒的な『詰み』の状況に、平助は頭を抱えるしかない。

 だが、キヨラの方は違う考えのようだった。


「いえ……もしかしたら、まだ突然百パーセントになるかもしれない可能性は存在しています……!」


 まだ希望を失っていない目で平助を見つめてくると、キヨラは言う。


「私達にはまだ、起死回生の秘策があります。こうなったからにはもう、それに賭けるしかないでしょう……!」

「秘策……? どんな……?」


 疑わしげな眼差しで尋ねる平助に、キヨラは意を決した様子で告げる。


「――デートをしましょう」

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