サキュバスと交換日記

 キヨラを見送った後で、平助自身もそろそろ寝るかと思い立った。

 その時ふと、キヨラが置いていった交換日記が平助の目に入った。


「…………」


 どうしたものかという目で見ながら、無言で手に取る。

 無論、彼女に協力すると決めた以上、提案されたことは出来る限りやっていくつもりだ。

 交換日記だって真面目に書こう。

 しかし、女の子と交換日記なんてした経験は人生で一度もない。

 そもそも男子であれば交換日記という文化自体に触れることなく育つのが大多数じゃないだろうか。

 だから、一体どんなことを書けばいいのかわからない。

 悩ましい気分になりつつ、平助はとりあえず机に向かうと、それを開いて読むことにする。

 中にはすでにキヨラからの最初の日記が記されていた。

 少しホッとする。これを参考にして書き方を学ぶしかないだろう。

 そう考え、平助は日記を読み進めていく。


『平助さん、こんばんは。この日記は二人がお互いに自分のことを教え合うためのものです。私は、この日記を通して私がどんなサキュバスであるのか知ってもらうために。そして、この日記を通して平助さんがどんな人間であるのかを知るために。その目的のために今、これを書いています。真面目に、真剣に書きます。なので、平助さんの方でも出来る限りでいいのでそうして欲しいです。よろしくお願いします』


 日記はそんな挨拶から始まっていた。

 ……文章までカチカチに固いな、あの子。

 平助はそんな風に少し呆れつつ、続きを読んでいく。

 そこからはキヨラの個人的な情報が、当たり障りのない範囲で記されていた。

 簡単な生い立ち。自分の好きなもの、嫌いなもの。学歴、賞罰。資格、特技。自己アピール、通勤時間。


「履歴書かよ」


 平助は思わず口に出してツッコんでしまう。

 もう本当に、筋金入りに頭が固くて真面目過ぎる。普通の交換日記というものは、少なくともこんな四角四面な内容じゃないだろう。

 嘆息しつつ、思う。

 こんなにお堅い子と、本当に一ヶ月程度で恋人同然の仲になれるのだろうか。

 途方に暮れる気分になりながら、平助はダラダラと日記を読み続ける。


「…………!」


 しかし、そろそろ終わりに近い部分に差し掛かったところで少し驚き、一旦手を止めてしまった。

 しばし考えた後で姿勢を正し、先ほどまでよりも真面目な態度でその先を読むことにする。

 そこには、これまでの事務的な内容とは打って変わって、こんなことが記されていた。




        ***




 ――……さて、この交換日記には、お互いのことを教え合う以外にも大事な役割が存在します。

 それは、この日記を通してお互いに面と向かって口には出来ないような何か――気持ちでも、言葉でも、それを伝えることです。

 私は頭が固く、頑固で、不器用で、そのくせ臆病で、人見知りで、恥ずかしがり屋でもあります。自分で書いていて悲しくなってしまいますが、それが私の性格なので今さらどうしようもありません。

 なので、平助さんの前でもその性格が災いして、言葉にして伝えるべきなのにそう出来なかった想いや考えをたくさん抱えてしまうかもしれません。

 そういったものを、出来る限りこの日記に書くことで伝えていきたいと思っています。それだったら、こんな私でも出来る気がするので。

 それでは、早速その一つめを今から書いていきます。

 さて、平助さんも私の頭の固さにはかなり驚かれたことでしょう。

 こんなに頭が固くて、破廉恥でふしだらな行為をとにかく毛嫌いしているような相手と本当に恋仲になれるものなのか。そう疑われているかもしれません。

 私自身、自分のことながら不安になりますし、柔軟になれない自分に嫌気がさしてしまいます。

 でも、私は何も色恋というものの全てを忌避し、否定しているわけではないのです。

 自分自身がそれをしたくないというわけでもないのです。

 ただ、私の中には理想的な恋愛の形というものが存在しているだけなのです。

 正しく、清らかな男女交際の規範、在り方。

 それが私の頭の中にあって、私は出来ればその通りに男性とのお付き合いを進めていきたい。

 それだけなんです。それこそが私の理想であり、淡い夢なんです。

 素敵な人と出会って、ゆっくりと時間をかけながら正しく清らかに仲を深めていき、徐々にお互いを想い合うようになる。

 それに応じて手を繋ぐ、腕を組む、キスをするなどの肉体的な触れ合いも段階的に行っていく。

 しかし、最後の一線だけは、互いに結婚を約束し、そして結婚式を終えたその夜に初めて一緒に越える。

 それこそが私の考える理想的で正しく、美しい恋愛の形だと思うんです。どうですか!?

 ……もちろん、私だって現実のそれがこんなに綺麗に、上手くいくことなんてないとわかっています。

 自分の理想が絶対だとも思っていません。

 それはきっと、古風というより時代遅れで、私の性格のようにどこか歪んでいるものなのでしょう。

 何より今の自分はもうそんな理想を求められる立場にないこともわかっています。

 だけれども、それでもせめて、少しだけでもそんな理想の恋愛に近づきたい。

 どうしても、そう思ってしまうんです。

 自分の一生で唯一となる初めてのその経験を、不幸と諦めだけで塗り潰されたものにしたくない……。幸せで、美しいものもそこにはあったと思いたいんです。

 自分勝手で、無理のある望みであることはわかっています。それでも、どうかお願いします。


 それを叶えるために、平助さんの力を貸してください。


 ……これが、面と向かって口には出せない、この日記に書くことしか出来ない私の想いです。

 本当はしっかりと口頭でお願いするべきことなのに、私にはこんな形でしか伝えられませんでした……。卑怯ですよね……ごめんなさい。

 これを読んだ後でどうされるのかは、平助さんの判断に全て委ねます。どう思われても仕方ありません。

 何に責任を感じることもなく、自分の思ったようにしてください。

 たとえこの先どんなことになったとしてもあなたを恨んだり、呪ったりすることはありません。……多分。


 私との関係は、あなたの好きなように進めてください。


 ただ、これまでの話を読んだ上で、それでも私の理想を叶えてもいいと思ってくれたなら……そんな親切で優しいことを思ってくれるとしたら、これほど嬉しいことはありません。

 その時はどうか、これからも協力をお願いします。

 二人でお互いに歩み寄って、力を合わせて、少しでも幸せな結末を目指しましょう。




        ***




 平助はそれを読み終えると、小さく息を吐いた。


「…………」


 頭の後ろで手を組み、目をつぶる。

 椅子の背もたれに思いっきり体重を預け、その体勢のまましばし無言で考え込む。

 しばらくそれを続けてから、おもむろに目を開くと、また机に向かう体勢に戻った。

 シャーペンを手に取り、交換日記へ書き込み始める。

 自分の手番のそれを。キヨラの日記を参考に、履歴書のようなパーソナルデータをダラダラと書き連ねていく。

 そうやってどうにか書き上げた日記の文末を、平助は軽い溜息と共にこう記して締めくくった。


『日記を読んで、俺の方でも君の言う理想の恋愛というものに少し興味が湧いた。悪くない……とも、思う。男の目から見ても。だから、その実現にはこれからも協力してもいい。出来る限りのことはする』

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