サキュバスと作戦会議
それじゃあ、明日またこの時間に来ますんで。
いや、帰るんかい。
という、漫才めいたやり取りと共に別れたのが昨夜の顛末である。
そして今夜の同じ時刻、言葉通りにキヨラは魔法陣で転移してきた。
もはやコントの導入か何かのようだ。
そう思いながら、とりあえずローテーブルを挟んで二人は座布団の上に座る。
昨夜よりは少しばかり掃除して小綺麗になった自室に、女の子と二人。
普通であればドキドキして、ソワソワと落ち着かない気分になりそうなものである。
だが、平助にとってのそれは昨夜がピークであった。
今となっては何故だろう、目の前の風変わりすぎるサキュバス相手にそんな感情が湧いてきそうにない。
相手はどうだか知らないが。
「最初につかぬことを聞くが……。キヨラさん、頭の固い君の基準からして、こんな真夜中に男の部屋に上がり込んで二人きりという状況は一体どうなんだ?」
何となく気になったので、それを尋ねてみることにした。
言葉にしてみれば、年頃の女の子がやらかすにはあまりに大胆な行動ではないだろうか。
「平助さん……甘く見ないでくださいよ。正直私、男の子とこうやって二人で面と向かって会話することすら恥ずかしくて怖いんです。今は非常事態というのと、平助さんが信頼できる人だからなんとか乗り越えられていますが、改めてそんなこと聞かれたら意識してきちゃうじゃないですか」
問われたキヨラは何故か堂々としたドヤ顔でそう言い切った。
「というか、確かに男の子の部屋で深夜に男女二人きりというこの状況はあまりにもふしだらですね。今更ものすごく恥ずかしくて、恐ろしくなってきてしまいましたよ。もう帰ってもいいですか!?」
「落ち着け! これで帰ったら君は今日一体何しに来たんだ!?」
あまつさえプルプルと震え、涙目になりながらそんなことを言い出すキヨラへ平助は渾身のツッコミを返す。
「そうでしたそうでした……。落ち着きましょう……落ち着くのです私……」
キヨラは数回大きく深呼吸をすると、どうにか落ち着いた様子になる。
「――それで、ちゃんと考えてくれましたか?」
真っ直ぐに平助を見つめながらキヨラはそう尋ねてきた。
「…………」
平助はそれに対して一旦無言になりつつ、昨夜最後に交わした約束について思い返す。
とりあえず明日までに、これからの二人の関係を進展させる方法をお互いに考えておきましょう。
それが昨夜の別れ際、キヨラから持ちかけられた約束であった。
それを早速、今この場で発表しあおうというつもりらしい。
「私の方ではしっかり考えてきましたよ……ほら、見てください」
キヨラが平助の無言をどう受け取ったのかは知らないが、とりあえず返事を待たずに自分の方から率先して発表することにしたらしい。
どこから取り出したものか、一冊のファンシーなデザインのノートをテーブルに置いて見せてきた。
「これは……?」
「ふふふ……ずばり、『交換日記』です!」
そう言うと、キヨラは自慢げに胸を張る。
「今日から一ヶ月間、一日おきにお互いこの交換日記を書いていきましょう。そうすれば、二人はお互いのことを日記を通して教え合い、理解するようになり、心の距離は縮まり、より深い関係となっていけること間違いなしです!」
「あー……そうだな……うん……」
なんだか小学生みたいだな……。
というのが、平助の率直な感想だった。
だが、それをぐっと飲み込み、曖昧な返事をしておく。
頭と貞操観念がカチカチのキヨラにとっては、男女交際というのはこれくらいのスロースタートが当たり前なのだろう。
それに水を差すのも何となく気が引けるというか、悪いことをしているような気分になってしまう。
そんなペースで果たして一ヶ月後に男女の営みをしてもいいと思えるほどの関係に辿り着けるものなのか。
かなりの不安が平助の頭を過ぎったが、キラキラ笑顔を向けてくるキヨラへの罪悪感がそれを無視させた。
このどことなくアホっぽいが、純粋無垢そのものの笑顔を今は曇らせたくはない。
早くも変な感情が平助の中に生まれつつあった。限りなく恋愛感情からは程遠い気もするが。
「そうでしょう、そうでしょう! 自分でもこれを思いついた時は天才的だと思ってしまいましたからね!」
平助がそんなことを思っているとはつゆ知らず、キヨラはひたすら得意満面であった。
頭が固い上に少し残念。平助はキヨラが少しずつ恋愛対象から遠のいていくのを生温かい目で見守るしかない。
「さて、私のアイデアは以上です。次は平助さんの番ですよ。まさか何も考えていないなんてことはないですよね?」
「……俺だって、一応は真剣に考えてきたよ。心配しなくていい」
目を細め疑うようにそう言ってくるキヨラへ、平助はそう返す。
それから自分も一冊の本を取り出し、テーブルの上へ置いた。
「これは……?」
「ずばり、『恋愛ハウツー本』だ」
「はぁ……?」
それを聞いてもまだ不思議そうな顔をしているキヨラへ、平助は説明を続ける。
「平たく言えば、男女の恋愛に関する教科書みたいなものだよ。俺の方は、今日一日かけてこれを読み込んできた」
「そ、そんないやらしい本が人間界には……!?」
「いやらしくない! いたって健全だ! 健全な恋愛をするためのものだと言っていい!」
「本当ですかぁ……?」
なおも疑わしげな眼差しを向けてくるキヨラだったが、平助はもう意図的に無視する。
「とにかく! この本にはこう書かれていた。男女が心の距離を縮めて恋愛関係に近づくには、まず『一緒に遊ぶ』ことが一番有効な方法だと」
ということで。
「今日から毎晩、二人で一緒に遊ぼう、キヨラさん! それが俺の考えた、二人の関係を進展させる方法だ!」
平助の方もキヨラに倣い、力強くそう言い切った。
あちらと同じく自信もあった。何故なら本は嘘をつかない……はずだ!
むしろ明確な
平助も平助で自信満々にそう信じ込んでいた。たった一日、ハウツー本を一冊読み込んだだけで、そんな根拠のない自信に満ち溢れていた。
正直どちらも色恋沙汰への残念さでは五十歩百歩と言ったところであった。
「お、おおぉ……!」
なので、キヨラの方も何だかその自信に満ちた態度に感化されてしまったらしい。
大いに納得したような声を上げて、平助へキラキラとした眼差しを向けてくる。
「確かに説得力のある方法のような気がします……! しかし、一緒に遊ぶといっても、具体的にはどのようなことをして……? まさか……い、いやらしいことはダメですからね!?」
「俺達、最終的にそこを目指しているんじゃないのか? ……まあ、俺だってそんな性急に事を進めるつもりはないけども。それに、だ」
相変わらずポロリと飛び出すキヨラの矛盾した発言に平助は嘆息しつつも、にやりと笑いかける。
「そこは少しも心配しなくていい。俺だってこれでもデジタルネイティブな現代っ子だ。二人で健全に、仲良く遊ぶための
自信満々にそう宣言すると、平助は準備していたそれをテーブルの上にバッと広げる。
「こっ、これは……人間界のテレビゲーム機!?」
「ほう、魔界にも知れ渡っているのか?」
平助がテーブルに広げたものはまさにそれだった。
最新鋭ゲーム機に、二人以上の対戦や協力プレイがメインとなるソフト数本。
これくらいは平助だって嗜みとして所有していた。
同性の友人相手だけではなく、いつか出来るかもしれない異性の恋人と楽しむ時も夢見て。
まさかその備えがこんな、少々歪んだ形で役立つとは思わなかったが。
「ええ、魔界でも人間界のテレビゲームは有名ですよ! まさか私が遊べる日が来るだなんて……!」
「そうかそうか。しかし、それだけじゃないぞ!」
「ああっ! あれは人間界の高性能薄型液晶テレビ!」
「さらに、こうだ!」
「ああ! しかも、内蔵アプリによる各種サブスクリプション動画配信サービスまで!?」
「いや、異様に人間界のデジタル文化に詳しいなオイ!?」
平助は素で驚きながらツッコむ。
向こうも驚くには驚いてくれているようだが、何だが想定していた驚き方とかなり違う。
「私、人間界の某アメコミの超大作シリーズ映画全部見るの夢だったんです~! 信じられません! 最高です! レンタルしましょうレンタル!」
「ま、まあ予想以上に積極的に楽しんでくれそうで何よりではあるが……」
平助は首を捻りつつも、ひとまずそれ以上考えないでおくことにする。
大はしゃぎしているキヨラにわざわざ水を差すこともないだろう。
自分が考えた『二人で一緒に遊んで仲を深める』という方法も、これなら思っていた以上に上手くいきそうだし。結果オーライというやつだろう。
「よっしゃあ! それじゃあ今夜は二人でとことん遊び尽くそうぜ!」
「イェー!! 盛り上がっていきましょう!」
とりあえずテンション高く二人はそう叫ぶと、テレビゲームと映画鑑賞がメインという、年頃の男女二人きりにしてはいたって健全なパーティーナイトに突入するのであった。
***
「盛り上がり……ましたね……」
「想像以上にな……」
その夜はあまりにもゲームに熱中しすぎたせいで若干息切れまでしてきたところでお開きということになった。
キヨラが帰り支度を整えて立ち上がると、なんとなく平助も立ち上がって向かい合う形になる。
普通なら「危ないから送るよ」とでも言うべき場面なのだろうが、送るも何も相手は魔法陣でここから転移して帰るだけである。
だから平助が何をしようもないのだが、ただ何となく座ったまま見送るのも落ち着かない。
別れの挨拶は向かい合ってきっちりと。
それが一応礼儀かもしれないと平助は思い立ってのことであった。これからの二人の仲を進展させていくためにも礼儀は大事だろう。
黙ったまま同じようにしてくれたことを思うと、向こうもそう考えているのかもしれない。
「……交換日記、ちゃんと書いてくださいね。そして、ちゃんと読んでください。ちゃんと、私のことを知って、あなたのことも教えてくださいね」
そうしていけば、いつか、きっと――。
微笑みながらそう言うも、最後の辺りをキヨラは口ごもった。
どうやら、まだ面と向かって言葉にするのは恥ずかしいようだ。
どれだけ先が長いのか。何だか果てしない気分になりながら、平助は敢えて一つ尋ねることにする。
「その……キヨラさん、本当に大丈夫なのか? 君は本当に俺のことを、その……好きになれそうなのか?」
かなり恥ずかしいことを聞いている自覚があるので思わず顔を赤くしてしまう。
知り合ってまだ二日だというのに、自分のことを好きなのか、なれるのかどうかここまでストレートに問いかけなければならないとは。
まったく、どれだけ複雑な関係なのだろう。
「……今のところ、平助さんのことはとてもいい人だと思っています。親切で、優しくて、信頼出来る人だって。だから、こうして面と向かってお話したり、あなたの部屋で二人きりという状況にも段々慣れてきました」
対するキヨラの方は真面目な顔で、ぽつりぽつりとそう答える。
「少なくとも今は、出来立ての友達くらいに感じています。私、男の子の友達って初めてです。そう考えると、これはもしかしたらものすごい快挙かもしれませんよ。でも……やっぱり今はまだ、これ以上は無理ですね。お話したり、一緒にゲームで遊んだりは出来ても、それ以上のことが出来る気はしません。特に身体が触れ合ったりとかは絶対に無理です。想像しただけで怖くて泣きそうですし、恥ずかしくて沸騰してしまいそうです。包み隠さずに言ってしまえば、そんな感じです」
そう言って、少しだけ哀しそうに微笑む。
「でも、一ヶ月後までには何とかしてみせます。平助さんのことを好きになれるように……そういう行為をしてもいい相手だと思えるようになってみせます。頑張って、努力して。だって、自分の命運がかかっていますもんね」
そこまで言ってから、キヨラは次にどうにか哀しみを取り去った、明るい笑顔を作った。
「ああ、そうだ。でも、これだけは覚えておいてください。それは別に平助さんが悪いわけじゃないんです。そうしないといけない境遇に私があることと、柔軟にそれに対応出来ない私の頭の固さが全部悪いんです。ほとんど自業自得ですよね。だから、決して、平助さんがそうやって頑張ったり努力をしないと好きだと思えない相手というわけじゃないんです。それだけは、わかって。……ごめんなさい……」
しかし、キヨラは結局言葉の途中からがっくりとうなだれるようになってしまった。
どうやら向こうもこの複雑な関係に対して心底申し訳なく思っているらしい。
平助だって思うところがないわけではない。男女交際というのをこんな歪んだ形で進めることが本当に正しいのだろうかという疑念もある。
だが、一度協力を約束してしまった以上、男としては投げ出したり泣き言を言うわけにはいかない。
これはもはや、二人で力を合わせて乗り越えるべき問題だ。
だからこそ、キヨラがそんな風に自分だけを責めて気落ちしないでもいいように振る舞ってやるべきだろう。
「別に気にしてないさ。俺自身、女の子に積極的に好かれるタイプじゃないし……というか、生まれてから一度もモテた記憶もないし。告白されたこともないし、女の子と付き合ったこともないし。そして何より、ブラックリスト級のドスケベらしいからな。そう考えると、そんな男を好きになってもらうのがむしろ申し訳ないくらいだ」
平助がそう軽口を叩くと、キヨラも呆気に取られた顔をした後で、
「ふっ……ふふっ……そういえば、そうでしたね」
ぷっと吹き出して、朗らかな笑顔を見せてくれた。
「……ま、まあ、私の方はそんな感じなんですけど。それじゃあ次はお返しに、平助さんの方は一体どうなのか聞かせてください! 私だけが好きになっても、関係は成立しませんよ? お互いに想い合っていないと、私はそういうことをするつもりはありませんから!」
それからコホンと咳払いをすると、キヨラはまるで小言のような調子でそんなことを言ってくる。
「なので、その辺、ど、どうなんですか……平助さんは……その、私のことを好きになれそう……ですか?」
なにやら頬を染め、もじもじとしながらそう問いかけてきた。
「キヨラさん……」
それに対して、平助は真剣な顔でキヨラを見つめながら、きっぱりと宣言する。
「一般的に言って、一ヶ月後にヤらせてくれる約束をした女の子を好きにならない男はいないから安心してくれ!」
「このデリカシーゼロドスケベっ!」
「ただの一般論だがッ!?」
結局、その夜もビンタで締まる別れとなった。
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