サキュバスと協力要請
平助は今日一番の混乱に襲われる。
「待て待て待て、そりゃ確かに俺はスケベかそうでないかと言われたらどちらかといえばスケベな方かもしれないが!」
「うわぁ、やっぱりスケベなんですね……」
「程度問題! 俺は絶対一般的な範疇だ!!」
流石に自分がとんでもないドスケベとして名を売っているという自覚はなかった。
ジト目を向けてくるキヨラに対して、平助は声を大にして徹底抗議する。いくらなんでも到底納得出来ない。
「当年とって十七歳の男子高校生! だというのに、生まれてこの方彼女が出来たこともないんだぞ!? 女の子の身体に触れた記憶だって小学生が最後だ! それもかなりおぼろげな記憶だぞ! 以後女体とまったく縁なし! そう考えるとむしろ俺は一般的な範疇よりさらに下かもしれん!」
自分で言ってて段々悲しくなってきた。
平助は精神的自傷によるダメージを受けつつも、自身の名誉のためにきっぱりと言い切る。
「俺は絶対そんな風に言われるようなドスケベなんかじゃない! 清廉潔白! 純情が取り柄のピュアボーイだ! 絶対そっちの間違いだ!」
「それは……なんとなく私の方もそうなんじゃないかとは思い始めてますけど……でも、あなたがドスケベであることには間違いないんです!」
「何で!?」
「何故ならば、あなたは魔界のブラックリストに載っているからです!」
しかし、キヨラの方も若干の戸惑いを見せつつも、きっぱりとそう言い返してきた。
「魔界の借金取りさんは非合法なルートでそのブラックリストを手に入れて、そこから私を送り込む相手をランダムに選んだと言っていました。借金取りさんも自分のお金がかかっている以上、万に一つも手違いはないでしょう。そうやって実際にリストから選ばれたということは、平助さんが魔界のブラックリスト入りのドスケベなのは確定事項なんです!」
「異議ありッ! というか異議しかないわッ! 人の与り知らないところでどんなリストに載せてくれちゃってんだよ!?」
お互いに一歩も譲らない言い合い。どちらも主張を曲げる気はないらしい。
流石、相手も頭カチカチと自負するサキュバスなだけある。
しかし、平助の方も折れるわけにはいかない。折れたら自分がそんなブラックリスト級のドスケベということになってしまう。心外どころの話ではない、事実無根にも程がある。
ということで、しばしお互いに無言で睨み合う二人。
だが、平助はそうしている間にふっと、先ほどの話の中の矛盾点に気がついた。
故に、ひとまず方針転換。
「……わかった。仮に……あくまで仮にだが! 俺がそれほどの、とんでもない量の精気を持ったドスケベであるとしよう。だが、そうだとしたら何故今まで俺のところに君以外のサキュバスが訪れなかったんだ?」
平助はその矛盾点を容赦なく突っついていく。
「君は魔界では精気もお金の代わりになると言っていたな? サキュバスとして精気を吸い取れば吸い取るほど出世できるとも。だったら、そのブラックリストに載っているドスケベというのは野心が強く、金に目がないようなタイプのサキュバス達にとっては垂涎の獲物じゃないか。そうなると、それはもはやブラックリストどころか宝の地図と言ってもいい。ならば、普通は我先にと相争って、そのリストに載っている標的達の元へサキュバスが殺到するはずだ、違うか!?」
ビシッと指を突きつけつつ、平助はそう言い切る。
今までの情報を総合すると、必定そういう結論に行き着くはずであった。
なのに、自分は今までの人生で今この瞬間を除いてサキュバスなどという存在をついぞお目にかかったことはない。
ということはつまり、自分がそんなリストに載ってしまう程のドスケベであるというのは何かの間違いということになる。
まさしく完璧な論理展開であった。平助は勝ち誇った顔でキヨラを見る。
だが、そんな指摘を受けたキヨラはといえば、いたって平然とした表情のままであった。
まるで、その理論が完璧に間違っていることを当然の如く理解しているような。
そんな視線を平助へ返してきながら、キヨラは口を開く。
「……確かに、平助さんの言う通りだったでしょう。もしも、相手が普通のドスケベであれば」
それから軽く嘆息すると、真剣な表情でキヨラは語る。
「いいですか? 普通じゃない……尋常ならざるドスケベであるからこそ、魔界でブラックリストなんてものが作成されているんです」
確かに、これまで幾人ものサキュバスが富と名声を求めてそのブラックリストに載っている人間達の元へと攻め込んでいったらしい。
しかし、相手のあまりに度を越したドスケベぶりに、そのことごとくが返り討ちにあったのだという。
果たしてそこで何があったのか、それも定かではない。
何故なら、半数以上のサキュバスが帰ってこなかったから。
かろうじて逃げ帰ってきたサキュバスも、大量の精気を吸い取りはしたものの、それが何の慰めにもならないような廃人同然の状態であった、と。
キヨラは何ともおどろおどろしい調子でそう語った。
「そのブラックリストとは、そういうものなんです。それくらいのレベルのドスケベがリストアップされているものなんです。決してこれらの人間に安易に手出しをしてはならないという警告と戒めのために」
あまりにも信じがたい、衝撃的なその話に圧倒され、平助はしばし言葉を失う他なかった。
「……俺が、そのドスケベの一人だと?」
「はい……。リストが正しいのであれば……」
「心当たりがないにも程があるんだが……」
どれだけ考えてもそれしか言葉が出てこなかった。身に覚えがなさすぎる。
年頃の男子であれば誰もが一度は自分に未知の超能力が眠っていることを夢想するものだが、まさか自分のそれがドスケベさだとは。
しかも、百戦錬磨のサキュバス達を廃人にしてしまう程の。
とても信じられない。というか、信じたくない。なんだその誰にも自慢できない、不名誉の極地のようなスーパーパワーは。
平助は思わず呻き声を上げながら頭を抱える。
……ああ、というか。そこで平助はふっと気づく。
「そうか……だから君は、初めて現れた瞬間にあれほど怯えて、『襲わないで』と土下座しながら懇願してきたのか。俺のことをそんな恐ろしい人間だと思っていたから……」
ようやく全ての謎が綺麗に氷解してしまった。
確かに、そうであるならば先ほどまでのキヨラの行動について理解は出来る。納得はまったく出来ないが。
「まさしくご明察ですよ」
キヨラは小さく拍手をしながら、感心したようにそう言ってきた。
「借金取りさんは、私がサキュバスとして落ちこぼれであることをわかっていました。だからこそ、実力如何に関係なく帰ってこないか廃人になるかしかないドスケベの元へ送り込むことに決めたんですね。そうすれば少なくとも、壊されたとしても大量の精気を持ち帰ってくる可能性がありますから……」
哀しげな微笑みと共にキヨラは語る。
「もちろん私は嫌でしたよ。初対面の相手から精気を吸い取るというふしだらな行為以前に、帰れなかったり廃人になったりすること自体がそりゃ嫌ですよ、怖いですよ、恐ろしいですよ。でも向こうは、私が行かなかったら代わりにお母さんを行かせるって……そう脅してきて……。そうしたらもう、私に拒否権なんかありませんよね……。だから、私に出来る唯一の抵抗は、精々あんな風に必死に命乞いをすることくらいだったんです……」
そう言うと、キヨラはその微笑みと相反するように目の端に浮かんだ涙を軽く拭い、
「でも、そんな命乞いが無駄な足掻きだってこともわかっていました。きっと私はこれから悪鬼羅刹のようなドスケベに身も心もズタズタにされるんだって……そんな、覚悟でもなんでもない、諦めと絶望を抱いて今夜ここに来たんです。それなのに、私は今のところ廃人になるようなこともなく、こうして落ち着いて身の上話なんかしちゃってる。なんだかとっても不思議な気分です……」
ほっとしたような、安心したような、ふわふわとして落ち着かないような。
そんな気分だと言って、キヨラはえへへと笑った。
それだけは少なくとも哀しげな色のない、自然な笑顔だった。
「……同い年くらいで、そこまで人生詰んでるやつ初めて見たわ」
なので、平助の方もそれに対するリアクションはそんな軽口にしておく。
正直、自分がドスケベ呼ばわりされていることへの憤りも一時的に吹き飛ぶくらいにキヨラの悲惨な境遇に同情していた。
だが、本人が今なるべく明るく振る舞おうとしている以上、自分がさらに湿っぽくするわけにもいかないだろう。
「ええ、まったく自分でもそう思いますよ……。でも、ドスケベはドスケベでも、平助さんが話の通じる、かなりまともなドスケベさんでひとまず助かりました。私のサキュバス生最大の幸運かもしれません」
「あくまで俺がドスケベであることは譲らねえつもりだな」
「はい! ……というのも、そうでないと私が困るからなのですが」
今度は同情の方が吹き飛んで再び憤りが戻ってきそうな心地の平助へ、キヨラは元気よく頷きつつそう言った。
しかし、その後で一転、真面目な顔つきとなると平助を真っ直ぐ見つめてくる。
「それで……平助さんがそんな話のわかる、今のところ紳士的で心優しいドスケベであることを見込んで、一つお願いがあるのです」
「頼み事をする相手に用いる形容詞じゃないものがくっついている気がするが、一応聞こう」
平助はどうにか憤りを収めて腕を組み、話を聞く体勢となる。
「改めて私に、あなたの精気を吸い取らせて欲しいんです……。平和的で、真っ当なやり方で」
「……どういうことだ?」
そう切り出してきたキヨラへ、平助は素直な疑問と共に問い返す。
今までの話を聞く限りでは、キヨラは精気を吸い取る行為そのものに抵抗と恥じらいを覚えているようだった。
たとえ相手が誰であれ、出来ればそんなことをせずに生きていきたいのだろう。
それなのに、向こうから頭を下げてそれを申し出てくるとは一体どういうことなのか。
「私は確かに頭も貞操観念も固くて、よく知りもしない男性から精気を吸い取る行いを快く思っていません。不潔だし、恥ずかしいし、怖いとすら思っています。でも、それは不特定多数の見知らぬ男性とそういうことをするという、サキュバスの生態に対してそう思っているだけなんです。まともな交際を経て、互いに気持ちを通わせ、愛を育んだ上で行う男女の営みを否定するつもりはありません。いえ、むしろ、それこそが私の中の理想なんです!」
キヨラはキラキラと輝く瞳で力説する。
「つまり、そういった正しい男女交際の段階を踏んでさえいれば、私も精気を吸い取ることには何の抵抗もないというわけなんです! 一方で、現在の私は借金返済のためには望む望まざるに関わらず精気を吸い取って帰られなければならない状況にあります。返済の期限は一ヶ月後。それまでに私は莫大な量の精気を、送り込まれた先のドスケベな人間から吸い取らなければいけません。しかし、裏を返せばそれは一ヶ月の猶予があるということでもあります。そこで、私は閃きました!」
キヨラは自信満々といった表情をしてみせながら、力強くその閃きを発表する。
「その一ヶ月を利用して、私と平助さんがお互いに男女の営みをしてもいいと思える程の関係になればいいのです! そうすれば私の方でも何の抵抗を覚えることもなく、ブラックリスト級のドスケベとされる平助さんの凄まじい精気を快く吸い取ることが出来るはずです! どうですか、完璧じゃないですか!?」
平助はそれを聞いて唖然としつつ、ひとまずその提案の気になる点を確認することにする。判断については今のところ保留だ。
「つまり、俺と君が一ヶ月の間に恋人同士に近しい関係になるってことか?」
「うっ……その、あまり直接的な表現を使われると恥ずかしいですが、結局そういうことになりますね……」
「その……たとえば一ヶ月かけて一度しかそういう行いが出来なかったとしても、それで借金が返済できる程の精気が吸い取れるものなのか?」
「それは……正直、未知数です。魔界のブラックリストに載る程の平助さんのドスケベぶり――
「重すぎる上にまったく嬉しくない期待なんだが……」
平助は頭を抱え、嘆息する。
「もし俺が断ったらどうなる?」
「……その時は、何の成果も得られず戻った私は別のドスケベの元に再度送り込まれることになりますね。その相手が平助さんのように話の通じる人であることを願いますが、限りなく望み薄でしょう。私はそこで徹底的にいたぶられ、酷い目に合い、廃人になるか魔界にも帰れないかもしれません。まあ、別にいいんですよ……それが元々私の辿る運命でしたから……。たとえそうなったところで、そりゃ平助さんには何の責任もないですよ……。私も全然、気にしませんよ……。今際の際に私を見捨てた誰かを末代まで祟ったりなんてしませんよ……」
「サキュバスのくせにメチャクチャ良心の呵責を盾に取ってくるじゃねえか」
ツッコみつつ。
とりあえずそこまで確認を終えると、平助は唸り、しばし考え込む。
「……穏便かつ平和的にキヨラさんの問題を解決するには、本当にそれしか方法がないのか?」
やがて、おもむろにそう尋ねた。
「基本的に私が精気を持って帰るというのは大前提なので……。どうあっても、やっぱり私は誰かとそういう行為をしなきゃいけないんです。今はもう、そこにちゃんとした納得を抱けるのかどうか、生きてまともに帰れるのかどうかだけが、私に許された唯一の自由ですね……」
キヨラはまたも哀しげに微笑んでそう答えた。
もはや何かを完全に諦めてしまっているような、そんな雰囲気がその姿から立ち上る。
「ああ、後は、この場で平助さんが無理矢理私を手籠めにするというパターンもありますか……。伝え聞く、ブラックリスト級のドスケベさを発揮して。それでも一応、精気を吸い取れるといえば吸い取れますが……」
どうしますか?
問いかけるような、試すような瞳をキヨラは向けてきた。
平助はそれを見て一瞬言葉に詰まる。
確かに今この場で、本能のままにキヨラに襲いかかれば面倒くさい過程を経ることもなく全ては速やかに解決する。
当人の間の気持ちというものは別にして、だが。
さて、どうする平助。
自分という人間に、果たしてそんなことが――。
「出来るわけないだろ……」
平助は溜息を吐き、観念したようにそう言った。
最初に自分で言ったように、そんな度胸はなかった。
何より、向けられたキヨラの瞳の中にこちらへ縋るようなものが見えてしまった。
そんなものを見つけてしまったら、もうおしまいだ。
結局どこまでも普通の小市民。純情で臆病な少年であることが今この場では自分の唯一の取り柄だろう。
自分に助けを求めるしかない女の子を無下に見捨てることが出来ないような、そんな人の好さだけが。
「――わかった。嫌がる女の子に無理矢理乱暴するような趣味は俺にはない。何度も言うが、そんな最低のドスケベでは断じてない。だから、それを証明するためにもキヨラさんに協力するよ」
「平助さん……じゃあ……!」
キヨラがぱぁっと明るい顔になって、目を潤ませる。
まるで地獄で仏に会ったような表情。自分の部屋が地獄というのはまったく心外だが。
「ああ。どうにかその一ヶ月の間に、キヨラさんが俺とセックス出来るような関係になろう!」
「もうちょっとデリカシーのある言い方してくださいよこのドスケベ!」
「理不尽ッ!?」
キメ顔で放った台詞へビンタと共にそう言い返されて、平助は早速女心の難しさという洗礼を味わった。
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