サキュバスと身の上話

「それで……だ。君はサキュバス、それは間違いない?」

「はい……」

「差し支えなければ、名前を聞かせてもらっても?」

「キヨラです……」


 サキュバスは平助の質問に拍子抜けするほど素直に答えてくれた。恐ろしく陰鬱な顔で。

 なんだかなあ。

 今のところ相手に対話の意志があることに安心しつつも、平助は思う。

 何で自分がサキュバスを相手にこんな職務質問じみたことをしなければならないのか。しかも、お互い向かい合って正座で座りながら。

 普通、サキュバスといえば相手の精気を吸い取るために何やら性的な方法で襲ってくるような生き物ではなかったか。

 当然、平助もそれを大いに期待したからこそ、この子が部屋に現れた時にあそこまで興奮したわけである。

 夜更けに突然自室の床に薄ぼんやりと光る魔方陣が現れたかと思うと、次の瞬間こんなにも可愛い女の子がそこに立っていた。

 そんな光景に出くわして、今から十八歳未満には禁じられた展開が巻き起こることを夢見ぬ男子がいるだろうか。いや、いない。

 だというのに、今の状況はまったくそんなものからは程遠いところにある。

 現れた途端にこちらへ向かって綺麗な土下座をかまし、取り乱した様子で「襲わないで」と懇願してくるサキュバス。

 そんなサキュバスは見たことも聞いたこともない。

 その姿には平助の方もまさしく面食らうより他なかった。

 サキュバスとはいえ、出来ればこんな不審者とは関わり合いになりたくない。そんな思いまで頭を過った。

 だが、流石にその土下座サキュバスをそのまま放置というわけにもいかなかった。

 何故ならここは自分の部屋である。どこにも逃げ場がないのだ。

 どうしたものか。考えた末に、ひとまず彼女を宥めて落ち着かせ、それから話を聞くことにした。

 その奇行についての詳しい理由を、である。一旦そうしないことにはどうにもならない。

 平助にとってもまるでわけがわからなさすぎて困惑するより他ない事態だからだ。

 何せいきなり見ず知らずのサキュバスに土下座で命乞いをされる身に覚えなどまるでない。あってたまるかと言いたい。


「それじゃあ、キヨラさん。一体何がどういう理由で今こんなことになっているのか、出来れば君の口から説明してくれないか?」


 どうして、一体何の目的があって自分の部屋へ彼女が現れたのか。

 しかも、そっちから不法侵入をしてきたというのに、何故自分に向かって突然土下座なんてしてきたのか。

 主に聞きたいことはその二点である。


「……そうですね、こうなったからには全てお話しようと思います……」


 平助がそう訊ねると、キヨラの方もあっさりとそう承諾してくれた。

 表情は陰鬱なままだが、何らかの覚悟を決めた様子もそこからは見受けられた。


「あっ、と……その前に、一つこちらからもお尋ねしたいことが……」


 質問を返される覚えもない。平助が不審がるように目を細めるのも構わず、キヨラは言葉を続けてくる。


「あの……あなたのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか……?」


 どうやらこのサキュバスはこちらの名前も知らないらしい。向こうから押し掛けてきたというのに。

 何だか呆れてしまいつつも、平助は素直に答えてやる。


「平助。俺の名前は土井平助だ」

「平助、さん……ですね。ありがとうございます」


 キヨラはそれを聞いて頷くと、次に平助へ向けて軽く頭を下げてこう言う。


「こちらからもお願いします。良ければ、聞いていただけますか? 私の身の上話を……」




        ***




「……私は、サキュバスとしては落ちこぼれなんです」


 キヨラは自分の身の上話をそう切り出した。


「平助さんはサキュバスと言われてどんな姿形や性格の生き物を想像しますか?」

「えっ……そうだな、それは……その……精気を吸い取るために、その、男にとって魅力的な姿だったり、こちらを誘惑するような言動だったり……とか……?」

「それで正解です。私の故郷の世界――魔界でも、それがサキュバスとしての一般的な姿と性質であり、また理想的なものとされています」


 妙な気恥ずかしさと共にそう答える平助に、キヨラの方も何故か頬を赤らめつつそれを認める。

 自分はともかく、どうしてそういうサキュバスであるはずのキヨラまで恥ずかしがるのか。

 不思議に思う平助だったが、その答えはキヨラが語る話の続きですぐに明かされることとなる。


「だけど、私は……その一般的で理想的なサキュバスの格好や振る舞いがどうしても出来ないんです……! だから、私はサキュバスとしては落ちこぼれなんです……」

「……どうして、キヨラさんにはそれが出来ないんだ?」


 そう嘆くキヨラへ、平助はストレートに尋ねる。


「……私、固いんです」

「固い……?」

「頭が固いっていうか、貞操観念が固すぎるってよく言われるんです……そして、自分でもそれに自覚あるんです……」

「はぁ……?」


 意外すぎるキヨラの答えを上手く飲み込めない平助。

 しかし、それに構わずキヨラは苦悩の表情で淡々と語り続ける。


「とにかく私、無理なんです……その、よく知りもしない、まだ好きでも何でもない初対面の男性にすり寄って、誘惑したり……あまつさえ精気を吸い取るためだけに、気持ちも通い合っていないのに破廉恥な行為に及んだりとか……そういうのが、全部無理なんです……出来ないんです……」

「…………」

「もの凄く不純に思えて、不潔に思えて、いやらしくて、汚らわしくて、恥ずかしくて、恐ろしくて……いざ自分がそうしようとすると、途端に身が竦んで……恥じらいと恐怖で動けなくなるんです……」


 そこまで告白した後で、キヨラは大きな溜息を吐くと、


「私、そんな風に落ちこぼれで……頭カチカチのサキュバスなんです……」


 ガックリとうなだれつつ、そう言った。


「それは……なんというか……」


 そんな打ち明け話をいきなり聞かされて、一体どう応えたものか。

 平助は内心困り果てつつも、とりあえず素直な感想を吐露する。


「生きづらいだろうな、サキュバスとしては……」

「……だって仕方ないじゃないですか! 嫌なものは嫌だし、恥ずかしいものは恥ずかしいし、怖いものは怖いんですもん!」


 ぽつりとそうこぼした平助だったが、それがどうもキヨラの気に障ったらしい。

 キヨラは突如顔を上げると、開き直るように猛然と反論してくる。


「確かに私みたいなサキュバスは変わり者かもしれませんけど、みんながみんなサキュバスに生まれたら一般的で理想的なサキュバスらしくなきゃいけないなんて決まりはどこにもないんじゃないですか!? 現代はもはや多様性の時代なんですよ!? 私みたいに卑猥なことが苦手な頭の固いサキュバスがいたっていいじゃないですか! それを他人にとやかく言われる筋合いなんてないですよ!」

「わ、わかったわかった! わかったから落ち着いてくれ!」


 そう声を荒げるキヨラを平助は慌てて宥める。

 どうやらキヨラはこれまで散々その頭の固さを周囲に揶揄されてきたらしい。そういう反応をされるとこんな風にムキになって突っかかってくるくらいに。

 しかし、そんな意固地な態度こそがさらに頭が固いという印象を強めているのではないだろうか。

 平助が内心そんなことを思っていると、


「……ふん、いいんですよ別に。私は、どれだけ生きづらくたって気にしてませんし」


 多少クールダウンしたのか、キヨラは次にいじけたような態度で話し始めた。


「サキュバスとしては落ちこぼれかもしれませんけど、別にサキュバスとして出世して華々しく活躍したいなんて思ってませんし。私なんて、魔界の役所で地味な事務仕事でもしながらひっそりと生きていけたらそれでいいんです」

「魔界って役所あるのか……」


 関係ないところで驚いてしまった。

 しかし、いかんいかんと平助はすぐさま気を取り直す。

 今の話で気にかけるところはそこじゃない。引っかかる点は別にある。

 そっぽを向いてうじうじとしてるキヨラへ、平助はそれについて尋ねる。


「キヨラさんがそういう頭の固いサキュバスであることは十分わかったよ……それに対して別に文句を言いたいわけでもない。ただ、それならどうしてキヨラさんは今、ここにいるんだ?」

「それは……」

「話を聞く限り、キヨラさんは見ず知らずの男から精気を吸い取るという行為が嫌なんだろう? そして、実はそんなことをしなくても魔界では生きていける。サキュバスとして出世は出来ないかもしれないけど……。そうだよな? なのに何故、キヨラさんはこうして俺の目の前に現れたんだ?」


 平助が引っかかりを覚えた点とはそれだった。

 どうしてキヨラはそうしなくても生きていける、苦手なことをやりに来たのか。

 それをストレートに問いかけると、キヨラは一気に表情を曇らせた。

 何か難しく、深い事情がそこにはあるらしい。

 そう予感させる重苦しい調子で、キヨラは語り始める。


「……私の父親が、とんでもないクズで……借金残して蒸発したんです……」

「……おう……」

「その借金っていうのがもうとんでもない額で……まだ学生の私や、普通の主婦であるお母さんじゃ、とてもじゃないけど普通に働いて返せるようなレベルじゃなくて……」

「うん……」


 突如明かされた重すぎる家庭の事情に、平助は曖昧な相槌を打つことくらいしか出来なかった。

 しかし、それでも構わずキヨラは淡々と語り続ける。


「それで、怖い借金取りさんが私達母娘にどうやって返済させるか考えて、一つの案が浮かんだらしいんです。実は、魔界では精気もお金の代わりになるんです。だから、サキュバスである私に精気を集めさせて、それを借金返済に充てることにしたらしくて……」


 平たく言えば身売りであった。

 魔界だけではなくこちらの世界でも借金を抱えた女性に対してそれは珍しくない。

 平助はその流れをすんなり納得することは出来たが、嫌な納得であった。

 自分と同じくらいの年格好、しかも同じく学生であるらしい女の子が、サキュバスであるとはいえそんな目にあっているとは。

 何ともやりきれない、落ち込んだ気分になってしまう。


「それで、君は借金返済用の精気を集めるために俺のところに来たってわけか……」

「あっ、そうじゃなくて……いえ、確かにそうなんですけど、この話にはもうちょっとだけ続きがあって……」

「……続き?」


 慌てて補足してくるキヨラに、平助は首を傾げる。

 これ以上どんな続きがあると言うのだろう。


「借金、とんでもない額だって言いましたよね……。それがもう、本当に桁違いで、普通にチマチマと精気を集めたところでそれでも全然追いつかないらしいんです。お母さんも歳だし、病気がちだしでサキュバスとしての仕事は難しいし……」


 歳取るとダメなのか、サキュバスの仕事……結構需要ありそうだけど……。

 平助は思わずくだらないことを考えてしまいつつも、慌ててそれを振り払う。

 キヨラの話に集中せねば。


「だから、私だけがサキュバスとして働きに出されることになったんです。でも、先にも言ったように普通にしてても借金は返せないからってことで、特殊な人間の元に派遣されることになったんです……」

「特殊な人間……?」

「はい……その人と一夜を共にするだけで、とんでもない量の精気を吸い取ることが出来ると目されている、そんな人間――つまりは、とんでもないドスケベです」


 そう言うと、キヨラは真っ直ぐに平助を見つめてきた。まるで睨みつけるように。

 そうしながら、キヨラは戸惑う平助へ向けてハッキリと告げる。


「そのドスケベというのが、ずばりあなたなんです。土井平助さん」

「身に覚えがまったくないんだが!?」

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