第02話 堕天使との出逢い

「はぁ、はぁ、はぁ……」


 たいして身体も鍛えていないレイが、雨の中、自分より少しばかり背の高い天使を担いで、足場の悪い道とも言えない道を歩くのは相当に厳しいものだった。


 こうして息が上がってしまうのも無理はない。至極当然のことだった。


 しかし、レイはどれだけ疲れても天使を見捨てようとはしなかった。

 そして今、目の前には古びた小屋が一つ建っていた。


 勝手に入るのは忍びないが、そうも言っていられない状況だ。


 レイは小さく「失礼しまぁす……」と恐る恐る呟いて、小屋の扉を開ける。

 キィ……と軋む音が虚しく響く。

 中には人はおらず、それどころかかなり前から使われていないようで、ホコリが溜まっている。


 レイは軽くホコリを払いのけ、そこに天使を寝かせる。

 そして、小屋の中にロウソクと火打ち石を見付け、微かな明かりを灯す。


 こうして改めて見ると、本当に綺麗な天使だ。

 そして、これからそんな天使の身体を勝手に見ることになるのだから、レイは並々ならぬ背徳感を覚えていた。


 濡れたままの服を着ていてはただ体温を奪うだけ。


 レイは心の中で何回も謝りながら、そしてなるべくその姿を見ないようにしながら、天使から白い衣を剥ぎ取る。

 そして、運良く小屋の中にあった毛布を被せる。


 次に、傷口の手当てだ。


 魔法の才がないとはいえ、ある程度の魔法教育は受けている。

 簡易な治療魔法くらいならレイにも使える。


 レイは魔法で、どこからともなく杖を取り出すと、患部にそっと向け、静かに呟く。


「白魔【ヒール】」


 ────魔法には大きく二種類存在する。黒魔法と白魔法だ。


 そして、黒魔法の中には『炎熱』『水流』『電気』『風候』『錬金』の五つがある。そして、一人一つの属性しか扱えない。

 また、白魔法は精神に作用するもの、肉体に作用するものと応用が利く魔法で、得意不得意はあれど誰にでも扱うことが出来る。


 レイはひたすらに【ヒール】を使い続けた。

 自身の小さな魔力容量キャパシティに蓄えられた魔力が枯渇するまで。


 だって、こうして夢中になっている間は、家族から見放された苦しみが紛れている気がしたから。

 そして、なぜかこの天使をどうしても助けたいと思ってしまったから────



 □■□■□■



 愉快な鳥の鳴き声が聞こえる────


 沈んでいたレイの意識がふっと浮き上がってくる。


(んあぁ……寝ちゃってたのか……)


 レイは固い床で横になっていた自身の身体を起こし、目を擦る。

 寝起き特有の曖昧な意識を覚醒させるために、レイはしばらく時間が掛かる……本来であれば。


「あ、起きましたね……」


 その声を聞いた瞬間、レイの意識は完全に、鮮明に、明瞭に覚醒した。

 同時に、昨日自分が怪我だらけの天使を拾って、一晩中看病したのを思い出す。


「い、いや、それこっちの台詞だから」


 レイはそう言いながら、目の前に座る天使に視線を向ける。

 そして、あまりの美しさに驚いた────


 見開かれた大きな瞳は透き通った銀色で、雨に濡れていた銀髪も小窓から差し込む陽光を浴びて燦爛と輝いている。

 白い肌には血色が戻っており、頭上に浮かぶ光輪の明度も上がった気がする。


 何より、毛布を胸の前に引っ張って、その美しい肢体を隠そうとしている姿も非常に色っぽく、思春期真っ盛りなレイにはかなり刺激が強すぎて、思わず目を逸らしてしまった。


「君が治療してくれたのですか?」


「あ、ああ……」


「そう、それはご苦労様でした」


「…………は?」


 レイはその天使の態度に、たっぷりと沈黙を置いたのち、思わず声を漏らした。


「何でしょう?」


 レイの愕然とした様子を見て不思議に思った天使は、首を傾げてみせる。


「い、いやいやいや。『ご苦労様でした』じゃないだろ。感謝はないのか感謝は!?」


「あるわけないでしょう? むしろ君が感謝すべきです!」


「は?」


「私が気を失っていることを良いことに、勝手に衣服を脱がせ、この尊い身体を情欲のままにもてあそんでおきながら、君はまだこうして生きている。

 それは腐っても君が私を治療してくれたことに変わりはないからです。いいですか、感謝すべきなのは君であって私ではないのです」


(な、何なんだコイツは……!?)


 レイはあからさまにドン引きしていた。

 一見可憐で見目麗しく、ドキドキしてしまったのは事実。

 しかし、蓋を開けてみればこの身勝手極まりない傲慢な性格。


「あのな、俺は別にお前の身体でどうこうした覚えはないぞ? 服を脱がしたのは、雨に濡れたままだと体温が奪われてよくないと判断したからであって、他意はない!」


「そうでしょうか。今さっき私の姿を見て罪悪感から目を逸らしませんでした?」


「それは罪悪感で逸らしたんじゃなくて、見ちゃマズイかなと思って逸らしたんだよ!?」


「見ちゃマズイ? 私の身体に見て恥ずかしいところなどありません! ほらッ!」


「ちょ、バカ!? 何やってんのッ!?」


 天使は勢い良く立ち上がると、毛布を取っ払い、自身の裸体をレイの眼前で晒す。

 レイは顔を真っ赤にして、咄嗟に顔を背ける。


「ほら、きちんと見てください! 私の身体は完璧です!」


「恥じらいを知らんのかお前はぁあああああッ!?」


「恥じる部分などありませんので!」


「そういうことじゃなくって……ああもう! お前さ! 超絶美人でめちゃくちゃ可愛いんだよ! そんな奴の裸を見たら俺の理性がぶっ壊れそうだってこと!」


「──ッ!?」


 不思議な沈黙が流れる。


 天使はレイの言葉に目を剥いて、呆けたように佇む。

 そして、床からさっと毛布を拾い、改めて身体を隠して座り込む。腰の辺りから生やした白い翼も身体の前に包むように持ってくる。


「た、たかが生まれて数十年の人間風情が……私に惚れるなんて生意気です……」


 急に恥ずかしくなったのか、天使は頬と耳を真っ赤に染め上げて、そっぽを向きながらそう呟く。


(いや、惚れたとまでは言ってないが……)


 横目でチラリと天使の恥じらう姿を見るレイ。

 そして、悔しいが心の底から可愛いと思ってしまうのだった────

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