第13話 ネオ・スカイツリー

 昨晩は死んでいたかもしれないというのに、ぼくはいつものようにベッドに入り、いつものように目を覚ました。仮想ウィンドウに表示された時計には八とゼロが二つ並んでいる。

 昨日は議論をし尽くしたところでカズは帰っていった。室長への報告と兵器開発機構のアポの取次は彼が行ってくれるとのことだった。

 仮想ウィンドウの右下で小さなイルカが手紙を咥えて尻尾を振っていた。タッチすると、イルカは画面の奥に潜るように消えていき、口元にあった手紙が開いて文章が表示された。

 室長からだ。

 兵器開発機構にアポを取れたとある。少女兵器の開発主任である外藤亮二が迎えてくれるそうだ。彼の名前はモスクワにいたときにも聞いたことがある。その時に調べた情報によると、元々は筑波大学院の人工知能研究室に所属していて、サークルはロボコン研究会に入っている。大学院卒業後は看護用ロボットを開発しているアシュプール株式会社に入社。三年後に退社をして以来、日本を問わずに世界中で転職を繰り返している。最終的には独立行政法人「兵器開発機構」が立ち上げられるときに当時、国防軍に兵器を卸していた播摩重工業から引き抜かれている。現在は五十三歳。

 彼の性格や趣味までは調べていなかったが、こうして実際に会うことになるなら、その辺りも調査をしておいた方が良かったかもしれない。友好関係を築いていれば、あとあと役に立つことがあるはずだからだ。

 先日の一件と同じで過ぎてしまったことは仕方ないのだから、彼の身なりや話し方、話題、表情、反応、歩き方、そういった情報から彼をプロファイリングしていき、アドリブで仲を深めていこう。

 面会予定は午後の一時半。ちょうどランチの時間が終わったあたりだ。その間、パスティとアーヴィングの行方調査を行ってもいいけど、そちらはカズに任せておこう。傷ついているヘレンに仕事をさせるのは、いささか気が引ける。かといって、ぼくだけが動くわけにもいかない。脱走の心配はしていないけど、室長命令で一緒にいるように言われているので別行動は控えたほうがいい。

 昨日の出来事についてはあまり言及されてなかった。カズが気を利かせてくれたのかもしれない。

 リビングに向かうとヘレンはコンセントのそばで体操座りをして充電をしていた。ぼくに気付くとプラグを抜いて挨拶をしてくれた。


「おとと……」


 立ち上がった瞬間、よろめいてヘレンは倒れそうになる。慌てて、彼女の義体からだを支えてあげた。鉄の体は重く、冷たくぼくの身体に寄りかかる。


「大丈夫かい……」

「すみません、腕がなくなってバランスがとりにくくなっているであります」


 この様子だと戦闘はおろか、足を使っての調査もやめておいた方がいいだろう。


「博士のところには連絡がついたでありますか」

「うん、室長がしてくれた。お昼になったら向かおう」

「それまで何をしますか」

「ちょうどそれを考えてたとこ。ヘレンは何かしたいことがあるかな」

「そうでありますなあ……パスティとアーヴィングのことは気になるでありますが……自分がこれでは戦闘はやめておいた方がいいでしょうし……」


 ケープを左腕でめくって確認する。自己修復機能なんて便利なものはないらしく、昨晩と何も変わっていない。


「ミィルだけでもと思ったでありますが、そういえば自分の監視役でありましたな」

「まあ、そういうこと。昼寝でもしておくかい……」

「自分は眠らないでありますし……。あっ、ミィルはネオ・スカイツリーに行ったことありますか」

「いや、ないよ」


 新東京アイランドのランドマークであり、戦後復興の象徴。中央区に位置するこの赤い搭は人工島内で一番の高さということもそうだが、夜空に映す3Dホログラム広告が目玉となっている。広告費は一分当たり四十万円もかかるが、それだけ宣伝効果も高い。夜空を仰げば、いやでも目に入るからだ。

 東京タワーやスカイツリーと同じように観光地にもなっている。


「自分もないであります。いつも遠くから眺めてばかりだったので、行ってみたいです」

「別に構わないけど、上から眺めるだけだと思うよ」


 それ以外には観光、商業施設があるくらいで面白いものはない。展望台からの景色だって周囲は高層ビルばかりで決して見晴らしは良くない。日が沈めば、近距離からのホログラム広告と夜景を楽しめるだろうけど、昼はただのコンクリート群を眺めることになる。


「ミィル、行こうと思った場所に行く。これが大事であります。楽しければ楽しむ。がっかりしたのなら、それを肴にお酒を飲む。それでいいのであります」

「まあ、きみが行きたいのなら、そこにしよう」

 平日だから人は多くないだろう。街中を歩き回るよりかは人目につかないはずだ。

「ケープで右腕とお腹の傷を隠しておいてね。それを一般人に見られたら面倒だ」

「気を付けるであります」

 


◇ ◇ ◇ 



 高層マンションのロビーに出ると黒い塗装の無人タクシーが待っていてくれた。ぼくの車は昨晩の内にオート走行に切り替えて海底駐車場に戻ってきている。それを使ってもいいけど、お金に困っているわけでもないので無人タクシーで向かうことにした。到着先で海底駐車場に停める費用を考えると五百円玉一つくらいしか変わらない。

 後部座席でヘレンと新東京アイランドの観光名所について語り合うこと三十分。目的であるネオ・スカイツリーまでたどり着いた。

 指認証で会計を済ませて車外に出る。これだけで支払いが済むとお金を払っているといいう感覚が薄れてきそうだ。


「高いでありますなあ……」

「そうだね」


 タワーの入り口に立ったヘレンが見上げながら呟く。ぼくも同じ感想を抱く。というより、外見はただの鉄骨鉄筋コンクリート造りなのでそれ以外に言いようがない。

 ガラス張りの自動ドアを通って中へと入った。平日の朝だからかチケット売り場に並ぶ人の数も多くはない。数分ほど列に並んで待っているとぼくたちの番が回ってきた。


「何名様ですか」


 青いスカーフを首に巻いた女性が白い歯を見せながら尋ねる。二十代後半で肌は化粧で透明感と艶が出ていた。


「大人一枚と……」


 中空に浮かぶ仮想ウィンドウの価格表には大人料金、子供料金の二つが記載されている。人造人間レプリカントの料金はない。


「子供一枚で」

「お支払方法は拡張チップでされますか。現金でされますか」

「拡張チップで」


 受付の女性は大人と子供を選択して支払方法を拡張チップに設定した。画面に手のマークが表示され、ぼくに仮想ウィンドウを向ける。輪郭に沿って手をかざすとピーと音が鳴った。


「チケットは紙でも発行出来ますが、いかがなされますか」


 電子チケットが普及しても、記念として紙のチケットが欲しいという人もいる。ぼくはそういった趣味がないので電子チケットを選んだ。

 かしこまりました、という一言の後、女性が仮想ウィンドウを操作した。すると、目の前にホログラムのチケットが二枚現れた。タッチして受信する。

 ありがとうございました、と業務的な挨拶を受けてエレベーター前まで移動した。係員がチケットを渡すように促したので電子チケットを送信した。それから降りてきたエレベーターに乗り込んだ。

 縦と横が五メートルほどの正方形の中には、ぼくたちの他に二十名ほど乗っている。


「おお……どんどん昇って行くであります」


 上部に設置されたパネルには現在の高さが表示されている。ゼロから始まって、十、二十、三十、と数字が増えていっている。ヘレンはそれを面白そうに眺めていた。

 一分ほどでエレベーターはフロア三百五十に止まった。他の客と並んで外に出る。

 この階にはカフェと新東京アイランドのジオラマが置かれていた。ざっと眺めてから更に上に向かうエレベーターに乗り込んだ。


「着いたであります」


 フロア五百五十。高さ五百六十メートル。ここから展望台まではスロープ状の螺旋の回廊を歩いて上って行く。景色が見える外側はガラス張りになっている。


「おお……高いであります……」

 

 手すりから義体からだを乗り出してヘレンは地上を見つめた。歩く人は見えない。筒状の自動走行電車チューブ電気自動車EV、無人タクシーが小さなおもちゃのように動いている。ヘレンは他のお客が回廊を上りはじめても面白そうに眺めていた。手の動きから、拡張チップで視界をズームインしているようだ。


「ミィル、早く展望台まで行くでありますよ」


 若干、興奮気味でヘレンはぼくのコートを引っ張った。


「走ると危ないよ」

「分かっているであります!」


 と言いつつも早足で歩き始めている。楽しんでいるところに水を差すのも悪いのでぼくは歩調を合わせてあげた。


「ところで、このタワーって何のためのものでありますか」

「知らないで来たの」

「機能まではどうでもいいでありましたから」

「テレビを見るための電波とかを飛ばす塔だよ」

 

 ネオ・スカイツリーは新東京アイランドの構想段階で計画されていた。高層ビルを主流にする予定だったからスカイツリーと東京タワーでは電波が届きにくいと懸念されていたからだ。

 人工島をある程度作ったところで建設を開始した。工期は約二年で、完成したのは二千七十六年になる。


「少し変わっている点で言うと拡張チップのサーバーもここにあるってことかな」


 オフラインでも仮想ウィンドウを開いたり視覚補正は出来るけど、指認証による電子決済やネット検索は通信機能がないと行えない。そのためのサーバーがネオ・スカイツリーに設置されている。


「ミィルもでありますか」

「ぼくのは軍用だから朝霧基地にあるサーバーを使ってるよ」


 その他にも警察が自前のものを持っている。他にも独自のサーバーを使っているところはあるけれど、一般人というくくりに入っている人はおよそこのネオ・スカイツリーのサーバーを経由している。


「きみたち少女兵器のサーバーはどこのを使っているんだい」

「さあ……気にしたことないであります」


 一般人が使うネオ・スカイツリーのサーバーではないだろうし、ぼくと同じ朝霧基地なのだろうか。それとも少女兵器独自のサーバーがあるのか。


「そういえば、パスティとアーヴィングも拡張チップを使っているなら現在地が分からないのかな」

「恐らくでありますが、二人ともオフラインにしています。GPS機能は義体にもありますが、パスティの《電子操作》で無効にしているでしょう」

「そう簡単にはいかないか……」


 それに、この方法が可能なら最初から室長が教えてくれいたはずだ。


「頂上が見えてきたであります」


 螺旋の終わりの先に広がった空間があった。ヘレンは駆け足でゴールを目指す。最上階である展望台まで辿りつくと、くるりとぼくの方へと振り返った。


「着いたでありますっ」


 満面の笑みでヘレンはぼくを待つ。

 本当に普通の少女のようだ。電光刀を握るよりノートとペンを握っていた方が似合っている。赤い血の海を駆けるよりも、青く広い海が広がる浜辺で走り回っている方が彼女には似合っている。


 ――考えても詮無きことだ。


 彼女達は兵器として作られた。ただそれだけだ。もしかしたら、なんてのは考えるだけ無駄だ。人間だって自分の出自は選べない。裕福な家庭か貧困な家庭か、平和な国か紛争地域か、そんなことは神のみぞ知る世界だ。

 ぼくだって他人から見れば、人を殺すような仕事について可哀想だと思われるかもしれない。あの人も生まれ方が違っていたら、背広を着て満員電車に揺られながら会社に向かって、疲れて帰ると奥さんと子供がいるような人生を送れたのに、と。

 どちらが幸せかなんて、もしを体験していないぼくには分からない。

 総括すると、そうはならなかった。ただそれだけのことだ。


「お待たせ」

「もう。ミィルは遅いであります」

「きみみたいに走ってないからね」


 展望台デッキはドーナツ状の廊下になっていた。床は木製風のコンクリート製で左右の手すりは赤色に塗られている。神社にある太鼓橋をモチーフとして作られているようだ。


「桜、桜でありますよ」


 舞い落ちるピンク色の花弁に手を伸ばす。ぼくの手をすり抜けて橋床の下へと消えていった。ホログラムだ。内側にある清流も桜の木もホログラムで出来ている。そのせいか回廊は少し薄暗く設定されていた。


「ミィル、外を見るであります」


 外側は回廊と同じでガラス張りになっている。遮光性があるのか先ほどのものよりもガラスの色が少し黒い。


「おお……高い……」


 景色としては回廊で見たのと、さほど変わらない。けれど、ヘレンは青い瞳を輝かせながら外を眺めている。歩きながらヘレンは目に入ったものを教えてくれた。港湾区、工場区、東京二十三区、富士山。

 展望台は夜に来れば、また違った様相を見せてくれるだろう。太鼓橋の廊下の内側には日本の国花である桜と静かな川の流れの3Dホログラム。古き良き日本を思わせる風景だ。外は最新技術がふんだんに投入された現在の風景と夜空に浮かぶホログラムの広告。夜だと明々と輝く夜景が見られるはずだ。

 そして、その狭間に立つ自分。

 客の数が少ないのは平日の朝だからというわけではなく、夜に来るべき場所だったからかもしれない。

 少し調べれば分かることだったから、ヘレンには悪いことをしたかもしれない。展望台を回り終えた時に、そう思って彼女を見ると、


「ミィル、もう一周するであります」


 随分と楽しんでいた。

 そのあどけなさが面白くて、ついクスッと笑ってしまう。


「どうかしたでありますか」

「楽しそうだなあって思ってね」

「そりゃあ、まあ、楽しいでありますからな」


 ヘレンは首を傾げる。


「ミィルは楽しくないのでありますか」

「……いや、ぼくも楽しいよ」


 嘘は言っていない。多分、ぼく一人でやって来てもつまらなく感じていた。今も展望台のデザインが良いなあ、と地上から五百六十六メートルから見る景色は高いなあ、くらいしか感想がない。

 楽しいと思えているのは、無邪気なヘレンの姿を見ているからだ。彼女の感情がうつったのかもしれない。


「それでは、行くであります」


 早歩きで歩き始めた彼女のポニーテールが元気そうに揺れている。左右に動くそれを追って行った。

 鏡がないから分からないけど、その時のぼくはきっと笑っていたと思う。

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