第12話 談話

 二体の少女兵器が姿を消してしばらくすると、カズが車に乗ってヤード内に入ってきた。車から降りた彼の瞳には怒りがこもっていたが、この場では何も言わずにぼくとヘレンを後部座席へと乗せた。

 息を吸うたび、身体を動かすたびに鳩尾の奥が痛むが、立ち上がれる程度には回復している。吐血をしなかったことから、内臓にも大きなダメージはない。

 問題はヘレンだ。彼女の腹部は光弾によって強化外機動装甲が破壊され、義体も抉り取られている。人間であればピンク色のてかてかした綺麗な腸がこぼれ落ちていただろう。

 右腕はパスティによって斬りおとされた。自分の腕を掴んで持って帰るその姿は、迫撃砲で吹っ飛ばされた自身の腕を拾い上げるとち狂った兵士のようだった。

 車内には重たい空気が漂っている。誰も口を開こうとしない。それはそうだ。ぼくらは死にかけた。スポーツの試合だったら、次は絶対に勝とうぜだとか励まし合うことも出来ただろうが、ぼくたちはその次すらなかったのかもしれない。ぼくらが生きていられるのはパスティとアーヴィングがそうしなかったからに過ぎない。


「ミィル、ミィル」


 と、そんな中で口を開いたのはヘレンだった。


「なんだい……」


 カズがバックミラーでこちらの様子を見た。眉間に皺を寄せて不機嫌さを隠そうともしない。潰れそうなほど重い雰囲気に拍車がかかる。

 ヘレンもそれを分からないというわけではないだろうし、この状況で話を持ちかけるということは重要なことに気付いたということだ。例えば、パスティとアーヴィングの目的だとか。


「先ほどの戦闘でアーヴィングからの銃撃を受けて気付いたことがあります」

「何を。何を気付いた……」

「もう少し左にずれてたら、屋台で食べたラーメンがお腹から零れだしているところでありました」


 その光景を想像して、あまりのシュールさに思わず吹き出してしまう。


「ほっ……渾身の冗談が通じて良かったであります……」

「ありがと。少し元気が出たよ」

「落ち込んでいてもいいことないでありますからな」


 反省すれども後悔せずだ。失敗を悔いたところでなかったことにはならない。次に活かすしかない。


「ヘレン……その、痛くないのかい……」


 ぼくは彼女の傷ついた義体を見つめながら尋ねる。ヘレンは自分の右腕を眺めたり、穴の開いた腹部を覗きこんだりした。


「痛みはあるともないとも言えるであります」

「どういう意味……」

「前にミィルに言ったと記録しているでありますが、少女兵器は寒さや暑さ、痛みを感じはしても苦とは思わない抑制機能があります。それで……」


 と、ここでヘレンはうむむ、と唸った。


「説明が難しいであります……痛みはないのですが、痛みは感じているのであります……」

「まあ、きみが辛くないならそれで構わないんだけど」

「無痛症患者だが痛みが分かるって感じだろ」


 カズが後部席を振り返って、そう言った。どうやら自動運転にしたらしい。触れられていないハンドルが僅かに右へと傾いてカーブを緩やかに曲がった。


「痛みを感じねえってのは楽じゃねえんだよ。骨が折れても気付かないってことは、いつか骨が筋肉をボロボロに痛めつけて突き破るって出てくるってことだ。痒くてぼりぼり掻いてれば痛みに気付かずに血塗れになる。だから、痛覚をなくすってことは出来ねえ。その機械にだって痛覚はあるはずだぜ」

「それが痛みを感じるって意味か。じゃあ、痛みはないってのは……」

「痛覚に当たる機能をつけても、いざってときにわんわん泣き叫ばれちゃあ邪魔だ。例え腕が捥がれても戦闘を続行、もしくは撤退しなけりゃならん。だから、痛覚をつけて損傷箇所は分かっても、痛みから生じる苦に対して抑制をかけてるってことだろ」

「あー、博士も似たようなことを言っていたであります」


 先ほどのヤードでの出来事を思い出す。ヘレンはアーヴィングに腹を穿たれパスティに右腕を切り落とされても戦闘を続行しようとした。普通の人どころか、成人男性だって泣き叫ぶ痛みを味わっているはずなのだ。自分の意思とは無関係にそうなってしまう。それを抑制する機能が少女兵器にはある。

 かといって、腕がなくなったことやそれに対する問題の大きさを認識出来ない無痛にしてしまえば戦闘そのものに支障が発生する。だから、痛覚そのものは残す。


「カズ殿の言う通りなのでミィルはあまり心配しないでください。腕もお腹も直るでありますから」

「どこに行けばいいのかな」

「独立行政法人『国防軍兵器開発機構』にお願いします。長野の方が実験施設も兼ねて大きいでありますが、修理なら新東京アイランドの方でも可能でありますので」


 少女兵器を作った組織。ブラックボックスである彼女達は国防軍でさえ直せる技師がいないだろうし、そこに行くしかない。室長に今日のことを報告するついでに手を回してもらっておこう。


「そういえば、この車はどこに向かっているでありますか」


 ヘレンがぼくとカズに視線を向ける。

 ぼくも行き先は知らない。車に乗るときはそんなことを気に掛ける余裕がなかった。ぼくの車を停めた倉庫からはもうずいぶんと離れてしまっている。

「はっ。ミィルん家に決まってんだろ。てめえらには訊かなきゃならねえことがある」


 カズが目つきをキッと鋭くする。ああ、やっぱりぼくの失態の追及は免れないらしい。



◇ ◇ ◇



「で、あれは何だったんだ」


 リビングでカズは問いかける。彼がキリンビール片手にソファーに腰掛け、肩を並べていなかったら尋問されているような気分だった。


「きみも聞いてたし見ただろ」


 カズが足を投げ出した机の先のテレビでは「裏切りのサーカス」が流されている。スパイ大活躍時代の冷戦期を舞台にした古い映画だ。

 なぜこれが選ばれたのか。

 まず古い映画の鑑賞はぼくの趣味の一つであること。古い映画はたいてい無料で観ることができるうえに、現代に残っている名作は教養的な箔がついている。

 それから、次はこれを見ようかなと最近加えた次に見るリストの一番上にあったこと。

 最後にカズがなんでもいいかという気まぐれが働いたからだ。


「その答え方も気にくわねえな」

「察しが悪くてね」

「ああ、そうかよ。じゃあ、はっきり言ってやる。どうして、てめえはキレた」


 ぼくは何かを言おうと口を開き、言葉が出ずに口を閉ざした。

 自分が道具じゃないか、そう思ってずっと悩んで生きてきた。それを否定して、ぼくがぼくだと言えるようになりたかった。ぼくの人生はそのことを追い求めてきたといってもいい。

 少女兵器という道具として生まれてきたパスティとアーヴィングに答えを求めた。そして、語った《有用性の証明》に縛られない理由。他人から見れば何ともありきたりな理由だと嘲笑するようなものでも、ぼくには救いのひとつになりえるものだった。光明が差したと思った瞬間、彼女に否定された。そんな馬鹿な理由じゃないわ、と。希望を見せた後の絶望。くもの糸から地獄の底に落ちるカンダタも同じ気持ちだったかもしれない。

 それは、ぼくの存在理由を、ぼくの存在そのものをあざ笑れたかのようにも思えた。だから、頭に血が上ってカッとなった。

 言い訳をさせてもらえるなら、ぼくはこういった感情的になって失敗したことはこれが初めてだ。もっとも、命をかける場面では最初が最後になってしまうことが多いのも事実である。

 さて、これを分かりやすく伝えるためにはどういう風に語るべきだろうか。そういう風に悩んで口を閉ざしていると、カズが失望したように首を振った。


「言いたくねえみたいだな」

「違う。そんな子供じみた理由じゃないよ」

「じゃあなんだ。さっさと言え」

「言葉に迷っててね……」


 恥ずかしいだとか、ぼくのことを誤解されたくないだとか、の気持ちは一切無い。どうすれば分かりやすく伝わるか。

 カズもパスティとぼくの会話を聞いているから、プライベートなことだということは感づいているだろう。それでも聞こうとするのは嫌がらせでも好奇心でもなく、彼とぼくが今は組んでいるからだ。同じようなことが起きるのを防がなければならない。ひとりのミスが全滅に繋がるなんてことはざらだ。


「カズ殿、人には踏み込まれたくないことがあります」

「てめえは人じゃねえだろ。何が分かるってんだ、ポンコツ」

「なら、人であるカズ殿が気遣って欲しいでありますな」


 ちなみにヘレンはぼくの左隣に座っている。カズはぼくの右隣だ。二人はぼくを挟んで睨み合っている。二人の視線と言葉に挟まれて、ぼくのことについて言い合っている。自業自得とはいえ、何となく居心地が悪い。


「ヘレン、ありがとう。ぼくは大丈夫だから」

「わざわざ言う必要なんてないであります。同じ失敗はしないでしょうし」

「いやいいんだ。ちゃんと言うよ」


 ぼくはテレビ画面に視線を固定した。二人に話しかけるわけでもなく、ただの独り言になるように。


「ぼくらは国の命令に従う諜報員だ。濡れ仕事ウェットワークだってやるし、暗殺も工作活動も、敵国内で反政府組織を裏で作り上げることもする。欲しい情報があれば、手段を選ばずに得る」

「んん、まあ。そだな」

「その命令を出すのは国だ。ぼくのちっぽけな脳みそじゃない。ぼくの意志でもない。それがなんだか、ぼくは人間じゃなくて道具じゃないかって思うんだ。それを否定したくても、ぼくにはずっと出来ないでいた」


 そこで一呼吸おいて映画の中のゲイリー・オールドマンから目を離す。横目で右を見ると、カズはキリンビールを傾けながら映画を眺めている。左を見ると、ヘレンがぼくを見上げていた。青い大きな目をまばたきさせずにぼくに向けている。人間と同じ感情を持つとすれば、驚嘆と共感エンパシーの表情だ。びっくりする理由はいくつか予想が立てられるが、共感は何だろう。


「それでそのことについてパスティに言われた。……以上だよ」

「ふうん。なるほどね」


 カズは飲み終った缶を握りつぶして机の上に向かって投げた。二度跳ねて、机から転がり落ちる。カズは舌打ちをしたが拾いに行こうとはしなかった。


「で、ポンコツ。てめえの番だ」

「え、あれ。ミィルの話は終わりでありますか」

「終わりだよ。てめえ、人には踏み込まれたくないことが云々だとか偉そうに言うわりに興味津々じゃねえか」

「あ、え、その……もっと古傷に触れて追い込むようなことを言うかと……」


 正直なところ、ぼくももっと追及されると思っていた。これだと懺悔室で告解したかのようなものだ。


「おいおい、そんなことしてどうなる。おれは納得が欲しかっただけだ。それに同じミスはしねえだろ。なあ、ミィル」


 ぼくは頷く。


「で、こいつが抱えてる思春期みてえな悩みだが、おれは心理カウンセラーでもねえし、男の愚痴につきやってやるほど、お人好しでもねえ」

「そ、そうでありますか……」


 ヘレンは悪いことをしてしまったかのように視線を落とす。けれど、ちらりとぼくを見て、また視線を足元へと向けた。

 ……分かりやすい。


「何か訊きたいことがあるみたいだね」

「い、いえ、あるようでないでありますが……」

「きみにも訊く権利はあるよ。ぼくのミスでヘレンは右腕を斬り落とされてお腹にもダメージを受けている。カズと同じように納得するまで問いただしても構わないよ」

「……あとで訊くであります」


 分かった、と答えぼくはひとまず保留にしておいた。

 このことがボトルネックになっても困るから、あとでぼくの方からそれとなく聞いておこう。


「で、ポンコツ。お前、アーヴィングは遅くても九分あれば殺せるって言ってなかったか。ミィルがキレたときで十二分と三十四秒だ。どういうことだ」


 港での戦闘はパスティとアーヴィングの二体が一緒にいるという前提で動くことにしておいた。どちらか一体がいるという作戦も立てていたが、旧渋谷に二体ともいたので可能性は低いと考えていた。

 実際、二体とも一緒にいたわけで、その時にはヘレンがアーヴィングを担当することになっていた。理由はアーヴィングが遠距離武器を持っていたからだ。カズがカウンタースナイプされることもそうだし、ぼくだってどこからともなく撃たれるかもしれない。ヘレンにはアーヴィングの破壊とぼくたちへの狙撃防止を任せていた。

 ぼくとカズの役目はヘレンがアーヴィングを破壊するまでの間、パスティの足止めすることだった。少女兵器の中で一番の戦闘力を持つらしいヘレンでも二体相手だと勝てない。九分であれば、持ちこたえられるとプランを立てていた。


「そのことに関しては申し訳なく思うであります……」

「謝れなんて言ってねえぞ。理由を訊いてんだ、理由を。しかも、アーヴィングは無傷だったじゃねえか。サボってんじゃねえぞ、ポンコツ」

「ぐぬぬ……。自分が言った九分というのは戦闘をしたときのことであります。アーヴィングは自分と戦う気はないのか、距離を置くことに専念していたのであります」

「時間稼ぎをしていたってことかな」


 恐らくは、とヘレンは答える。


「はあ……おれたちがパスティ相手に時間稼ぎをしている間に、アーヴィングはポンコツの時間稼ぎをしてたってことかよ」


 そのことに何のメリットがあるだろうか。相手の立場で思考してみよう。

 アーヴィングは相性の悪いヘレンが相手だ。まともに戦おうとしないのは理論的にも正しい。時間を稼いでパスティが応援に来ることを望む。これも至極もっともだ。

 とすれば、パスティはぼくとカズを早急に無力化する必要がある。カズ相手では電光刀が届かないから、標的はぼくになる。一分一秒でも早くぼくの首を刈り取らなければならない。


「……だとすると、ぼくと話をしたことが変だ」

「それはてめえやおれに気付かれないようにガントリークレーンを《電子操作》するためじゃねえのか」

「ぼくもあの時はそう考えていたけど、よく考えると不自然なんだ。そんな小細工をする必要なんてない」


 ぼくとカズの狙撃を躱して、ガントリークレーンに手を突く。カズからの狙撃を防ぎながらぼくへと接近する。これだけでいい。それに話を持ちかけられて変に動揺したのは、ぼくだけでカズは冷静だった。時間だって必要以上に使っている。


「てことは、アーヴィングの時間稼ぎの目的は何だ」

「そこまではぼくにも……」

「――パスティがミィルと話したかったからでは」


 そう言葉を発したのはヘレンだった。

 ぼくとカズは彼女に視線を向ける。


「え、だ、だって今の話を纏めるとそれくらいしか理由が残らないであります」


 その考えもぼくの六つの予測の中にあった。恐らくカズも同じくらい浮かんでいる。今からそれを順序つけるところだった。

 ぼくらが驚いたのは、この中でパスティを一番知る人物からぼくたちの予測の中にあったものが飛び出したことだ。


「あのー……マズイことを言ったでありますか」

「いや、逆だよ。その可能性があるんだ。ぼくと話をして何になるかは分からないけれど、事実から考察するとそれが残る」


 ――全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる。シャーロック・ホームズの言葉だ。

 消去法が必ずしも正しいとは限らないが、ぼくもしばしば使わせてもらっている。


「ねえ、ヘレンとパスティは仲が良かったんだよね」

「そうでありますな。友達であります。同じ所属でしたから一緒に戦闘を行う機会も多かったでありますし、お喋りもよくしていました。というより、自分たち少女兵器に話しかける軍人などいなかったでありますから」


 それは少女兵器に関する情報規制があったからだ。それでなくとも、少女兵器は国防軍のものではなく兵器開発機構が所有している。別組織の兵器を気安く扱おうとは思えないのだろう。触らぬ神に祟りなしだ。


「ヘレンから見てパスティはどんな人物だったのかな」

「……難しいことを話すよく分からない兵器でありました」

「とても友達に向けて抱くイメージじゃない気がするけど……」

「いやいや、友達でありましたよ。自分が理解出来ないような話をよくパスティはしていたでありますが、その時間はとても楽しかったであります」

「どういった話をしてたの」

「少し小難しいことをパスティは話していたであります。哲学とかそういうものです」


 やっぱりパスティはヨシカに似ている。こういった話を好むところが特にそうだ。

 ただそれは個人的なことなので無視しよう。


「何か分かったでありますか」

「いや、何も。カズは……」


 カズは両手を広げて首を横に振った。

 それから色々と話をしたが、これといった進展はなかった。手持ちの情報だけでは真実には辿りつけない。パスティとアーヴィングの目的は謎のまま。

 ただ彼女たちが何かを企んでいるのは確かだ。

 それはパスティが去り際に発した「第一の目的は達成した」という言葉。第一があるのなら、第二の目的もある。そして、最終的な目的も。

 ただ、彼女たちが何をしようとしているのであれ、ぼくたちがやるべきことは変わらない。パスティとアーヴィングの破壊だ。

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