第10話 港湾戦闘
正面にはパスティ。距離は七メートル。まだ電光刀の間合いではない。十時方向、約二百メートル先のコンテナ群の上には、アーヴィングがぼくらに電光銃を向けている。下手に動けば撃たれる。とはいえ、ぼくたちが立っているところはトラックの走行用道路であり、遮蔽物となるのはガントリークレーンの鉄骨くらいだ。身を隠すのには狭すぎる。
「あら、ぼーっと立ってるだけじゃ、何も始まらないわよ」
「きみたちの可愛さに目を奪われててね。どうやって口説こうか考えてたところだよ」
「やだ、照れちゃうわね」
パスティは恥ずかしそうようにクスッと笑った。
「でも、わたしってあんまり待つタイプじゃないの。あなたたちが動かないって言うなら、こっちから――」
と、アーヴィングが不意に体勢を崩してコンテナの上から転がり落ちた。その動きはまるで電池の切れた人形のようだ。ただ重力に身を任せて、石ころのように落ちていく。
パスティは呆気にとられた表情をしている。何が起こったのか理解出来ていない。
ぼくはデガード銃に切り替え、落下ポイントへ狙いを定める。ヘレンは地面を蹴って、アーヴィングの元へと
その間、およそ二秒。
着弾から遅れて、やっと銃声が響き渡った。
「アンチマテリアルライフル――ッ」
音の正体に気付いたパスティが驚いて声を上げる。
ぼくはデガード銃を両手で支え、アーヴィングが地面に落ちると同時に引金を絞った。
――爆音が響く。
反動で肩が持って行かれそうになる。身体が吹き飛びそうなのを、両足で支えた。
「くそっ」
銃弾はアーヴィングを捉えられなかった。体勢を崩していたはずの彼女は右手でコンクリート地面を叩き、横へ跳躍した。50口径弾で穿たれたせいでコンテナの上から落ちたわけじゃない。避けるために、自分からわざと落ちたんだ。
「不意を打ったんだぞ……」
驚きを隠せないが、予想していなかったわけじゃない。次のプランに移るだけだ。
体勢を立て直したアーヴィングは両手の電光銃をドッキングさせた。二丁の拳銃が一つのライフルとなる。あの不意の一発だけで、カズの居場所を掴んだのか。
「ヘレン、カウンタースナイプをさせるな」
「了解であります」
既にヘレンは電光刀が届く距離まで辿りついている。電光銃を破壊すべく振り上げる。ロシアの諜報員を容易く斬り殺し、暴走するトレーラーヘッドを鉄くずへと破壊した斬撃。
しかし、少女兵器相手ではそう簡単にはいかない。アーヴィングは自身の電光銃にヘレンの刃が触れる直前にドッキングを解除して、二丁拳銃に戻した。刃は空を切る。アーヴィングは後ろに飛ぶと同時に光弾をヘレンに放った。
「――ッ」
実弾ではない光弾は電光刀で斬れない。
ヘレンは紙一重で避ける。
ロングケープの翻りが収まらぬぬまま速攻で再びアーヴィングへと距離を詰める。
遠距離戦を得意とするアーヴィングは懐に入り込まれるのを良しとはしない。牽制しながら、後方へと下がり始めた。
「ミィル、パスティは任せるであります――ッ」
二人の少女兵器がぼくから遠ざかっていく。パスティはそれに加勢せず、ぼくと向かい合ったままだった。
「わたしのダンスのお相手はお兄さんがしてくれるってことね」
「ぼくにきみの相手が務まるか分からないけどね。それに見られながらは恥ずかしい」
「ふふっ、わたしはギャラリーがいないと楽しくないわ」
パスティはスケート選手のようにくるっと回った。直後、パスティがいた場所を50口径弾が通過し、地面のコンクリートを抉った。
〈
〈いや、カズの狙撃は正確だったよ。あいつらが規格外なだけだ〉
拡張チップによる無音性通話。思い浮かべた文字を拡張チップが文字コードへと変換する。情報化された文字を相手に届け、受信先で音声へと変換する。声に出さずに意志疎通が出来る無線だ。
〈ぼくたちの目的は遅滞戦闘だ。ヘレンがアーヴィングを破壊するまでパスティを引きつけるだけでいい〉
〈おーけー。だが、おれたちだけでやれるときはやってもいいんだろ〉
〈もちろんさ〉
カズが再度放った弾丸をパスティは同じようにくるりと回って避ける。地上を可憐に舞う少女。アイススケートの上なら拍手がわいていただろう。ぼくのハチキュウの三点バーストも基本的には踊るように回避し、時に斬り落とした。
パスティが接近してこようとすると、カズは動きの先を読み、彼女の足を止めるよう発射した。その隙にぼくは稼がれた分だけ距離を取る。同時にデガード銃の弾を装填する。
「あなたたちはこういった戦い方をするのね」
追いつめられているのは、パスティの方だ。このままだと、アーヴィングはヘレンにやられてしまう。今すぐにでも応援に駆けつけたいはずなのだ。
それなのに、パスティは楽しそうに笑っていた。逆にぼくたちが追い詰められているのではないかと錯覚しそうになる。
「ねぇ、お兄さんの名前は何て言うの」
パスティは足を止めて尋ねる。
ぼくは銃口を彼女に向けたまま答えた。
「ミィル・バラノフスカヤ」
「
「何が言いたい」
相手から時間稼ぎに付き合ってくれるとは願ってもいないことだ。問いかけ、出来るだけ会話を長くしよう。
「平和は戦争と戦争の間に訪れる準備期間でしかないわ。
パスティは黄色く光る刀身を眺める。闇夜の中に金髪の少女の表情が妖しく映る。
「五十五年前、この国の元号は平成だったの。世界が平和になりますって意味。その時はみんな平和な時代だって思ってたらしいわ。でもね、それは自分が見ている現実だけ。湾岸戦争、イラク戦争、中東紛争、911。たくさんの人が殺戮のリングを紡いだわ。それなのに、この国の人達は平和だって思ってたそうよ。素敵よね、平和って。どれだけ人が死んでも自分とは関係ないなら平和だもの」
「きみは、世界のどこかで誰かが死んだと泣いて欲しいのかい。それとも、見ず知らずの人にご冥福をお祈りしますってスパムメッセージを送ればいいのかい」
「そんなにムキにならないでちょうだい。兵器のわたしが言っても信じてもらえないでしょうけど、平和は好きなの。その言葉も、世界がそうであることも」
唄うように彼女はぼくに語りかける。
掴み所のなさをパスティに覚えた。のらりくらりと小難しいことを話し、本心が見えてこないのだ。
こんな女の子をぼくは知っている。ヨシカに――ぼくの心に呪いを植えた彼女に似ているのだ。仕草も、声の抑揚も、表情も。
「ねえ、お兄さん。わたしとあなたって似てると思わない……」
「ああ、そうだね」
しかし、外見で言えば彼女はぼくに近い。勿論、少女の姿であるパスティと成人男性であるぼくの姿は似ても似つかない。
似ているというのは白人系であるということだ。モスクワに潜入するのに白人であるぼくが選ばれたように、パスティが白い肌に金色の髪でデザインされたのはロシア系に仕立て上げて敵に近い存在にするためだろう。
ぼくがそういったことを言うと、パスティは首を横に振った。
「違うわ。わたしとあなたが似てるのは道具だってこと」
どくん、と胸が鳴る。
「わたしは兵器としての道具。あなたは人間としての道具」
「ぼくは……道具じゃない」
「そう。あなたは否定するけれど、わたしはそう思うってだけ。気にしないで。人の意見って違うものだから」
遠くでコンテナが崩れ落ちる音が聞こえた。轟音がヤード内に響き、ぼくの足元を揺らす。ヘレンの電光刀か、アーヴィングの電光銃か。どちらかは分からない。
「きみは……どうして逃げ出した。きみが道具だというのなら――ただ、有用性を果たす兵器だと言うのなら、破棄を待つはずだ」
「あら、お兄さん。ヘレンと同じことを聞くのね。それはあなたのお仕事なのかしら」
「違う。ぼく個人の理由だ」
「……ふふっ、いいわ。答えてあげる」
パスティは散歩でもするかのように横に歩き始める。距離を詰めるわけでもなく、弧を描く。ぼくの銃口も彼女の動きにあわせてゆっくり動く。
「わたしたちは機械で作られた
「それが……きみたちが《有用性の証明》の呪縛から逃れられた理由なのか……」
「ええ、そう。普通の女の子として生きたい。その意志はわたしたち少女兵器の行動原理さえも書き換えたの」
彼女達のように、何かしたいことを、目指すものを見つけるとぼくは道具じゃないと胸を張れるのだろうか。政府の命令を聞き、その仕事を為すだけの存在から逸脱出来るのだろうか。
普通の女の子として生きたいと願う彼女達は兵器という道具でありながら、その枠から飛び出した。きっと、ぼくも同じように自分が道具なんかじゃないと――
「ふふっ……うふふ……。あははははは」
突然、パスティはお腹を抱えて笑い始めた。ガントリークレーンに手をついてもたれかかる。
「なにがおかしい」
「て、言えば、お兄さんは納得するのかなって思ったら、なんだか悟りきった表情をしちゃうもの。ふふっ……おもしろーい」
「――――ッ」
「わたしたち少女兵器は人間と違うのよ。人間になりたいとか、人間に憧れてるとか、
「――っざけるな」
アサルトライフルから、デガード銃に切り替える。無音声通話でカズがなにか叫んでいたが、ぼくの頭の中までは入ってこない。パスティの言葉を否定するため、トリガーを絞った。爆音と共に弾が放たれる。
パスティは悠々と踊り避けた。
「おバカさんね」
アスファルトを蹴り砕き、一気にぼくへと迫ってくる。
デガード銃のリロードは間に合わない。サンキュウに切り替えたところで、ぼくの首を落とすまで数発撃てればいいところだ。運よく全発当たったところで強化外機動装甲に少し傷がつく程度でしかない。
〈カズ、そっちから狙えないか――ッ〉
〈ちくしょう。あの野郎、ガントリークレーンを動かして壁にしてやがる〉
先ほど、パスティは話しながら動いていた。そして、ちょうど彼女が笑いこけていたときにガントリークレーンに手をついていた。パスティの《電子操作》は対象物に直接触れなければならない。ぼくらにそれが目的だと気付かせないために話を振っていたのか。
最高三十トンもあるコンテナの荷役が可能なガントリークレーンの鉄柱は、当然ながらかなりの厚さがある。50口径弾を遮るのには十分だ。
「くっ……」
考えろ。考えろ。考えろ。
この状況を突破出来る方法を。ヘレンを呼ぶか。いや、間に合うはずがない。カズが狙撃できる場所に移動するか。いや、パスティとぼくの距離は三メートル。間に合わない。拡張チップが教えてくれる彼女との距離は無慈悲にゼロへ向かっている。
――どうしようもない。
この状況を打破出来る策はない。激情して、彼女の誘いに乗ってデガード銃を撃ったのが失敗だった。もう少し冷静に話していたのなら、彼女がガントリークレーンを支配下に置いたことにも気付けた。なんてざまだ。
答えを得られぬまま、その人生を終える。
それもいいかもしれない。死ねば、もうそんなことを考えなくて済む。ヨシカの問いがこれ以上、ぼくを悩ませることはない。真綿で首を絞められるような苦痛を味わなくていい。
ぼくが死んだ後には、代わりの諜報員が当てられるだろう。世界は何も変わらない。ただの道具でしかないぼくの代用品はたくさんいる。
「――――目を閉じないのね」
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