第4話 相棒結成
東京湾内に浮かぶ人工島である新東京アイランドは二〇六五年頃から構想が生まれ、五年後には工事が着手した。一極集中する都心部の人口解消が大きな目当てだ。しかし、二〇七五年に中東の石油資源に対する自治権問題から米露が対立。後に第三次世界大戦へと拡がった。その間も新東京アイランドは着々と進んでいたが、開戦から一年が経った時に東京都心部に中国の
島全体は最新技術を用いた免震構造のため、島の中心で経済と政治を司る中央区には超高層ビルが所狭しと立ち並んでいる。もはや地上からは太陽が見えないと言われるほどだ。IT技術も最新式のものが使われており、無人車が通るレーンも専用で設けられている。例外的な箇所はぼくがロシアの諜報員を追跡した風俗街くらいだ。あそこは在日外国人や貧困層、娼婦やヤクザそれから戦争によって家を失くした人々が集まって作られている。南区には港湾と工場が存在するが、この二つは稼働前のため作業会社の人間くらいしか出入りしない。
「お腹は空かないのかい」
無人タクシーの中、ぼくはヘレンに尋ねる。
「食事の必要がありませんから、空腹を感じないであります。ただ食事という行為は好きでありますよ」
「そう。それなら
「パスティとアーヴィングを捜さなくていいのでありますか」
「それは明日からにするよ。急いてはことを仕損じるって言うからね。ロシアにも同じことわざがあるんだよ」
「ミィルがそう決めたのであれば、自分はそれに従うまでであります」
「問題は何をどこで食べようかと言うことだけど……」
ぼくが借りている部屋のマンション付近には意外と多くの飲食店が揃っている。居酒屋、中華料理、イタリア料理、パブにバー。屋台もいくつか見かけたことがある。選ぶのに困るほどだ。
ただヘレンの着ている強化外機動装甲。これが嫌でも目立つ。こんなゴテゴテの機械服を着ていれば、自分は人間ではありませんと主張しているようなものだ。
「きみのその強化外機動装甲は脱げないのかい」
「脱げないでありますな。義体と強化外機動装甲は精神接続されているので。ロングケープは少し素材が良いだけの服なので脱げるでありますが」
「やっぱり、そうか」
それなら外で食べてない方が良い。
室長からは極力、ヘレンを人目がつくところに行かせるのは辞めろと言われている。
「出前を頼んで家で食べよう」
「良いでありますよ」
「何か食べたいものはあるかい」
「むー……そうですね……。美味しいものであれば、何でも。ミィルにお任せするであります」
「分かった」
窓の外を眺めながら注文するものを考える。真夜中だというのにビルから漏れる光と電灯で燦々と街は輝いている。特に目立つのはネオ・スカイツリーだ。空襲で倒壊したスカイツリーに代わって建てられた。全長は七六五メートルと世界最大の高さを誇る塔であり、戦後復興の象徴だとも言われている。
その塔から夜空に映し出される3Dホログラムの広告が様々な企業や商品の宣伝を目まぐるしく伝えていた。
「ミィルは恋人か奥様はいないのでありますか」
「きゅ、急になんだい……」
想定外の質問がヘレンから飛び出し、思わず狼狽える。
「自分は見た目が少女であります。強化外機動装甲をもう少し大きな服で隠せば、人間の少女と見分けがつかなくなるでしょう。もし、お付き合いしている相手がいるのでしたら、いらぬ誤解を招くでありますよ」
「ああ、そういうことか。お気遣いありがと。そんな女性はいないから安心していいよ」
「分かりました。安心するであります。それにしても、意外でありますな」
「恋人も奥さんもいないことがかい」
ヘレンは頷く。
「ミィルはある程度容姿も整っていますし、物腰も柔らかく丁寧な印象を受けるであります。それに諜報員というと女性の一人や二人、たぶらかしているものかと」
「そんなのはジェームズ・ボンドくらいだよ」
とはいえ、カズは女を取っ替え引っ替えしているから、結局は人によるのかもしれない。彼の名前を出すとヘレンは嫌な顔をするだろうから黙っておく。
「さて、着いた」
無人タクシーを降りると、眼前には三十階もあるタワーマンション。ぼくの部屋は最上階の三○二五室だ。周りのタワーマンションは五十階超えもちらほら見受けられるので、ぼくのマンションは低い方である。
ロビーに入る前に認識機器に人差し指を当てて拡張チップを読み取らせる。それからエレベーターを動かすのにも認証が必要。やっとエレベーターが上昇を始めたかと思うと、三十階までは四十五秒かかる。
「面倒でありますな」
ヘレンがぼそっと呟く。
「社会が安全を求めた結果だよ」
エレベーターの機会音声が目的階に着いたことを知らせると扉が開いた。部屋に入る前にも、やっぱり認識機器を通す。カチッと電子ロックが外れる音が聞こえた。
「ヘレンは靴を脱げるのかい」
革靴を脱ぐときに、ふとそのことに気付き彼女の足元に視線を向ける。強化外機動装甲は足の先までがっちりと覆っている。
「いえ……脱げないであります」
「タオル持ってきてあげるから待ってて」
パウダールームからタオルを取り出してヘレンに渡してあげた。彼女は片足ずつ丁寧に拭くと玄関マットへと足を着けた。
「このまま入って良いのでありますか」
「いいよ。気にしないで。モスクワにいるころはそっちの方が普通だったし、たまに日本だってことを忘れて靴のままあがることもあるからさ」
汚れたタオルを受け取りながらぼくは答える。パウダールームの洗濯籠に投げ込んで、リビングへと入った。
「モデルルームみたいでありますな」
ヘレンはぼくの部屋を見るなり、そう感想を告げた。
テーブル、椅子、ソファーにテレビ、台所には冷蔵庫と食器棚。観葉植物が部屋の隅にある。その他、小物がいくつか置いてあるだけで、物珍しいものはない。
「そこまで物を買い足したりしてないからね」
ぼくはテレビをつけた。
ニュースキャスターや大学教授、芸能人や俳優が第三次世界大戦の原因、展開、結末とこれからの未来について討論する内容のようだ。終戦後はこれと似通った内容のテレビ放送が多くてウンザリする。
「ヘレン、シャワーは……」
強化外機動装甲を脱げないのであれば、必要はないとは思いつつも尋ねておく。シャワーを浴びるなり湯船に浸かりたいというのであれば、レディファーストだ。
「そ、それは夜のお誘いということでありますか……」
やや身を引くヘレン。
「いや、違うけど……」
「冗談であります」
「きみも冗談を言うんだね……」
「堅苦しいのは苦手でなもので。言ったであります。自分は少女兵器の中で最も人間に近いというコンセプトで作られた、と」
その冗談が果たして人間らしい反応だと言えるか甚だ疑問だが、触れるのはやめておいた。そもそも、人間らしい反応とは何だろう。機械らしい反応とは。
――ぼくの反応は人間らしいのか……それとも……。
ふと、考える時がある。自分の脳味噌は歯車で出来ていて、受け答えは最も人間らしいことを選んでいるのではないかと。そこに自身の意志が存在しないのかと。
「ミィル、どうかしましたか」
「……少し考え事をね。出前はドミノ・ピザを頼もうと思うんだけど、好きな食べ物はあるかな」
仮想ウィンドウを共有画面で開き、ホームページにアクセスした。ヘッダーにはニューヨーク風ピザの一欠けらから黄金色のチーズが端から垂れている写真が載っていた。
ヘレンはメニューの項目をタッチして、上から下まで十数種類のピザを眺めた。
「どれも美味しそうで迷うでありますなあ……」
画面の上と下を行ったり来たり。時に詳細ボタンをタッチして、使われている素材やピザの特徴を確認している。決めるのにしばらく時間がかかりそうだ。
「ぼくはシャワーを浴びてくるから、その間に選んでおいて。ぼくの分もヘレンに任せる」
「お金はいいのでありますか」
「きみはお金を持っていないだろ。せっかくの親睦会なんだし、気にしないで頼んで。口座情報は残して注文まで済ませられるようにしておくから」
「分かったであります。お言葉に甘えさせて頂くであります」
仮想ウィンドウをヘレンに譲渡して、ベッドルームへと向かった。コートやスーツを脱ぎ、タンスから下着とジャージの下を取り出す。いつもなら上半身は裸で過ごしているが、ヘレンがいるのでTシャツもパウダールームへと持っていった。
シャワーを浴びて、リビングに戻るとヘレンは壁に飾られた絵画を眺めていた。正確にはジグソーパズルを組み立ててフレームに入れたものだ。リビングにはA2サイズの完成したパズルが五枚ほど飾られている。
「これらはミィルが作ったものでありますか」
ヘレンはモスクワの有名な観光地である赤の広場のパズルを眺めながら尋ねた。
「そうだよ。暇な時にはパズルを組み立ててね。完成したのはオークションに出したりするんだけど、一部はこうやって飾ってるんだ」
「地味な趣味でありますなあ……」
「まあね」
元々はぼくの趣味ではない。友達がやっていたのを見ていて、ぼくもやろうと思ったのが始まりだ。その友達は、もうこの世にはいないのだが。
――入らない
だから、彼女はジグソーパズルが好きだと語っていた。この枠組みに欠片を組み込むことは、欠片の有用性を証明していることだから、と。
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