第40話 気付き
夏樹と神木の邪魔をする者も現れずロッカールームは静けさを保っていた。
彼等の沈黙を破ったのは夏樹の方だ。
「神木先生と春音さんが語る冬也さんは、とても良い人だと感じました。それって間違いですか?」
神木は、丸まっていた背筋を伸ばすと夏樹の質問に驚いた。
「え? ・・・・冬也は、良い奴だよ」
「だったら、ずっと春音さんを支えてきた神木先生を怨んだりしないですよね」
夏樹の思いがけない発言に一瞬躊躇する。
「怨んではいない・・」
「もし、冬也さんが生きていたとして、春音さんが神木先生を選んでいたら、冬也さんは二人を憎みましたか?」
「それは・・春音が俺を選ぶな・・」
「そんな事分からないです。もし、春音さんと神木先生が一緒になっていたら、冬也さんは二人を認めない様な、心の狭い人だったんですか?」
「それは・・・・分からないよ。想像したこともない・・・・でも、アイツだったら祝福してくれたかもしれない。俺がそうしたように・・」
神木は自分の口から零れた言葉にハッとする。
「確かに冬也は寛容な人間だった」
「でしょ? 神木先生も春音さんも、まるで冬也さんが持つ鎖に繋がれているみたいに自由をなくしているけれど、冬也さんってそんな事をする人じゃないですよね? それに、俺から見ればその鎖が太い一本になって二人をしっかりと繋げている気がします」
以前、神木と春音が手を繋ぎ歩く姿を思い出す。
「前に神木先生は、冬也さんの死を喜んでいるって言っていましたけど、大好きな人の死を喜ぶ人なんていない。少なくとも神木先生はそんな人じゃないです。それに、神木先生と冬也さんってそんな関係だったんですか? 春音さんを自分の者にしたいから、冬也さんの死を望むような間柄だったんですか? 春音さん言ってました、神木先生と冬也さんは本当に仲が良くて、いっつも一緒だったって」
「夏樹・・」
「人生何が起こるか分かりません。俺だってこんなに長生き出来るなんて夢にすら思いませんでした。冬也さんの死だってそう。だから今を大切にして欲しい。俺は、春音さんにフラれたけれど立ち止まりません。実は、ずっと海外で勉強したいって願っていたのに、実際それが現実になりそうな時、俺、春音さんと離れたくない・・・・なんて一瞬思ったんですよ。でも、不退転の決意を持ってアメリカに行き、立派な臓器移植外科になってみせます。だから、神木先生にも春音さんにも立ち止まって欲しくない。冬也さんだって二人を見ていてイライラしていると思う、だって二人が幸せになれないのは、冬也さんのせいみたいで、まるで悪者扱いです」
夏樹は、自分の中に燻っていた神木と春音の関係について吐き出した。
神木は夏樹がこれほどまでに自分達を観察し、気遣ってくれていた事に胸が熱くなった。
「・・・・有難う。夏樹の言う通り、全部冬也のせいになってたな。悪い事したよ。そして、アイツはいつも前向きだった。だから、こんな俺を見たら怒るだろうな」
「それに、冬也さん・・・・いや俺だって、春音さんを神木先生以外に渡したくない」
夏樹が少し声のボリュームを上げて言い放つ。
【俺も同じだ・・・・冬也と夏樹以外に春音を渡せない】
【こんな簡単な事・・・・冬也は俺が春の傍に居る事を喜んでくれるはずだ】
今までずっと背負っていた重い何かがスッと軽くなった気がした。
「神木先生、ガッツです」
夏樹は、満面の笑みと共にガッツポーズを決めた。
神木は、夏樹の言葉を反芻するように何度も頭に描きながら、職場を後にしていた。
マフラーを首に巻きながら、出口を通ると外は綺麗に晴れており冷たい空気が心地良く感じる。
神木は、降り注ぐ冬の日を浴びると思い切り背伸びをした。
「はぁ。良い天気だな」
神木の意識が、まるで彼の身体から離脱したように、躊躇なく家とは反対方向に歩みを進める。
神木自身も今何処へ向かっているのか定かでは無かったが、何かに導かれるように駅の改札を抜けた。
在来線を乗り換え辿り着いた先は、少し都心部から離れた下町の雰囲気を持つ懐かしい町。そう、神木が東京で暮らすようになった時、初めて暮らした町。初めて春音と共に過ごした場所。
「懐かしいなぁ~」
この町から引っ越したのは五年程前だ。忙しい毎日に追われ引っ越しして以来この町へ帰って来ていない。だが、何故かつい最近までこの通りを歩いていた気がした。
駅前に聳え立つ大型スーパーから離れると、名残惜しそうに残る午後の商店街には、女性が野菜などを買い求める姿が多く見られた。
春音と借りていたアパートは家賃が安かったが駅から少し離れていた。だが、あの頃は若かったせいか、そんな距離を苦痛に感じた事はなかった。
「こんなに遠かったんだな」
神木は、駅からの道のりに少し距離があると感じたが、懐かしい街並みに気を取られている内に、以前住んで居たアパートが遠くに見えて来た。
自分達が住んで居た五階の部屋を見上げるとバルコニーを眺めた。
【今は、どんな人が住んでいるんだろう・・・・】
暫くの間、懐かしい部屋を眺めていると昔の情景が頭に浮かんでくる。
【あの時は、必死だったなぁ】
大学に入学した神木は、初めて住む町、初めて出会う人達、色々な初めてに戸惑いながらも、必死で春音をサポートした。
【でも楽しかった】
春音と過ごした日々に神木自身も支えられていたと改めて感じる。
冬也を亡くし絶望にくれながらも、お互いに一所懸命に生きていた。
『今を大切にして欲しい』
夏樹の言葉が脳裏を過る。
「アイツが言うと、重いなぁ」
死と隣り合わせに生きて来た夏樹だからこそ、一日一日がどれだけ大切なのかを知っているのだ。
神木は一つ溜息を付いた。
「愁・・・・」
【ドクン ドクン】
神木の鼓膜を聞き覚えのある声が振動させる。
神木は、自分の背後に立つ人によって、脈拍が速くなると口から心臓が飛び出しそうなった。
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