第39話 消えた人
ロッカー内に掛けてあったコートを取り出し腕を通そうとしていた夏樹は、ロッカールームに大急ぎで入って来た神木に一瞬驚いた。
「うわっ! 神木先生。お疲れ様です。どうしたんですか? そんなに慌てて・・・・神木先生と会うの凄く久し振りですね」
夏樹は、コートは着ずに腕に掛けマフラーも取り出すとロッカーの扉を閉じた。
すると、少し息を整えた神木が夏樹に近寄ると彼の両肩を掴んだのだ。
「やっと捕まえた」
「え? 俺、捕獲されたんですか? 何かしました?」
「アメリカに行くって聞いた」
普段冷静な神木を動揺させた理由が分かると、夏樹はホッとした表情を向ける。
「良かった・・俺、怒られるのかと思いました。スミマセン、神木先生には直接伝えたかったんですが、来年のシフトを組む時に皆にバレちゃったみたいです」
「春も連れて行くのか?」
神木の突拍子もない言葉に夏樹は口をポカンと開けた。
「????」
「何だ、そのハテナ顔は?」
神木の質問の真意が掴めずにいたが、悪い冗談だろうと思い開いたままの口を閉じると少し頬を膨らませた。
「神木先生、その冗談キツイです。俺、心の傷が未だ癒えていないのですが」
「心の傷? どう言う意味だ?」
「どう言うって、俺の初恋は物の見事に砕けました。春音さんから聞いてるくせに」
今度は、夏樹の言葉に神木がポカンと口を開けた。
「な、何言ってんだ、夏樹。お前、春と一緒だろ? 春はお前の豪華マンションで暮らしてるんだよな?」
神木のこの発言に、夏樹はやっと神木の可笑しな挙動の理由を理解する。
「いえ、俺はフラれました。瑠衣さんのお葬式の後、春音さんに言われたんです」
夏樹は、あまり思い出したくないあの日を神木に説明する。
『夏樹君、話があるの』
春音の少し苦い表情から、あまり良い話では無いのだろうと察したが、夏樹は黙って聞くことにする。
無言で次の言葉を待つ夏樹に、春音は一つ呼吸をすると続けた。
『夏樹君は、アメリカで沢山勉強して・・素晴らしい臓器移植外科になって日本に帰って来て・・・・私は、日本での臓器移植がもっと多くの人に理解されて、沢山の命が夏樹君みたいに助かるように頑張る』
春音は、時折深呼吸を混ぜながら震える言葉が吐き出していく。
『うん、俺、頑張ります。でも今の春音さんの言葉をどう捉えたらいいのですか?』
『夏樹君に告白されて、すっごく嬉しかった。そして私も夏樹君の事が大好き・・・・でもね、やっぱり私の好きには感謝が含まれているの。冬也を貴方の中で立派に蘇らせてくれたってね。そして自分の命が救われた事に対して、一生懸命に恩返しをしようとしている貴方の姿勢が・・・・大好きなんだと思う』
夏樹は、無言のままで春音の語句の一つ一つを受け止め必死に理解しようとする。
『私、もしかしたら・・貴方に思わせ振りな態度を取って、誤解させてしまったのかもしれない。ごめんなさい』
春音は、頭を下げると同時に肩が震え出し、顔辺りから水滴が落ちて来た。
『本当はね・・・・分からないの。貴方がアメリカに行ってしまう。それは冬也とまた離れるのが辛いのか、夏樹君に対する想いなのか・・自分でも分からないの・・・・でもね、夏樹君みたいに本当に純粋で素敵な人に、こんな気持ちでは一緒に居られない。貴方を不幸にしてしまう! それに冬也の元に戻ったって考える愁が可哀想だから・・』
『・・春音さん』
痛々しい春音の姿に、彼女を抱き寄せたい気分に駆られたが、恐らく彼女はそれを望まないだろう。
夏樹は動かしそうになった足を制した。
春音は俯いたままで続けた。
『お母さんが亡くなって、冬也と愁との思い出が沢山詰まったこの町に帰って来てから色々と考えた。そして気付いたの・・私は冬也を忘れられない。夏樹君、貴方に惹かれるのは貴方の中に冬也の鼓動が聞こえる・・から・・私には貴方の隣を歩く資格はないわ』
夏樹には、春音が自分の気持ちに混乱しているのが見て取れた。
【資格とかそんなの関係ない】
反論しようとした夏樹だが、春音が出した答えを理解も出来た。
【俺の心臓】
夏樹の心臓が冬也の物だと言う事実。このことは、春音の心を一生揺さぶる事になるだろう。そして、夏樹自身も自分が愛されていると、ずっと思えないかもしれない。
『春音さん・・俺のために、そんなに沢山悩んでくれて有難う』
春音は、思いがけない夏樹の優しい言葉に顔を上げる。
『初恋・・初めての感情に俺は凄く戸惑ったけれど、でも人に関わろうとする自分を発見出来てとても嬉しかった。まぁ・・・・おまけに今日のは初失恋ってのかな? 春音さんの手を取って隣を歩けないのは悲しいけど、でも・・・・俺、この経験は無駄じゃなかったから、春音さんと冬也さん、それに神木先生にも心から感謝してる。有難う。そして、誓うよ。冬也さんと一緒にアメリカでしっかりと学んで、立派な移植外科医になって帰ってくるから』
夏樹は、目を真っ赤にした春音に満面の笑みを送った。
夏樹から真相を伝えられた神木は、近くに備え付けてあるソファに座り込んだ。
「神木先生、もしかして俺と春音さんが一緒に暮らしていると思ったんですか?・・・・え? それって春音さん行方不明って事ですか?!」
夏樹は、神木の頭上から話掛けるのは失礼だと思い、神木が座る横に腰を下ろす。
「ああ、大阪に行って以来会っていないよ。ある日、家に帰ったら春の荷物だけ無くなってた・・・・俺はてっきり夏樹の所だと・・ずっと確かめなった俺も悪いんだけど」
想定外の神木の言葉に夏樹は絶句した。
春音は夏樹だけでなく神木の前からも姿を消したのだ。
「日本での臓器移植の活動は続けるって言っていたので、職場に連絡したら直ぐ分かるのでは? それより携帯・・電話してください」
神木は、頭を抱え背中を丸めると微動だにしなかった。夏樹は隣でそんな神木の応答を待った。
「春が夏樹からも俺からも離れると決めたんだ。暫く様子みるよ」
沈黙の後、神木は重くて苦しい言葉を吐いた。
「神木先生、それでいいんですか?」
【二人の絆ってこんな脆いものだったのだろうか?】
夏樹は、春音が自分を選ばなかったのは、やはり神木と言う壁が大きかったからだと信じていた。だがら、隣で小さく座る神木に少し苛立ちを感じた。
【いや、絆が深いから相手を尊重出来るのか?】
春音が失踪した事実を冷静に受け止め、彼女の決意を真摯に受け止めている。神木自身の意見を押し付けず、居なくなった春音の理由を問う事もしない。
夏樹は、経験のなさに恥ずかしさを覚えるとゴクリと唾を飲んだ。
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