第36話 覚悟
昨夜突然宿直を任された夏樹は、病院を後にすると全速力で自転車を走らせていた。
夜通し急患が多く搬入され、あまり睡眠を取れなかったが、新幹線を目指す身体は眠気など吹っ飛んでいた。
「遅くなったぁ~。お葬式には間に合ってくれよ」
夏樹は、神木と飲んだ日から必死で仕事に意識を集中させていた。だが、時折神木の切ない仕草と彼から貰った沢山の言葉を懸命に消化していた。
「まっ、悩んでも仕方がない。流れに任せよう」
これが、いつも考えた末に行きつく夏樹の結論だったのだ。
夏樹は、新幹線から下車すると、神木に教えて貰った瑠衣の告別式会場を目指して大阪メトロに向った。
擦違う人達は、東京と同様に皆急ぎ足だったが視界に入る景色は若干異なる。
【春音さん達が育った町】
そんな事を考えながら足早に地下鉄の改札を抜けた。
大急ぎで会場に到着した夏樹は、昼過ぎから行われる告別式の開式より少し前に到着した。
早目の昼食でも取りながら時間をつぶそうかと思ったが、葬儀場がお寺ならば身内は昨夜から「寝ずの番」をしているかもしれないと考え、とりあえず立ち寄る事にする。
寺院は開門されており離の方に人影が見えた。春音の所在を確認しようと離に近づくと、玄関先で年配女性の話し声が聞こえた。
「今日も春ちゃんに受付して貰うんよな?」
「ああ。通夜の時も誰も瑠衣の娘だと気付かんかったわ」
「あんまし近づいて呪われたら怖いしな」
「そやけど、愁ちゃんまだあの子と一緒やって聞いたで。騙されてるんとちゃうか? 気の毒やわ」
「昨日、なんや愁ちゃん元気なかったしな」
「冬坊に、彰人さん、おまけに瑠衣まで、私等よりも若いのに死ななアカンなんて、ホンマに呪いがあるんやで。愁ちゃんが心配やわ。あの子優秀で、神木家自慢の息子やのにな」
「ホンマやわ。さっさとあんな怖い子から離れな、次は愁ちゃんって事にもなりかねんわ」
「怖い、怖い。やっぱり、今日ちゃんと
夏樹は、愁が懸念していた通り、瑠衣の親類達は未だ春音に対して風当たりが強いのだと知ると、苛立ちを覚え無意識に玄関の戸を開けていた。
「失礼します。私、加瀬夏樹と申しまして、東京で外科医をしています。瑠衣さんも診させていただきました。彼女の病気は決して呪いが原因ではありません。それに、病院には毎日のように急患が運ばれます。事故で亡くなる人も大勢います。彼等が全て呪いによるものだと仰るのですか?」
「何や? いきなり」
「どなたですか?」
「呪いなんてこの世にはありません。それに、春音さんの存在が周りを不幸にするなんて有得ません」
夏樹は、冷静に話掛けたが、突然の見知らぬ者の登場に瑠衣の親戚は困惑する。
「夏樹君」
見知らぬ土地で自身の名前を呼ぶのは一人しか知らない。
「春音さん」
【ドキン】
久し振りの春音との再会に鼓動が早くなる。
【これが恋】
春音は、喪服姿にエプロンを付け会場の準備を手伝っている様子だった。
「何や、春ちゃんの知合いか」
「いきなり現れて、変な事言われるからビックリしたわ」
「あっちに行きましょか」
「そやね」
瑠衣の親戚は、足早に離の奥へと消えて行った。
「すみません。俺、つい・・」
「ううん。有難う。叔母さん達、変な事を言ってたんでしょ? でも気にしないで、私は平気だから」
「あんな言い方されたら悔しいよ・・」
「良いのよ。人の死は誰にでも辛いでしょ。気持ちを他所へ向ける事で楽になる時もあるから」
夏樹と春音は、離の玄関先から少し移動して話をしていると男性が近づいて来た。
「春ちゃん」
「あ、省吾さん」
喪服に身を包んだ長身の男性が春音を探していたようだった。
「夏樹君、こちら愁のお父さん。省吾さん、こちら加瀬先生、わざわざ東京から来てくれたんです」
「加瀬夏樹と申します。神木先生にはいつもお世話になっております」
夏樹は、神木の面影を持つ男性に挨拶をした。
「いえいえ、こちらこそ。本日はご足労頂きまして有難うございます」
神木の父、神木省吾も夏樹に対して頭を下げる。
「春ちゃん。受付なんかさせてごめんな。昨日ちゃんと話したかったんやけど、愁と早くに帰ってしまったから」
「省吾さん、私は大丈夫です。それに受付の方が気が楽ですし」
「そうか。すまないね。そや、春ちゃんに、これを渡したかったんや」
そう言うと、省吾は手に持っていた封筒を二通春音に見せる。
「これは?」
「春ちゃんのお父さんが瑠衣に残した手紙と、瑠衣から春ちゃん宛の手紙や」
「・・・・私が貰っていいんですか?」
「春ちゃん宛や。当り前や」
春音の手紙を受け取る手が震えていた。
「省吾さん。有難うございます」
春音は手紙を胸に抱きしめると省吾に対して深々と頭を下げた。
そんな彼女を夏樹は柔らかな表情で見つめ、瑠衣の身内に一人でも春音の味方が居る事を安堵した。
告別式は予定通り終了し、夏樹は瑠衣の棺を乗せた霊柩車を見送る春音の傍に寄り添った。
親近者は、用意されたバスに乗り込み火葬場へと向かったが、春音はそれには同乗しなかった。否、同乗出来なかったのだろう。そんな春音を支えるために大阪に来たのだと再認識する。
「春音さん、大丈夫ですか?」
火葬場で行われるであろう、瑠衣との最後の別れが叶わない春音が不敏に思えた。
「あ、うん。有難う」
春音は手にしていたハンカチで、泣き腫らした目を拭いながら夏樹に応えた。
「これから食事会とかの準備ですか?」
「そうなの。でも飲物や取り皿を用意しておくだけ。ケイタリングが届く頃には皆戻って来ると思うから」
夏樹は、春音が告別式後の食事会にも呼ばれていないと察知する。
夏樹は、会食の準備をする春音を手伝い、瑠衣の身内が戻って来るのを確認すると春音と共に会場を後にした。お骨拾いすらさせて貰えない春音は、この場を直ぐにでも立ち去りたい気持ちで一杯だったからだ。
夏樹は、見知らぬ街を春音に連れられるまま歩を進めた。足早に式場へ向かっていた時と違い、閑静な住宅街で時折聞こえる車のエンジン音や犬の鳴き声が、やたらと大きく耳に届いた。
【春音さんと冬也さんが歩いた道なのかな?】
幼い頃の二人を頭で少しイメージしてみた。
「夏樹君、東京へは今日帰るの?」
「うん。そのつもりです。明日仕事なんで」
「そっか。忙しいのに来てくれて本当に有難う。正直に言うとね、やっぱり愁の親戚達って苦手で。だから、夏樹君が居てくれて心強かった」
「実は、神木先生にお願いされたんです」
「愁に?」
「そう。神木先生の親戚が未だに春音さんに辛く当たるから心配だって。でも神木先生お葬式には参列出来ないから、俺が代役を頼まれたんです」
「そう・・だったんだ」
「少しでも役に立てたなら良かった」
頬を赤く染めながら照れ隠しに笑う夏樹を横目に、春音は昨日の神木の決意が強いものだったのだと改めて知る。そして、神木は心から春音と夏樹の幸せを願っているのだ。
春音は、歩みを止めると澄み渡った夏の空を見上げた。そして、この時彼女の中で一つの覚悟が生まれる。
「春音さん?」
隣を歩いていた春音が居なくなったことに気付き、夏樹が振り返ると、そこには凛と立つ強い表情をした春音が立って居た。
「夏樹君、話があるの」
少し汗ばむ身体に心地よい風が二人の間を駆け抜けた。
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