第35話 幸せへの後押し

 手術室から出て来た夏樹に、私服姿の神木が慌てた様子で会いに来た。

「夏樹」

「神木先生・・どうしたんですか? もうお帰りですか?」

「ああ、昨日当直だったんだ。それで、今から大阪に向かう」

「もしかして」

「ああ。残念ながら昨日亡くなった。今晩通夜だ」

「そうなんでね。ご愁傷様です。神木先生は大丈夫ですか?」

 一瞬暗い顔をした神木に気遣いの言葉を掛けた夏樹は、神木に両肩を掴まれた。


「夏樹、明日の午後休みだったよな?」

「は、はい」

「せっかくの休日に悪いんだけど、大阪に行ってくれないか?」

「え?」

「俺、明日の午後手術があって葬式には参列出来ないんだ。春の傍に付いててやって欲しい」

「神木先生・・」

「俺の母親も含めて親戚が未だに春の事を良く思っていないんだ。だから、支えてやって貰えないか?」

 夏樹の両肩を掴んでいた手を離した神木は、不甲斐なさに目線を落とす。


「俺で良いんですか?」

「夏樹以外は頼めない・・否、頼みたくない」

「分かりました」

「本当か? 恩に着る。有難う夏樹」

 神木は、夏樹に春音の連絡先や葬儀場等、詳細を教えると大阪へと急いだ。

 そんな神木を見送った夏樹は、彼の春音を想う深さを改めて知る。


 この後、着替えをしようとロッカールームに行く途中、背後から夏樹に声を掛ける人物が近づいて来た。

「あれ? 万にぃ。病院で会うなんて珍しいな。うわっ! もしかして例のMS事件まだ解決していないとか?」

「MS? ああ、五百蔵さんの件か? あれは壮太によって一件落着したよ」

「佐野先輩が活躍? そうだったんだ。聞いてないな」

「今日は、なっちゃん、お前に会いに来た。院長室に行こう」

「え? 俺、呼び出しぃ~ 何かやらかしたっけ?」

「アハハハ、違う違う。例のアメリカ行きが決まった。日程とか亮が話合いたいようだ。飛行機やアメリカでの住居とか、亮が全部手配したいみたいだぞぉ」

 そう告げた万次郎は、夏樹の胸辺りに人差し指を当てた。

 夏樹は、夢を叶えてくれた万次郎に思い切り抱き付きたいほどに嬉しいはずだ。しかし、一瞬躍る心を縛る何かに気付き戸惑ってしまう。


「おい。なっちゃん? どうした? いざ、夢が現実になったらビビったか?」

 万次郎に問われ、ハッとする。


【嬉しいはずだ】


「い、いや。嬉し過ぎて鳥肌がたったんだよ・・・・万にぃ・・本当に有難う」

「そうか。なら良かった。お節介だったらどうしようかと思った」

 照れ笑いを浮かべる万次郎が夏樹の瞳に映ると、彼の優しさに包まれる自分を全身で感じる。

「お節介は、亮にぃの方。航空券とか住む所とか、そんなの俺が出来る。って言うか、俺にも選ぶ権利があるよぉ」

「ハハハ、だよな。だから今から亮が院長室でなっちゃんの希望を聞いてくれるんだと思うよ」

「そっか。で、もしかして、万にぃ、それを言いにわざわざ俺に会いに来てくれたの?」

「ああ。直接伝えたかったからな。亮だけに美味しい所取られたくないしね」

 そう告げると、万次郎は夏樹にウィンクをした。夏樹は弟思いの兄達に心底感謝する。

「俺、しっかり勉強して立派な臓器移植外科になるよ」

 夏樹は、握り拳をつくるとガッツポーツを決めた。


 辺りが暗くなり始めた頃、葬儀会場に到着した神木の脳裏に過去の嫌な思い出が過った。

 ここは神木の実家近くの寺で、冬也の葬儀が行われた場所でもあった。

 大きく溜息を一つ付き気持ちを切り替え寺院に足を踏み入れるとハッとする。

 春音が、参列者に挨拶をしている家族の列には居らず、受付をさせられていたからだ。

 神木に気付いた春音は、受付に立つ自分を見られた事に少し苦い顔をする。

「愁」

「何で受付しているんだ」

「お手伝いよ。気にしないで」

「春は娘だろ。アイツ等まだこんな事を。ごめんな」

「戸籍上はもう親子じゃないよ。それに、私はこの方が楽だから。愁が謝らないで」

 春音は、一般の弔問客が数人受付に訪れたため神木から視線を移す。

 神木は、少し不満気な面持ちで、列席者に挨拶している母親の背後に回ると、簡単に自分の到着を知らせた。そして、身体を前方に向けると壇上に飾られている遺影を暫く眺めた。


【瑠衣叔母さん】

 母親似だった冬也の面影を彼女の写真から探していると、再び過去の嫌な思い出が蘇る。

 満面の笑顔で映る冬也の写真が、菊の花に囲まれ祭壇の中央に飾られていた風景。

【冬也】

 両手の拳に力がこもり強く握る。そして、目を閉じ鼻から長い息を吐き出すと、再び受付に立つ春音の元に戻った。


 通夜後、寺の本堂横に建つ離で食事をする親類達には加わらず、神木と春音は駅へと向かっていた。

「明日、葬儀に出れなくてごめんな」

「ううん。お通夜に来てくれただけで十分よ」

 乗り込んだ地下鉄は、比較的空いており二人並んで座る。


「夏樹と話したよ。心臓の事」

「そう・・なんだ。ごめんなさい。長い間黙っていて」

「夏樹は良い奴だよな。冬也とは全然違うけど、でも・・春の事を幸せに出来る奴だよ」

「え?」

「俺の事なんて気にしないで自由になっていいよ・・春。夏樹の中に冬也が生きている。それって春にとって一番傍に居たい人だと思う」

 春音は、神木の言葉に何も言えずにいると目的の駅に到着したため、二人無言のままで下車する。

 神木は、いつものように隣を歩く春音の手を取らず、新幹線の改札口を目指した。


【いつかこんな日が来ると思っていた】

 二人の頭に同じ考えが浮かぶ。


 二人の目前に別れの分岐点となる改札口が見える。

「春の幸せが俺にとって一番大事だから、春がどんな答えを出そうとも、これからもずっと俺は春の味方だ」

「・・愁」

「明日、親戚達が何を言おうと気にするな。あと、身体に気を付けろよ。じゃあな、春」


『じゃあな、春』

 同じセリフを最後に告げた冬也の姿が蘇る。


【冬也も愁も突然居なくなる】

【それを止められない自分】


 改札を抜けると、振り向かずに春に再度手を振る神木の後ろ姿が、だんだんと歪んでいく。

 神木が人込みに紛れ見えなくなった後、春音の目から堪えていた涙が流れ落ちた。

「これで貴方も自由よ。愁」

 春音は、大勢の人が横を通り過ぎる中、呆然と立ち竦むと神木に対して振れなかった手をギュッと握った。

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